ただそれだけ
まだ認めたわけじゃない。こんな人の形ですら無いなんて受け入れられるわけがない。
何があって、何がどうなって。わからない、何が、何が、何が。
「材質に関しては、俺が勝手に調べた。妙に感触がその…な。だが、お前には聞かせたメッセージ、それとその中にあるものでその真偽を見極めてくれ 」
自身が信用に値しない、それでも阿久井さんは事実をただ述べたんだろう。己がそうすべきだと判断して。
俺は言われた通り、中に入っている物を取り出した。
2枚の写真、それと一冊の日記。
写真には俺と妹、そして父さんが写っていた。そしてもう一枚には母さんが。
「顔が写ってない 」
写真には多分、母さんが写っている。だけど顔はボヤけていて顔の輪郭すら曖昧になっていた。
俺たちの写真がより鮮明だからこそ、その写真に不気味な物を感じた。そもそもどうして一緒に写っていないのだろうか。
「葵さん、その写真ちょっと見せて貰っていいっすか? 」
バーゼアは写真を興味深そうに見つめており、俺は自分達が写っている写真を渡した。
裏返し、見つめ、臭いも嗅いで、怪訝そうな顔で。
「なんだろうこれ…、こっちの世界で印刷された物じゃないっすよ。それに、魔力も混じってるっす 」
「葵、お前はその自分達の写真がいつの物かわかるか? 」
聞かれてもう一度しっかり見つめる。自分と妹、父さん。だけど、ここは何処だろうか。知らない場所、行ったかどうかよりこちらの世界にある場所なのかも分からない。そんな場所でこんな笑ってた事なんて。
「やっぱり、その写真は撫子が投影したものだろうな。風景じゃなく、自分の記憶から写し出されたお前達と、己が写った 」
自分の記憶を写真にしたって、どうしてそんな事を。
「葵、その日記を 」
どうして躊躇うんだ。こちらを見る事はない、目を瞑ったままで繋ぐ言葉を選んでいた。
「…そこにはお前が知りたい答えが載っている。だが、俺は冒頭から読む事は勧めない。何より目を通すべきページがある 」
こちらに歩み寄ってくる阿久井さんに怯えてしまう。彼が俺に伝えようとしている真実が、きっと何よりも俺を狂わせてしまうのだと確信を持ってしまった。
けれど阿久井さんは俺をまっすぐ見てきた。それが何より怖かった。
「その日記の、一番乾いたページを開け 」
俺はそのページをこそ開くべきではないと確信してしまい。そのまま後退りをしてしまったが。情けなく尻もちをついてしまい、手にしていた母さんの形見を投げ出してしまう。放り出された母さんたちは悲鳴をあげるように地に落ちて。
開きやすくなっていたそのページが。
成功した
そのページはまるで水の中に落ちて、時間をかけて乾かしたせいで、それが前後のページにまで染みており、カビが少し生えていた。
書かれた小さな字はその輪郭を薄めており、インクが斑点を作っていた。
言葉の意味とは裏腹に、ページにはまるで全てが失敗に終わってしまったような悲しい痕をそこかしこに作っている。
そのページが持つ意味がなんなのか、俺には何一つ理解できない。どうして阿久井さんはこのページを真っ先に見せようとしたのか。
バーゼアやムスリカ、オミナもそのページをただ見つめる事しか出来ない。
「葵。撫子…お前の母は最善を尽くしてそれが全て報われた。それだけはお前が信じてやれ 」
その言葉を受けて俺は、ゆっくりと1ページ目へと遡った。
そこに書かれていたのは、奮起、願望、そして絶望。
母さんはやはり俺のいた時代より前に飛ばされていた。ただしそれは数十年前どころじゃない。何百万年も前、日記には古代の魔王まで出てくる。
しかもその文脈から古代の魔王を封じたのが母であり、それに対抗する為に母さんが生み出したのが。
抗魔力と滅魔力。
俺たち兄妹が争う事となったその一因。妹の運命を狂わせて、俺に思い上がった希望としてこの身に宿ったそれぞれの力。それを作ったのが、他でもない母さんだった。
そして、そんな事すら些事に思えた。俺たちがどうしてそんな力を持ってしまったのか。
それは転移陣の作成。世界を行き帰り出来る全ての悲しみの原因。
母さんはそれを生み出していた。
日記を読み進めていけば転移陣の作成に心を躍らせて、その試みが成功すれば筆はより走り書きになっている。
そうして幾年月の先に、母さんは転移陣を。
母さんはただ帰りたかっただけなのに、その為に立ち塞がる全てを突破して、乗り越えていった。
文字通り、成功した。
それなのに母さんは。どうしてこんな事に。
「転移陣はお前の母さんが生み出してしまった 」
「そうだな。それがどうした 」
「そうか、わかってるのなら良い 」
ああそうだ。わかってる。転移陣は母さんが作った。最初から母さんが作らなければ俺たちはこうはならなかった。そうでなければ、俺も妹も、おそらくは父さんも向こうの世界には。
だけど、誰が責められる?ただ帰りたかったのに、元の世界に戻りたくて年月をかけて、歳を取ってかわり果てた自分を見せる事になってでも、ただ帰りたかったのに。それなのに、その結果が。
全部自分のせいでした?
そんな事があって良いのか、そんな不条理があって良いのか。
無我夢中で駆け抜けたその先が、無意味だった方が救いがあったなんて。
不安にも似た心の曇は、より厚く、もっと厚く高くなっていくばかり。
「ここで約束をして10年か、存外早いものだったな 」
背中を向けながら阿久井さんはその場の空気を連れて行くように柵を飛び越える。
「なんだよ約束って 」
「約束…と言うより依頼だな。音声は録音出来なかったが約束をな 」
振り返る事なく、落ち行く夕日と共に。
「この世界に無数の機械を送り込んでしまったと。遥かな未来で魔族が自分の世界に侵略した時の為に、多く機械を送ったんだと。本当に魔族が攻めてくるならまだしも、そんな事もなく、ただ機械が暴れるような事態になれば、その全てを破壊しろと 」
呆れた身振りをして、進み出す。
「報酬はその箱の中身だときた、全く碌でもない約束しちまった 」
「他に何か入っていたのか? 」
もしそんな約束を受けたなら、この箱の中には他に入っていた物がある筈だ。それを阿久井さんは持っている、約束に見合う物が、母さんの形見かもしれない物が。
「いいや、それで全部だ 」
「嘘だ! 」
「俺もそうだと思いたかった 」
こちらを振り返り、夕日を通した宝石のように煌めくその目を向けてくる。
どうして、そんなに悲しそうなのか分からない。それが約束を反故にされたからではないのは分かる。中身を知っているのなら、阿久井さんは最初からそれを受けなければ良かったのに、どうして。
「俺が話せるお前の母の事はこれが全てだ 」
「どうしてだ! 」
聞かなくてはいけない、その答えを知りたい。どうして、彼は。
「約束があるのさ 」
「約束? 」
「約束を守れ、昔そういう約束をしてな。だから出来ない約束はしないようにしてる、ただそれだけの事 」
「見返りは? 」
「箱の中の全てだ 」
嘘に決まってる。そんな言葉を、こんな怪しい奴の言う事なんか。
「だからその中身をどうしようが俺の勝手だ。確かに渡したぞ、その箱も、思いも 」
それだけの為に、ただそれだけの為に、戦っていたのか?10年もの長い年月を、約束をただ守るだけの為に?
日は沈み、電灯が灯る。背を向けて去っていく阿久井さんの姿を暗がりの中で尚照らし出してた。




