異変
「伯母様……」
「あら、華鈴」
玉修門は修練堂……核心弟子や真伝弟子達が修練する場所に、玉修門の大長老・龍如姫とその姪で外門弟子の龍華鈴の姿があった。
龍如姫は今、執務室で慣れない書類仕事に四苦八苦しており、そこに現れた龍華鈴は、困惑の表情を浮かべている。
「申し訳ありません、お取り込み中に……」
「構わないわ。どうしたの?」
「実は……」
龍華鈴は他の者に内容を聞かれないように、伯母に近づいて耳打ちする。
「……凡吉を見ませんでしたか?……」
「凡吉? 彼なら、しばらく暇を出しているわ」
「えっ⁉」
伯母の言葉に、華鈴は驚愕する。そばに控えていた小媛も口元を覆った。
「それがどうかしたの?」
如姫大長老は素知らぬふりで華鈴に問いかけるが、華鈴はモジモジと煮え切らない態度で言った。
「その…凡吉は私の召使いで…あの……」
「召使い? 凡吉が? あなたの?」
「はい…」
先ほどまでは余裕の表情を浮かべていた如姫大長老だったが、華鈴の言葉を聞いてその表情を曇らせる。彼女は、凡吉が休暇中というのは『嘘』で本当は覇雲派や天雲門の情報収集の任に就いていることを知っている、数少ない人間の一人だ。
もちろん、自分の姪が凡吉と仲良くしているのは知っていたが、まさか召使いだったとは……しかし、今はそのことで問答している場合ではない。彼女は努めて冷静に、華鈴に言った。
「……まぁ、いいわ。とにかく、凡吉は休暇中よ。召使いなら小媛がいるでしょう?」
「それはそうですが……」
あからさまにガッカリする華鈴を見て、如姫大長老は思わずクスリと笑う。
華鈴のその態度は、彼女が凡吉の事を想っている何よりの証拠だった。無論、凡吉自身はそんなことも露知らず、といったところだろう。
如姫大長老は、ひとまずは華鈴をなだめて帰らせると、改めて凡吉のことを思い出した。
(あの子……本当に何者なのかしら?)
如姫大長老は、凡吉と初めて出会った時の事を思い出した。
まったく反応しない赤子……それを見つめて微笑む太上長老……。
最初は、太上長老の意見に反対だった。玉修門は、昔も今も、そしてこれからも女性修練者に開かれた門派であるはず。
そんななか、よりによって太上長老が男子を養子にするなど、彼女にとってはこれまで自分が歩んできた道を否定されているような気分だった。
こう言っては聞こえは悪いが、その赤子が修為を得られないと分かった時、好機だと思った…太上長老に再び修練を再開してもらい、玉修門の栄光を取り戻す好機……。
殺す必要はない…しかし、太上長老は赤子を手放すことを拒み続ける…長い議論の中で提案されたのが、その赤子を玉修門の使用人にするということだった。
少なくとも、12年ほどはそれで上手くいっていた…しかし……少年はある日、姪を助け、修為を得て、自分の前に再び現れた……相変わらず、無表情なまま……。
その後、彼は隣国の戦元帝国の公主に比武で勝利し、やがて使用人としての仕事と玉修門の弟子としての修練を掛け持ちするようになり、今は門主から密偵の任を下されている。
当然、密偵の件は太上長老も反対していたし、自分も反対だった…同床異夢だったが……。
しかし、門主の決意は固く、結局は凡吉は密偵として北山城に派遣された。
そんな彼に、どう接すればいいのか……姪を助けてもらった件については、感謝のあまり無心に礼を言ったが、そこから先について……如姫大長老は、悩んでいた。
(……もう少し、様子を見ましょう……今は、それしかないわ)
そう結論付けた如姫大長老は、また慣れない書類仕事を始めるのだった。
――その時。
「師匠! 大変です‼」
突然、門派内にある警鐘が鳴り響き、修練堂の中は騒然となる。その音とほぼ同時に、核心弟子の一人が執務室に飛び込んできた。
「どうしたの?」
「覇雲派と天雲門の弟子達が、山門で当門派の弟子達と揉めておりますっ!
