90 その事件、拡大する
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ダストリーの中心部に差し掛かっているはずなのに巡回中の騎士の姿がなかった。
昨晩事件が起きたとは思えないほど静まり返っている。不気味なまでのそれは嵐の前の静けさと表現するにふさわしい空気だった。
「何かあったのでしょうか?」
日本の話に驚きっぱなしだったインフェクトも異様だと思ったらしく、少し不安げだった。
「分からない。とりあえずアキヒロと合流しよう」
「はい」
入り組んだ道を通ってその先にある建物を目指す。
黒い影はその道を阻むように立っていた。
ガーネッタ国で襲ってきた黒ローブの集団の一人だ。
その姿を視認できた場所で俺たちは足を止める。向こうも俺たちがいることは分かっているはずだが、一向に口を開く気配はなかった。しかし、ここを通さないという圧はひしひしと肌を打つ。
「…………行こう」
俺が先に足を踏み出す。
「………………能力復元」
微かに聞こえた声と共に黒い影の姿は一瞬にして消えた。影がいたはずの場所には砂埃が舞う。
「…………そこだっ!」
咄嗟にインフェクトの前に出て両刃の剣を構える。
剣に何かがぶつかる衝撃が伝わる。
「……っ!」
衝撃は手に痺れを発生させるほど強力な力だった。まともに力を入れれば独特の痛みで剣を手放しそうになる。ただ持っているだけで精一杯だった。
衝撃はーー黒ローブの正拳だった。
「……この間の剣はどうした?」
変声期に入ったばかりの少年の声が淡々と告げる。
「剣……っ!?」
妙なことを言った相手が二発目を構える。
防ぐ手立てはない。しかし、一発くらいは……というか何発喰らっても瞬間的に回復するから相手の攻撃は意味を為さない。
そのはずなのに妙な胸騒ぎがする。
そんな時に限って、否そんな時だからこそ、脳はその場に適している嫌な記憶を呼び起こす。
ガーネッタ国で戦った俺よりも歳下である女神の加護者の少年についてだ。さっきの声も聞き覚えがある。
そして女神の加護者である彼の攻撃に対して、驚異的な回復能力は発揮されなかった。
「やばっ……!」
蘇る鈍い痛みが今目前に迫っていた。俺は剣でもう一度防ごうとせずに目を瞑って来るべき衝撃に備える。
まともに力が入らない状態のまま剣で防いだら、剣が吹き飛ぶ。
「させません!」
インフェクトの切迫詰まった声に目を開ける。
俺と黒ローブの拳の間に薄い半透明の板が一枚出現していた。黒ローブが攻撃を防がれて弾かれたように後方に飛び退くと同時に、板は役目を終えて霧散していく。
「インフェクト、今のは……」
「はい、わたしの能力です。少しですけど使えるようになってきました。援護します、カケルさん」
インフェクトの意思に呼応するように彼女の周りの電子魔力が小さく弾ける。
「…………いや、君は先にアキヒロと合流してくれ。アキヒロのことだ。何か考えているはずだ。恐らくそれは君が鍵となると思うんだ」
「ですが…………」
インフェクトが小さな手で俺の服の裾を握る。
危険な場所に行くことを止めるようにしっかりと裾を握りしめる。それでもまだ小さな女の子の力だ。後ろから引っ張られる力はとても弱々しかったが、心配してくれていることは強く伝わった。
「大丈夫だよ。ちょっと秘策思いついたし、すぐに追いつくから」
俺は彼女が安心できるように笑顔でそう答える。実際秘策を思いついたというのは本当だ。俺の今の言葉は根拠のない約束ではない。
「…………はい、わかりました。すぐに、ですよ?」
インフェクトは渋々と俺の意見に賛成してくれた。
「ああ、すぐ追いつく。あとは……」
目の前の相手を見据える。
今のところ敵は一人。俺でも全力で攻撃すれば数秒くらい足止めできるだろうか。
「カケルさん、あっちで待ってます」
「え……ええっ!?」
