俗家弟子の町娘
数日後。
凡吉はいつも通りに午前中の仕事をこなし、小屋で一人、修練に励んでいた。
今日は、待ちに待った比武会だ。北東山古跡という所がどういう場所か、自分にとってどのような恩恵があるのかは分からないが、行けるものなら行ってみたい……凡吉はここ数日、その思いを胸に修練していた。
おそらく、玉修門の他の弟子達も同じ気持ちだろう。それぞれ思うところはあるだろうが、やはり新たな経験や知識を得る機会は貴重なはずだ。
そんなことを考えているうちに、比武会の時間がやってきたので、凡吉は小屋から出る。彼は、玉修門の外門堂へ向かった。
(……楽しみだ)
普段なら、こういう面倒事は避けたいと考えるところだが、今回は違った。
自分自身でも驚くことに、この比武会というイベントが新鮮に感じられていた。
普段の生活では味わえない緊張感と期待感が混じったような、そんな感情を抱いている。もしかしたら、凡吉の中に眠っていた好奇心や冒険心が目覚めたのかもしれない……自分で考えて、あまりの気持ち悪さにゲンナリしたが、それでもワクワクするものはするのだ。
――しかし、その気持ちは最悪な形で踏みにじられる。
※
「……なんですって?」
「ですから、比武による勝敗を持って、玉牌を頂きたく……」
凡吉が外門堂に到着すると、外門でもはや見慣れた光景を目にした。
天雲門の連中と、王曼玲を筆頭とする外門堂の小競り合いだ。双方が火花を散らすように睨み合う中、凡吉はその様子を静観していた。
だが、天雲門側の人数が前より少ない……いよいよ、天雲門も頭打ちになってきたのだろうか?
それならば、傘下門派と同じ末路を辿ってもらうだけなのだが……。
それにしても、なぜ今この状況で玉修門にやってきたのだろうか?
話を聞くには、比武によって玉牌を得ようという魂胆のようだが、比武会はあくまで玉修門の事であって天雲門には関係ないはずだ。それを、どうして無理やり介入しようとしているのだろうか?
一体何を考えているのか……凡吉がそう思っていると、王曼玲が口を開いた。
「玉牌ならば、そちらも受け取っているはず……なぜ、当門派の物を欲しがるのです?」
その言葉を聞いて、相手の老人――王寿山はニヤッと笑みを浮かべた。
「いかなる古跡も、入場できる人間が多いに越したことは無い……でしょう?」
「ええ、そうですね。それで? なぜ、当門派なんです?」
「それは……」
その時、王寿山と凡吉は目が合った。
「あの使用人のためですよ」
「凡吉の?」
「はい。噂では、彼は玉修門太上長老の一人息子――しかも天劫と共にやってきたというではありませんか。ならば、ぜひともお手合わせ願いたく……」
寿山の言葉に、曼玲は眉をピクッと反応させた。
その話は、玉修門が太上長老の面目を保つために流した話で、実際はただの廃人……だったのだが、曼玲はそのことを悟られないように静かに頷いた。
「いいでしょう」
(ん?)
曼玲のその態度に、寿山は違和感を覚えた。てっきり、青筋を立てて怒り始めると思ったのだが……。
「じゃあ、比武会を始めましょう」
「……分かりました……」
寿山が承諾すると同時に、曼玲は凡吉に近づいて、他の者に聞こえないほどの声で囁いた。
「……ボコボコにしてやりなさい……」
堂主の許可は下りた……凡吉はそう思った。もう、誰にも文句は言われないだろう……そして、様子を見る限り、相手もそのつもりで来るようだ。となれば、ここで手加減することは何もない。
「かしこまりました。ですが……」
「ん?」
凡吉のその後の言葉を聞いて、曼玲堂主は思わず吹き出しそうになるが、それをこらえて『行ってきなさい』とだけ答えて凡吉を送り出した。
凡吉は曼玲に返事をしながら、内心では自分に気合いを入れる。
これまで、数々の敵と戦ってきた凡吉だが、今回は違う意味での戦いになるかもしれない。天雲門との因縁も深まっているため、軽く片付けることはできないと感じている。
(……どうか、うまくいきますように……)
※
そして、玉修門と天雲門の両者が外門堂広場の比武台に集まる。
両者の間には言わずもがなただならぬ緊張感があり、それぞれ対面に位置して、比武を見学するようだ。
凡吉はそこから少し離れたところで静かに深呼吸をし、意識を集中させる……自分がこれからやることは、うまくいけば玉修門の名が上がり、しくじれば下がる……冷静になってそのことを心中で反芻すると、足が震えそうになる。
しかし、今から取り消すことは出来ない……凡吉の後ろには、見知った女性達――玉修門に帰依して働く女性達の姿があった。
「頑張って!」
「気を付けるのよ…」
女性達はそのように凡吉を心配し、励ましてくれる。彼女達の存在が、凡吉に活力を入れてくれた。
(……行こうっ!)