すでに外門堂の護法や供奉が対処しておりますが、師匠にも助力いただきたくっ!」
「っ! 案内してっ!」
ちょうどよかった…慣れない書類仕事より、自分はこういった荒事の方が好きだ……龍如姫の目に、溢れんばかりの闘志が宿った。
※
その頃、北山城では凡吉が『乞凡』として丐幇の拠点に戻り、食事を取っていた。基本的に丐幇の食事は、乞食をしている時に受け取った食べ物しか無い。
凡吉もいくらか古い米や売れ残った総菜などを貰い、こうして居間で食べている。
玉修門の食事と比べてかなり劣悪だが、仕方ない。食事がまずいので帰ってきましたとは、とても言えない。
そして、凡吉は今日も覇雲派北山城支部が見える屋根の上で、持てる力を総動員して情報収集に勤しむ。すると……。
「お前らがやったんだろう!?」
「くどいっ! あなた達はそれしか言えないのっ⁉」
見ると、それは覇雲派の弟子達と玉修門の弟子達の喧嘩だった。
しかし、ただの喧嘩ではない……今にも武器を取り出して中央市場の真ん中で殺し合いを始めそうな雰囲気だ。彼らは皆、怒り心頭で互いに相手の陣営に詰め寄っている。
「ふざけんなっ! この女狐どもめっ‼」
「魔教に劣るチンピラ風情が、何を言うかっ‼」
覇雲派の男達は激昂して、玉修門の女達を罵倒し始める。
それを聞いた玉修門の女性達も、ヒートアップし始めた。こうなると、もう止めるのは難しいだろう……凡吉はすぐに屋根から下り、玉修門の女性達の中をかき分けて、覇雲派の弟子達と対峙した。覇雲派の弟子達は凡吉を見るなり、鼻で笑う。
「なんだぁ? ゴミ乞食が? こんな所で何してるんだ?」
その質問に、凡吉は懐から木皿を取り出して言った。
「……乞食です」
凡吉のその発言に、その場の誰もあっけに取られていたが、やがて覇雲派の弟子達の一人が笑い出した。そして、それに釣られて、次々に笑い出す。
「……あははははははは! そうか、そうか。そりゃ、そうだ! 乞食の仕事は乞食だもんなっ!
まぁ、でも安心しろよ……今すぐ消えれば、命だけは助けてやるからよぉっ!」
「……」
凡吉はその言葉に沈黙したまま、木皿を差し出している。その行動が、覇雲派の弟子達を刺激することになった。
「おい……消えろって言ってんだ。まさか、俺達とやり合うつもりか?」
「……」
凡吉は相変わらず無表情で、木皿を覇雲派の弟子達に向けて差し出したままだ。
覇雲派の弟子達は互いに顔を見合わせて、ニヤニヤ笑いながら凡吉に近づいていく。その表情には、明らかな殺意が込められている。
「……」
凡吉は何も言わずに、覇雲派の弟子達に向かって木皿を差し出し続けている……覇雲派の弟子達は、しばらく呆気にとられたような顔をしていたが、やがて嘲笑を浮かべた。
「フッ…物狂いかっ!」
「構わねぇ! やっちまえ!」
覇雲派の弟子達が一斉に襲いかかる。だが、その攻撃は玉修門の弟子達によって阻止された。
「その人を安全な所へっ!」
「はいっ!」
――その声が聞こえた瞬間、凡吉は玉修門の弟子のひとりに腕を掴まれ、城門に近い通りまで連れてこられた。
「ここでおとなしくしててくださいっ!」
弟子の女性はそう言い残し、刃傷沙汰が起きている場所へ走り去っていった。
(……こんなはずじゃ……)
通りにポツンと一人取り残された凡吉は、予想外の出来事に戸惑いつつも、自分の無力さに落胆したのだった。
凡吉の予定では、今頃自分は覇雲派の弟子達を倒してあの場から去るつもりだった。
