願い風
登場人物
黒瀬結衣:女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 魔法使い(術者)だが現在はその魔法のリハビリ中 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ
白谷駿:男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は存在自体がレアな男子の魔法使い 成績は下あたりから最近は普通くらいに 3月25日生まれ
灰屋美紀:女子高生(2年生) 黒瀬と同じクラスで友人 豊橋から福井へ来たために三河弁が抜けない
紺野和博:男子高生(2年生) 白谷と同じクラスで友人 友人たちの中では比較的良心的な行動をとるフツーの人 彼女である灰屋の影響で最近言葉に三河弁が混じり始めている
青野雅美:女子高生(2年生) 黒瀬と同じクラスで友人 陸上部所属で普段から元気が有り余ってるような行動や言動が多い
深緋英明:男子高生(2年生) 白谷と同じクラスで友人 良くも悪くも思春期真っ盛り(どちらかというとエロが優勢)の行動や言動が目立つ
紫野絵里子:女子高生(2年生) 黒瀬と同じクラスで友人 お嬢さまじゃないけどお嬢さまっぽいしゃべり方をする
黄谷浩市:男子高生(2年生) 白谷と同じクラスで友人 オタクっぽい感じだが、見た目はそうに見えない
──2月が終わり3月が始まった最初の日は、まだまだ冬は続くと言わんばかりに雪が降り積もり、春はまだ遠いかのように思われた。しかし、やがて雪が降らなくなった……と思いきや、季節が急速に切り替わったかのように気温が上昇し、それにつられて積もっていた雪が目に見えて少なくなってゆく。隠れていた地面が所々顔を出し、白黒の世界に次第に色が加えられ、賑やかに、そして派手になってゆくのが誰の目にも明らかだった。人々の表情も、ぐっと近づいてきた春を待ち望んでいるかのように、ようやく雪かきなどの苦役から解放されたことを喜ぶかのように、明るく朗らかになってゆく。
高校の卒業式は早い。3月の上旬にはあちこちの高校が式を行うが、秋翠もこの例に漏れず、まだ2月の空気が残る冷気が体育館の中を占めている時期に粛々と行われた。下級生の女子が想いを寄せる卒業生男子に第2ボタンをねだる光景や、県外の大学に進学して離れ離れになってしまうのを悲しむ在校生女子たちの光景が、3年生の教室のあちこちで繰り広げられている。
そんな光景を廊下の向こうで眺めつつ、2年7組のクラスメイト達は来週辺りに行われる期末テストに向けてピリピリし始めたが、式が終わった後は放課後。しばしテストの事を忘れてリラックスする友人たちがこれからどうする? という会話を教室の方々で繰り広げていた。
「結衣、時間空いてる?」
放課後になって、さて帰ろうかと教科書類をカバンに詰め込んでいる黒瀬結衣の所へ友人の青野雅美が背後から訊いてきた。ほぼ反射的に振り向いた結衣は大丈夫と答えを返す。それを聞いた青野はにやりと何かしら企んでいるような笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「ほら、駅前の松木屋の近く、先月終わりくらいにマクドナルド出来たでしょ?あそこ行こうかってみんなで」
「マクドナルド? そういえばテレビで宣伝してたなぁ……」
「今まで福井じゃ店無いくせにCMだけ流してたでしょ?あれ見るたびに無茶苦茶腹立ってたんだけど、とうとう出店してきたからどんなんかって思ってさ」
「いいよ。っていつものメンバー?」
「それに彼氏付きで」
「だそーだけど駿、行く?」
多分背中で聞いていただろう白谷駿に、結衣は言葉を飛ばした。前の席で帰る準備をしていた最中の駿はその手を止め、後ろを振り向く。
「あー……いいよ。まだ小遣い残ってるし」
それを聞いた結衣は再び青野がいる方へと向き直る。
