54 その少年、自宅にて
夏の朝。
俺は早朝から額に汗の粒を作りながら、走っていた。
日が昇って間もない時間帯だが、それでも軽く走っただけで汗が不快にまとわりつく。
「レイ、置いて行くなよ!」
まだ小学一年生だった俺は朝のラジオ体操に先に行っていた兄、相島羽令に文句を垂れながら公園内に入った。
「だってお前起こしても全然起きないんだもん。こっちは寝坊したわけでもないのに遅れんのはヤだから置いてきた。ていうか、ギリギリ間に合ったんだし、別にいいだろ」
当時小学三年生のレイはつまらなそうに言う。周りの同学年より大人びた雰囲気の彼は文武両道でいつも正しかった。
昔からみんなの注目の的だった。
「起こしたって、一言『起きろ』って言っただけじゃん! あんなので誰が起きるのさ!」
俺は負けじと言い返すが、この場合全面的にこちらに非があるので、どう足掻いてもこちらの旗色が悪い。
そもそも、年上に口喧嘩で勝てないのは生まれて約七年間、身近に年の近い年上がいたことによって学習している。
ほぼ先天的と言っていいくらいに身に染み付いている。
身についてはいるが、こうして毎日のように歯向かうのは、やはりまだ子供だったからだろう。
「おはよう、カケル。間に合って良かったわ。二人ともその辺でおしまいにして。そろそろ始まるわよ」
羽令の横にいた女の子が肩までかかっている髪を揺らしながら、俺と羽令の手を引いてくる。
彼女の名前は吉瀬さき。
彼女とは幼稚園から一緒の、いわゆる幼馴染だ。家が同じマンションということもあって、いつもこの三人で遊んでいた。
年は俺の一歳だけ上だが、彼女もまたどこか大人びていてみんなから頼りにされているしっかり者のお姉ちゃんという印象が強かった。
そんな彼女の言葉に続くように、朝の爽やかな空気に相応しい音楽が流れている。ラジオ体操の序奏だ。
俺と同じくらいの歳の子達や近所のおじいちゃんやおばあちゃんがラジオを中心として集まっていた。
「ん? ああ、じゃあ行くか」
レイがあくびをしながら、やんわりとさきの手を振りほどき、そちらに向かう。
年上としては年下にお姉さんをされるのは嫌だったのだろう。
「私たちも行きましょう」
弟の手を引く姉のように、彼女は俺の手を握って先導する。
レイの後を追いかける形で俺とさきはラジオ体操の輪へと走った。
いつものように、先にいる兄を追いかけた。
*
カーテンから光が溢れる。弱々しくもはっきりと存在を主張する朝の光を体で感じて、俺は重たい瞼を持ち上げながらベッドから起きあがる。
なんか懐かしい夢見たな……。
確か、俺が中学一年の時に彼女は転校したんだっけか。
今どこで何をしているのか全くわからない。まあ、あっちも昔一緒に遊んでいた男子が異世界にいるなんて思ってもないだろうが。そもそも覚えているだろうか。
カーテンを開けて身体全体を朝日にさらし、大きな伸びをする。
その後、廊下に出て階段を降り、一階の居間に向かう。そして、元気よく挨拶をする赤いマフラーを巻いた銀髪幼女に、挨拶を返して台所に立って簡単な朝食の準備に取り掛かる。
「遅いわよ!」
「ふぁい!?」
そんなのどかな朝に似つかわしくない怒声に危うく持っていた包丁を落としそうになるも、なんとか両手でしっかりと握り直す。
包丁をまな板の上に置き、料理を一時中断して居間の方に台所から顔だけ出す。
「せ、セレア!? どうしたんだ、こんな朝早くから?」
そこにはこの国、アルバーレ王国王女にしてリグルート族代表者であるセレア・ヴィクトリア・スカーレットがいた。
何故か彼女はトレードマークの紅く長い髪を逆立てんばかりに怒っている。
「色々言いたいことはあるけど、二つ言わせてもらうわね。一つはなんでカグヤちゃんがいることに対して何の疑問も持たずに挨拶したのかということと、もう一つは今、お昼過ぎよ」
「す、すみません……。てっきり朝かとばかり……」
お昼過ぎだったらしい。
そろそろ目覚まし時計でも買ってこようかな。この世界は中途半端に日本の製品があるからもしかしたらあるかもしれない。
カグヤについては何て説明したものかと考えていると、銀色の髪を揺らしながらカグヤが俺に近づいてくる。
何か助言をしてくれるのだろうか。
見た目は幼女だが、《紅月の民》という組織の頭目である彼女なら何かこの状況を打開する策を持っているのかもしれない。
「パパ、今日もいっしょにおフロに入るの!?」
そう言って俺の足に抱きつく。
