番外編 現代けだもの転生記――寿司居酒屋編
ざわざわざわ。わいわいわい。ガッハッハ。
都会の喧騒に、アナグマ耳をそっと伏せる。
うるさいのは好きではないが、居酒屋のそれはまた別腹なのである。
「いつもは広いテーブルで家族と食事をすることが多かったので、このカウンター席というのは新鮮です」
「お金をかければかけるほどいいってものでもないんだよね。大衆居酒屋のカウンター席には、こういう良さがあると思う」
「言わんとすることは、なんとなくわかる気がします」
コマタロウは、何もかも高級志向というわけでもないらしい。
物珍しそうに、周囲へちらちらと視線を巡らせている。
「けれど」と声をひそめ、私のアナグマ耳へそっと囁きかけてきた。
「注文してからそれなりに時間が経ちましたが、ファーストドリンクがまだ来ませんね」
「混んでる大衆居酒屋なんて、そんなもんそんなもん。急ぎでもないし、気長に待とう」
「なるほど。これもまた風情ですか」
勝手にうんうんと納得し、また周囲の観察へ戻ったようだ。
と、そこでちょうど後ろから、元気な店員の声がかかった。
「お待たせいたしました! 寿司屋のメガサワー、ノンアルコールと、コーラ。それから、生タコのカルパッチョです!」
「ありがとうございますー」
「どうも。あ、コマタロウ、ありがと」
コマタロウがぺこりと会釈し、一リットルは入っているんじゃないかというメガサワーを、その細腕で危なげなく受け取る。
こういうところを見ると、一応は男性なんだなと実感する。
まあ、私のアナグマフィジカルには遠く及ばないが。
受け取ったメガサワーを掲げ、コマタロウと目配せをする。
「「乾杯!」」
始まった、この夜が。
ようやく息を吹き返した気分である。
「さて、さっそくいただきますかぁ」
「美味しそうですね! タコは生なんですね?」
「そりゃ、生で出せるのは新鮮な証拠! 現代の物流バンザイだね」
「生の魚介なんて滅多に食べないので、楽しみです!」
二人で箸を伸ばし、タコのカルパッチョをつつき始める。
箸先でつんつんとつつき、ひょいとつまんで、ぱくり。タマネギやカイワレ、タレを絡めて、一緒に口へ運ぶ。
「「!」」
美味しい、と目を見合わせる。
お互い、咀嚼しながらしゃべるほど品が悪くはないので、もぐもぐと無言だ。
揚げたガーリックの香りが、ふんわりと鼻へ抜ける。
タマネギとタレの酸味に、タコの甘み。そして最後に、カイワレ特有の苦味が爽やかにさらっていく。
ふと、皿の脇にカットレモンが添えられていることに気づいた。
「レモン、搾ってみる?」
「いっちゃいましょう! あ、僕がやりますね」
「ありがと」
片手を添えて果汁が飛び散らないようにしながら、上品にレモンを搾ってみせるコマタロウ。
さて、もう一度味わってみよう。
ぱくり。もぐもぐ。ごくん。
これはいい。
「さっきより、味が引き締まったね。レモン作戦、大成功!」
「やりましたね!」
カウンター席で、シラフのハイタッチを決める。
周囲は、やんややんやと盛り上がる酔っ払いたちばかり。これくらいのことは、彼らにとって背景にすらならない。
「あ、わさびもある。三口目はこれもいってみよう」
「はい!」
そして、三度目の咀嚼。
「さらに味がまとまったね」
「わさびが全部を包み込んでいる感じです」
「箸も飲み物も進むねえ」
「僕はコーラですけどね」
コマタロウはお子ちゃま舌だから仕方ない。
と、心の中でお姉さんぶっておく。
「お寿司の盛り合わせ二つ、お待たせいたしました!」
スマホで最初にまとめて注文しておいた、本日の目玉が到着した。
皿には左端から、ガリ、卵焼き、しめ鯖、海老、イカ、サーモン、ブリ、マグロ、中トロ。
この値段で、このボリューム。
控えめに言って神だ。
「どれから食べようかな」
「お寿司には慣れていないので、僕もムジナさんと同じ順番で食べますね」
「ええー? 変な順番になっても責任取らないからね」
「あとからそんなことを言ったりしないので、大丈夫ですよ」
先ほどタコを食べたので、そうだな。
イカはかぶるし、まずはしめ鯖からいってみよう。
「じゃあ、これから。いただきます」
「はい! あっ、ご飯が崩れちゃいました……」
「お箸使いは、まだまだ坊やだね。ふふふ」
「くう……」
話しながらも、私は寿司を崩すことなく、滑らかに口の中へ導く。
うん。
脂が乗っていて、ほんのり磯の香りもして、いい。
メガサワーで口の中をさっぱりさせつつ、次は海老だ。
弾力があり、海老らしい旨味が舌の上に広がる。赤シャリとの相性もばっちりだ。
ガリも一緒に口へ含み、もう一度メガサワーをゴクリと飲み込む。
「あー、最高」
「どのお寿司も美味しいですね!」
まだ前半戦すら終わっていないのに、この満足感である。
口直しに残りのタコのカルパッチョを二人で分け合ってつつき、再び寿司へ戻る。
「卵焼きって好きなんだけど、私の口には大きすぎるんだよねえ」
「僕も、この大きさを一口で食べるのは厳しいですね」
「というわけで、いつもこうやって……えい」
シャリの上に載った立派な卵焼きを、大胆にも箸で二つに割り、半分になった卵焼きだけを口へ放り込む。
コマタロウも慌ててそれにならい、同じ手順で食べた。
「甘さの中に、ほのかな塩気。口をリセットするのに最適だー」
「卵焼きは甘い方が好きです」
「お、同じだね」
また一つ気の合うところを見つけつつ、イカへ箸を伸ばす。
そこで、ある違和感に気づいた。
「あっ! これ、ずっとさび抜きだったんだ。この小皿にあるわさびを使えばよかったんだね」
「僕はどちらでもいいですが、わさびは大人の味わいですよね」
「お寿司にわさびは外せないよ! 元日本人としてはね」
「そういうものなんですね」
感心した様子で、小皿にわさびを出してくれるコマタロウ。
すっかりお世話焼きである。
箸の先にわさびをちょんとつけ、イカを口へ運ぶ。
イカの甘み。弾力。
そして、鼻へ抜けるわさびの香り!