「……という事で駿も行く」
「じゃあ8人ね」
青野はそう言って教室の後ろで固まっている友人たちへと駆け出してゆく。結衣はしばらくその姿を見た後、片付けを済まそうとして前を向いた時には、駿は既に片付けを終え、紺色のコートを学生服の上に着こんでいた。
「そういやマクドナルドって前にミスド行った時には開店前だったなぁ」
駿がその場で立ちながら話を振って来た。
「そうだよね……福井にもそんな都会っぽい店出来るんだ、って思ってたけど」
「でもドーナツと比べるとちょっと割高だよなぁ。そこが高校生にはちと厳しい」
「あれもう食事と同じ。ハチバンで食べるのと大して変わんないよ」
「ハチバンはほら、ジャンボラーメンがあるだけまだ懐に優しいと思うぞ」
「大盛りバター入りにしてもまだ500円でお釣り来るからね」
駿との会話を続けながら結衣はてきぱきとカバンに必要なものを放り込み、次いで女子用冬制服の上に駿と似たような紺色のコートを羽織って彼女も帰る準備は整った。
そして、幼馴染の方を見る。うん、今日も大丈夫そう──結衣は駿に聞こえない内なる声で呟いた。
「……結衣?」
いつの間に結衣の方を見つめていた駿が、何か訝し気に視線を刺してきた。
「……ううん。別に」
結衣が答えを返す。何でそんな事訊くのかと彼女は思ったが、口元が緩んでいることに、その時気付いた。内なる声に連動して笑みを作ってしまったらしい。
「結衣、いくよー!」
青野が早く来てと声を上げた。既に教室の出口辺りで男女6人が集まって、結衣と駿が合流するのを今かと待ち構えている。
「はーい!」
返事と同時にカバンなど必要な荷物を手に持った結衣は、背後の駿の方を向いた。彼の方も既にカバンなどを持って彼女について行こうとしている。
「それじゃ行きますか」
「ああ」
二人は同時に、友人たちの方へと歩き出した。
先月終わりほどに開店したマクドナルドは福井では初めての店である。それまでは地元資本やネームバリューでイマイチなハンバーガー屋はあったが、これでようやく名前が知れ渡った全国チェーンが進出してきたことになる。
開店して2週間ほど経過してるとはいえ、土日になれば営業時間中は人が引く気配がほぼなく混みあっている。しかしウイークデイの昼過ぎはさすがに人影がまばらな時間が増えて来ていた。
そんな時間帯に8人の秋翠高生が2階のテーブル席の一つを占拠して賑わっている。本来なら高校生が立ち寄れない時間帯なのだが、卒業式の後は放課後という今日だけの日程がそれを可能にしていた。
男子の黒の詰襟学生服と、女子の紺のブレザーの冬服が交互に並び、時には隣だけで、時には8人巻き込んでの会話と食事を楽しみ、他のテーブルの会話などに負けじと盛り上がっていた。
「あたし、マクドナルドって入ったことなかったんだよね。だから今来れてうれしい」
青野が両手で包装を半分開いたチーズバーガーを持ってそれを凝視しながら呟く。それを聞いて、今時入ったことない人いるんだとばかり少々驚いた表情を見せる、隣に座る彼氏の深緋英明。
「え、そう……? オレ、家族の旅行で東京行った時に入った。東京はすごいよなぁ、こんな店が当たり前にあちこちにあるんだし」
「うん、東京旅行の時にいくつか見かけたんだけど、中学の頃かなぁ……親が頑として行かせてくれなかった記憶がある」
彼氏の楽しかった思い出話を聞いて青野は、いいなぁヒデくんは、と羨望が混じった視線を隣に向ける。思い出した怒りをぶつけるように彼女は手に持ったチーズバーガーにかぶりついた。
ちょっとぷんすかした彼女カワイイ……と、いとおしそうな面持ちで眺めている深緋。その彼を、テーブルを挟んで反対側に位置する黄谷浩市がうらやましそうな視線を向けて来た。正確には深緋本人ではなく、手元に置いてある……
「深緋、ビッグマックってまた奮発したな」
「おかげで小遣いが怪しくなってきた……」
