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やり過ぎた!  作者: 涙目
第六章 家族の絆編

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幕間 王の苦悩

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

 夜も更け、王宮は静寂に包まれていた。


 昼間は多くの貴族や官僚たちが行き交う廊下も、今は警備の兵士が時折巡回するだけとなっている。


 そんな王宮の奥深く。


 国王の私室には、まだ明かりが灯っていた。


 机の上には酒瓶と二つのグラス。


 そのうち一つには琥珀色の酒が注がれており、国王は椅子に深く腰掛けながら、黙ってグラスを傾けていた。


 普段なら、この時間にも書類へ目を通している。


 しかし今夜は、机の上に書類の一枚も置かれていなかった。


 代わりにあるのは、半分ほど中身の減った酒瓶だけだった。


 国王はグラスを見つめながら、深いため息をついた。


「…………」


 何度考えても、答えは出ない。


 いや、答えなど最初から分かっているのかもしれない。


 ただ、それを受け入れることができないだけなのだろう。


 そのとき、扉を叩く音が響いた。


 コンコン。


「入れ」


「失礼する」


 扉を開けて入ってきたのは、長年国王を支えてきた宰相だった。


 宰相は室内を見渡すと、机の上に置かれた酒瓶へ目を向けた。


「呼ばれて来てみれば、どうされたのですかな?」


「たまには付き合え、アルベルト」


 国王はそう言うと、空いていたグラスへ酒を注いだ。


 宰相アルベルトは、その様子をしばらく眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。


「ふむ……今回は大分参っているようだな、エドワード」


「……当たり前だろう」


 国王エドワードは、グラスを握ったまま俯いた。


「娘が死ぬかもしれなかったのだから」


 その声には、普段の威厳も余裕もなかった。


 ただ一人の父親としての、苦しみだけが滲んでいた。


 アルベルトは何も言わず、向かいの椅子へ腰を下ろした。


 そして、差し出された酒を一口飲む。


「……そうだな」


 短い返事だった。


 それ以上の慰めが、今の友人には必要ないことを知っていた。


 エドワードはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「レオナルドたちは、よくやってくれた」


「ああ」


「リリアーナが倒れてから、あの子たちはそれぞれの役割を果たした。医師を探し、証拠を集め、実行犯を捕らえ、指示を出した者まで突き止めた」


「見事な働きだったな」


「その後の裁判も、ヴィクトリアを中心に適切に進められた。関与の程度に応じた処分が下され、貴族たちも納得している」


 エドワードは酒を口に運んだ。


「だが……終わっていない」


 アルベルトは静かに頷いた。


「……ああ」


「捕らえた伯爵が事件を指示したことは分かっている。商人との取引も、毒の入手経路も明らかになった。だが、あの男の背後に誰かがいるのか、それとも独断だったのか……そこまでは分かっていない」


