玉修門の外門堂主・王曼玲
その後、凡吉達は無事に玉修門へと帰還した。荘厳な朱塗りの山門を通る頃には、すでに空は夕日に染まっていた。
石畳の階段を気力を振り絞って上り、主に俗家弟子と外門弟子が修練する外門広場と呼ばれる場所に着く。
「あら、お帰りなさい……その様子だと、道中色々あったみたいね」
広場の入り口。一人の女性が出迎えた。
年の頃は30代前半。結い上げられた黒髪に、整った顔立ちは若々しい。長衣から伸びた足はほっそりとしており、全体的にすらりとした身体付きをしている。
その目には精悍さが宿っているが、今は見えているのかいないのか分からないほど細められている。
名を、王曼玲という。
彼女は玉修門・外門堂の堂主であり、玉修門の長老でもあった。
「あ、ただいま帰りました。実は山賊に襲われまして――」
小媛は簡潔に報告した。
「――ふぅん、大変だったわねぇ。まあ、詳しい話は後で聞くとして……まずは華鈴公主を部屋に連れて行った方がいいわね」
「ええ、そうですね」小媛は素直に曼玲の提案に従った。
「……それと、凡吉」
曼玲は鋭い視線を凡吉に向けた。普段は眠そうな瞳が、まるで獲物を捉える獣のように輝いている。
「君、少し私の部屋に来なさい。話があるわ」
その有無を言わせぬ口調に、凡吉は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐにいつものように無表情で応えた。
「はい……」
「あ、あと、小媛さんも一緒に来てくれる?
華鈴公主は他の弟子に任せましょう」
曼玲はそう言い残すと、近くにいた弟子に華鈴を任せてさっさと踵を返し、奥の建物へと歩き出した。
その際、弟子が凡吉の姿を見て『ひっ!?』と小さく悲鳴を上げたのは言うまでもない。
「……何の用かしら?」
小媛は訝しみながらも、曼玲の後に続く。凡吉も無言でそれに従った。
二人が案内されたのは、外門堂内にある王曼玲の私室であった。
室内は質素で、高価な調度品などはほとんど見当たらない。窓際には小さな机があり、その上には書類や古書が山積みになっていた。
「座って頂戴」
曼玲は椅子を勧め、自分も机の前の椅子に腰掛けた。
「さて……今回の一件、私から門主様に報告しなければならないわ。
だから今一度、その時の事を詳しく、正確に話して頂戴」
曼玲は凡吉をじっと見つめる。その目は相変わらず、氷のように冷たく鋭かった。
「山賊は何人いたの?」
「全部で16人でした。全員が武器を持っていました」
「彼らの強さは?」
「正規の兵士ではないようでしたが、ある程度の戦闘訓練は受けていたと思われます。境地は最高でも練体境5段ほどかと」
凡吉は淡々と事実のみを述べていく。まるで機械的な回答だ。
「では、被害は? あなた以外の二人は怪我を?」
「幸いにも、お嬢様と小媛さんは無傷です。ただ、お嬢様はかなり精神的に衝撃を受けられたようです」
「……そう。事情は分かったわ……で、その恰好は何? 阿修羅にでもなったの?」
曼玲の前には、血にまみれたツギハギだらけの、粗末な作りの着物を重ね着し、16個の革袋を持ち、様々な武器を肩に担いだり腰に佩いたりしている、今年で12歳になる少年――凡吉の姿があった。
その顔は相変わらず無表情で…飛び散って顔に掛かり、今は固まった血潮が、彼の不気味さをこれでもかと引き上げている。
「いえ……これは、山賊の装備です。
玉修門の規則では、匪賊との戦闘において得た戦利品は、戦闘に参加した者達で分配、または個人ですべて受け取ることが出来ると定められています。何か問題がありましたか?」
凡吉は首を傾げた。本気でそう思っているらしい。
「問題だらけよ! まず見た目が悪い! 次に衛生的に良くない! 最後に、そんなに持ち歩いてどうするつもりなのっ!?」
曼玲は珍しく声を荒らげた。
「見た目は個人の嗜好の範疇に入ると思います。衛生面については、後で水で洗浄すれば問題ないかと。最後の質問ですが、これは貴重な戦利品ですので、ぜひ頂きたいです」
「ああ言えばこう言う……!
