53 その祭、閉幕
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男は部屋の外から聞こえてくる足音に気づき、ドアの方を見る。そのはずみで彼が寝ているベッドがギシッと音を立てた。
足音は部屋の前で止まり、ドアが静かに開かれる。
「やあ、少し話したいことがあるんだが。……いいかな?」
「……もう面会時間は終わってますよ」
その男――研究開発局局長、池田明裕は自分の病室の前に立っている人物――騎士団団長、ローグ・ド・バイリンを苦笑で出迎えた。
アキヒロは数週間前に禁断のタブレット機能催眠を使用されて、セレアの元婚約者、ジャロウ・ムラ・バモスに強制的に協力させられていた――ということになっている。
ジャロウはアキヒロの他に十数人の騎士にも催眠を使っていたのだが、彼は催眠を自ら解いて従っているフリをしていた、というのが真実なのだ。しかし、ジャロウにそれを気付かれるわけにはいかないという理由で、こうして事件が終わった後も演技を続けている徹底ぶりだ。少しは催眠の治療が必要らしいので入院しているという理由もある。
「面会時間なら心配ない。院長先生に話は通してある」
ローグはベッドの隣にある簡易なデザインの椅子に腰掛ける。
「なるほど。剣の腕前だけでなく手回しの速さも一級品でしたか。……それで、話とはなんですか?」
「…………彼の足取りが掴めた」
ローグは声を一段と潜めて言う。
アキヒロは眉をピクリと持ち上げる。
「……アブドゥル・イワノフ前局長のことですね」
アブドゥル・イワノフ。
アキヒロのかつて上司にして、アルバーレ王国の指名手配犯だ。彼はとある研究内容で先代国王から研究中止の勧告を受けても秘密裏に研究を進めていたことが発覚して、王族直属研究局の局長という地位から一転、お尋ね者になってしまったのだ。それ以降姿を眩ましていた。
「それではこの間お聞きしたブレイカーウェポンはやはり……」
「おそらく、前に彼が開発したものだろう。前に試作品で似たようなもの見せてもらったことがある」
「そうですか……。それで、彼の居場所は?」
「具体的なところまでは分からないが……どうやらアスタロス大陸にいるらしい。ブレイカーウェポンの件から推測するに、組織で行動している可能性が高い」
「疑っている訳ではありませんが、その話が本当ならかなり危険ですね」
アキヒロがいつもの涼しげな顔を少しばかり崩し、苦い表情をつくる。
「今日のところはこれだけだ。何か分かったらまた報告しに来るよ。……それと」
ローグは立ち上がってドアの前に立つと、ローグの方に首だけ向ける。
「病室に仕事を持ち込むのは程々にしておきなさい」
「……お見通しでしたか」
肩をすくめて了解の意図を示したアキヒロの膝に掛かっている布団の下には、何枚かの書類が顔を出していた。
***
マナ祭も全日程を無事終了した三日後。
特にすることもない俺は太陽がかなり高い位置に来ても惰眠を貪っていた。
そろそろセレアから貰ったお金も使い切るからバイトとか始めないとなぁ、と思っていた矢先、祭の警備という仕事が舞い込んで来たので、暫くバイトは(報酬にもよるが)しなくてもいいかもしれない。
期待に胸を膨らませながら、朝が来ても心地良い微睡みにその身を任せる。
その時だった。
「――パパ、朝だよ! 起きて起きて!」
「ぐふぅ!?」
突如、腹部に鈍い痛みを感じたかと思うと同時に、近くから拡声器でも使ったかのような大きな声が寝起きの耳に響く。更に追い討ちのように痛みを感じた腹部辺りを中心として激しく体を揺さぶられる。
何事!? 地震!? 夢!? ……ウサギ?
