やるべきこと
その日の早朝……凡吉は連れてきた馬達を玉修門の厩舎にすべて収容し、少しの睡眠をとって、起床したら身支度をして厨房へ向かった。
朝日が徐々に昇り始めるなか、食堂に勤める人達はすでに朝食の準備や食堂の掃除をしていた。その中には、凡吉がいつものように料理の下ごしらえをしている姿も見える。
彼は野菜を洗い、皮を剥き、刻み、桶に入れて料理人に渡す。それは彼にとって慣れた作業であり、迷いが無い。凡吉の手つきは素早く、正確だった。
「ああ、凡吉。おはよう」
「おはようございます、王清さん」
厨房に入ってきた王清が挨拶すると、凡吉も同じように返す。王清は凡吉のそばを通り過ぎ、厨房の奥へ向かって歩いていく。
そして時間が経つにつれて、食堂に人が集まり始めていた。厨房は一気に忙しくなり、凡吉は食材を仕込むスピードを上げていった。
最初にやってきたのは、朝食を食べに来た外門弟子達だ。
彼女達はいつも通りに料理人から料理が盛り付けられた盆を受け取り、思い思いの席に座って一人静かに、または複数人でおしゃべりしながら朝食を食べる。
それからさらに時間が経ち、朝の九時頃には俗家弟子や参拝者がちらほら見え、昼頃には昼食目当てに本来玉修門とは関係のない女性達までもがやってくる。
当然、その分厨房は大忙しになり、凡吉の包丁を振るう手も痛み始めるが、凡吉はこの時間をそれなりに重要だと考えていた。
その理由は、食堂で俗家弟子や参拝者達が話す噂話である。
「昨日、飄雲派が潰れたらしいよ?」
「えっ、ホントに? あの飄雲派が?」
「ええ。私が聞いた話だと、門主の天翔鵬と幹部達が全滅したそうよ」
「嘘⁉ 天翔鵬って練気境の境地でしょ?」
「そうよ。その人達が、忽然と姿を消したんですって」
「え? 殺されたんじゃなくて?」
「あたしの旦那が城に勤めてるんだけど、官吏曰く『失踪』したそうよ」
「なにそれ、怖い!」
(…そんな感じになってるのか……)
インターネットやマスメディアが存在しないこの世界では、情報源は情報組織か一般の人々の噂に頼るしかない。
そして、その貴重な噂話を、ここではタダで聞ける。もちろん、北山城に直接出向けばそれ以上に噂も聞けるだろうが、凡吉の立場上、それは難しい。
そして、凡吉はたった今、自分がしてきたことが北山城やその周辺地域で暮らす人々に知れ渡ったことを確認した。
少なくとも、これで飄雲派との因縁は終わった。
(でも……)
しかし、彼らは天雲門という、より大きな門派に属していた。
それを壊滅させたとあっては当然、天雲門もそれなりの動きを見せるだろう。そうなった時、再び玉修門に……お嬢様に危険が及ばないか……そんな不安が頭をよぎる。もし自分が飄雲派を滅ぼしたことが知られれば、どうなるだろう?
幸い、今は玉修門と飄雲派との因縁に関する噂話は聞こえてこないが、北山城の城主や官吏達が動けば、それなりに事情聴取をされるかもしれない。
(そうなったら……)
そこから先の事を、凡吉は考えることが出来なかった。だが、少なくとも自分がやったことは間違いではない。それだけは、胸を張って言える。
とりあえず、いつも通りに無表情で日々の業務と修練をこなしていくしかない。自分の境地に関しても少し気にかかっている。
昼食のピークタイムが終わり、凡吉を含む厨房の料理人や丁稚達は一息ついた。昼食の片付けや洗い物を終え、食堂の扉を閉めて、普段は他の人々が使っている長机と長椅子に座り、昼食もしくは朝食をとりながら休憩する。
しかし、その休憩もつかの間――やがて午後の時間が訪れ、外門弟子達が昼食を取りに来て、朝とは違う賑わいを見せた。また厨房は忙しくなり、凡吉は再び働き始めた。残念ながら、今日は内門堂での修練は出来ないようだ。
その間に、凡吉は午前の出来事を反芻する。飄雲派の壊滅。その影響は確実に波及してくるだろう。お嬢様の実家である皇室にとっては些細なことだろうが、他の宗派はどう動くのか。玉修門は安全なのか。
そんなことを考えているうちに、ふと華鈴の顔が思い浮かんだ。彼女は無事だろうか。飄雲派との因縁を考えれば、彼女が狙われる可能性もある。
(まずは……情報を集めないと)
凡吉は決意を新たにし、夕食の準備に向けて再び包丁を握った。まずは自分ができることから始めなければならない。飄雲派の壊滅という事態が、どんな波紋を広げるのか、慎重に見極める必要があった。
(とにかく、目立たないこと……そして、備えることだ)
凡吉は内心で自分に言い聞かせた。飄雲派が滅びた今、天雲門がどう出るのかは分からない。だが、いずれ何かしらの動きがあるのは間違いないだろう。
そうなった時に備えて、自分ももっと強くならなければ――そう思いながら、彼は今日一日の仕事を終えた。