しかし今の自分は、覇雲派と玉修門の騒動を殺し合いに発展させ、そのくせ自分はそこから逃げる形になってしまった。
凡吉が精華門主から任された任務は情報収集…喧嘩の仲裁ではない。
しかし自分は、それを収めることも出来ず、むしろ事態を悪化させてしまった。凡吉はそのことにショックを受けつつ、どうしたものかと考えた。
だが、考える必要はないと悟る。自分がやるべきことなど、あの状況になった時から決まっていたのだ。
凡吉は貯蔵塔から『短刀・裏切』を取り出した。
黒漆塗りに金細工の装飾が映えるその短刀は、今日この日のために『諸天万界』からもらったのかもしれない。
【物品】
裏切:自身と同じまたは低い境地の生命体に即死攻撃。自身より高い境地の生命体を相手にした場合、攻撃力上昇(極大)
……凄まじい効果だ。これに称号効果と功法を組み合わせれば、この事態を自分の思うように治める事が出来るかもしれない。
そして、凡吉は『裏切』を懐に隠して再び騒動の渦中へと向かっていく。
中央通りに戻ると、幸いなことにまだ玉修門側には被害は出ていない。だが、このままでは城内にいる他の覇雲派の弟子達も駆け付けてきて、状況は不利になるだろう。
――凡吉は全力をもって自身の存在を隠し、人混みを器用にかき分けて、ちょうど後ろを向いている覇雲派の弟子に『裏切』を抜き放って心臓を刺した。
刺された弟子は即死し、突然のことに覇雲派の弟子達が驚いている隙に、凡吉は一瞬で物陰に隠れる。自身の存在は感知されていないはずだが、念には念を入れておきたかった。
「……刺客だっ!」
一人の叫び声が引き金となり、覇雲派の弟子達が総出で辺りを探し始める。
玉修門の弟子達も、戦う手を止めて周囲を警戒する。
――やがて、覇雲派の弟子達は次々と倒れていく……何者かの凶刃によって……だが、それが誰の仕業なのか、この場にいる全員が分からなかった。
凡吉は一切油断することなく、確実に覇雲派の弟子達を仕留めていく。
――最後の一人になったところで、彼はその男を一撃のもとに殺害し……中央通りに静寂が訪れた。周囲の住民達もその場面に驚愕しつつも、玉修門と覇雲派の争いはこれで終わりだと察した。
(ふぅ……これで一件落着かな)
物陰に隠れる凡吉はそう思いながら、辺りに人影がいないことを確認し、『裏切』を貯蔵塔に戻して称号効果や功法を解除して再び乞食となる。
その後、玉修門の弟子達は駆け付けてきた官吏達に事情を説明し、覇雲派の弟子達の死体は場内にいた他の覇雲派の弟子達によって支部へと運ばれていった。
凡吉はそのまま、玉修門の弟子達の会話に耳をそばだてる。どうやら、今回の騒動は覇雲派の弟子達が玉修門の弟子達に難癖をつけてきたことが原因らしい。
具体的には、覇雲派の弟子達は玉修門の弟子達が北山城内にいるのを見て、飄雲派の件での調査は禁じられたはずと詰め寄るが、玉修門の弟子達は華鈴公主が襲撃された事件の調査だと言って譲らず、あのような事態に陥ったらしい。
そして、玉修門の弟子達は覇雲派の弟子達の死因を、どこかの勢力が派遣した凄腕の殺手――殺し屋――の仕業と結論付けた。
(よかった……)
自分の関与が身内に露見していないことを知り、凡吉は安堵する……が、彼はすぐに別の災難に遭う。
正門の方から、玉修門の弟子が駆け寄ってきたのだ。彼女が着ている長衣は埃にまみれ、その手には鞘に納められた細剣がある。弟子達の筆頭格らしき女性が問いかける。
「どうしたの?」
「た、大変ですっ! 玉修門が覇雲派と天雲門の襲撃を受けていますっ!」