振り返ると、インフェクトの身体はさっきの板のように半透明になって消えていっている。
「なっ…………!?」
黒ローブも顔はフードを目深に被っていて見えないが、驚嘆の声を漏らしていた。
やがて完全にインフェクトが消えていった後も戦うという雰囲気ではなく、お互い何もない宙を見ている。
インフェクトは電子魔力となって建物を目指した、と理解しているが現実離れした様子に目を疑わずにはいられなかった。
驚きのあまり思考が停止していた。
「…………あー……なんだ」
最初に言葉を発したのは黒ローブだった。無気力な声が届いて俺は相手の方に向き直る。しかし、その第一声を最後にまた黙ってしまった。
「……何で」
「あ?」
仕方がないので今度はこちらから話し始める。一旦仕切り直さないとどうも戦闘という雰囲気ではない。いや、別に戦いたいというわけではないが、目の前の相手をどうにかしないと前に進めないのでは戦うしかないだろう。話し合いで解決しないのはさっきの相手の奇襲で火を見るより明らかだ。
「何で俺とインフェクトが話している時に襲ってこなかったんだ?」
「…………あー……っと」
黒ローブは考え込むような仕草を見せる。
改めて話すと口数の少ないやつだ。と言っても、一回会っただけだ。しかも俺はその時ボコボコにされたし。会話する余裕はなかった。
「……ここを見張れ、というのが今回の命令だ。……戦うことが命令じゃないから近づかなければ別に何しても構わない」
やっと言葉が出てきたのか、相手が唐突に先刻の質問に確答する。
「いや、でも一回通ろうとしたし……」
随分と消極的に任務を遂行している。
その考えは嫌な予想が頭を過ぎるきっかけとなった。
俺は目の前の人物の足止めしか視野に入れていなかった。命令ということはそれを下した者も当然なことだが存在する。
「……命令をしたヒトはどこにいる?」
相手にとって答える義務のない質問だ。それでも彼は何でもないかのように普通に答えてくれた。
「この後ろだ」
右手の親指で自分の後ろにある建物を示した。
「…………っ! インフェクトっ!」
俺は真っ直ぐに駆け出す。
一番安全だと思った場所が今一番危険な場所だった。浅慮な自分を恥じる。目の前にいる黒ローブが道を塞いでいた時点で気付いても良かったのに。
「行かせない」
だらんと自然体の構えで相手が待ち構える。
ガーネッタ国での戦闘がフラッシュバックされる。
実力は相手の方が何倍も何乗も勝る。アキヒロから貰った武器も彼には申し訳ないが役に立ちそうもない。
しかし、俺はその剣をしっかりと握りしめる。武器を振るう決意を固める。
手の痺れは治っていた。女神の加護者の超回復が発動しなくても、痺れくらいなら時間が経てば綺麗さっぱり消える。先ほど会話を試みたのはこの自然回復までの時間稼ぎの一面もあったのだ。
俺はあの時の言葉を思い出す。
「ーーーー楔ノ劔は一つにして全を為す」
どくん、と身体中の血液が沸騰したかのように身体が熱くなる。
インフェクトに言った秘策は正直成功するか分からないものだ。何しろガーネッタ国を発って以降、試したこともない技だ。しかもガーネッタ国で発動したのも一回だけでそれが初めてときた。
改めて考えると失敗する気しかしない。
「ぅぐっ……!?」
そんなマイナス思考に呼応するように吐き気が襲ってくる。
思わず足を止めて、全力疾走後のような中腰の姿勢をとって呼吸を整えようと試みる。
しかし、吐き気を皮切りに次々と身体中が不調を訴えてきた。
瞬間に失敗したら死ぬと理解した。運が悪くて廃人確定だ。それはただの勘だが、止めろと身体が拒絶する感覚はしっかりと存在している。
頭は割れるように痛い。身体は病気に罹ったかのようにだるいし、焼けるように熱い。足元は長距離マラソン完走後のように覚束ない。両手は無くなったように感覚がない。
おかしい。なぜ?