凡吉はそう意気込んで、外門堂にある宿坊の扉を開ける――凡吉の姿を見た瞬間、周囲のざわめきはいったん静まり返り……やがて大きなざわめきが起こった。
「だれ?」
「もしかして核心弟子の方かしら?」
人々が噂する波を、凡吉は縫うように歩いていき、比武台に上がろうとする。
周囲を見渡すと、玉修門の関係者達が彼の姿を見守っているのが分かる。彼女達の視線には期待と不安が入り混じっていた。
一方、天雲門の若い弟子たちは明らかに凡吉を見下すような目つきをしている。
凡吉にはその視線が、この対決が単なる比武ではないことを示しているように思えた。
(僕が名乗り出てよかった…少なくとも、お嬢様には任せられない…)
凡吉はその視線を受け止めつつ、心の中で冷静に計算を始めた。
くどいようだが、この戦いで負ければ、自分の立場だけでなく、玉修門全体の名誉にも傷がつく。だからこそ、絶対に負けられない。
この比武会が始まるということは、ついに天雲門と本格的に刃を交える時が来たのだ。そして、これが天雲門壊滅への一歩になる……凡吉は、そう覚悟を決めた。
「っ! あの方はっ⁉」
曼玲堂主は本堂のある方を見てそう言った。
つられるようにして凡吉が目を向けると、すでにその三人の人影は外門堂広場の比武台まで来ていた。
一人は玉修門の門主・楊精華、もう一人は玉修門の大長老・龍如姫。最後の一人は、凡吉の母親である玉修門太上長老の艶香蘭だった。
三人の強者の放つ威圧感に、その場にいるほとんどの者が戦慄した……凡吉を除いては……。
凡吉の姿を見ながら、三人は言葉を交わした。まず口を開いたのは門主である楊精華だった。
「やっぱり来ましたね……天雲門」
「ええ。でも、あの子は…誰かしら?」
艶香蘭の言葉に、龍如姫が答える。
「少なくとも、修練堂にはいない子ですね。かといって、内門や外門の長衣を着ていない……服装からして、俗家弟子の町娘でしょうか?」
「町娘? 凡吉が比武をすると聞いたのだけど?」
「私もそう聞いております。ちょうど曼玲堂主がいるので、彼女に聞いてみましょう」
そう言って、如姫大長老は自分達の対面にいる曼玲堂主の元へ行き、彼女から説明を受ける。
「――えっ⁉」
「ふふ、意外でしょう?」
二人のやり取りを、門主も太上長老はもちろん、周囲にいる人々も耳を傾けていた。
如姫大長老は門主達の所へ戻り、曼玲堂主から告げられた真実を話す。
「えっ⁉」
「あの子が……」
話を聞いた二人も、大長老と似たような反応を見せる。
比武台に立つ凡吉も、内心では気にはなっていたが、外面的には無感情を装っていた。
そして、艶香蘭の言葉が、その場を一気に加熱させた。
「あの子が……凡吉?」
「――えっ、凡吉?」
「凡吉って使用人の?」
「男だったんじゃないの?」
艶香蘭を中心に次々とその言葉が紡ぎ出され、ほどなくしてそれは比武台を囲う人々の口々から発せられるようになった。
話の中心人物である凡吉は……比武台の上で、女装した姿で黒杖を片手に立っていた…目一杯おしゃれをした、町娘として……。




