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やり直し:エルフの王  作者: Ritch_Richie
第一章

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第8話 竜の舌の山(前編)

第8話 竜の舌の山(前編)


アデルを家の外へ追い出すと、ミリエルはすぐに台所へ戻った。


彼女はヴィレンの正面に腰を下ろす。


そして二人は、すぐに何かを話し始めた。


一方、玄関の前に立たされたアデルは、ひどく不満そうな顔をしていた。


(何だよ、この扱い。俺だけ外に出して、大人だけで秘密の話か?)


気になる。


ものすごく気になる。


(こうなったら、聞くしかないよな)


アデルはそっと足音を殺し、台所の窓の方へ回り込んだ。


窓の下まで近づき、耳を澄ませる。


だが――何も聞こえなかった。


声どころか、食器の音すらしない。


(……おかしいな。中では絶対に話してるはずなのに)


アデルが首をかしげていると、隣にいた悪夢の妖精が得意げに口を開いた。


「この家の周りに結界が張られてるよ」


彼女は小さな胸を張り、いかにも賢そうな顔をする。


「だから、外からじゃ何も聞こえないの。あのじいさんが張ったんだと思う」


アデルはじっと妖精を見た。


(なるほど。つまり、外から聞こえないなら……中に入ればいい)


少しして、アデルの口元に悪い笑みが浮かんだ。


その笑みを見た瞬間、妖精の体がびくりと震える。


「……な、何?」


彼女は嫌な予感がしたのだろう。


小さな羽が、かすかに震えていた。


アデルはにっこり笑う。


「そんなに怯えなくてもいいよ。簡単なお願いだから」


「簡単なお願い……?」


「うん。君が家の中に忍び込んで、二人の話を聞いてきてくれるだけでいい」


妖精のボタンのような目が、左右に忙しく揺れた。


「む、無理。絶対無理。あのじいさん、怖い。あなたの母親も怖い」


「大丈夫だよ。ヴィレンおじさんは優しいから、何もしないって」


アデルは笑顔のまま言った。


「たぶん」


「たぶんって言った!」


「いいから、行ってきて」


「嫌!」


「行って」


「嫌!」


「行って」


アデルの笑みが少しだけ深くなった。


妖精はすぐに黙った。


アデルは窓を指さす。


「ほら。中に入って、何を話しているのか聞いてきて。僕、すごく気になるんだ」


妖精は小さな体を震わせながら、しぶしぶ羽を動かした。


(この主、絶対に性格が悪い……)


彼女の顔には、そう書いてあるようだった。


だが、首輪のせいで逆らうことはできない。


妖精は小さな隙間を探し、アデルの部屋の窓から家の中へ忍び込んだ。


その頃、台所では、ミリエルとヴィレンの間で真剣な話し合いが続いていた。


「ミリエル。分かってくれ」


ヴィレンは静かに、しかし強い声で言った。


「これ以上、アデルの教育を先延ばしにはできない。待てば待つほど、あの子のためにならない」


彼の声には焦りがあった。


ヴィレンは自分の体から、少しずつ生命力が失われていくのを感じていた。


時間は、彼を待ってはくれない。


一方のミリエルは、俯いたまま手を握りしめていた。


彼女はアデルを手放したくなかった。


息子が成長していく姿を、そばで見ていたかった。


アデルが笑うところ。

怒るところ。

失敗して、立ち上がるところ。

少しずつ大人になっていく姿。


それらを全部、自分の目で見届けたかった。


「ヴィレンおじ様」


ミリエルは震える声で言った。


「あなたの言っていることは分かっています。アデルのために必要なことだというのも、分かっています」


彼女はゆっくりと顔を上げる。


「それでも……私はあの子のそばにいたいのです」


その目には涙が浮かんでいた。


「私の小さな男の子が、少しずつ一人前の男になっていく姿を見たい。まだ私の愛情も、世話も必要としてくれているこの時間を、失いたくないのです」


ヴィレンは何も言えなかった。


彼女の気持ちは分かる。


母親にとって、我が子を遠くへ送り出すことがどれほどつらいか。


しかもアデルは、ただの子ではない。


アルヴィンの忘れ形見であり、ミリエルにとって世界で最も大切な存在だった。


それでも、ヴィレンは引けなかった。


「ミリエル」


彼は静かに言う。


「私も、できることならお前の望みを叶えてやりたい。だが、アデルはただ家の中で守られていればいい子ではない」


ヴィレンは、まっすぐミリエルを見た。


「あの子の運命は重い。重すぎる。だからこそ、早く学ばなければならない。魔法を。知識を。戦いを。そして、世界そのものを」


ミリエルの指先が震えた。


「……そんなに、急がなければならないのですか?」


「ああ」


ヴィレンは短く答えた。


その声に、嘘はなかった。


その頃、妖精はアデルの部屋へ侵入していた。


彼女は自分の魔力をできるだけ抑え、小さな体をさらに低くする。


そして、そろそろと台所へ近づいた。


床の上を歩くたび、心臓が潰れそうになる。


(怖い。怖い。怖い。あのじいさんに見つかったら絶対に怒られる。あの母親に見つかっても絶対に殺される。どうして私がこんな目に……)