前回はこんな辛くはなかった。前回とどこが違う。
「…………声?」
そうだ。謎の声が聞こえたんだ。若い女性の声だった。
詠唱も全部彼女が行っていた。
しかし、今は自分一人だ。彼女の声はない。発動は自分一人でするしかない。
「ーーーー繚乱花拳 ……!」
絞り出すように発したその言葉は血の味がした。口内でかき集めた血を吐き捨てる。
それを最後に今まで襲っていた症状はなくなった。吐き捨てた血が原因だったかのように身体の各器官の苦痛は引いていく。
その痛みの幕引きと入れ替わるかのように剣が輝き始める。神々しさすら感じるその光は剣を包み込み、更に大きくなっていく。
「…………へぇ」
三間ほど離れた向こう側から感心するような声が聞こえてきた。相手は一向に向かってこない。
剣の光が大きくなるに連れて重量も増していく。
俺は一歩ずつ進む。踏み出す度に剣の重さで足を取られそうになる。
その剣を両手を使って持ち上げる。否、両手だけでなく身体を剣の下に入れて全身を使って持ち上げた。
「ーーーーアマゾーン!」
そのまま身体を前に傾ける。
夜天を仰ぐ大剣は自ら放つ光を切り裂いてその姿を現し、黒ローブを斬り伏せんとする。
「…….ふ」
相手は黒いローブを取り、剣の軌道上にそれを敷く。空中に放たれた黒いローブは相手の姿を消した。
アマゾーンによって切り払われた黒ローブの先に彼の姿はなかった。
「相変わらずのろいな」
右側から声が聞こえて咄嗟にそちらを向く。それより前に抉るような痛みが右の脇腹を襲う。
「ぐぅっ…………!?」
大剣を引き戻して、再度相手に狙いを定めて剣を振るう。相手は後方宙返りでこれを躱すと同時に距離を取る。
脇腹の痛みは消えない。
「前回はもっと楽しめたんだが……」
正体を現した少年は落胆したようなため息をこぼす。丈の長い服にカンフーパンツのその姿は相変わらず中華系を想起させる。
「やっぱりあの時の……えっと……」
そういえば名前を知らない。まあ、互いに敵同士なのに自己紹介となるはずもないので当たり前だが。
「クガだ。空閑陸」
「俺は……」
「相島翔だろ。知ってるよ。聞いているから」
クガと名乗った俺とそんなに変わらない歳の少年は俺の名乗りを退屈そうに遮る。
聞いている……か。恐らくはあいつに聞いたのだろう。昨晩ワンセルフを回収しに来たシモン・ペイバーに。一瞬見えた横顔はやはり彼だったのか。
「君も同じ召喚者……女神の加護者、でいいんだよな?」
クガは無言で頷く。
「プロエリム、だったか。ソウルビーストが和風ならプロエリムは中華系ってところかな」
彼は俺が何気なく呟いた言葉にすんなりと反応してくれた。まるで友達と会話しているかのように答える。
「……………プロエリムは中華って感じじゃあない。元々は全裸主義の国だからな」
「全裸ぁ!?」
戦闘中であることも忘れて思わず間の抜けた声を上げてしまった。相手も戦闘中に発言していい単語の類ではない。
動揺を誘っている風にも見えないし(ばっちり動揺してしまったが)、特に深い意味はなく事実を言っただけらしい。なんてマイペースな奴だ。
「…………それを咎めた昔の女神の加護者が色々服を提供してくれて。…………その一つが」
彼は自分の服を見る。昔の女神の加護者が遺した服の一つということらしい。
そもそもなぜ全裸主義なんだ。
「……こっちからも質問がある。何故あんたが戦う?」
「え?」
質問の意味を図りかねて答えに詰まる。先程まで全裸云々を話していた雰囲気が一変した。
彼との睨み合いが続く。そもそも相手の現在地は通路を阻む位置にではない。アキヒロのいる建物に続く一本道の端に彼はいるので、大剣さえどうにかできれば走って建物まで逃げ切ることもできそうだ。
