天上世界にて
――一方、天上世界では、小さな波紋が起きていた。
居室の机の上に置いてある鏡に映された凡吉の鏡を見ながら、姉の女神はため息をつく。
(また……いったいどういうことかしら?
どうしてあの子からこんな不穏な気配を感じるの?)
彼女は思考を巡らせていた。
しかし何もわからない。ただ一つ言えることは、今のままでは我が子に良くないことが起きるという直感がするということだ。
(ここ最近、あの子に起きている異変の原因が、分からない……)
心当たりはあった。それは――。
(あの女の子を守ろうとした時?)
女神は、山賊襲撃事件の事を思い出す。
あの日、華鈴を守るために前に出た時から、凡吉は意識を持った。
それ自体は喜ばしかったことだったが、それ以降の事についてはあまり考えないようにしていた。
我が子が幸せならば……そう思っている間も、凡吉を取り巻く環境は変わっていった。
女神は己の無力を恥じると同時に焦燥感に駆られていた。
何もできない。ただ見守ることしかできない。それが歯がゆく感じてしまう。
すると、背後に気配を感じた女神は振り向く。そこには、妹の女神がいた。
「ごきげんよう、姉上」
彼女はいつもと変わらない調子でそう言った。
「……何の用?」
「姉上はどう思いますか? 凡吉の事について……」
どうやら、妹も鏡で凡吉の様子を見ていたらしい。姉の女神は憮然としていたが、正直に答えることにした。
「……あの子の主人…華鈴と言ったかしら?
現世の帝国の者らしいけど……ずいぶんとあの子と親しそうね…」
「それだけが、凡吉の不穏な気配の原因ではないでしょう?」
「っ⁉」
痛いところを突かれた……姉の女神はしばし黙り込み、絞り出すように声を出す。それは悲しげなものだった。
「ええ……何かが、あの子の識界で起こってるのは確かよ……」
「……」
「ただ、それが何かは分からない……だから……」
言い淀む姉の女神を尻目に、妹の女神は口を開いた。
「私も分かりません」
「……」
「ですが……もし、あの子が現世で危ない目に遭えば、私は躊躇なくあの子を助けるつもりです」
「っ! あなたのせいで――」
「言いたいことは分かりますが」
妹は、姉の言葉を遮って続ける。
「私はもう……自分の子供を失うつもりはありませんので……」
「……」(今、その話をするのっ⁉)
確かに、あの事件は姉にとっても決して良い事とは思えなかった。
しかし、あの決断は自らが神ゆえに下した決断であることを、妹にも理解してほしかった。だが、妹はすでに自分の子供が危機的状況に陥っていると思っているようだ。
そして、その決断がどんな結末を迎えるかについては一切考えていないに違いない。それが余計に姉の不安を煽った。
「――そうですか」
それだけ言って、姉は妹に背を向け、黙ってしまった。
「……」
しばらく沈黙が続いた後、妹の女神がふいに口を開いた。
「……やはり、私達の子供は……可愛いですね」
「なっ⁉」
「私達の姿そっくり……」
「な……何を言っているの⁉ あなたは!」
「あんな子供みたいな恰好して、現世の人間に紛れているんですよ? 可愛すぎます」
確かに、今の凡吉の恰好は、まるで浮浪者か乞食のような見た目になっているが……そこまで言われる覚えはない。
「いい? そんな事言ってる場合じゃないのよ?」
姉の女神は妹の女神に対して苛立っていたが、それでも言わずにはいられなかった。
「私達がどう思われようと構わないでしょう? 問題はあの子の身に起きていることよ」
「ええ、そうですね。だからこそ言います。私は躊躇なく、あの子を助けます」
その言葉に、姉の女神はまたも押し黙った。
確かに妹の言う通りかもしれないと思い始めていたからだ。
「……はぁ」
大きなため息をついた後、姉の女神は言った。
「ところで……外の件だけれど」
「ええ」
「どうも、こちらの現世にも介入してきそうな様子なの。
なので一度、現世に行ってくるので、それまで留守をお願いします」
そう言うと、姉の女神は片手を振った。瞬時に光輝いて――消えた。
残された妹の女神は唖然としていた。
「……まさか……」
『外』は口実で、凡吉を助けるためでは……。
「……どうしようかしら……?」
妹の女神はしばらく考え込んでいたが、やがて口元に笑みを浮かべた。
「まぁ、いっか」
どうやら開き直ったようだ。結局、自分のやりたいことをやるだけだ。ならば今は、姉の動向を見守るのが最善策だと判断した。
「よろしいのですか? 行かせてしまって……なんでしたら、我々が――」
「いいわ。姉上が戻ってくるまで、私達はここで見守りましょう」
そう呟いた後、妹の女神は再び鏡の中の凡吉を見つめる。
「大丈夫よ、凡吉。もし何かあっても必ず私が守るから……」
そう呟きながら、妹の女神は微笑んでいた。




