第七十三頁―喜びの中、君との距離
チュンチュン...チュンチュン……
小さな部屋の中、まだ窓から光が差し込むには早い時間。
部屋のあちこちには、いくつもの絵がまだ乱雑に置かれている。
ただ一つ、明るく光っているのは、携帯電話の画面だけだった。
そして、一つの手がゆっくりと、その画面へと伸びていく。
...
...
チョロチョロ……
さっきまで乱れていた私の髪も、今ではもうすっかり整っている。
顔はまだ少し濡れているけれど、もう一度拭けばそれで終わり。
それでも、私の視線はただ、鏡の中の自分だけを見つめていた。
ついに、今日という日が来た。
今日なら、きっとあの子もそこにいる。
今日、私たちはまた一緒に過ごせる。
そして、
体育祭が終われば、
すべてが、元通りになる。
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トコ...トコ...
朝早くの道には、まだ朝日が差し込んでいない。
街灯も、今日はまだあちこちで明るく灯っている。
遠くには、まだかなり濃い朝霧が残っている。
そして、校庭の中央にある時計は、ちょうど五時を指したところだった。
...
こんなに早く学校へ行くなんて、普段ならまずありえない。
でも今日は、学校が生徒たちに早めの登校を許可していた。
主な理由は、それぞれのクラスから何人かが来て、テントの準備をするためだ。
本来なら、私までこんなに早く来る必要はない。
そもそも、私はテントの準備係にもなっていない。
...
でも、
あの子は違う。
...
...
ピンッ。
「しっかり押さえてろよ、ハル」
「今からここ、縛るから!」
...
今、私の目の前。
学校の裏庭では、周囲のあちこちで、それぞれのクラスが休むことなく準備を進めている。
その中で、私は少し離れたところで足を止めた。
笑顔が、どうしても止まらない。
視線も、あのクラスの方から離れなかった。
...
あの子が、ここにいる。
いつも通り、みんなと一緒にテントを立てている。
誰かが必要としていれば、そこへ走っていく。
ハックン。
やっぱり、私の知っているハックンのままだ。
...
トコ...トコ...
一歩、また一歩と、私はあの子の方へ近づいていく。
両手で鞄をぎゅっと握りしめ、唇を軽く噛む。
二人でちょっとした話をすることさえ、もうかなり久しぶりだった。
せめて、これから忙しくなる前に、少しだけでも――
...
サッ。
そして、あと少し。
もう、こんなに近くまで来たのに。
だけど――
私の目の前に、同じクラスの男子が一人、立ちはだかった。
顔には明るい笑みを浮かべ、両手を広げて、その後ろにあるものをすべて隠している。
確か、この人は練習週間の頃から、よく冗談を言っていたような気がする。
でも、名前はどうしても思い出せない。
...
その男子は、どんどん私へと近づいてくる。
「天宮さん!」
「なんでこんなに早く来たんだよ?」
「まだ集合時間まで結構あるだろ?」
「そんなに早く来たら、体力に響くかもしれないぞ?」
...
「えっと……実は……」
私は身体を左右に傾けながら、その男子の後ろへ視線を向けようとする。
「早く来たのは……その……」
「その……」
...
...
スッ。
その男子は突然背筋を伸ばし、片手で軽く髪を撫でる。
そして、両手を腰に当て、どこか妙な笑みを浮かべた。
「そんなに早く来なくてもいいって」
「こんな準備なんて、見てても面白くないだろ?」
「体育祭が始まったら――」
「俺たちの本当の活躍を見せてやるよ!」
...
ゾロ...ゾロ...
すると、いつの間にやって来たのか。
同じクラスの男子たちが何人も、その男子の周りへ集まってきた。
「朝っぱらから随分と張り切ってるな?」
「逆効果になっても知らないぞ?」
「やるなら後でいいだろ?」
「ったく、あからさますぎるんだよ!」
...
「うるせえ!」
その男子は、男子たちの方へ顔をしかめる。
「どうせ俺たちで決めたことだろ!」
「少しくらい放っておいてくれよ!」
「じゃないと、お前らが同じことやった時、邪魔してやるからな!」
...
目の前の男子たちが、お互いの顔を見ながら話し続けている間。
私は身体をあちこちへ傾けながら、ここから抜け出せる道を探していた。
そして、そんな会話の中に、一つの声が静かに混ざった。
「おい、ハル」
「飲み物、取りに行くの手伝ってくれ!」
「後で足りなくなったら面倒だからな!」
...
ダメだ。
また、どこかへ行こうとしてる。
ここにこのまま留まっているわけにはいかない。
早く抜け道を探さないと。
そうしないと――
...
パンッ!
突然、背後から聞き慣れた声が響いた。
「はいはい、男子諸君!」
「人の邪魔をするのはそれくらいにして!」
「さっさと準備を終わらせてきなさい!」
「それとも、忘れちゃったのかしら?」
「もう一度、私が教えてあげようか?」
...
スタスタ...スタスタ...
「イエス、マダム!」
そして、そのまま目の前にいた男子たちは、準備へと戻っていった。
だけど、
今、
あそこにいた彼は、どこへ行ったのだろう。
...
トン。
「ねえ、ミヤキ」
突然、後ろから伸びてきた手に、私は身体を引き戻された。
「今日、なんで急にこんな早く来たの?」
「まさか、誰かに会いたかったから……とかじゃないでしょうね?」
...