ちょっと贅沢した代わりに懐はヤバいけどな、と苦笑いを浮かべる深緋。
「浩市さんも買えばよかったのでは?」
「そう思ったんだけどね……ちょっと今月他に買う本とか色々あるからお金をセーブしておかないと……」
フィレオフィッシュをおいしそうに食べている紫野絵里子が齧った分を呑み込んだ後、彼氏の黄谷に言う。彼女から言われた黄谷は残念そうな表情を浮かべつつ、齧りかけのハンバーガーを持ったまま視線を天井に向け、まるでそこに今月買わなければならない漫画や雑誌などのリストを並べてるかのように凝視していた。
そんな黄谷にテーブルの斜め向こうから声が飛んできた。
「黄谷ってさ、買った本どうしとる?」
本といえば保管場所……とばかりに紺野和博が、半分になったダブルバーガーを手元に置いて、きっちり飲み込んでから身を乗り出すように訊いてきた。訊かれた方は部屋の状況を頭の中で再現しつつ、
「うーん……よく読む本とかは手の届く範囲に本棚あるけど、読み終わったりまだ読んでない本は丁度三畳間とかあるからそこに突っ込んでる」
「似たような感じ……ウチは親父が本好きだから家建てるときに書庫みたいな部屋建てて俺の本もそこに入れとるけど、でももう本専用の物置みたいにとっ散らかっとるじゃんね」
「それでも羨ましいぞ書庫。親とか、家の建て替えの話してくれんかなぁ」
書庫……それは本好きにとっては必要不可欠な装備でもあり、しかし自分が家を建てる立場じゃない故に望んでも叶えられないことが多い聖域。同じ物置状態でも書庫が無い黄谷にとっては紺野の環境がうらやましいと感じていた。
その紺野の隣から、羨望の視線を二人に突き刺している人がいた。
「わたしの家、借家だもんでそんな場所ない……」
書庫とか空いてる三畳間とか、自分用の物置が欲しいと思ってるが親が転勤族でそれが出来ない借家にしか住めないため、間取りの不満をサラッっと灰屋美紀は呟く。ちょっとしたもやっとする怒りを食いつぶすように彼女はエッグマフィンにかぶりついた。
「そういや美紀ちゃん、大学って考えてる?」
灰屋と同じエッグマフィンをいつものように細かく齧りながら対面の結衣が訊くと、彼女はうーん、と暫く考えた後、
「まだ決まってないに……そもそも親がいつ何処へ転勤になるかまだ分からん状態じゃんね、だもんで全然」
そしてテーブルを斜めに横切って黄谷と本の話で盛り上がっている彼氏の紺野を横目で眺める。本の置き場に不満顔を見せていた灰屋の表情が、少し緩んだように結衣からは見えた。
「……それにカズくんがまだ何処の大学行くか決めて無いら?わたしの行ける範囲内だったらそこにするかも知れんじゃん」
早く目標の大学決めてほしい、と本音が漂う苦笑いな表情を浮かべて灰屋は再びマフィンにかぶりついた。
「大学ねぇ……そういや白谷、おまえどーすん?」
「うーん……」紺野との話が一旦終了した黄谷からそう言われた駿は、何気なく隣にいる結衣の方を向きつつ「一応だけど、福大教育学部を目指して、って思って」
「「……は?白谷お前が??」」
駿のさりげない言葉に黄谷と深緋が驚きの余り見事にハモる。逆に言われた方は何でそんなに驚かれなきゃいかんのか、と首を傾げたくなる衝動にかられた。
「……何だよ、その反応は」
「おかしいも何もってお前、福大って国公立だぞ。そこまで成績よくないだろ?」
「まあ、まだC判定だが」
深緋のツッコミに駿はなんでそう言う事を言われなきゃならんのか、理解できない表情が続いていた。
「まだC判定……って白谷、お前本気で目指してるのか?」
「地元だからなぁ……国公立だから県外の私立行くよりは親に金の心配させないでいられるし」
黄谷の再度の問いにダブルチーズバーガーを両手で保持しつつ駿はそう返答した。返答した分のエネルギーを補充するようにぱくり、とやや大口を開けてかぶりつく。
「じゃあ黒瀬さんも福大?」
白谷が福大目指すなら……と推測した紺野が結衣に問いかける。答えはすぐに戻って来た。
