第三章 狂気
五人の秘密が出揃った。テーブルの上のランタンの炎が揺れるたびに、五枚のカードの文字が明滅する。
僕たちは全員、あの夜を生きていた。十年が経った今も、あの十月三十一日の中に閉じ込められたまま、時間だけが過ぎていった。体は歳を取り、肩書きは変わり、住む場所も変わった。でも心だけが、あの夜の霧島館に取り残されていた。
テーブルの上に並んだ五枚のカード。ランタンの光が、それぞれの文字を照らしている。
僕たちは全員、あの夜、何かを見て、何かを知り、何かを感じていた。そして全員が、それを抱え込んだまま十年を過ごした。
誰か一人でも口を開いていれば。
誰か一人でも、あの夜、勇気を出して手を伸ばしていれば。
怜は消えなかったかもしれない。
その思いが、部屋の中を重く満たした。
ノートパソコンの画面が再び点灯した。
秘密のフェイズは終了です。
次は「狂気」のフェイズに入ります。
あなたたちが十年間、本当に恐れていたものと向き合ってもらいます。
館の中を探索してください。各自に宛てた「部屋」が用意されています。
自分の名前が書かれた扉を開けてください。
照明がまた消えた。今度はランタンの炎も消えた。完全な暗闇。
「みんな、気をつけろ」透が低い声で言った。「この館の中に、主催者がいる。仕掛けを動かしている人間がいるんだ」
「怖いこと言うなよ」陽太が呟いた。でもその声も震えていた。
僕は立ち上がり、手探りでホールを出た。廊下に非常灯のような薄い光が灯っていた。まるで道案内のように、等間隔で足元を照らしている。館の主人が、客人を導くように。
導かれるように廊下を進むと、かつて客間だった部屋の扉に、僕の名前が貼られていた。
「久住蓮」
扉を開けた。
部屋の中には、一脚の椅子と、壁一面を覆うスクリーンがあった。椅子に座ると、スクリーンが光った。
映し出されたのは、十年前のパーティーの映像だった。
怜が撮っていたのだろう。手持ちのカメラで、パーティーの様子を記録していた。僕たちが笑っている。陽太がふざけている。透が苦笑している。咲良と美月が怜のケーキを囲んで歌っている。
そして、映像の中の僕が、怜をバルコニーに呼び出す場面になった。
心臓が止まりそうだった。
音声はない。でも、僕には自分が何を言ったか、一字一句覚えている。
「怜、俺——ずっと言いたかったことがあるんだ」
映像の中の僕は、不器用に、たどたどしく、告白していた。二十歳の僕。今見ると、驚くほど幼い顔をしている。
怜は微笑んでいた。優しい、でもどこか寂しそうな笑顔で。
そして怜が何かを言った。映像の怜の口が動く。
僕は覚えている。怜はこう言ったのだ。
「ありがとう、蓮。でも、ごめんね。わたしは——わたしには、蓮の気持ちに応える資格がないの」
資格がない。
その言葉の意味を、僕は十年間、ずっと考え続けてきた。
映像が終わり、スクリーンに文字が表示された。
あなたは、拒絶された理由を「自分に魅力がなかったから」だと思い込みました。
それは本当ですか?
怜の言葉をもう一度、思い出してください。
「応える資格がない」——それは、あなたを拒絶する言葉ではなく、自分を責める言葉だったのではありませんか?
息を呑んだ。
そうだ。怜は「好きじゃない」とは言わなかった。「資格がない」と言ったのだ。
家の借金を抱え、崩壊しかけた家庭を支え、誰にも助けを求められなかった怜。誰かの好意を受け取ることすら、自分に許せなかった怜。
僕は十年間、自分が拒絶されたことだけに囚われて、怜が何を抱えていたかを想像することすらしなかった。
涙が頬を伝った。止められなかった。
僕はあの夜、自分が傷ついたことだけを見ていた。拒絶された痛みだけを抱えて、怜の痛みには目を向けなかった。怜が「ありがとう」と言ってくれたこと。「嬉しい」と言ってくれたこと。その言葉を、僕は聞こえないふりをしていた。自分の傷の方が大事だった。
なんて身勝手だったんだろう。
二十歳の僕は、怜を好きだと言った。でもあれは本当に「好き」だったのか。怜の全部を——借金も、苦しみも、壊れかけた家庭も含めて——受け止める覚悟があったのか。
なかった。なかったから、怜は「資格がない」と言ったのだ。僕に覚悟がないことを、怜は見抜いていた。そして、僕の覚悟のなさで僕が傷つかないように、自分を下げて断ったのだ。
僕のために。
スクリーンが暗くなった。部屋に静寂が戻った。自分の嗚咽だけが、暗闇の中に響いていた。
部屋を出ると、廊下で他の四人と合流した。全員が泣いていた。それぞれの部屋で、それぞれの「狂気」——十年間自分を蝕んできた思い込みや後悔と向き合わされたのだ。
透は拳を壁に押し当てていた。「俺の部屋には、怜との口論の直前の映像があった。怜が俺に話しかける前、廊下で一人で泣いていた映像。怜は、俺に助けを求めようとしていたのかもしれない。なのに俺は——自分の正義を振りかざして、怜を追い詰めた」
咲良は壁にもたれかかっていた。「わたしの部屋には、怜の日記があった。わたしに秘密を打ち明けてくれた日の日記。『咲良になら話せると思った。咲良は、わたしの言葉をちゃんと聞いてくれるから』って。——わたしは、聞いただけで、何もしなかったのに」
陽太は床に座り込んでいた。「裏口から出ていく怜の映像が、繰り返し流れた。何度も、何度も。そのたびに、俺が声をかけるタイミングが一秒ずつ巻き戻されていくんだ。お前はここで声をかけられた、ここでも、ここでも、って。——何十回もチャンスがあったのに、俺は全部見送った」
美月は壁に背をつけて、ずるずると座り込んでいた。声もなく涙を流していた。「わたしの部屋には、怜ちゃんがメールを打っている映像があった。雨の中、公衆電話のそばで、スマホの画面の光に照らされて。わたしに送ったあのメール、三回書き直してた。最初は『助けて』って書いてあったの。それを消して、書き直して——『心配しないで』に変えてたの」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
怜は助けを求めようとしていた。でも、求められなかった。「心配しないで」と書き換えた。自分の苦しみを、他人に渡すことができなかった。
僕たちと同じだ。
僕たちもまた、自分の罪悪感や後悔を誰にも打ち明けられず、十年間一人で抱え続けた。怜と同じことを、僕たちはずっと繰り返していたのだ。
「助けて」を「心配しないで」に変える。その行為を、僕たちは十年間、毎日のようにやっていた。
誰かに話したかった。あの夜のことを。自分が何を見て、何を感じて、何をしなかったかを。でも話せなかった。話したら楽になるかもしれない。でもその「楽になる」ことが許せなかった。楽になる資格がないと思っていた。怜が消えたのに、自分だけ楽になっていいわけがないと。
だから僕たちは沈黙した。お互いに連絡を取ることもなく、それぞれの街で、それぞれの孤独を抱えて、十年を過ごした。
五人が廊下に座り込んだまま、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、透が立ち上がった。
「行こう。まだ終わりじゃない」
その声に、弁護士としての冷静さが少しだけ戻っていた。でも、それは仮面ではなかった。仲間を導こうとする、十年前と変わらない透の強さだった。