ピクッ!
私は慌てて顔を横へ向け、身体を硬直させた。
「な、何言ってるの……そんなわけ……」
「ただ……今日は……体育祭が……」
「だから……」
「だって……ミズノさんも……」
「そうなんでしょう?」
...
はぁ……
ミズノさんは少し眉をひそめ、目を細めながら、ゆっくりと俯いた。
「まあ、それもそうだけど」
「でも、それはあくまで副次的な理由かな」
「最近、ハッチと一緒にいられる時間が全然ないんだもん」
「それなのに、周りの男子たちはずっとハッチの周りにいるし」
「その上、ハッチったら、クラスを出て別のクラスに行ったりもするでしょ!」
「一体、何が起きてるのか、全然分からないよ」
...
その時の私は、ミズノさんから視線を離すことができなかった。
手のひらを軽く握りしめる。
そして、胸の奥をかすめるような、ほんの小さな感覚。
不安。
まるで私は、
何か大切なものを、見落としてしまったような――。
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ドーン!ドーン!ドーン!
そして、時間はそのまま過ぎていった。
朝の光は、今では眩しいほどに辺り一面を照らしている。
色とりどりの紙吹雪が、何度も高い空へと打ち上げられていく。
数分前まで静かだった校庭も、
今では、人で埋め尽くされていた。
体育祭初日が、ついに始まった。
...
ワァーッ!
観客たちの視線が、一斉に校庭へと向けられる。
F組のほとんどの生徒が、ここに集まっている。
騒がしく盛り上がる空気の中、みんなの視線は校庭へと集まっていた。
ほとんど差のない接戦を繰り広げるリレー。
どちらも一歩も譲らない綱引き。
そして、校庭の外では、いくつかのクラスが少し変わったパフォーマンスまで披露している。
...
一方、F組の残りの何人かは体育館へ向かっていた。
今日はちょうど、武道とバドミントンの予選第一回戦が行われる日でもある。
ハックンとツメコさん、大丈夫かな。
でも、あっちにはみんながいる。
きっと、何も問題ないよね。
今の私にできることは、
こっちの競技を精一杯頑張ること。
...
...
ワイワイ...ワイワイ……
そして、昼頃。
みんなもテントの周りへ戻ってきて、少し休憩することになった。
F組では、テーブルいっぱいに並べられた料理を囲みながら、みんなが飲み物を掲げている。
「午前中は、かなりいい感じだったな!」
「何があっても、この調子を維持できれば……」
「最後に勝つのは、絶対に俺たちF組だ!」
...
コクッ...コクッ……
私はそのまま、少し離れた場所へ引っ込んでいた。
手にはコップを持ち、周囲のみんなから視線を離さない。
唇には小さな笑みを浮かべながら、みんなの声が辺りに響いている。
「やっぱ山崎さん、すごかったよな!」
「ほとんど一瞬で相手を倒しちゃったもんな!」
「こっちの男子も、かなりいい走りしてたぞ!」
「負けたと思ったのに、まさかあんなに差をつけて勝つとはな!」
「小林さんのことも忘れるなよ!」
「あいつ、ああ見えてめちゃくちゃ高く跳ぶんだぞ!」
...
ドサッ。
ツメコさんが、私のすぐ隣へやって来て腰を下ろした。
だけど、
何かがおかしい。
背中は丸くなり、顔にはまったく表情がない。
並べられた料理にも、まるで手をつけようとしない。
ちゃんと活躍してたはずなのに。
どうして……?
...
「ねえ、ミヤキちゃん」ツメコさんの唇が、かすかに動いた。
「ミヤキちゃんは……何かおかしいって思わない?」
...
「おかしい……って?」私は顔を少し俯かせた。
...
ツメコさんは、そのままの姿勢を崩さずに続けた。
「勝った……けど、勝った気がしない……」
「みんなが応援してくれたのは……嬉しかったよ」
「でも……なんか変なの……」
「二人とも、集中しなきゃいけないのは分かってる……」
「でも……どうして……」
「私が終わったら……次は、あの子の番だったはずなのに……」
「みんな……一斉にどこかへ行っちゃった……」
...
...
「あ、そうだ」小林さんが突然立ち上がり、周囲を見回した。
「さっき周りを見てて、気づいたんだけど……」
「ハル、どこ行った?」
「誰か知ってるか?」
「まだ、今朝のあいつの試合がどうだったのかも聞けてないんだけどんだけど」
...
だけど、それに対して、
みんなはお互いの顔を見合わせるだけだった。
「今朝、誰か会ったか?」
「そういえば、朝から誰も見てない気がする」
「テントの準備が終わった時には、もういなかったぞ」
「分かんない。俺、朝からずっと競技のことで精一杯だったし」
...
(;・∀・)
何が……起きてるの……?
朝からずっと、私たちのクラスは……
まさか、誰も……
...
「みんな、心配しなくてもいいよ」白川さんが、突然持っていた缶を高く掲げた。
「生徒会から、体育祭の間はハルを借りるって連絡が来てたから」
「ハルの出番になったら、ちゃんと戻してくれるってさ」
...
コトッ。
そんな話……いつから……?
どうして……私は…知らなかった……。




