もう聞けない声
日が沈みかかってるせいか、よりいっそう薄暗い。俺の家があった場所には今も売地の看板が刺さって、フェンスで囲われている。
変えようの無い現実。俺の居場所がこの世界には無いのだと突きつける中身を無くした思い出の。
「いまさらここになんの用があるんだよ 」
手招いて、何も躊躇する事無く中に入っていく。俺を含めた四人が入っていくもののそこには依然として何も無かった。
「俺がこの世界に来たのは、10年前 」
その口火を聞いて誰よりも驚いたのはムスリカとバーゼアだろう。彼女らでさえ、この世界に来たのが8年前。それより前にこの世界に来ていたのなら。
そう考えを巡らせる事で自らも平静を装い、阿久井さんに確かめるように。
「俺が向こうの世界に行ったのも10年前だ 」
「らしいな。ほぼ入れ替わるように俺は呼ばれたらしい 」
その話し方から自らの意思でこの世界に来たというわけではないらしく。何か目的があってこの世界に来たわけではないようだ。
「俺は…そうだな、かさぶたという表現が正しいか。その世界に本来は存在しえない穴やズレ、時空間の歪みのような物を応急処置的に塞ぐ存在。いや、外から無理矢理張り付けるから絆創膏のが近いのか? 」
売地の看板の前に立ち、方角を確かめているのか指で意味深な距離の測り方をする。
「そして、そういう物を塞ぐと同時に俺たちには一つの役割が与えられる。そんなかっこいいもんじゃないな、もっと恐ろしい存在か 」
ゆっくり歩きだして。
「この世界はもうすぐ滅びる。俺はそれを見届けるか否かを見極めなくてはならない 」
「滅びる? どうやって 」
「それはまだわからない。俺が踏み出す次の一歩が滅びへの合図かもしれないし、もう少し遠い未来かもしれない。それより先の未来…そこから先は俺には見る事は出来ない 」
オミナが前に出て、壁に向かって歩いていた阿久井さんに剣先を向けた。
「つまり、お前がいるという事がこの世界が滅びる条件ってことねん 」
「否定しない 」
その一言でオミナは迷う事なく剣を振り上げて阿久井さんに叩きつけた。けれどその刃は届くことなく、壁にその切っ先を止められた。
「だが、やることがある。悪いがそれを果たすまで、俺はそう簡単にこの世界から退場をするわけにはいかない 」
ここまでの話の中で阿久井さんが敵ではないと言われても、より信じられない。まだ宙に浮いたように話の処理をしきれていないが、阿久井さんがこの場に居るという事はこの世界にとっても良い事ではないと断ずるしかない。
しゃがみこんで少し地面を掘ると、阿久井さんは両手を合わせる。すると、割れる音と共に地面にぽっかりと空間が現れて、底の方に何かが置かれていた。
縁は金色で全体としては青色に染まっている。螺鈿模様のその箱は手のひらより少し大きいぐらいのサイズであり、阿久井さんはそれは慎重に手に取る。少しでも衝撃を与えれば爆発でもするんじゃないかという慎重さだ。
「これはお前に帰すべきだ 」
「なんだこれ 」
俺は手に取るが、見た目の重厚感に反して軽く。中に何か入っているようで、少し力を込めると箱はスライドして開いた。
中には何枚かの写真と、一冊の本が入っている。手帳のような形状で、留め具で閉じられていた。
「なんだよこれ 」
「撫子だ 」
どう返せば良かったんだろう。その意味を理解する事が出来ず、オウム返しをしてしまう。
「言葉通りだ。その箱その物が、撫子。お前の母だ 」
意味が分からない。この金属質の軽い箱が、母さん? 理解が出来ない。
周りから俺に視線が向けられる。それは驚きと困惑、そのうち一人は本当に何もわかっていないのだろう首をかしげながら俺を見ていた。それを馬鹿にすることなんてできない。俺だって首を傾げたいような事を言われていると思う。
しかしそんな軽い行動が出来るほど、目の前の情報と聞かされた事が合致しない。頭が動かない。文字通り、その場に固まってしまう。
「これが、母さんって。阿久井さん、そんな冗談 」
こちらをまっすぐ見ていた。嘘ではないと伝えるように、何も言い訳をしないと誓うように。ただその瞳は、真っ暗で光などそこに宿っていなかった。
「おい、ふざけるなよ! この期に及んでまだふざけてるって言うなら! 」
そんな脅しでひるむような人じゃない。俺がこんな捨て台詞を吐くのだってわかっていたはずだ。理解していないのは俺。
一切信じるに値しないその事実を前にしながら。先ほどまで軽いと感じていた箱からはまるで誰かを抱きかかえているような重さを感じ出し。震える手で落とさないように体に近づけてしまう。
「なんの…なんの証拠があってこれが母さんだってわかったんだよ! 」
「絶対の確信はない。俺にはそれが撫子の声だと断言はしきれない。それでも少なくとも、状況とメッセージ、それと…箱の材質からそうだと判断をした 」
懐から何かを取り出す。
「とっさに録音始めたから途中からだが、これでお前には判断してほしい 」
そんなものを聞けばきっと俺は、阿久井さんは目を閉じてその音声を再生した。
『もう何も感じないけれけど…、ただ帰りたかった。本当にごめんなさい、全部私のせいなのに、ごめんなさい… 』
すすり泣く声、その優しい声を聞いて崩れ落ちる。ずっと…ずっと聞きたかった声、それを間違えるわけがない。だけど信じたくないに決まっている、これをそうだと言えば。
今俺が抱えている物が母さんだと認めるしかないから。こんな事があって良いはずがないのに。
俺は母さんをただ抱きしめる事しか出来なかった。