「……弱いのに、女神の加護者ではハズレくじを引いたのに……何で他人のために戦う?」
「ハズレくじ……」
「……リグルートは能力を持たないから」
クガは袖を巻くって腕を見せる。その腕にはいくつもの線が枝分かれするかのような形で刻まれていた。それは毛細血管を含めた全ての血管が浮かび上がっているようにも見えるが、黒い線のため木材のような硬い物の酷いヒビ割れにも見える。
「無双……」
それがプロエリムの能力。
確か身体に刻まれる刻印が肌を占める割合で強さが変わる能力だったはずだ。当然、占める割合が高ければ高いほど強さは増す。他種族の能力については基礎的なことしか知らないのでこれ以上のことは把握していない。
「…………で、答えは?」
クガは真っ直ぐに俺を見据える。俺の一瞬の動きも見過ごさないだろう。そんな錯覚めいたものを起こしてしまうほど彼に隙はなかった。建物まで逃げ切るという先程の考えは撤回しなければならない。
空閑陸をどうにかしなければ俺は建物にたどり着けない。
俺は少し軽くなったように感じる大剣を握り直す。軽くなったと言っても、重さは変わらないはずなのでその重さに慣れただけだが。
「何故戦う……か」
絶海さんにもそんな質問をされた。その時はしっかりとした答えができなかった。
彼みたいに理由がなかった。
いくつもの理由で、曖昧なままアキヒロの頼み事を受けていた。
今も自身が戦う理由がはっきりしていない。
しかし、それは今戦う理由も分からないというわけではない。
今、この現状に限った話ならば、その理由は明快だ。
「俺はインフェクトを、アキヒロを助けに行く。そのために俺はここで戦う。……この道を譲ってもらうぞ。ーーーークガ!」
地面を蹴り、走る。大剣という重い枷で速くは走れないが、相手は動く気配がないので関係ない。最初の奇襲以外は常に攻撃されたら反撃をする受け身の戦闘だ。
何よりこの大剣は枷以上に頼もしい武器になる。それはガーネッタ国で知ったことだ。
大剣を叩きつけるように振り下ろす。それでこの戦いは終わる。
そのはずだった。
ーーーーぃン
「なっ……!?」
金属同士がぶつかったような甲高い音が目の前で鳴る。
大剣は目標の眼前で止まっていた。
クガの真っ黒な右手の甲で防がれていた。真っ黒というのは日焼けの比喩ではない。彼の右手は炭のように黒く、そして金属類と思わせるほど強固なものになっていた。
すぐに俺の知らない能力の使い方だと理解した。そのことに驚いたわけではない。
繚乱花拳アマゾーン。
気になってガーネッタ国から帰って調べてみると、リグルート以外の種族を殺すのに特化した七つの剣ーー聖罰剣の内の一振りだった。七つの剣それぞれが一種族に対して驚異的な強さを持つ。俺が今持っているアマゾーンはプロエリムに絶大な斬れ味を発揮する。
そのはずなのに、彼はそれを生身で防いだのだ。俺は驚きつつも、その原因を探る。
「……っ!? 剣が……!」
アマゾーンはメッキが剥がれるように外側が崩れ落ちる。落ちた欠片は光となって消えていき、やがて元の大きさに、アキヒロから貰った剣に戻った。
相手が何かしたのではない。
時間切れ。ただそれだけの理由だった。
「……はぁ……はぁ…………!」
もう一度発動させようとした時、ようやく自分の魔力残量に気がついた。もはやこの武器をアマゾーンにするどころか剣から銃に切り替える魔力すら残っていない。
そう気付いた瞬間、疲労が一気に押し寄せてきた。脳が大量の酸素を求めて、呼吸が乱れる。
「……苦しそうだな」
クガが剣を払って、左拳を繰り出す。
咄嗟に右に避けるが、重く感じる自分の身体のせいで体幹が崩れる。結果として、避けた勢いで倒れてしまった。