「まあそうなると思う。県外は一応考えてはいるけど第一志望は福大教育学部で将来は先生、って感じ」
「黒瀬さんなら福大は余裕で受かるわなぁ」
黄谷がそりゃあそうなるやろ、と言わんばかりに呟くのが聞こえる。その後、駿は今度は疑惑の成分が混じった視線をその方向から感じた。
「でも、白谷が先生……って想像できねぇ」
「悪かったな」
「何の先生になりたいんだ? 少なくとも国語、って感じはしねえな……」
「理科を考えてるけどね……選択は化学だから」
「え? じゃあもし先生になったら白衣着て授業するんだ……って何か似合わなさそう」
「別に白衣着なくても授業できるだろ。つか、それ着てるのって実験する時くらいじゃねーか?」
「いや白谷よ、理科の先生っつーたら白衣着て授業しないといかんだろ?」
「何だよそれは……!」
「白谷、黄谷の言う事は間違ってはいない。理科の、それも化学の先生は白衣を着けなければ駄目だ」
「深緋お前まで変な事言いだすなよ話がややこしくなるだろ」
「ある意味真理じゃん。そう思うら?」
「だから紺野も変な事言いだすなよ……」
何でそう俺に白衣着させたがるんだよ、と文句の一つも言いそうに駿は口をとがらせ、呆れ果てる。それに化学の先生というのは選択肢の一つでまだこれと決めたわけじゃねぇ──そんな彼の思いを置いてきぼりにするかのように、今度は女子の方で話の火の手が燃え上がっていた。
「……意外と似合うんじゃないですかね?白衣着てる所とかは」
「絵里ちゃん絵里ちゃん、白谷ってそこそこ上背あるから体育の方が向いてと思うんだけど?」
「アオちゃん、白谷くんってやっぱり化学向きだと思うじゃんね? 実験とかで失敗してあちこちスス付けて髪がアフロになってるみたいな」
「あ、それだ!」「それですね!」
「毎度毎度爆発させとるもんで、"爆発の白谷先生"とか呼ばれてたり」
「あり得る~!」「それ、いいですわね」
灰屋の"妄想"が青野と紫野の変なスイッチを入れたらしい。特に店内に響くような笑いと机を思わずはたく音を響かせ、更に駿を指さしての青野のけたたましい笑いは暫らく止まりようが無いようだった。
「ちょっと待てお前ら、何で俺が毎度毎度実験失敗して爆発させにゃならんのだよ!」
紫野も紫野だが、変なスイッチ入れた灰屋と笑いが止まらない青野に関してはお前ら何言ってるんだと言いたげに駿は、周囲のお客が視線を集中させるほどの声が思わず出てしまった。
「だって白衣付けた白谷はカッコはいいかもしれんけど何処か抜けてる感じでしょ?」
「そこまで言う? 俺そんなに抜けてねーぞ!!」
「いや、結構抜けてる所あるよ。本人からだと意外と判ってないかもしれないけどさ」
その自信は何処から来るのかと言わんばかりに、彼女の言葉には力があった。言い返してやるとばかりに駿が口を開いたその刹那──。
その機先を、青野は思いもしない感情を乗せて言葉を被せてきた。
「──抜けてるの、思うほど悪くないと思うけどなぁ。逆にそれで生徒が親しみやすくて寄ってきそうな感じがする」
「な……っ!」
──言葉たちが、突然、頭のどこかにかくれんぼしてしまったような感じが、駿の中に満ちて行く。
去年の夏からの、ちょっとした冷戦状態は何だったんだ……青野からの、思いもしない言葉のまちぶせを受けた駿は少々混乱していた。しかし青野の事だ。次の瞬間、バーカ、冗談に決まってんだろ……とコケにされるかもしれない疑念は拭えなかった。
しかしその疑念は、青野の表情を見た時に、たちどころに氷解してゆくように駿は感じた。
青野の表情には、柔らかい笑みが浮かんでいた。それは、さりげなく夢を後押しするような、自然さがあった。
とにかくなんか返答しないと──そう思った駿は、青野に言葉を返そうとした。しかしそれは、氷解したはずの疑念をひきずるような問いしか出てこなかった。
「……まさか青野からそんな言葉が出るとは……」
