【第4章-4】悪を断つ吐息
マリアンヌはゆっくりと膝をつき、力なく座り込んだままのリリィをそっと抱き上げた。
「し、師匠・・・わたし、わたし・・・」
震える声で、リリィは師の胸に縋りつく。炎を前に何もできなかった自分。友達をあれほど心配させ、悲しませてしまった自分。悔しさと不甲斐なさが綯い交ぜになり、リリィの目から涙が止め処なく溢れ出す。
「大丈夫よ」
マリアンヌは、いつになく優しい声で、リリィの背中をゆっくりと撫でた。
「貴女は、いつか必ず克服できるわ。だから――今は、休みなさい」
その温もりに包まれた瞬間、張り詰めていた緊張の糸が、ふつりと切れる。満身創痍だったリリィの体は、安堵と共に、そのまま静かに意識を手放した。
「さて」
眠りに落ちたリリィをそっと抱いたまま、マリアンヌは体を起こし、凍りついたように立ち尽くすメルジオの姿をした男を見据えた。
「正体を現わしたらどうだ?」
低く、静かな声。
「――ハッ」
男の口から、乾いた笑い声が漏れた。
「なんだ、気づくの早いな」
そう言うと、男は纏っていた変身魔法をあっさりと解いてみせる。次の瞬間、少年らしい面影は消え失せ、代わりに現れたのは、黒髪に鋭い眼光を持つ、裏社会では名の知れた殺し屋として名を馳せている男ダクス・エジリエだった。
「まあ、ここまでバレたんなら、仕方ない」
男は口の端を歪め、右手に炎の刃を再構築する。狙いは、目の前の女――マリアンヌ、ただ一人。
躊躇なく振り下ろされたその一撃を、マリアンヌはただ、静かに見つめていた。
「――ふっ」
小さく、息を吹きかける。
たったそれだけの動作で、燃え盛っていたはずの炎の刃は、跡形もなく消滅した。同時に、男の体を凍てつくような冷気が包み込み、瞬く間に氷像のごとく凍り付いていく。
「――は?」
何が起きたのか理解する間もなく、男はそのまま完全に動きを止めた。
あまりに一瞬の出来事に、その場にいた誰もが、今何を目撃したのか理解が追いつかない。だが、ただ一つだけ、誰の目にも明らかなことがあった。
――この女は、あの実力者を、瞬きする間もなく制圧してみせたのだ。
「やれやれ、この程度か」
つまらなそうに一言呟くと、マリアンヌはガルシアに向き直った。
「リリィを医務室へ連れて行くわ。この男は、拘束しておきなさい」
有無を言わせぬ口調。ガルシアはただ深く頷くことしかできなかった。
そのまま、マリアンヌはリリィを抱えたまま、静かにその場を後にした。
――
医務室には、ほどなくしてロナ、ミリアム、ティオ、そしてオリビエが駆けつけていた。
ベッドの上で目を覚ましたリリィは、いつもの明るさをすっかり失っていた。
「ごめんなさい・・・私・・・負けちゃった・・・」
俯いたまま、ぽろぽろと涙をこぼすリリィに、真っ先に駆け寄ったのはロナだった。そっと抱きしめ、優しく背中を撫でる。
「大丈夫よ、リリィ」
「大将戦は無効になって、今年は引き分けって事になったから」
その優しい言葉に、堪えていたはずの涙が、リリィの目から余計に溢れ出した。
「そうよ、リリィ」
傍らに立っていたマリアンヌが、静かに口を開く。
「あれは、相手の大将に成り代わって、貴女を襲ったのよ」
その言葉を聞いた瞬間、リリィの中で、ずっと胸の奥に押し込めてきた疑問が、堰を切ったように溢れ出した。
「師匠・・・私、なんで狙われてるの? 私はあの時、何をしたの・・・?師匠は、知ってるの?」
なぜ自分が狙われるのか。あの日、本当は何が起きたのか。ずっと曖昧なまま、目を背けてきた過去。
その問いに、マリアンヌは一瞬、沈黙した。
「ええ」
やがて、静かに口を開く。
「だけど――貴女には、辛い話になるわ。それでも、良いの?」
問いかける声には、リリィをこれ以上傷つけたくないという、隠しきれない気遣いが滲んでいた。
リリィは、涙を拭い、まっすぐにマリアンヌを見つめ――こくりと頷いた。その強い意志を宿した瞳を見て、マリアンヌは小さく息を吐いた。
「・・・いつかは、話さないといけないとは思っていたのだけど・・・それが、今なのね・・・」
ぽつりと呟く。
覚悟を決めるように、マリアンヌは静かに目を伏せた。そして、ゆっくりと、10年前のあの日について――語り始めた。
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