Code9
――ル……君。
――カ……ル君。
――カイル君。
――起きて。
――目を覚まして。
――このまま、逝ってほしくない。
――私が寂しいわ。
カイルに聞こえてきたのは、アイルの泣く直前の声だった。意識は水中から浮上していく。
ゆっくりと目を開いた。
人工呼吸器をつけられていると気付く。心臓の上にはコードがつながっていて、心音モニターがピッ、ピッと記録をつけている。
「よかった。一時期脈も呼吸も弱くなって、どうなるかと思った」
「アイル……先生」
人工呼吸器の中ではっ、はっと浅い呼吸をする。このケアハウスに来てから、まともに食べられていない。点滴の栄養剤でやり過ごしていた。衰弱していっているのが実感できる。首には真新しい包帯が巻かれていた。
あれは、夢ではない。
現実だったのだ。
呪いの影響だろう。
戦えなくなったカイルをふるい落とすために。
地獄に突き落とすために。
よく帰って来られたものだった。
おそらく、サラの声がスイッチになっていたと考えられる。あと少しで、死に近づいていたはずである。なぜ、生き残ってしまったのだろう。
生かされてしまったのだろう。
死についての計画が狂ってきている気がする。まるで、生きてほしいといわれているみたいだった。それでも、ズブズブの生ぬるい湯に浸かるつもりはなかった。
――まさか……!
そこで、ハッとした。
一番大切な状態を思い出した。
頭の中を切り替えていく。
包帯を巻き直したのだとしたら。
服を着替えさせたのだとしたら。
――紋章を見られた?
――あの体全体に広がる忌々しいツタを?
全身の血流が逆流していく。
墓場までもっていくつもりでいた。
それなのに、見られてしまうなんて。
憐みの目を向けられるだろう。ドクン、ドクンと心臓が激しく音を立てる。気持ち悪いと言われてしまえばそれまでだった。そうなれば、ここから出て行かないといかない。知る人がいない遠い町へ逃げなければならない。
「その紋章が全ての元凶かしら?」
カイルはびくり、と体を震わせた。
ざわり、と空気が揺らぐ。
ざわざわと、揺らぎ続ける。
一瞬、暗殺者としての顔を覗かせる。
瞳が鋭くなる。
研ぎ澄まされていく。
「そうだと言ったら……あなたに何ができますか?」
肩で息をするのが精一杯の中で答える。
「安心して。私はそれについて何を言うつもりはないわ」
――息が苦しい。
不意に呼吸が乱れていく。
ギリギリと紋章が締め付けてくる。
この役立たず――お前は呪われて身なのだと、忘れるなと点滅をする。
これは罰だ。
人を殺してきた罰である。
カイルが苦しいと無意識に腕を伸ばす。細く白い指が宙をさまよった。カイルの手をアイルは受け止めて握りしめる。
「大丈夫よ。ゆっくり呼吸をしてみてごらん」
穏やかな声だった。
思わず目を見開く。
『大丈夫――大丈夫ですわ。ゆっくり息をしてくださいませ』
同じ言葉だったからだろうか――その声は、サラと重なった。
「サ……ラさん」
人工呼吸器の中で、ぽつり、と名前を呼ぶ。名前を呼ぶだけでずきり、と胸が痛む。
――まただ。
――また、胸が痛む。
この気持ちは何なのだろう。
契約を勝手に破棄して逃げ出した罪悪感? もやもやとした気持ちを取り払えない。それに、手紙を残していなくなった事実は変わらない。
ただ、サラの笑顔を失いたくなかった。
涙を見たくなかった。
理由はそれだけだった。
だから、離れた。
わざと突き放した。
別れを選択した。
弱さでサラから逃げたのである。その分、サラを傷つけてしまった。
我儘のためだけに。
――カイルさん……!
――話を聞いてくださいませ!
――今回の試験も主席でしたの。
――家庭科の実習でケーキを作りました。
――紅茶と一緒に食べませんか?
――また、熱が上がりましたね。
――苦しくないですか?
――氷を変えますね。
――食べられるものがあれば、用意しますわ。
――私の料理はおいしいと評判ですから。
なのに、看病をしてくれた時の心配げな声や笑顔を思い出してしまう。くるくると変わる表情と、日傘を差して歩く後ろ姿が浮かぶ。白い制服のスカートをひらりと、翻しながら歩く姿は記憶に新しかった。
それほど、身近になっていた。天真爛漫なサラが隣にいるのが当たり前になっていた。
当たり前だと思っていた。
でも、サラは公爵令嬢だ。
生まれた頃からのお嬢様である。
片やカイルは暗殺者だ。
血に汚れている手とは違う。
縛り付けていい相手ではない。
サラには自由が似合っている。
あの真っ白い日傘を差して。
――サラさんが遠い。
どんどん遠くなっていく。
サラの幻影が消えていく。
消えてほしくないなんて。
いてほしいだなんて。
――勝手だな。
人工呼吸器に覆われた口元に浮かぶのは、皮肉気な笑みだった。
――僕はどうしたい?
――何がしたい?
――今、こうして、平穏な日々を送ろうとしている自分?
どれが、本当のカイルなのだろう。
――僕はどこを目指しているのかな?
――ダメだ。
――ものすごく眠い。
疲れからなのか考えなければいけないのに、うつらうつらしてしまう。
抵抗できないまま瞳を閉じた。




