滅門
その日の夜――北山城の飄雲派支部は混乱していた。イラついた様子で何もない執務室をウロウロする郭凱と、それを不安げに見守る取り巻き……何人かは、未だに寝台から起き上がれずにいる。他の者は一か月以内には回復するらしいが……。
――その時、ノックの音が響いた。
『コンコン』
扉を叩く音を聞き、郭凱は面倒臭そうに答える。
「入れ」
「はっ!」
入ってきたのは飄雲派掌門人の護衛である若い男であった。彼は入るなり跪くと、報告を始める。
「門主よりお言伝です。『今すぐ応接室に来い』と」
「……分かった。すぐに向かうと言っておけ」
「はい!」
郭凱の命令を受け、若い男は部屋を出て行った。
そして、郭凱は苛立ち紛れに机を蹴飛ばした後、取り巻き達に向かって言った。
「貴様らは残ってろ。俺だけで向かう」
「はいっ!」
取り巻き達に見送られながら、郭凱は支部の応接室に向かった。
応接室までの廊下は、すでに掌門人直属の精鋭達で固められており、郭凱は嫌な予感がしたが、今更逃げるわけにはいかなかった。
郭凱が応接室に入ると、そこには飄雲派の掌門人・天翔鵬とその護衛達で応接室が埋め尽くされていた。
そして、翔鵬は上座に座って柔和な笑みを浮かべて郭凱を出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました。郭凱」
「はっ!」
「まず初めに……貴方には失望しました」
「はぁっ⁉」
突然の侮辱に思わず郭凱は大声を上げてしまう。しかし、天翔鵬は全く動じることなく淡々と話し始めた。
「支部の資材や人材が消えた理由も突き止められず、玉修門に行ったというのに、結果がこれですか。しかも、練気境ですらない者に後れを取るなど……恥を知りなさい」
「で、ですが、掌門人っ!――」
「言い訳は無用です」
ピシャリと言い放つ天翔鵬。その目は氷のように冷たい光を宿していた。
「いいですか? 私は貴方に玉修門をなんとかせよと任せたのです。あなたはそれを快諾しました。忘れたとは言わせませんよ?」
その言葉を聞いた瞬間、郭凱の背筋がゾクッとした。
目の前に居る男は、ただの穏やかな青年ではなく、強者と恐れられる飄雲派の掌門人なのだということを思い出させる威圧感を持っていたからだ。
「はい……申し訳ありませんでした……」
「まったく……貴方を飄雲派から除籍するところでしたが、私が他の傘下門派や天雲門の門主に直訴して何とか思いとどまって頂きました。二度とこのような無様な姿は見せないように」
そう言い残し、天翔鵬は護衛達と共に部屋を出て行ってしまった。
「……ちっ!」
怒りのあまり舌打ちをする郭凱。それもそのはずだ、今回ばかりはマジで除籍されてもおかしくはなかったのだから。
「絶対に許さんぞ……あの凡吉とかいう男……」
そう呟くと、郭凱はその場を後にした。
――その様子を物陰から覗いている者がいた。そして、その者は誰にも気づかれずにその場から消え去ったのである。
※
その日の深夜――一刻も田舎から離れたいと、護衛達に無理を言って天翔鵬は馬車と護衛達を連れだって北山城を後にしていた。目的地は自分の根城である風鈴城だ。
満月が馬車と行列を照らし、護衛達が持っていた松明のおかげもあって、翔鵬達が歩む街道は比較的明るかった。それでも、不気味な雰囲気が漂っていることには変わりがない。
「はぁ……疲れた……」
馬車の中で休んでいた天翔鵬はそう呟く。正直、今すぐにでも沐浴したい気分だったが、流石にそれは我儘過ぎると思い直す。
(あと少し……もう少しだけ我慢しよう)
風鈴城まではあと半日の道のり……翔鵬は窓から外を眺めた。街道脇の林の奥から、時折獣の鳴き声が聞こえてくる。まるで彼らの行く手を阻むかのような、不気味な静寂。
「……ん?」