頭がパニックになりつつも体を起こすと、ウサギの顔がかなり近くの位置にあり、つぶらな瞳で俺を見ていた。
「あ、やっと起きた!」
その奥から声がしたと思うとウサギのぬいぐるみはどかされて、その所有者である、アスタロス王国に帰ったはずの幼女、カグヤ・オキナがいた。
「え……か、……カグヤ?」
「なぁに? パパ」
その銀髪少女はキョトンと首をかしげる。
寝ぼけて幻覚でも見ているのだろうか。
俺は幻覚(仮)の両頬をつまみ上げたり、押し上げたりしてみる。
「ふぁふぁ、にぁにしふぇるの?」
柔らかい弾力が手に伝わってくる。ということは……。
「か、カグヤ!?」
「うん、かぐやだよー」
カグヤ(本物)は無邪気な笑顔で返事をする。
「え、どうして、ここに……? ていうか、そのぬいぐるみ昨日持っていたっけ?」
たしか射的の景品で当ててはいたが、戦闘中にそんなファンシーなものは見た記憶がない。
俺が困惑していると、カグヤは嬉しそうに言う。
「ぬいぐるみはね、みーさんが『ぶろっけん』で誰も取られない場所に隠しておいてくれたのー! それとね、今日からかぐやパパと住むんだよー」
「はい?」
いまいち説明が飲み込めず、更に混乱してしまった。俺はもう少し詳しい話をかぐやから聞こうとする。
すると、部屋の扉が開いてある人物が姿を見せる。
ミムロドだ。
「そのことで話がある。下に降りて来てもらえないか?」
俺はたっぷり息を吸って言うべきことを言った。
「お前らなんで我が物顔で他人の家に入ってんだ? つーかどっから入ってきた」
みーさんってこいつか、と割とどうでもいいことに遅れながらに気づいた。
「え? 玄関の扉、鍵が掛かっていたから針金で鍵を開けて……」
「オーケー、分かったカグヤ。説明ありがとう」
「今のカグヤの説明に付け加えて言うならば、スカーレット殿からここがカケル殿の家だと聞いたのでな、それと彼女も後ほど来るそうだ」
ミムロドがそう付け加える。
なんかハリサキの時にも似たようなことされたなぁ。侵入まではされなかったけど。
俺はカグヤを俺の上から降ろして、俺もベッドから起き上がる。
「下にも誰かいるのか?」
「五人ほどいる」
俺は寝起きで重い足を引きずるように一階に降りる。その前をミムロドが歩く。俺の横にはカグヤがとてとてと付いてくる。
一階の居間に着くと、ミムロドの言う通り五人の黒マント集団が各々腰を落ち着かせていた。
……別にいいけど、自宅みたいにくつろいでいる。
「それで、話ってなんだ?」
俺はミムロドに尋ねる。
「この度、ここにいる者を含めた十五人の『紅月の民』がアルバーレ王国でお世話になることになった。ついては今回迷惑をかけた事を謝罪する」
ミムロドは慇懃に一礼する。
「いや、まあそれは別に気にしてないけど……え? ていうか決まるのが早くないか?」
「カール殿が手際よく書類を作っていたのでな……あとバイオレット殿も何十枚もの書類にハンコを押したり、アスタロスの騎士達に謝罪したり大変そうだった」
後半のシェリーのことについては自業自得だな。カールさんに文句を言いながら渋々仕事や謝罪をする姿が目に浮かぶ。
「まあともかく、歓迎するよ」
「ありがとう。それと重ねて頼みたいことがあるのだが……」
「頼みたいこと?」
「実は私たちは例の工場があった場所に住むことになったのだが、カグヤはカケル殿と一緒に暮らしたいと言って聞かないんだ」
「え? じゃあ頼みって……」
「ああ、君がよければカグヤをここに住まわしてもらえないか」
つまりカグヤと同棲するってことか。まだ六、七歳の女の子なら間違ってもマチガイなんて起きないだろう。
「カグヤの年齢が性的対象に入っているなら無理にとは言わないが、むしろこちらから辞退させていただく」
「入ってないよ!? ていうか、俺のことを幼女好きと見ていたのか!」
「そうか。いやすまない。昨夜の出来事が印象深くて勘違いをしていた」
当たり前だ。たしかに子供は嫌いじゃないが、俺にそんな趣味はない。確かにカグヤに生気を吸われた時に心臓の鼓動が早い気もしたが、気のせいである。俺は十歳以上も年下に恋愛感情は抱かない。
誤解が解けて一安心だ。
「自分は幼児好きだ、ということだな」
「違う! 俺は女子に限定されていたことを指摘したんじゃない!」
誤解が一段階ひどくなった。
「まあ半分は冗談だ。それで本題についてだが」
「いや、待て。まだ話は終わっていない。それはどこの半分だ。場所によっては、俺はお前の誤解を解く必要が――」
不意に服の裾あたりを引っ張られる。下を見ると、カグヤが少し哀しそうな目でこちらを見上げていた。
「パパ、お腹すいた」
こんな時にですか。
やんわりと待つように言おうとしたが、確かに俺の腹も空腹を訴えている。
「じゃあ何か適当に朝ごはんを……」
「カグヤは普通の食事も取れるが、栄養的な意味は持たないぞ。カグヤの食事は生気だ」
ミムロドの言葉がキッチンに行こうとした俺の足を止める。
「そうなのか。てことは……」
「パパ、おねがーい」
ですよね。
俺は何も言わずに座って首をカグヤの目の前に差し出す。
「いただきまーす!」
行儀の良い挨拶とともに俺の首元に甘噛みのような力加減で噛みつき、吸い上げる。
この子の食事は割と大変だなぁ、と起こりうる可能性のある近い未来のことを案じて苦笑しながら、カグヤの銀色の髪をそっと撫でる。
ていうか、これ事情分かってないとかなりヤバい光景だよな。
ミムロドが自分の考えは正しかった、というような目でこちらを見てくる。
違うから、違うからこっちをそんな目で見ないで!
