丐幇
いきなり後ろから声を掛けられて、凡吉は反射的に後ろを向こうとしたが、そこをグッと堪えて、あえて支部を見つめながら呟く。
「そうですね……」
「玉修門の使用人と言えば、たしか廃人じゃろう?
そんな奴のために、玉修門があんな高手達を派遣するとは……」
「……面子のためでしょう……」
「どうかのぅ。面子を立てるだけならば、あのような荒事にせず、使いをやれば済む話じゃ。
それに、その使用人のために、かの『大山緑龍』が動いたのも気になる」
「……飄雲派が、前から何かやらかしていて、『大山緑龍』はその使用人を餌に、彼らの威勢を削ぐつもりかと……」
「ふぅむ、なるほどのぅ……」
凡吉の答えに納得したのか、後ろにいる老人はそう言って何やら考え込んでいる様子だった。
凡吉がそのままジッと支部を見ていると、また老人から声がかけられる。
「それはそうと……お主、新参者か?」
「え?」
凡吉は思わず振り返った。
そこにいたのは、見るからに浮浪者または乞食と思われる老人だった。
ボサボサの白髪にボロボロの作務衣。さらに顔には深い皺が刻まれており、数少ない持ち物も作務衣と同じくらい汚れていた。
「ええ、まあ……」
「ふむ、ふむ」
「あの……何か?…」
「いや……ずっと飄雲派の支部を見つめておったので、何かあるのかと思ってのぅ」
「いえ。乞食になりたてで、どうすれば分からなくて……」
「ふぅむ……」
老人は再び何やら考え込み始めた。
「お主、名前は?」
「……乞凡と申します」
「ふむ、乞凡か……」
老人はそう言って考え込み、懐から一枚の白い紐を取り出して凡吉の右手に巻いて結ぶ。すると、老人は言った。
「儂についてこい」
「は?」
凡吉が聞き返す間もなく、老人は歩き出した。
(あの人、明らかに不審者だよな……関わらない方がいいよな……?)
そう考えた凡吉だったが、なぜか老人の事が気にかかり、ついていくことにした。やがて、二人は西通りの一角にある貧民窟へとたどり着いた。
「ここじゃ」
そう言って老人が案内した先にあるのは、一軒のボロ家屋。
二人が建物に入っていくと、中は広々としており、数人の乞食が座り込んでいた。
それを見て、凡吉は自分がこの乞食グループに勧誘されたのだと理解し、苦笑した。すると、一人の若者が立ち上がり、老人に話しかける。
「師匠。こいつ、新人ですか?」
「うむ」
凡吉は驚愕し、その場で硬直した。
『師匠』……その単語に衝撃を受けたからだ。
(ま、まさか、この老人……⁉)
老人はさらに話を続ける。
「紹介しよう。新人の『乞凡』じゃ」
「よ、よろしくお願いします……」
凡吉はぎこちなく挨拶を返した。
「それでは、お主達から自己紹介をしてもらおうかのぅ」
老人がそう言うと、部屋にいる全員が順番に自己紹介をする。
「俺は『乞炎』だ」
「私は『乞怜』、よろしくね」
「儂は『乞風』」
「拙僧は『乞志』と申します」
「うちは『乞姫』言うねん」
「……『乞夜』」
「我は『乞命』なり」
「わたくしは『乞仙』と申します」
「ウチは『乞星』」
それぞれが名乗る度に、凡吉は頭の中でその名前を復唱した。そして、最後に残った老婆が口を開く。
「あたしゃ、乞芳だよ」
「さて、お主ら、今日はこのまま帰るのか?それとも寝泊まりしていくかのぅ?」
「俺はこの後、仕事があるので帰ります」
「私も、今日はこれで帰りまーす」
「拙僧も帰宅します」
「……ご飯食べて寝泊まり」
乞怜と乞志の二人は帰路につき、乞炎は夜勤のため準備をしているようだった。
凡吉は乞夜がどこかに出かけるのを見送った後、ふと思い立って近くにいた乞星に尋ねる。
「あの、ここで何をしているんですか?」
「ふふん」乞星が面白そうに笑う。
「知らないのぉ? うちらは乞食だよ?」
「それは分かりますけど……」