はぁ……でも、まあいいわ。とにかくその服は脱ぎなさい。今すぐ!」
「しかし――」
「命令よ」
曼玲の一言で、凡吉は素直に従った。
さっきまであれだけ抵抗していたのに、この変わりようは何なのか。
凡吉は血まみれの着物をすべて脱ぎ捨て、曼玲の部屋にあった綺麗な長衣に着替えようとする。
「はぁ……小媛さん、ちょっと手伝ってあげて」
「は、はい……」
小媛は困惑しながらも、曼玲の指示に従い、凡吉の世話を焼くことにした。
数十分後、ようやく凡吉がまともな姿になったところで、曼玲は改めて口を開いた。
「さて、本題に入りましょう」
曼玲は机の上の書類を整理しながら言った。
「凡吉。小媛さん。
この一件は、本来ならば表沙汰にするわけにはいかない重大な事案よ。
小媛さんの証言によると、山賊は華鈴公主が目当てだった様子……この分だと、門主の他にも大長老を含めたすべての長老を招集する必要がありそうね」
「なぜそこまで大事にするのですか?」小媛が尋ねた。
「決まってるじゃない。公主暗殺未遂よ? 国家の一大事でしょ?」
「しかし、まだ確証はありません。たまたまお嬢様が初めての買い出しに出て、その帰り道に襲われただけかもしれませんし……」
「いいえ、違うわ」曼玲はきっぱりと否定した。
「一介の山賊が、公主の顔を知っていると思う? 信じられないわ」
「では、これからどうなるのですか?」小媛は不安そうに尋ねた。
「今言ったように、門主に報告して、対策会議を開く必要があるわ。
それから、襲撃者の身元や背後関係を徹底的に調査する。
場合によっては、大長老に動いて頂いて、門派の威信にかけて追跡・討伐作戦が必要になるかもしれないわね」
曼玲の言葉には重みがあった。小媛は自分が思っていた以上に事態が深刻化していることを悟った。
「あなた達は明日の朝、私の同行のもと、直接門主達にお会いして詳細を報告してもらうわ。いいわね?」
「は、はい!」
「はい……」
小媛は緊張した面持ちで頷いた。凡吉は相変わらず無表情だ。
「それじゃあ、今日はもう遅いし、二人とも下がってよろしい。ゆっくり休みなさい」
「失礼します」
小媛と凡吉は曼玲の部屋を辞した。
廊下に出ると、小媛は大きくため息をついた。
「はぁ~疲れたわ……まさかこんなことになるなんて……」
「……ご苦労様でした、小媛さん」
珍しく凡吉が労いの言葉をかけた。小媛は思わず目を見開く。
「な、なによ……急に優しいこと言って」
「いえ、小媛さんは色々と大変そうだなと思って」
凡吉はそう言うと、またしても奪った戦利品を抱えようとした。
「ちょっと待って。それをどこに持って行くつもりなの?」
「自分の部屋ですが」
「そう……それなら、私も半分持つわ…血が付いていない物を…」
「別に大丈夫ですよ」
「いいから!」
小媛は半ば強引に、凡吉と一緒に戦利品を彼の小屋まで運んだ。
凡吉が暮らす小屋は、彼の性格をそのまま反映したかのような、ほとんど物がない空間だった。だが、床一面に山賊から奪った品々が並べられると、途端に雑然とした印象に変わる。
小媛は呆れながらも、手早く物品を分類し始めた。武器、着物、皮袋……凡吉はその様子をぼんやりと眺めている。結局、全てを片付けるのに、それから一時間近くかかった。
「ふぅ……終わった……」
小媛は汗を拭いながら、ぐったりと床に座り込んだ。
「助かりました。ありがとうございます、小媛さん」
凡吉は深々と頭を下げた。
「……別にいいわ。あなたはお嬢様と私にとって、命の恩人だからね」
小媛は答えた。
部屋に静寂が訪れる……さっきまでの喧騒が嘘のように、二人の間に穏やかな時間が流れ始めた。
窓の外では、夜空に月が煌々と輝いている。今日は満月だ。その光が部屋を柔らかく照らし出す。
小媛はふと、隣に座る凡吉の横顔を見た。月明かりに照らされた彼の顔は、どこか儚げで、そしてやはり年齢不相応な落ち着きを感じさせた。
(この子、本当に何者なんだろう……)
小媛はそう思った。今日一日で、凡吉に対する認識は大きく変わった。
最初はただのお荷物かと思っていたが、実際には命の恩人になり、同時に底の知れない謎めいた存在だと感じるようになった。
怖いような、興味深いような……複雑な感情が胸の中で渦巻く。
「小媛さん、眠いですか?」凡吉が不意に話しかけてきた。
「え? ああ、うん、少し」
「なら、寝た方がいいですよ。明日も早いですし」
「そうね……」小媛は欠伸を一つすると、立ち上がった。
「それじゃ、私も自分の部屋に戻るわね」
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
小媛は凡吉の部屋を後にした。自分の部屋へ向かう廊下を歩きながら、彼女は今日一日の出来事を反芻していた。
そして、明日に迫る更なる困難への予感に、少しだけ憂鬱な気分になったのだった。




