【第7章-4】伸ばされた魔の手
馬車が停まった先にあったのは、荘厳な佇まいの屋敷だった。
(貴族って、こんな立派な家に住んでるんだ・・・)
見上げるほど大きな門構えに、リリィはふと、マリアンヌと過ごした山奥の小さな家を思い出す。あの慎ましい暮らしとは、あまりにも違う世界。
執事に案内されるまま、リリィはある一室へと通された。
そこに立っていたのは――細身で長身、しかし全身から隠しきれない威厳を放つ、一人の男だった。
「ようやく、我が手に来たか。リリィ・クローデル」
「――え?」
その言葉の意味が、リリィには分からなかった。
(ここ・・・オリビエの家じゃ、ないの・・・?)
混乱するリリィに、男は静かに口を開いた。
「儂はグレン・ナイトレイ」
「――!」
「貴様を亡き者にしても良かったのだが・・・その力、我ら保守派に利用させてもらう」
冷たく、低い声。全身に、ぞくりと悪寒が走る。
(ナイトレイ・・・じゃあ・・・この人が・・・)
――私を、ずっと狙っていた張本人。
リリィは、ようやく自分の置かれた状況を理解した。攫われた。それも、公爵自身の手によって。
咄嗟に、リリィは壁に向けて風魔法を放とうとする。だが――
「――!?」
構築したはずの術式が、まるで霧のように、跡形もなく霧散していく。
「無駄だ」
驚愕するリリィに、グレンは不気味な笑みを浮かべた。
「貴様に逃げられぬよう、魔法阻害の魔導具を仕掛けておる」
「そんな・・・」
「貴様に、逃げ場はない」
グレンはゆっくりとベルを鳴らし、使用人を呼び寄せた。
「こ奴を地下に連れて行け。その後――逆らえぬようにする」
冷たい命令に、使用人は短く一礼すると、あっという間にリリィを床へ押し倒し、馬乗りになった。
「いや・・・やめて!?」
恐怖に顔を歪めるリリィに構わず、使用人はハンカチに薬液を染み込ませ、その口元へと押し当てる。
「あ・・・うぅ・・・」
抗う間もなく、その甘く重い香りをまともに吸い込んでしまう。視界がぐにゃりと歪み、リリィの意識は、あっという間に闇の中へと沈んでいった。
――
その頃、オリビエは劇場の近くまで駆けつけていた。
「リリィ・・・!」
息を切らしながら、周囲を必死に見渡す。約束の場所に、いるはずがないと分かっていても、探さずにはいられなかった。
「何処にいるんだ・・・リリィ・・・」
途方に暮れかけたその時。
「あら?オリビエ様じゃありませんの?」
背後から声がかかる。振り返ると、そこにはキャロラインの姿があった。
「レイクロード嬢。リリィを見なかったかい?」
必死に平静を装いながら尋ねると、キャロラインの表情が、すっと真剣なものに変わった。
「オリビエ様、落ち着いて聞いてください」
「――」
「リリィは、何者かの馬車に乗って、何処かへ向かいましたわ」
キャロラインは、偶然近くのカフェのテラスで紅茶を楽しんでいた際に、その光景を目撃していたのだという。
「最初は、貴方の馬車かと思いましたの。でも――家紋が、違っておりました」
「違っていた・・・?まさか・・・!」
その瞬間、オリビエの背筋が凍りついた。
想いばかりに気を取られ、リリィが未だブラックモア公爵に狙われる身であるという事実を、頭の片隅に追いやってしまっていた。しかも、リリィはブラックモア公爵の家紋を知らない。
(我ながら・・・なんて、不甲斐ない)
激しい後悔に襲われるオリビエに、キャロラインは続けた。
「あれは、間違いなく――ブラックモア公爵の馬車でしたわ」
「――!!」
その一言で、確信に変わった。リリィは、攫われた。
「レイクロード嬢、ありがとう」
オリビエは、間髪入れずに駆け出していた。目指す先は、ブラックモア公爵邸。
「頑張ってください、オリビエ様」
その背中に向かって、キャロラインは静かに、しかし力強くエールを送った。
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