翔鵬は眉をひそめた。先頭を行く護衛隊の動きが妙にぎこちない。まるで何かを探しているかのように、左右に揺れている。
「どうした?」
御者台に向かって呼びかけると、暫くして返事が戻ってきた。
「はっ! 掌門人、道の真ん中に何か落ちております!」
「何が?」
「それが……人影のような……」
「人? こんな夜中に?」
翔鵬は不信感を抱きつつも、馬車を止めるよう命じた。護衛達が松明を掲げて近づいていく。
そして――全員の足が同時に止まった。
「……まさか」
先頭の護衛が震える声を上げる。その声は風に乗って翔鵬の耳まで届いた。
「どうした? 早く調べてきてくれ」
「い、いや……これは……」
護衛達の視線が一点に集中している。翔鵬も好奇心に抗えず、馬車から降りて近づいた。
月明かりに照らされて浮かび上がったのは――血塗れの郭凱の死体だった。
「……っ⁉」
翔鵬の喉から絞り出すような呻き声が漏れた。首筋に大きな爪痕があり、それは人間のものではない。まるで猛禽類……例えば鷹の爪などで抉られた傷だ。
「誰か! 医員を呼べ! まだ息があるかもしれない!」
叫びながら翔鵬は膝をついた。郭凱の瞳孔は開ききっていて、すでに意識はない。体も冷たく、硬直していて動かない。絶命しているのは明らかだった。それでも翔鵬は郭凱の体を揺さぶり、名前を呼び続けた。
「郭凱! 目を覚ませ! 何があった⁉ 答えろ!」
しかし、返事はない。代わりに、林の中から獣達の鳴き声が響いてきた。
(クソッ! いったいどういうことだっ⁉ なぜ郭凱はここにっ⁉ それにこの傷はっ⁉)
翔鵬の脳内を様々な憶測が流れるが、どれも彼を納得させることが出来なかった。
そして、彼はあることに気付いた……いつまで経っても、医員が来ない。護衛達のざわめきも聞こえなくなった。
(っ⁉)
バッと振り向くと――そこには、誰もいなかった。周囲を見回しても、馬と馬車、自分と郭凱の死体以外は何も見当たらなかった。
あれほどまでに煌々と燃えていた松明さえも消えていて、月明かりのみが翔鵬を照らしている。
(な、なんだっ⁉ いったい何が起こっているっ⁉)
理解不能な状況に思考が停止する。だが次の瞬間、背後から凛とした、しかし無感情な声が響いた。
「あなたは愚かな選択をした……」
――振り返る間もなく、翔鵬の喉元から鮮血がしとど落ちる。
そして……彼が最後に見た光景は、長尺手拭を被り、山賊の着物に身を包んだ凡吉の姿だった。
※
(これで、しばらくは安心なはず……)
目が見開かれた翔鵬の死体を見つめながら、凡吉はそう思った。
――時は少し前……凡吉はいつもより早く修練を終え、小屋に戻った――フリをした。
実際は変装し、自分が持ちうるすべてを駆使して北山城に向かい、ちょうど翔鵬達が去ったタイミングで郭凱達を暗殺した後、前に支部から持ち出していた資料を基に中原帝国中に存在する飄雲派の支部と本部を一人で壊滅させていった。
やり方は北山城支部と同じで、暗殺とほぼ同時に貯蔵塔に死体を貯蔵し、人間がいなくなったら物品を根こそぎ貯蔵塔に収納するというものだった。
その過程で飄雲派が普段から犯罪行為によって収益を獲得していたことも知り、それらの表に出てこない金銀財宝の類も貯蔵塔の中に消えた。
幸いなことに、これまでの修練の成果と功法、称号効果によって、凡吉にとってそれは苦ではなかった。
支部を壊滅させたら軽功で別の支部へ……そんなことを繰り返し、つい先ほど、凡吉は翔鵬達を発見した。
そして、彼らが混乱することを目的に、あらかじめ貯蔵していた郭凱の遺体を街道に置き、混乱の隙に一度に一人か二人、暗殺と収納を繰り返した結果、目の前に翔鵬の遺体がある。
凡吉は郭凱と翔鵬、そして彼が乗っていた馬車を貯蔵塔に収納し、翔鵬達が連れてきた馬達を連れて玉修門に帰還した。
……後に残されたのは、木々のせせらぎと獣達の鳴き声による合唱だけだった。




