異界珍品堂、再び
翌朝――凡吉はいつも通り、夜明け前に目覚めた。握りしめていた冥天刺を貯蔵塔に戻して起きると、部屋の中からイビキが聞こえる。
凡吉は心の中で丐幇の皆に礼を言って、拠点を後にした。
夜明け前の北山城は、不思議な雰囲気に包まれていた。
ほとんどの人が寝静まっている……が、朝が早い仕事に従事している人々は、凡吉と同じようにすでに身なりを整えて職場に向かっているようだ。
凡吉はふと、自分の身なりを見る……いつもの作務衣に山賊の着物を重ね着し、結んでいた髪をばらけさせたうえで長尺手拭を頭部に巻いて『乞凡』としての人生を始める。
最初に向かったのは、自らが壊滅させた飄雲派・北山城支部である。だが、特に変わりはなかった。
そこで凡吉は、いつも買い出しに来ている中央通りの市場に向かった。だが時間のせいか、まだ露店は開いておらず、いつもの通りが広く見えた。
(ん?)
その時、凡吉の視界に見慣れた文字が目に入った。
『異界珍品堂』……小媛に胡散臭いと言われていた、あの商店であり、同時に凡吉が令牌をもらった商店である。
しかし、今の自分は『玉修門の使用人・凡吉』ではなく『丐幇の乞凡』であるため、その令牌を使うことは出来ない。
他の商店が引き戸を締め切っているなか、異界珍品堂だけは中から明かりが漏れており、看板も掲げられている。つまり、営業しているということだ。
(……せっかくだから…)
凡吉はそう意気込んで、異界珍品堂の引き戸を静かに開ける。
(……)
中には、誰もいなかった……が、音を聞きつけたのか、奥から一人の老人が現れる。
「おや? こんな時間に珍しい。いや、そもそもウチに客が来ること自体、珍しいか。ホッホッホッ」
老人は穏やかな調子でそう言った。
歳は乞丐と同じくらいだが、白髪に埋もれた瞳は未だ衰えず、理知に富んでいる。まるで人の心を見透かすような、鋭い目つきである。凡吉は自然と背筋を伸ばした。
「ふむ……お主、丐幇の新参者じゃな?」
異国風の外套を身に纏う老人にそう言われて、凡吉はチラッと右腕に巻かれた紐を見る。それを見て、老人は微笑んだ。
「ホッホッホッ……その様子だと、自分の意志で入ったわけではなさそうじゃな」
「そうですけど……色々と恩義があります……」
「ほう、恩義か……子供なのに、立派な心掛けじゃ」
老人のその言葉に、凡吉は少し気恥ずかしくなり、なんとなく店内の品に目を向ける。
「何か、欲しいものはあるかね?」
凡吉のその態度を目ざとく見抜いた老人は、そう尋ねる。
「いえ……ただ、気になって入っただけです。失礼しました……」
凡吉がそう言って店を後にしようとすると、老人は『待て』と言って懐から玉牌を取り出して凡吉に手渡す。
「これは?」
「もしお主が興味があるなら、『万福商会』という商店でその玉牌を見せるがよい。
それなりに便宜を図ってもらえるうえ、品物も通常より値引きして買うことが出来る。
もちろん、競売会が開催されれば貴賓として応対してもらえるぞ」
「そんな……どうしてこんな物を?」
そう言って、凡吉は玉牌に目を向ける。
銀細工が精巧に施されたその玉牌は、見るからに高価なものだった。
「なぁに。お主にちと興味があっての。年寄りの気まぐれというやつじゃ」
「はぁ……」
今の凡吉は、『乞凡』という乞食……だが、その身分を利用してこの玉牌を受け取るのは、なんだか申し訳ない気持ちになる。
そもそも、自分はすでに異界珍品堂の令牌を持っているし――というか、なぜ異界珍品堂で働く老人が、万福商会の玉牌を持っていて、どのような理由で自分にくれるというのか……。
『うまい話には裏がある』……その言葉を思い出した凡吉は老人に背を向け、さも皮袋から取り出したかのように見せかけて、貯蔵塔から天晶石をすべて取り出し、トラブルからの手切れ金として老人に手渡す。
「こ、これはっ!?」
途端に、老人の顔色が変わった。まずい物を渡してしまっただろうか?