避けた、いや倒れたのも束の間、天を仰ぐと靴裏が視界を覆う。
「……っ!」
咄嗟に地面を転がる。横から砂混じりの風と共に衝撃音が起こった。
今度は素早く身を起こして、クガと対峙する。
彼は右足を前に出して一歩踏み出したような体制だった。踏み出した右足の周りは蜘蛛の巣状に割れている。俺を踏むどころか踏み抜くつもりだったらしい。
クガは空振りに終わった右足周辺を眺めて、その後明後日の方向を見た。
「…………潮時か」
詰まらなそうにそう呟いて俺を見る。
「……早く建物に行きたいか?」
「は? 当たり前だろ」
また質問の意図が分からなかったが、今度は気持ちそのままに即答する。
瞬間、目の前から彼が消えた。
「それなら連れて行ってやるよ」
瞬間移動のように俺の前に現れて平坦な声で告げた。
「な…………っ!」
今度は罅だらけの右拳が顔面を殴り、地面に叩きつけた。
「…………は……っ!」
殴られた痛みと頭を打ちつけた痛みが脳を揺さぶる。
頭部から垂れる血は地面を侵食し、また顔にも流れ落ちる。視界を真っ赤に染めた。
身体が動かない。全身から力が抜けていくという感覚すらない。
浅い呼吸の音が遠く聞こえる。
意識ははっきりしないくせに、脳味噌は焼かれているみたいに熱いと感じる。
傷はいつまでも残り続ける。女神の加護者の治癒能力は発動しない。
真っ赤になった視界はやがて闇で覆われる。
それは死の宣告に他ならなかった。
***
紅月の民の構成員であるハティに連れられて二人の女王が駆け足で城内を移動する。
城内の動ける騎士は例外なく右に左に忙しなく動いている。その中で騎士たちが集まっているその中心に騎士団長のローグ・ド・バイリンがいた。その隣には聖騎士のライザー・ロード・アザレッドの姿もある。騎士たちの情報を元に指示を出している最中のようだ。
「お二人はここで待ってな。団長のおっさん、連れてきたぜ」
ハティはセレアとシェリーを集まりの外で待たせて、騎士の間に無理矢理割り込んで中心に到達する。
「ご苦労様。ライザーくん、少しここを任せた」
「はい、お任せください」
若き騎士にそう告げて、中心からその外へと移動する。
「夜遅くに申し訳ありません」
壮年の騎士が紅髪の主君に頭を下げる。
「いえ、構いません。それでこの状況は一体……?」
セレアは子供の頃から世話を焼いてくれた騎士に頭を下げられ、毅然とした態度で説明を促す。
先ほどまでシェリーとお話をしていた年頃の女の子ではなく、気品と聡明さを持つ一国の、そして一種族の長としての存在に切り替わっていた。
「半刻前、ダストリー巡回中の騎士に危害を加える謎の存在が多数出現しました」
「謎の存在?」
具体性に欠く報告に鈴音の声が疑問符を浮かべる。
「はい、報告によるとアキヒロが製造した機械兵に姿形が酷似している……と。その数は目算でおよそ五十ほど」
「……そんなに…………」
予想以上の緊急事態に僅かながらも動揺がセレアの口から溢れる。しかし、今は自分の感想よりも義務が優先と緩んだ口元を引き締める。
「アキヒロさんが造られた機械兵の数を確認しましたか? 誰かに盗まれている可能性があります。もしそうでないのなら……」
そこまで言ってセレアは騎士団長の顔を窺う。
彼は眉間に皺を寄せてそっと目を瞑る。
そして少しだけ首を横に振る。
「残念ながら、機械兵は一機も盗まれていません」
「そう……ですか」
あどけなさを残す整った顔立ちに暗い陰が入る。
アキヒロが造った機械兵に酷似したモノの存在とアキヒロが姿を消したことは繋がっている可能性が高い。
彼以外に機械兵の造り方を知る者はこの国にはいない。また、機械兵も普段は厳重に管理されている。機械兵が一機でも外に出した記録はない。もしそれに似たモノが現れたのであれば、可能性は二つ挙げられる。