妖精は小さな足で台所の入口までたどり着いた。


そこには、赤い野菜――大根に似たものが入った袋が置かれている。


妖精はその影へ潜り込み、息を殺した。


そして、小さな耳をぴんと立てる。


「……分かりました」


しばらくして、ミリエルの声が聞こえた。


「ヴィレンおじ様。あなたの言う通りにします」


ヴィレンは深く息を吐いた。


「そうか……」


「ただし、約束してください」


ミリエルは顔を上げる。


「あの子を、必ず守ってください。どんなことがあっても」


ヴィレンは真剣な表情でうなずいた。


「約束しよう」


ミリエルはゆっくり立ち上がった。


「では、アデルを呼んできます。あの子にも、きちんと話さなければなりません」


そう言って、彼女は台所を出ていった。


ミリエルの足音が遠ざかる。


すると、ヴィレンは入口の方へ目を向けた。


「もう出てきていいぞ」


袋の影で、妖精の体が跳ねた。


「……!」


「ミリエルはもう行った」


ヴィレンは呆れたようにため息をつく。


「まったく。アデルに頼まれたのだろう?」


妖精は恐る恐る袋の影から顔を出した。


小さな体は、まだ震えている。


ヴィレンはそんな彼女を見て、少しだけ表情を和らげた。


「怖がるな。私はお前に危害を加えるつもりはない」


その言葉を聞き、妖精はようやく少しだけ安心した。


だが、次の言葉で再び凍りつく。


「ただし、それはお前がアデルの従者でいる限りの話だ」


ヴィレンは髭を撫でながら、穏やかに続けた。


「お前が少しでもあの子に害をなそうとすれば、私より先にミリエルが動くだろう。あの子の母親は恐ろしいぞ。おそらく、お前の小さな首など一瞬で――」


彼はそこで楽しそうに笑った。


「ぽきり、だ」


妖精は真っ青になった。


(な、何なのこの家族……! 一人は危険、もう一人はもっと危険! どうして私はあの村を通りかかってしまったの? どうしてあの家に入ってしまったの? 神様、私が何をしたっていうの……)


あまりの恐怖に、妖精はその場で気を失った。


ヴィレンはそれを見て、困ったように笑う。


「やれやれ」


彼は妖精を拾い上げ、自分の懐へそっと入れた。


それから一分もしないうちに、ミリエルとアデルが台所へ戻ってきた。


ミリエルは席に座ると、アデルへ椅子を示した。


それは、ヴィレンのすぐ隣の席だった。


アデルはゆっくり歩き、そこへ腰を下ろした。


(さて……何の話だ?)


彼は表面上は何も知らない顔をしている。


だが内心では、妖精がちゃんと役目を果たせたのか気になっていた。


ミリエルは深く息を吸った。


「アデル。あなたに、大切な話があります」


その声は優しかった。


だが、どこか震えていた。


「今日から、あなたはヴィレンおじ様の弟子になります」


アデルは驚いた顔を作った。


(まあ、さっきの雰囲気でだいたい分かってたけど)


それでも、母を心配させないために、きちんと驚いてみせる。


「僕が……おじいちゃんの弟子に?」


ヴィレンの顔は、隠しきれない喜びで輝いていた。


(ついにだ……! ついに私にも、長い知識を託せる弟子ができる! しかもアルヴィンの息子だ! この子はきっと、私より長く生き、私の知識を未来へ残してくれる!)


そんな思いが、顔に出すぎていた。


アデルは少しだけ引いた。


(このじいさん、嬉しそうすぎるだろ)


ミリエルはアデルのそばへ歩み寄り、彼を抱きしめた。


「アデル。あなたは今日、ヴィレンおじ様と一緒にこの家を出ます。そして、おじ様の住処で学ぶの」


彼女の腕が、わずかに震えていた。


「私の大切な子。あなたは私にとって、世界で一番大事な存在よ」


ミリエルは声を震わせながら続ける。


「だから、約束して。ヴィレンおじ様の言うことをちゃんと聞いて、いい子でいるって」


アデルは母の震えを感じた。


そして、彼女の頬を一筋の涙が伝うのを見た。


胸が痛くなる。


彼は小さく、しかしはっきりと言った。


「心配しないで、母さん」


ミリエルが彼を見る。


「約束するよ。ちゃんといい子にする。おじいちゃんにも迷惑をかけない」


その言葉を聞いたミリエルは、ゆっくりとアデルを離した。


そして涙を拭いながら微笑む。


「そう……それなら、よかった」


彼女は少しだけ無理をして笑った。


「さあ、行きましょう。二人を見送らせて」


ヴィレンも席を立ち、ミリエルをそっと抱きしめた。


それは、長い別れを知っている者同士の抱擁だった。


三人は玄関へ向かった。


そして、家の外へ出た。


アデルは振り返った。


小さな家。


六十年を過ごした家。


ミリエルの匂いがして、温かくて、彼にとってこの世界で最初の居場所だった家。


その家の前に、ミリエルが立っていた。


彼女は息子が少しずつ遠ざかっていくのを見つめていた。


もう涙を隠せなかった。


頬を、静かに雫が伝っていく。


アデルは歩きながら、何度も振り返った。


(大丈夫。すぐに戻ってくる)


そう思おうとした。


(手紙も書く。ちゃんと元気だって伝える。母さんを心配させない)


だが、胸の奥の不安は消えない。


ミリエルは、小さく唇を動かした。


「早く……帰ってきてね」


その声は、とても小さかった。


だが、アデルには確かに聞こえた気がした。


ミリエルは涙を拭いながら家へ戻る。


そして、ゆっくりと扉を閉めた。


その音が、アデルの胸に深く残った。


このときのアデルは、まだ知らなかった。


これが、この人生で母を見る最後の瞬間になるということを。


第八話 終

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