そんなことを思っていると、居間と廊下を仕切る扉が開く。
「おはよう、カケル。賑やかね。カグヤちゃん達もう来て……るの……ね」
俺を見つけたセレアの言葉尻がどんどん小さくなっていく。
セレアの視界には、幼女に首元にキスをされているのを抵抗もなく受け入れて、あまつさえ微笑を浮かべながらその子の頭を撫でている少年の姿が目に写っているだろう。つまり俺、大ピンチ。
「や、やあセレア、おはよう。いい朝だね」
引きつった笑いを浮かべながらも俺はどうにか返事をする。
「……貴方何してるの?」
「ち、違うんです」
俺は冷たい笑みを浮かべるセレアに今の状況をカグヤに吸われたままの状態で説明する羽目になった。
「……それなら私のをあげるわよ」
事情を説明したらセレアがそんなことを言い出した。
「え!? だけど……」
「ありがとう、赤いおねぇちゃん!」
言い淀む俺の言葉に被せるように、カグヤが即返事をする。
あれ中々クセになりそうな噛みつき加減だったのになぁ。いや、全然そんな趣味ないからいいんだけどね!
「それと、カグヤちゃんもミムロドさん達と一緒のところに住むこと」
「ええーー!? なんで――!?」
セレアの言いつけにカグヤがあからさまに不満そうな悲鳴をあげる。
「理由は二つあるけど、一つはまとまってくれていた方が仕事内容を一回でみんなに伝わるからよ。二つ目は、…………」
セレアは急に黙り込んでしまった。唇を尖らせて、頰がほんのりと赤いような気がした。
「二つ目は?」
「ふ、二つ目は……」
俺が尋ねるが、言いにくそうに体をもじもじと動かしている。
「あ、分かった! 赤いおねぇちゃんもいっしょに住みたいんだね!」
「なっ……!?」
セレアはばっとカグヤの方を向く。
「え? そうなの?」
「ち、違うわよ! と、とにかく『紅月の民』は集団行動をすること!」
セレアが俺をジロリと睨んだ後、『紅月の民』に向けて言う。
「なかま外れにしてにしてごめんなさい。赤いおねぇちゃんもパパといっしょに住もうよ。あ、そうなると赤いおねぇちゃんがママだね!」
「なっ!? ち、違っ……! …………うう、カグヤちゃん、それ以上は勘弁して」
カグヤの純粋な笑顔にセレアは強く否定できず赤くしている顔を両手で覆い隠して唸る。
カグヤ恐ろしい子!
「カグヤ、あまりスカーレット殿を困らせるな。ではスカーレット殿、急な話だが、私達はこれで失礼する。そこのパパ……ごふんカケルとゆっくりと話すといい」
「違うわよ! あなたワザと言っているでしょう!?」
ミムロドが残りの五人を引き連れて玄関へ続く廊下を通り、去っていく。
「バイバイ、パパ、ママ。いつかいっしょに暮らせるといいね!」
「ッ!? か、カグヤちゃん? あのねその呼び方は……」
セレアが言い終わらないうちにカグヤはミムロド達の後を追っていった。
「………………なによ」
「い、いえなんでもないです!」
顔を真っ赤にしながら睨みつけてくるセレアから視線をそらす。
「はあ……。なんかすごく疲れたわ。ああそれとね、カケル」
セレアは気を取り直してから俺に声をかける。
「また仕事を頼みたいんだけど、それが何日か家を空けないといけないのよ。大丈夫かしら?」
「別に構わないよ。……ていうか、二つ目の理由って、それのことか?」
「…………そ、そうよ! それよそれ! それ以外にあるわけないでしょ!?」
「お、おう。そうだな」
それならそんなに勢いよく答える必要はないんじゃないかな。なんて言わないけど、心の中で思ってみたりしてみる。
「それなら別にカグヤに言っても良かったんじゃないか?」
「そ、それは……今回の仕事、少しだけ特殊なのよ」
「特殊?」
俺が聞き返すと、セレアは手に持っていた丸められた紙をを広げて、俺に見せる。
「ソウルビースト族、代表国ガーネッタ国からの依頼よ。リグルート族の戦闘可能な『女神の加護者』一名に、魔物退治に参加してもらいたいって」