「なに、そんなにあたしがそう言う事言うのヘン?」
「だって今までが今までだし……」
「なぁに言ってんのよ! あたしだって言う時は言うよ~でないとただの嫌な女じゃないの」
さっきまでの自然な笑みはどこへやら。どうだ、と言わんばかりに自信に満ちた笑みを青野は駿へと見せつけた。
今度こそ言い返すタイミングも言葉も失い、呆然とただ時間が過ぎてゆくのを見ているだけのような表情を浮かべるのが駿としては今できることの精一杯だった。
「駿の負けだね」
「……うるせー……」
茶々を入れるように結衣が声をかける。駿は苦し紛れにそう言い返すしかできなかった。
これで駿としては、福井大学教育学部へ入って将来は化学の先生になるというルートで固定されてしまった感があった。行く先を他人に勝手に決められて──そう毒づきたくなる駿だったが、それまで明確に自分がどうなるかを決めてなかったせいもあって、半ば自業自得としか言いようがなかった。
もちろん……この先、何処まで生きられるかもわからない。そんな状況を背負っていることもあるが。
嫌な事をぶり返してしまった駿は、まとわりつく虫を追い払うかのようにかぶりを振った。そして隣で友人たちと話の花を咲かせている幼馴染の横顔を見つめる。
支えてあげる……そう言った結衣の言葉を信じて、出来る限りやるしかない。少し前の、何もかも望みを絶たれ、ただ呼吸をするだけの存在になるのはやめよう──駿は、そう考えを上書きした。
「……そう言えば、3年生になったら今よりももっとクラス分け細分化されますよね。わたくしは国公立文系で志望出しましたけど、みんなはどうでしょうか?」
会話で盛り上がっているテーブルに、紫野が違う風を割り込ませた。その風は、駿の閉じこもってた意識を解き放ち、まるで音量ツマミを急激に上げられたように周囲の音を戻らせた。
風に当てられた仲間たちは、それぞれどういう進路を目指すのか──今はまだ一緒に居られるが、来月からは3年生。クラス分けで今と同じクラスメイトになれるかどうかまではここにいるグループのみんなは判らなかった。
皆が口々に第一志望のコースを表明した。判った事は、明確に私立文系コースへ志望を出した人はおらず、全員が国公立文系志望で届けを出したことだった。
国公立文系志望のクラスは毎年3クラスほど編成される。なので、仮にみんな同じコースになるとしても違うクラスにされる可能性もあった。
「……という事は、もう半月しか一緒に居れないんだよなぁ……」
黄谷の一言に、グループのみんなの表情に寂しさが浮かび上がる。
中学から高校へと進学する時ほど友達や仲間がバラバラになるわけではないし、同じ高校の中のクラス分けだから休み時間や放課後になればいつでも顔を合わせる事が出来る。しかし、クラスメイトとしての一体感が失われることへの喪失感はそれぞれの程度にもよるが、胸に来るものがあるのは間違いなかった。
「……3年になってクラス違っても、放課後とかでまた集まって勉強したり遊んだりしよっさ。あたしたちいつまでも友達だから」
青野の、感情が限界を超えたような声に、みんなは次々と頷いて行った。駿も頷いていたが、その表情の何処かには陰りがあった──多分俺がこの中で一番最初にいなくなるんだろうな、と。
駿は気づかなかったが、結衣はちらりと幼馴染の方を、感情を読み取るように見ていた。
「ねえ、駿」
「……どうした?」
「マクドナルドでアオちゃんがいつまでも友達、って言ってる時、先に居なくなるのは自分だ、って思ってたでしょ」
結衣はあの時の幼馴染の顔を思い浮かべながら訊いた。
ファンヒーターが順調に動いている部屋の中、相変わらず見栄えを何処かへと放擲したような赤いジャージの上下にあちこち布を縫い付けてワケが判らない色彩になっているドテラを羽織った結衣と、Gパンを履き灰色の長袖パーカーを着て、牛がモチーフの在阪球団のカラーリングのウインドブレーカーを羽織った駿の二人は、駅前から帰ると結衣の部屋で一緒に勉強をしていた。
