第一章 再会
十月三十一日。ハロウィンの夜。
山道を車で登りながら、僕は何度も引き返そうと思った。ハンドルを握る手が汗ばんでいる。フロントガラスを叩く雨粒が、何かの暗号のように不規則に弾けていた。
来るべきではない。わかっている。
でも、「あの夜の真実を知りたければ」という一文が、僕の足を止めることを許さなかった。
十年間、僕はあの夜のことを考え続けてきた。眠れない夜に天井を見つめながら、何度も何度も、あの夜を巻き戻した。自分が何かを見落としたんじゃないか。自分が何かをしていれば、怜は消えなかったんじゃないか。
その問いが、僕の二十代を丸ごと蝕んだ。
霧島館は、十年前と変わらない姿で山の中腹に立っていた。蔦が壁面を覆い、窓の一部が割れている以外は、当時のままだ。玄関のアーチには石造りの柱があり、その上部に、あの六角形の紋様が刻まれていた。
駐車場には、すでに三台の車が停まっていた。
僕が最後ではないらしい。そして僕だけではないらしい。
玄関の重い扉を押し開けると、ホールに四人の人影があった。
最初に目に入ったのは、背の高い男。逆光の中で腕を組んで立っている。十年前より少し痩せたが、鋭い目つきは変わらない。
「来たか、蓮」
朝倉透。大学時代、僕の一番の親友だった男。今は都内で弁護士をしていると、風の噂で聞いた。あの夜以来、一度も会っていない。一度も、連絡を取っていない。
「……久しぶり」
僕の声は掠れていた。透を見ると、十年分の空白が一気に押し寄せてきた。大学時代は毎日のように顔を合わせていた男だ。一緒にサークルを立ち上げ、一緒に徹夜でレポートを書き、一緒に馬鹿なことをして笑い合っていた。それが今、他人のような距離で向き合っている。
透も同じことを感じているのだろう。視線が合って、すぐに逸れた。
ホールの奥のソファに座っていた女性が立ち上がった。長い黒髪を一つにまとめ、落ち着いた色のコートを着ている。
「蓮くん、元気だった?」
南条咲良。怜の親友で、僕たちのグループの紅一点だった。柔らかい笑顔の奥に、どこか翳りがある。昔からそうだった。
「咲良こそ。元気そうで」
「元気じゃなかったけどね。この十年」
その言葉が重かった。誰も返す言葉がなかった。
暖炉のそばに立っていたもう一人が、小さく手を挙げた。
「よ、蓮」
柏木陽太。ムードメーカーだった男。いつもふざけて、場を和ませていた。でも今の彼の顔には、あの明るさがなかった。頬がこけ、目の下に深い隈がある。
「陽太……お前、大丈夫か」
「大丈夫に見えるか?」
陽太は自嘲的に笑った。「十年ぶりにあの館に来て、大丈夫なやつがいたら、そいつの方がやばいだろ」
四人。十年前は毎週末、誰かの部屋に集まって鍋をしていた四人だ。怜が野菜を切って、咲良が味付けをして、陽太が変な具材を投入して怒られて、透が黙々と片付けをして、僕がビールを買いに走る。あの頃の僕たちは無敵だと思っていた。ずっとこのままだと、根拠もなく信じていた。
それが今、廃墟のような洋館で、重苦しい沈黙を共有している。
四人が顔を揃えたところで、玄関の扉がもう一度開いた。
冷たい風と一緒に入ってきたのは、小柄な女性だった。眼鏡の奥の目が、怯えたように僕たちを見回している。
「……みんな、来たんだ」
戸村美月。五人目。あの夜の参加者は、怜を除いて五人。全員が揃った。
六人の中で、美月は一番おとなしい子だった。大学の文芸サークルで怜と知り合い、怜を介してグループに入った。いつも少し遠慮がちで、でもここにいることが嬉しそうで。美月が書く詩を怜がいつも褒めていたことを、僕はふいに思い出した。
美月は十年前、怜が消えた夜、最後に怜と話をした人間だった。
美月を見て、僕は胸が痛んだ。十年前の美月は、小さな声でよく笑う子だった。怜の隣にいつもくっついていて、怜が何か言うたびに嬉しそうに目を細めていた。今の美月からは、その柔らかさが消えていた。笑顔が消えたのではない。笑顔の作り方を忘れてしまったような顔をしていた。
誰も、何も言わなかった。「元気だった?」と訊く勇気すらなかった。元気なわけがないのだ。この場にいる全員が。
ホールの中央に、大きな丸テーブルが用意されていた。五脚の椅子。テーブルの上にはランタンが灯り、その光が壁に揺らめく影を作っている。
そして、テーブルの中央に一台のノートパソコンが置かれていた。画面は暗い。
「これ、誰が準備したんだ」透が訊いた。
誰も答えなかった。
全員が椅子に座ったとき、ノートパソコンの画面が自動的に点灯した。
白い画面に、文字が一文字ずつ表示されていく。
ようこそ、霧島館へ。
十年間、あなたたちは沈黙を守ってきました。
今夜、その沈黙を終わらせます。
これから、ゲームを始めます。
ルールは一つ。——嘘をつかないこと。
各自に「秘密」が配られます。ゲームの中で、すべての秘密が明かされます。
すべての秘密が揃ったとき、あの夜の真実が明らかになるでしょう。
途中退場は許されません。館の扉は、ゲーム終了まで開きません。
——ゲームマスターより
画面が暗転した直後、館全体の照明が落ちた。
咲良の短い悲鳴。陽太の舌打ち。暗闇の中で、ランタンの炎だけが揺れていた。
数秒後、照明が戻った。ただし、テーブルの上に変化があった。
五枚の封筒が、各自の席の前に置かれていた。
さっきまでなかったものだ。
「……誰かが、この館にいる」
透が低い声で言った。
封筒には、それぞれの名前が書かれていた。僕は自分の封筒を取り上げ、開いた。
中にはカードが一枚。
久住蓮の秘密:
あの夜、あなたは霧島怜に想いを伝えた。
そして、拒絶された。
血の気が引いた。
これを知っている人間は、この世に二人しかいなかったはずだ。僕と、怜。
周囲を見回すと、他の四人もそれぞれのカードを見つめていた。透の顔が険しくなっている。咲良は唇を噛んでいた。陽太は目を伏せ、美月は小さく震えていた。
全員が、知られたくない何かを突きつけられている。