機械兵が盗まれて研究されたか、或いはアキヒロが設計に関わっているか。
「これより敵の制圧に加えて、イケダアキヒロの身柄確保をもって事件の解決とします。貴方とライザーさんは戦える騎士を連れて前線に向かってください。近隣住民の避難については貴方に一任します。これからの情報整理は私が受け持ちます」
「御意」
ローグはセレアに一礼してその場を離れて、騎士たちの集団に戻る。そしてすぐさまその場にいた大半の騎士を引き連れて現場に向かった。
「ごめんなさい、シェリー。お散歩はどうやら無理そうだわ」
せっかく自分を励ますために散歩しようと誘ってくれたのにその予定を急遽キャンセルにするのだ。仕事を始める前に謝っておこうと紅い頭を揺らして後ろを向く。
「……え、あ、うん! 気にしないで! お仕事なら仕方ないよ!」
シェリーはセレアを目を丸くして見た後、我に返ったように間を空けて答える。
「どうしたの? 何か顔についてる?」
セレアは自分の顔に触れるが特に何か付いている様子もない。
「い、いやそうじゃなくて! セレアがいつもと違ってこう……シャキッとしてたから驚いちゃっただけだよ」
「そ、そう……」
暗にいつもはシャキッとしていないと言われて、苦笑いを浮かべながらセレアは相づちをうつ。
「確かに女王の業務中は気を引き締めているわね。それに今回は忙しくなりそうだし一層気を引き締めないと……」
「ボクも手伝うよ!」
シェリーは目をランランと輝かせてセレアの指名を待つ。セレアはそんなシェリーの姿を見て穏やかに笑った。
「ありがとう。でも自分の仕事は自分一人でしないといけないから」
「うーん……そっか。残念」
シェリーはセレアの言葉に対して何か言いたいことがあったみたいだが、しょんぼりと肩を落としながら納得する。
「それに他種族の長を自分の国の事件に巻き込ませるわけにはいかないわ」
「むー……」
今度は堪えが効かなかったようでシェリーは不服そうに頬を膨らませる。生来の青白い肌が口の中の空気によって破裂せんばかりに張っていた。
「えっ、え……あの、私、何か気に触ること言ったかしら? それなら謝る……って理由もわかってないのに謝られたくないわよね。ええと、まずは……」
セレアは華奢な身体を右に左に向けながら対処方法を模索する。
シェリーは手伝いの申し出を断られただけでふて腐れるような曲がった性格ではない。それを知っているセレアは目の前の他種族の女王の考えが分からない。
「セレア、言いたいことが一つ」
張り詰めた両頬から空気を抜いて、シェリーが口を開く。
「は、はい……」
セレアは叱られる子供のような心持ちでシェリーの次の言葉を待つ。
「ボクはセレアの友達だよ。そんな言い方はしないでよ」
「あ……」
セレアは言われて自分の失言に気付く。
友人に対して他種族の長などと他人行儀な呼び方をしたこと。
それがシェリーにとって不服だったのだ。
「そうね。……友達を危ないことに巻き込めないわ。だから今回はお手伝いは遠慮してちょうだい」
シェリーは満足そうに笑って頷く。
「うん、分かった! ……まあ、他にも言いたいことはあるけど今はいいや」
しかし、その満面の笑みは一瞬だけ憂いの色を帯びていた。
「シェリー?」
「なんでもないよ!」
セレアに呼ばれるとその笑顔は再び満開となる。
「じゃあボクは部屋に戻るね!」
「わかったわ。おやすみなさい、シェリー」
「うん、おやすみ、セレア。お仕事がんばってね!」
夜分の挨拶とは思えないくらいシェリーは元気よく手を振って自室に戻る。
シェリーが一つ目の角を曲がって見えなくなるまでセレアは揺れる藤色の髪を見送り、仕事に取りかかった。