訊かれた駿は時間が止まったかのように一旦動きが固まり、何か考え込む様に視線が一点から動かなくなった。
バレてたか……そう彼の表情に書いてあるかのようだった。照れ隠ししたかったのか、駿の口元が緩んでゆく。
「勘が鈍い結衣にそう感づかれたってことは相当顔に出てたんだな、俺」
「勘が鈍くて悪ろうございましたね~」
眉間にしわを寄せつつ口をとがらせる結衣。しかしその表情はすぐに変わっていった。
見ているだけしか出来なくて、手の打ちようがない自分自身の無力さをかみしめるように。
「あの時程は酷くはなってないけど、でも時折、ぶり返して来るのを止められないんだ。何とか意識を散らしてはいるけど……」
マイナスの感情を押し殺すように、駿はその言葉通り何とか持ちこたえている。
テーブルをはさんでその表情を見つめる結衣は、ともすれば自分もその方向に引っ張られるような、同調してしまうような危うさを何とか振り払い、彼女は幼馴染に言葉をかける。
「今は……それだけで充分だと思う。無理だったら、少しの間逃げればいい」
「ああ、じゃあ……結衣の前ではそうする」
駿は笑みを見せる。しかしどこかはかなげで、見かけの下では抑え込んでいる自棄という地下水が流れているようだった。
再び勉強に集中しようと駿は目をノートへと落とし、問題を解き始めている。
結衣はその幼馴染をしばらく見つめ、思い出したかのようにノートの問題に取り組み始めた。
……10分ほど時間が経ち、結衣は幾つかの問題を解いてふと顔を駿の方へと向けた。何気なしに視界に入った彼のノートは、さっきからほとんど進んでいなかった。
「駿?」
結衣に言われて駿が反応するまでタイムラグが出た。まるで稲光がまたたいて激しい雷鳴が鳴り響くまで時間がかかるかのように、数秒遅れて目の前の幼馴染がようやく反応する。
「……どうしたの?」
「あ……いや」
「……手に着かない?」
駿からの声はなかった。その代わり、本当は認めたくないと言いたげにぎこちなく彼は首肯した。
「駿」結衣はそう言ってその場から立ち上がる「休もう」
そのまま自分のベッドに腰かけ、隣へ来いとばかりに結衣は左手で布団を何度も叩いて促した。催眠術にかかったように駿はふらりと立ち上がると、何処か疲れてるかのような動きで指定した場所へと腰を下ろした。
「何? 何かするの?」
「何もしない。こうやってボーッとしてるのもいいかな、って思っただけ」
上半身を背中の後ろへと伸ばした腕で支えつつ、結衣は見慣れた天井を見上げて駿に答えを返す。ふうん、と声にならない音を発した駿は、上半身を重力に任せたようにそのまま布団へと倒れ込んだ。
結衣も、そっちの方が楽かなと思い、布団に寝転ぶように仰向けになった。
「駿、3年生になっても同じクラスだといいね」
結衣はわざと話を逸らすように幼馴染の言葉を投げかけた。駿は一瞬彼女を見たあと、言葉を探すためか視線を天井に戻す。
「そうだな……でもそうなると3年間も同じクラスになるけどそんな事ってあるのかなぁ……?」
「あるんじゃない? 確率は低そうだけど」
結衣は腰辺りに彼の右手を感じた。ほとんど反射的にすぐに左手を出す。互いの指先を感じ取り、求めあうように指を絡める。体温が互いに行き来し、じっとしていれば心臓が脈打つ音が伝わってきそう……結衣は、何となくそう思った。
暫らく、二人の呼吸音が部屋を満たしていた。つないだ手、絡む指先から言葉を介さずに心の信号だけで意思を通じ合ってるような、静かな"会話"をしているから声を出す必要が無いかのように。
「結衣……」
「……なに?」
「……俺、ずっとこの状況は変わらないと思ってた」
「……変わらない……?」