「お、お主、これがなんなのか、知っておるのか? いや、そもそも、どこでこれを手に入れた?」
「あ、あの……常磐山脈で…玉牌のお礼にと思って……」
凡吉の言葉を聞いて、老人はしばらくポカンとしていたが、やがて愉快そうに笑い始めた。
「は……はっはっはっはっ!! ねだられたことはあっても、返礼品をもらったのは初めてじゃわい!」
「そ、そうなんですか?」
「ああ、そうとも! じゃが、こうなったらワシも面子が立たん……ちょうどいい、ちょいと待っとれ」
「は、はい……」
老人はそう言うと、裏の棚から何やらガサゴソと探し始めた。
ほどなくして、小さな鍵を手にして再び出てくると、店の外に出た。
「ふぅ……やはり早朝は空気が美味いのぉ……こっちじゃ」
凡吉はそのまま老人について行くと、裏路地にある少し大きめの平屋まで案内される。
そこは、いかにも放置されているという感じがする。壁は所々ひび割れがあったり、窓枠のガラスが割れているなどの荒廃した印象があった。
「ほれ」
そう言って、老人が平屋の扉を開ける。
「ここは……?」
「倉庫じゃよ。この店のな。ここから一つ、気に入ったものを持っていくがよい」
「はい?」
凡吉は驚いた。ついさっき、明らかに高そうな玉牌をもらったのに、今度は店の品物までもらうことになるとは思わなかった。
「気にするな。お主という上客を逃さぬための、ワシからの好意だと思ってくれ」
「は、はぁ……わかりました……」
老人に促されて、凡吉は平屋の中に入る。
(……)
そこには、本当に様々なモノが置いてあった。見たことのない果実が入った樽や、金属製の筒、さらには人形の入った箱など、凡吉には用途がわからないものがほとんどだった。しかし……。
(これ……)
その中で、凡吉はとある品に目を奪われた。
それは、奇妙な文様が彫り込まれた玉佩だった。
凡吉はその玉佩を手に取り、じっくりと観察する。
文様はただの模様ではなく、微細な刻印が施されており、指先で触れると、冷たく滑らかな感触があり、内部に何かが詰まっているような重みを感じる。
凡吉はその玉佩の奥深くから、微かな力の波動を感じ取った。
(これは……ただの飾りじゃない……きっと、すごい力が秘められてるはず……)
凡吉は確信した。
この玉佩は、自分がこれから生きていくうえできっと役に立つと。そして、どんな危険も乗り越えることができる力を持っていると。
凡吉はその玉佩を胸に抱き、老人にお礼を言った。
「ありがとうございます……これにします……」
老人はニヤリと笑い、凡吉の肩を軽く叩いた。
「ホッホッホッ……気に入ったようで何よりじゃ」
「はい……」
凡吉は老人に深々と頭を下げると、玉佩を大事に懐にしまい込み、改めて拱手して自己紹介をした。
「僕……乞凡と申します」
「うむ。わしは林徐福じゃ」
「ありがとうございました……林さん……」
「ホッホッホッ。また何かあれば、遠慮なく訪ねてくるがよい」
こうして凡吉は、徐福に見送られてその場を後にした。
一方、その老人……林徐福はじっと眺めていた――凡吉が去った後、彼の鋭い目付きがわずかに変わる。
「ふむ……あの気運…それにあの性格……乞凡という名も偽名じゃろう。それに……どことなく、あの丁稚に似ている。
しかし……ちょいと本性を暴いてやろうと思って令牌を渡したが、まさかその礼に天晶石とはっ!
常磐山脈で拾ったと言っていたな……使いを遣ってみるか…」
そう言って、徐福は店の奥に姿を消した。