「ユリウスが調べている公爵家の件も、まだ噂の域を出ておらんからな」


「そうだ」


 エドワードはグラスを机へ置いた。


「証拠もなく疑うわけにはいかん。ましてや公爵家ともなれば、軽率に動けば国そのものを揺るがしかねん」


「王としては正しい判断だ」


「……分かっている」


 エドワードは苦々しく呟いた。


「分かっているんだ、そんなことは」


 再びグラスを手に取る。


 しかし、酒を飲もうとはしなかった。


「……また起こるかもしれない」


 低い声が、静かな部屋に響いた。


「今回のように毒を使う者が現れるかもしれん。刺客を送り込む者もいるだろう。あるいは、あの子たちの大切な人間を狙う者が現れるかもしれん」


 グラスを握る手に力がこもる。


「俺は……」


 エドワードは言葉を詰まらせた。


 その手が、小刻みに震えていた。


「俺は、子供たちに血を流させたいとは思わない……」


 アルベルトは黙って聞いていた。


「思えるはずがないだろう……!」


 怒りに満ちた声だった。


 誰に向けた怒りなのか。


 娘を殺そうとした者たちか。


 王位争いを利用しようとする貴族たちか。


 それとも、子供たちを守りきれなかった自分自身なのか。


 エドワードにも分からなかった。


 ただ、今でも忘れられない光景がある。


 寝台に横たわり、意識を失ったまま動かない娘。


 医師たちが必死に処置を続ける姿。


 そして、いつ息が止まってもおかしくないと告げられた、あの瞬間。


 王として、幾度となく人の死に向き合ってきた。


 戦場から届く報告も、災害による犠牲者の数も、処刑を命じた者の名前も知っている。


 それでも。


 自分の娘が死ぬかもしれないという恐怖だけは、何度経験したところで慣れるものではない。


「……あの子は、まだ二十二だぞ」


 エドワードが呟いた。


「王位継承権を与えたときも、あれほど嫌がっていた。本人はただ、のんびり暮らしたいだけだと言っていたんだ」


「そうだったな」


「それなのに……俺があの子を王位争いへ引き込んだ」


「エドワード」


「分かっている。あの子には、それだけの資質がある。王として必要な能力を持っていることも、俺は確信している」


 エドワードは目を閉じた。


「だが、だからといって……命まで危険にさらしていい理由にはならん」


 アルベルトはしばらく黙っていた。


 そして、静かにグラスを置いた。


「……そうだな」


 その声は、先ほどよりも少しだけ重かった。


「あの子たちは、正しく王位を継げる者たちだ。誰が王になったとしても、国を支えるだけの資質を持っている」


「ああ」


「だが、それを良しと思わない馬鹿どもが多い」


 アルベルトの言葉に、エドワードは苦笑した。


「宰相ともあろう者が、随分な物言いだな」


「今は宰相として話しているつもりはない」


「……そうか」


「お前が友人として酒に誘ったのだろう?」


 エドワードは一瞬だけ目を丸くした。


 そして、小さく笑った。


「……違いない」


 二人はグラスを合わせた。


 軽い音が響く。


 しかし、エドワードの表情が晴れることはなかった。


「……だからこそ、あの子たちには自衛できる知恵をつけてもらいたい」


「自衛、か」


「ああ。どれほど優秀でも、どれほど善良でも、それだけでは身を守れん」


 エドワードは窓の外へ目を向けた。


「王という立場は、多くの人間を動かせる。だが同時に、それだけ多くの人間の欲望を引き寄せる」


「そうだな」


「権力を求める者。利益を求める者。己の家を栄えさせたい者。中には、王を自分たちの都合のいい道具にしようとする者までいる」


 今回の事件が、まさにそうだった。


 リリアーナが何を望んでいるかなど、犯人たちには関係なかった。


 王位継承権第五位。


 その肩書きだけで、命を狙う理由になってしまった。


「……特に、リリアーナにはな」


 エドワードの声が沈んだ。


「あの子は、他人のためなら驚くほど大胆なことをする。自分がどれほど危険な立場にいるのか、分かっていない節がある」


「まあ、そうだな」


「仕事を減らしたいなどと言いながら、困っている者を見れば放っておけん。本人にその自覚がないのが、なお厄介だ」


「ふむ」


 アルベルトは顎を撫でた。


 そして、少しだけ口元を緩める。


「お前に似て、大分楽観的だからな。エドワード」


「……ぬかせ」


 エドワードは眉をひそめた。


「お前の方がよっぽど抜けてただろうが、アルベルト」


「ほう? それは聞き捨てならんな」


「若い頃、貴族の娘に言い寄られて、相手の父親から結婚の話を持ちかけられるまで、好意に気づかなかったのは誰だった?」


「……随分昔の話を持ち出すな」


「しかも、本人はただ政治の話を聞きたがっているだけだと思っていたそうじゃないか」


「お前だって似たようなものだっただろう」


「俺は王子だったからな。多少は仕方あるまい」


「便利な言い訳だな」


 二人は顔を見合わせた。


 そして、どちらからともなく笑い出した。


「はははは!」


「まったく、昔から変わらんな、お前は!」


 久しぶりだった。


 国王でも宰相でもなく、ただの友人として笑い合うのは。


 しばらくして笑いが収まると、アルベルトが静かに口を開いた。


「……エドワード」


「何だ?」


「お前が子供たちを心配する気持ちは分かる」


「ああ」


「だが、いつまでも守ってやれるわけではないぞ」


 エドワードは答えなかった。


「我々も、いつかはこの世を去る。そうなれば、あの子たちは自分たちの力で国を守らねばならん」


「……分かっている」


「ならば、今できることをするしかあるまい」


 アルベルトはグラスを置いた。


「知恵を与え、経験を積ませ、信頼できる人間を見つける力を身につけさせる。それが我々にできることだ」


「……そうだな」


 エドワードはゆっくりと頷いた。


「今回、あの子たちは見事に協力してみせた」


「ああ」


「互いの得意分野を理解し、任せるべきところを任せた。俺が何も指示せずとも、あれだけのことができるようになっていた」


 その事実は、父親として誇らしかった。


 そして、王としても頼もしかった。


「だが、あの子たちが知っている人間だけで、国を動かせるわけではない」


「……ほう?」


「王となれば、数え切れないほどの人間を使うことになる。誰が優秀で、誰が信用でき、誰に何を任せるべきなのか。それを見極められねばならん」


 アルベルトは友人の顔を見つめた。


「……なるほどな」


「何だ?」


「いや。少しだけ、いつものお前に戻ってきたと思ってな」


 エドワードは鼻を鳴らした。


「俺は最初から俺だ」


「先ほどまで、今にも泣き出しそうな顔をしていた男がよく言う」


「うるさい」


 エドワードは残っていた酒を飲み干した。


 そして、空になったグラスを机へ置く。


「……アルベルト」


「何だ?」


「俺は、あの子たちに幸せになってほしい」


「……ああ」


「王になる者も、ならぬ者もだ。誰一人として、くだらん権力争いで命を落としてほしくない」


 その声には、もう先ほどの震えはなかった。


「だが、俺が王である以上、あの子たちを争いから完全に遠ざけることはできん」


「そうだな」


「ならば、せめて自分の身を守れるだけの力を身につけさせる。それが父親として、そして王として、俺にできることなのだろう」


 アルベルトは静かに頷いた。


「……それでいいと思うぞ」


 二人の間に、穏やかな沈黙が流れた。


 やがてエドワードが酒瓶を持ち上げる。


「もう一杯どうだ?」


「付き合おう」


 再び、二つのグラスに酒が注がれた。


 窓の外には、雲の切れ間から月が顔を覗かせていた。


「……ところで、エドワード」


「何だ?」


「リリアーナ殿下は、次の試練を与えられたら何と言うだろうな?」


 エドワードは少し考えた。


 そして、苦笑する。


「決まっている」


「ほう?」


「『また仕事ですか!』だろうな」


「ははは! 違いない!」


 二人の笑い声が、静かな私室に響いた。


 国王エドワードは、手元のグラスへ視線を落とす。


 娘が生きている。


 今は、それだけで十分にありがたかった。


 だが、いつまでもその幸運に甘えているわけにはいかない。


 次に危険が迫ったとき、必ずしも自分が助けられるとは限らないのだから。


 エドワードは静かに酒を飲み干した。


 そして、心の中で呟いた。


(……強くなれ、我が子たちよ)


 王になるためだけではない。


 誰かを守り、自分自身を守り、それぞれが望む未来を掴むために。


 父親として願うことは、ただそれだけだった。


お読み頂き、ありがとうございます。

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