そうそう。これがなきゃ始まらないのである。
「左から順番だから、次はサーモンだね」
「そういう法則で食べていたんですね」
「まあ、適当だけど」
「美味しいので、なんでもいいです」
しゃべりながら、サーモンにぱくつく。
意外と弾力があり、脂のおかげか、ほのかな甘みもある。これもまた磯の香りがした。
サーモンは川で生まれ、海へ冒険の旅に出て、子孫を残すためにやがて川へ戻ってくる魚だ。
磯の香りをまとっていることに、その魚生の過酷さを感じる。
今はもう、私のお腹の中だが。
「サーモンが好きな人は多いよね」
「あまり臭みもなく、脂が乗っていて旨味も強いですからね」
脂っぽくなった口の中を、お互いに飲み物でリセットする。
「次はブリか」
「ソテーではよく食べていました」
「加熱しても美味しいよね。日本だと、ブリ大根とか」
「汁物にも合いますね」
続けてガリをつまみつつ、メガサワーをもう一口。
うん。
ガリサワーみたいで、これはこれで美味しいぞ。
テンポよく、ブリをわさびとともに咀嚼する。
今日のブリは案外さっぱりしていて、それほど脂っぽくない。
でも、これはこれで、弾力と身の旨味が口の中で弾けていい。
「あとはマグロ二種類か。その前に――」
卵焼きの残り半分と、シャリで口直し。
卵焼きとシャリを留めていた海苔が、いい味を出している。
今度は口の中が甘くなりすぎたので、ここでもガリをひと口。
メガサワーをぐびり。
「じゃあ、本日のメインディッシュ、いきますかぁ」
「マグロは大きな魚ですよね」
「うん。大きいものだと、君が五人集まっても体重で負けるくらいかな」
「そんなに大きいんですか!?」
目を丸くするコマタロウ。
仕入れの現場を見る機会もなく、切り身の状態しか知らない現代っ子のような反応だ。
「まあ、それも寿司屋にかかれば、私の口に収まる大きさに切りつけちゃうんだけどね」
「気の遠くなるような作業ですね」
遠い目をするコマタロウを横に、マグロへ箸を伸ばす。
オーソドックスな美味しさだ。
血生臭さはなく、魚特有のほのかな甘みが、素直に舌へ広がる。
ガリと一緒に含むと、相乗効果でさらに美味しい。
メガサワーを挟み、中トロへ畳みかける。
こちらもきれいに血抜きされているのか、まったく臭みがない。脂がとろりと、口の中でほどけていく。
その勢いのまま、飲み込んだ直後に残ったガリをまとめて口へ放り込み、しゃくしゃくと噛み砕く。
甘酢の甘みと、生姜のほのかな苦味がとてもいい。
最後に、ぐっ、ぐっ、ぐっとメガサワーを飲み干し、一息ついた。
「いやー、見事なお手前でしたね」
「はい。寿司職人さんの腕前を感じました!」
「締めに何か食べてもいいけど、どうする?」
「えっ、これからさらに何か食べるんですか? 僕はもうお腹いっぱいですよ」
「うーん。まあ、今日はいいか」
飲み物も食べ物もすっかりなくなったし、これ以上何も頼まずに居座るのもな、とスマホの会計ボタンを押すことにする。
コンパクトに食べたので、お値段もコンパクトに済んだ。
「美味しかったねえ。飲み物も進んだ、進んだ」
「またお寿司、食べてみたいです」
「今度は、あっちにある寿司屋で食べ比べしちゃう?」
「いいですね! また今度、そちらにも行きましょう」
夜も深まり、月が夜空に静かに輝いている。
今夜は華金だ。
夜は、まだまだこれからだ。
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