「なら分かるじゃん」
「はぁ……?」
凡吉が困り果てた様子を見せると、乞星は仕方がないといった調子で説明を始める。
「ここは、丐幇って組織の北山城支部さ。
丐幇に所属してる乞食なら、誰でも出入りできる。
もちろん、丐幇として何かしなくちゃいけなくなったら、そうしてもらうからね」
「なるほど……」
「それに、乞食っていっても、一日中通りで恵んでもらう奴もいれば、どこかで働いていて、時間が出来たら乞食するって奴もいる」
「え、働いている人もいるんですか?」
凡吉は思わず聞き返す。すると、乞星は大きく頷いた。
「おう。あ、詮索とかすんなよ? 人それぞれ、事情ってもんがあんだ」
「はい、分かりました」
「お、素直でいいねぇ。気に入ったよ。
そう言えばあんた、どこで乞食すんのさ?」
「一応……飄雲派の支部辺りでやろうかと……」
「はっ⁉」
その言葉を聞いて、乞星は大きく目を見開く。
「あんな治安の悪い場所でかい?……よかったら、ウチの隣でやってもいいんだよ?」
「ありがとうございます……でも、しばらくあの辺りでやってみます…」
凡吉がそう言うと、乞星は『そうかい』とだけ言って、拠点を後にした。
「お主はどうするんじゃ?」
乞星の後ろ姿を眺めていると、不意に老人が問いかけた。
「え?」
「このまま帰るのか、それともここに留まるのか」
凡吉はしばし考えた後、決意を固めて答えた。
「ここでお世話になります」
老人は満足そうに頷き、部屋の奥へと歩き出した。凡吉はその後を追いながら、この奇妙な出会いが自分の運命を大きく変える予感を感じていた。
いくつもの部屋が連なるような場所に入ると、老人はその内の一室に凡吉を案内した。
そこには質素ながらも清潔な空間が広がっていた。壁には簡素な棚が設置され、床には古びた毛布が敷かれている。窓からは夕暮れの柔らかな光が差し込み、穏やかな雰囲気を醸し出していた。
「ここがお主の部屋じゃ。使い方は自由じゃ」
老人はそう言って微笑む。凡吉は感謝の意を込めて拱手して頭を下げた。
「ありがとうございます。あの……」凡吉は少し躊躇しながら尋ねた。
「あなたのお名前は?」
老人はゆっくりと凡吉を見つめ、低い声で答えた。
「儂は乞丐。かつては乞食の王と呼ばれた男じゃ」
その言葉を聞いて、凡吉は思わず息を呑んだ。
目の前にいる浮浪者のような老人が、乞食の世界における伝説的な存在だったとは……いや、そもそも乞食に伝説的な存在とは?
だが……ただのハッタリと言えない何かが、乞丐と名乗る老人からは感じる。
「乞丐さん……」
凡吉は尊敬の念を込めて呼びかけた。乞丐は満足そうに微笑み、凡吉の肩を優しく叩いた。
「今日からお主も乞食の共同体――丐幇の一員じゃ。互いに助け合い、生き抜こうではないか」
その温かい言葉に、凡吉は初めて安堵感を覚えた。厳しい修行の日々を過ごしてきた彼にとって、こんなにも心地よい環境は初めてだった。
だが、今の彼にはまだ、やらなければならないことがある。そして……早ければ今日、遅くても数日後には、ここに自分の姿がないことも、彼は知っていた。
「ありがとうございます……早速で申し訳ないんですが、僕はまた、あの路地に行ってきます」
「ほぅ? あの場所が気に入ったか?」
「えぇ、まぁ……」
「ふむ、そうか。まぁ、とりあえず、お主の居場所はここじゃ。気が向いたら帰ってくるといい」
「ありがとうございます……」
そう言って、凡吉は丐幇の拠点を後にした。まだ何人か残っていた人達に挨拶をして、自分が元居た場所に戻って胡坐をかいて乞食の真似事をする。
飄雲派の支部を見ると、門番すら立っていない……龍神眼で内部を探るが、どうやらあの建物には今、二十数名ほどしかいないらしい。空を見ると、夕暮れ時だった。