違った。俺を追い詰めただけだった。
「い、いやちょっと待て、セレア。そんな怖い顔で睨むなよ。そもそもカグヤを連れてくるのは『紅月の民』だし、それに昨日だってカグヤが来たのは食事をするためだったから、お風呂はついでにね、なんかこう流れ的にね」
俺の弁明を聞いてセレアは呆れたようなため息をつく。
「まあ、良いわ。私も時間ないし本題に入らせてもらうわね」
「ほ、本題……?」
ひとまず誤解は解けたようなので俺は内心で安堵する。
というかカグヤといいセレアといい、一体どこから入ってきたのだろうか。
鍵はかけたはずなんだが、合鍵でも持っているのだろうか。
俺の素朴な疑問をよそに、セレアが椅子に腰かけたので、俺も彼女と机を挟んだ向かい側の位置の椅子に腰掛ける。
カグヤは俺の膝の上にちょこんと座った。
「明日のガーネッタ王国訪問についてよ。この間言った通り、ガーネッタ王国からの魔物退治の参加要請ね」
ちょうど一週間前、色々あったマナ祭も終わり、ひと心地着いたのも束の間、ソウルビースト族代表国ガーネッタ王国からの手紙が届いたらしい。
内容はリグルート族の『女神の加護者』に魔物退治を手伝って欲しい、という事だった。
「でも、魔物……ていうかモンスターは大昔の大戦で絶滅したんじゃなかったのか?」
「弱いものはそうだけど、伝説級のものは生き延びているのよ。たまにどこかの種族の領土で見たって情報は入ってくるわ。私も実物は見たことがないけどね」
「かぐや見たことあるよ!」
俺の膝の上に座っているカグヤが元気よく手を挙げる。
どうでもいいことだが、カグヤの指が目に入りそうで怖かった。
「どこで見たんだ?」
俺が尋ねると、カグヤは顔をこちらに向けて、その時の興奮が再燃したのか上機嫌で語る。
「えっとね、《紅月の民》みんなで誰も寄り付かないようなやまおくに行った時に! すごく大きかったよ!」
「へぇ、よく無事だったわね」
まだ実物を見たことないらしいセレアには体験者のカグヤの話は興味深いものがあるのだろう。かく言う俺も当然見たことがないので興味がある。
「うん! じぃじが追っ払ったから!」
「お、追っ払った!?」
セレアは目を丸くしながら、おうむ返しに尋ねる。
「うん! 一人で!」
「…………先代 《紅月の民》の頭目って何者なのよ」
セレアは驚きを通り越して絶句しているようだ。
どうやら、かなり凄いことらしい。まあ伝説級と呼ばれるほどの怪物達なら当然か、とぼんやりと基準をつける。
「…………一体が一国の軍事力に匹敵する程の強さを持っているとされているわ」
そこまで驚かなかった俺に気づいて、セレアがポツリと言う。
そんな強さの化け物を一人で……。確か先代 《紅月の民》の頭目は俺と同じ召喚者――《女神の加護者》――なのにどうしてここまで差が出るんだろう。
「……って、俺そんなバケモノと戦うの!?」
俺の今更の驚きにあふれた質問にセレアは言いにくそうに答える。
「……届いた手紙からすると、そのようね」
まじか行きたくねー。
そう思って今更辞められるものではない。何せ出発は明日なのだ。向こうもそれなりの準備をしている。腹をくくるしかないだろう。
「パパ、どこか行っちゃうの?」
カグヤが寂しそうに俺を見上げる。
「二、三日くらいで戻って来るよ。それまでママの……赤いお姉ちゃんの言うことをよく聞いておくんだぞ」
「私も行くわよ」
俺の冗談だったママ発言にセレアが俺を軽く睨んだ後にそんなことを言った。
「……はい?」
「だから、私も行くの」
「……どこに?」
「ガーネッタ大陸に、よ。その話しかしていないでしょう」
「俺一人じゃないのか?」
「実は会議であなた一人では不安だって言う意見が多くてね、誰か同伴させようってことになったの」
なるほど、そこで年も近くて王であるセレアを一緒に行かせて、俺が好き勝手に動かないようにさせようとしたわけか。
随分と信用されてないな。
いや、それよりも……。
「…………そんな仕事も押し付けられるとか、王も大変だな」
俺が思ったことをつい口にこぼす。
「押し付けられてないわよ。当たり前のことよ。王は国のために尽くすものなのだから忙しくて当然よ」
何故かセレアは得意げに胸を張る。
これは国のためとは少し違う気がするし、忙しいわりには俺の家でのんびりと話をしているんですがね。
そこは言わないのが吉だろう。
「ママすごい!」
カグヤのママ発言すら気にせずにありがと、と彼女は嬉しそうに笑った。