「結衣はいるけどそれは幼馴染でお隣さんでいつも一緒に居るけど……でもただそれだけ、って感じでずっと続いて行くと思ってた。でも、同じ高校に合格して、同じクラスになってそれが2年続いて……俺自身気付かないように、知らないことにしていたことが出て来たんだと思う」
駿は言葉を一旦区切ったように口をつぐんだ。ほんのわずかの静粛が戻って来た部屋の音を聞きながら結衣は、ゆっくりと目を合わそうとする幼馴染を眼鏡越しに見つめていた。
「……こんな風になりたい、って」
絡んだ指に、少し力がこめられた。それに呼応したように、結衣も込めた。
言葉だけでなく、指先を通じての別の"言葉"でも通じ合ってるように。
「でも、怖かった。打ち明けて、拒絶されたら……今までの関係が壊れて、幼馴染だけど、お隣同士だけど、よく知ってるだけのただの他人になってしまうのが怖かった……」
「でも一度はそうなっちゃった。互いに好きな人が出来て、将来は一緒になろうって思ってたほどだったけど……」
「何だったんだろうな、お互いに……」駿は天井を向き、過去の映像をそこに映しているかのように見つめている「……今思うと、そうなってても何処か心の引っ掛かりがあったんだなぁ、って」
「引っかかり?」
「時折だけど、胸元の水晶見ると結衣の顔が浮かぶんだ。その時は何で今更、って思ってたけど、あれは水晶の中の"悪魔"が必死に未来を修正しようとしてたんじゃないか、って」
「……ひょっとしたら、自分にもそれはあったかも……今更だけど、そんな気がしてたのかな……?」
結衣も同じ気持ちになっていたのか……自分だけじゃないと思った幼馴染の表情から、違っていたらどうしようと張りつめた不安が次第に緩んでゆくように、彼女には見えた。
「魔法、かぁ……」
駿の表情にほんの一時、陰りに染まったように結衣からは見えた。しかしそれはすぐにそこから去っていったようにも見えた。
「……何か俺たち振り回されてばっかりだなぁ。道具のはずなのに……逆に"悪魔"の掌で踊らされてるような、そんな気がする……」
「やっぱりさ……"悪魔"の方ももう一度、やり直したいと思ったんじゃないかなぁ」
「やり直す……?」
「400年前の、結果的に上手く行かなかった未来を、もう一度このチャンスで」
「……だとしたら、俺たち"悪魔"にとっての操り人形と変わんないよな……」
「"悪魔"からしたら、術者はみんな同じじゃないのかな……」
結衣は零すようにぽつりと呟いた。
「──ホント、何で魔法ってあるんだろ……」
駿の言う通り、結衣は自分たちの運命がまるでゲームのコマのように扱われてるように、言いようがない不快感に襲われた。自分の将来なのに、それを得体の知れない何かに勝手に決められて──不快感と同時に、何でこんなものが、という怒りも彼女の中から湧き上がってくるように感じた。
しかし──それがあるから、今、幼馴染と一緒に生きている。そうでなかったら今頃は……失ってしまった大切な存在に毎日泣き暮らしていたかも知れなかった。
「"道具"が導くのか、導くための"道具"なのか……」
「なんだ……それ」
「結局、術者は魔法をどのように使うのかによって未来が変わってくるのかなぁ、って。"道具"に振り回されて、操られてると思い込んでしまうのか、未来を切り開くための文字通り"道具"として活用できるのか……」
「俺はそこまで判んねーな……結衣に任す」
「何言ってんの、そっちも考えてよ。術者なんだし」
「俺そこまで頭よくねーよ」
「だったら──」滞留していた空気を動かす結衣「自分がそこまで引き上げてやるよ」
まさに駿に襲い掛かるかのように四つん這いで覆い被さり、彼の視界の大半を自分の姿で埋めた結衣。
「……結衣……?」
理解が追い付いてない、というより、どういう理屈だと言わんばかり……そんな困惑と驚きとが混じり合った顔色を浮かべた駿は、突然の幼馴染の動きに目をぱちくりさせた。
「"姉"の責務だ。それに従え、駿──」
彼は何かを言おうとした。しかしそれを結衣は、物理的に黙らせた。




