蔵書閣
翌朝――凡吉はいつも通りに目覚め、玉霊山の走り込みを終えて山門の掃除へと向かう。
途中、内門堂の掃除はしなくてもいいのだろうかと思ったが、周囲に聞ける者がいないため、そのまま山門の掃除をすることにした。
その後は厨房での朝食と雑務を終えて昼食を取り、凡吉が内門堂に入ったのは昼を少し過ぎてからだった。
「あ、凡吉」
見覚えのある女性――おそらく、内門弟子――が、凡吉に話しかける。
「堂主が、仕事が済んだらすぐに執務室に来なさいって」
「分かりました」
この場合の『堂主』とは、外門堂主ではなく内門堂主だろう……凡吉は早歩きで天璃の執務室に向かい、扉をノックする。
「はい」
曼玲を彷彿とさせる、凛とした声……凡吉は『失礼します』と言って室内に入った。
「こんにちは。早速だけど、修練に励んでもらうわ。ついてきて」
そういうやいなや、天璃はスタスタとどこかへと向かう。
凡吉も付いて行くと、そこは玉修門の蔵書閣だった。ここは、本堂よりも警備が厳重なことで有名だった。
「内門弟子になったら、蔵書閣の一階から三階までに収められている功法書を一つ貸し出す決まりになっているの。もう話は通っていると思うから、あなた一人だけで行ってきなさい」
「分かりました」
そう言って、凡吉は警備につく二人の女性の間にある重厚な扉を開き、蔵書閣に入る。
蔵書閣の室内は、本棚と功法書で埋め尽くされていた。奥には二階に続く階段と、その手前には司書と思わしき女性達がなにやら事務仕事をしている。
この階には、それなりに出入りがあるようで、功法書を読みふける弟子達が多かった。まるで立ち読みし放題の本屋のようだ。
凡吉はザッと本棚に目を通す。一階にある功法書は全て初心者向けのようで、あまり興味が惹かれなかったので、素通りして階段を上がる。
「あら?……もしかして、凡吉?」
「え?」
二階に上がると、司書と思われる女性が声をかけてくる。
「あ……はい、そうです……」
「そう。内門堂主から話は伺っているわ。ご自由に」
「ありがとうございます……」
そう言って、凡吉は二階の本棚もザッと見回す。内容的には一階とほとんど変わらず、練体境や練気境向けの功法書ばかりだった。
凡吉は適当に数冊の功法書を取り出し、近くの椅子に座ってパラパラと流し読みする。
(なるほど……基本的な身体強化の功法書……確かにこれなら内門に入ったばかりの弟子にピッタリかもしれないけど……)
凡吉はその書籍を本棚に戻し、どうしようか考えていると、弟子の女性が三階に続く階段を上がっていくのが見えた。
そう言えば、貸し出しは三階までと天璃堂主も言っていた。
(僕はどうしようかな……?)
二階の功法書はどれも初歩的であり、これなら普段使っている功法の方が遥かにマシだ。しかも、称号効果もある。
しばらく考えた後、凡吉は意を決して三階の功法書を選択することにした。
三階は二階と違って閑散としており、先ほど上がっていった弟子と司書以外は誰もいなかった。本棚には、二階と比べて少し数が少ないが、名前を見ただけでも強そうな功法が揃っていた。
(さすが……三階になると、珍しい功法書がいっぱいあるなぁ……)
そんなことを思いながら、凡吉はゆっくりと功法書に目を通していく。
(ん?)
ある本棚から、功法書の名前が『天羽剣法』と付くものばかりの物で埋め尽くされていることに気付く。見ると、その本棚から先は埃にまみれ、永らく人の手入れがされていないことが容易に想像できた。
そして、そのどれもが天羽剣法またはそれに関連する功法書だった。どうやら、ここは天羽剣法のみを集めた専門の功法書棚のようだ。
(天羽剣法……)
それは、凡吉が外門弟子達の修練を見て覚えた、最初の武功だった。そして、それでお嬢様達の命を救ったこともある。
(……これが運命って奴かな…)
凡吉は、天羽剣法に関連する書籍をすべて棚から持ち出し、一通り目を通す。
(っ!?)
すると、凡吉の脳内に功法書の内容が次々に流れ込んでくる。やがてそれが収まると、凡吉は画面を表示して『功法』の欄にある『天羽剣法』をタップした。
天羽剣法(大成):中原帝国を興した初代皇帝の功臣、李天羽が創始した剣法。剣技だけでなく、内功によって身体能力を高めることも可能。奥義には天・地・人・時・命の五相がある。
(『大成』ってことは、『円満』の一歩手前か……)
そして、武功は『円満』の境地に至ってこそ、真の意味で修得したとみなされる。つまり、本当にあと一歩というところまで来たということだ。
とりあえず、『天羽剣法』が『大成』状態であることに驚きつつ、それら『天羽剣法』関連の書籍をすべて本棚に戻し、別の功法書に目を通す。
(英雄拳…独狐九剣…鷹指…天地大武録…呪経・破魔功…覇天連環脚…魔剛掌…鬼哭仙功…羅刹滅殺拳…太極仙掌…仙術大法…太極図解…龍虎相神功…練気昇華経…神獣経…仙魔秘訣…覇王神剣……)
それらの功法書をパラパラとめくっていくと、またしても功法書の内容が凡吉の脳内に流れ込む。
(ま、まさか、こんなところでチートを発揮するとは……)
……凡吉は、他の本棚に目を向ける。そこには、無数の功法書が保管されていた。
(せっかくだから……)
――魔が差した……そのような想いを胸に、凡吉は手近な功法書からパラパラとめくり始めた。もちろん、その都度、内容が頭の中に流れ込んでくる。
それは、とても不思議な感覚だった。通常であれば、苦労して覚えるはずのものを、本を読んでいるだけで勝手に吸収されるのだ。
しかし、同時に不快な感覚でもあった。本来なら自分の努力で積み上げるべきものを、一瞬で奪い取ってしまうような気がして、申し訳ない気持ちになる。
凡吉は一旦手を止め、その場に立ち止まったまま考えた。
(……僕は一体、何をしているんだろう?)
それは、とても単純な問いだった。しかし、答えは出てこない。
自分がなぜこのような行為をしているのか? それは、単なる好奇心なのか? あるいは何か大きな目的があるのか?
少なくとも、今の凡吉には、それを判断する材料が足りていなかった。ふと、三階の窓から外を見る。
(僕は一体、何を目指して……)
そうだ。まだ何も知らない。まずは、自分が何者なのか、何がしたいのかを知らなくてはいけない。
(それなのに、僕は……)
……そこで、思考を停止した。
……今はまだ、答えなど出るはずがない。焦る必要はない。いずれきっと分かる日が来る。
そう自分に言い聞かせながら、凡吉は再び功法書を手に取り、その内容を頭に入れていく作業に戻った。
やがて凡吉は天璃が定めた時間ギリギリまで功法書に目を通し、一冊の功法書を借りて蔵書閣を後にした。
「おかえりなさい」
蔵書閣から出てきた凡吉を、徐天璃は微笑みを浮かべて出迎える。
しかし、彼の手にある功法書に目を向けた時、その笑みは消えた。
「『隠道大化訣』?……本当にそれでよかったの? どういう功法か、ちゃんと確認した?」
「はい。これが、今の自分にとっては最適な功法だと思っています」
「そう……いいわ。付いてきなさい」
そして、凡吉は功法書を作務衣の内ポケットにしまい、天璃堂主に付いて行った。




