風遥か
登場人物
黒瀬結衣:女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 魔法使い(術者)だが現在はその魔法のリハビリ中 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ
白谷駿:男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は存在自体がレアな男子の魔法使い(術者) 成績は下あたりから最近は普通くらいに 3月25日生まれ
黒瀬木綿子:女性 結衣の母親 内職で古文書の解読作業をしている 術者 45歳
白谷靖子:女性 駿の母親で兼業主婦 一般人 45歳
「現状、とある所から出てきた古文書に記述し、判明してある範囲で……という縛りはありますが、そこに書かれていた、黒瀬家と白谷家の事とその繋がり、そして、男性術者について……」
両の手を組み、そこへ顎を乗せ、さながら学生に知を授ける教授のように、黒瀬木綿子は語り始めた。
──話は400年程遡る。
もともと黒瀬家、白谷家の両家は、とある地方の隣り合う村の庄屋だった。両家とも出自は不明だが、鎌倉後期から室町初期辺りには定住していたと考えられる。どちらも豪農だったが、場所が山間を這うように流れる川が創り出した、さながら猫の額のように小さな谷底平野で耕作地が少なく、村としては規模は小さな方と言えた。当時の生産物は養蚕が主だが、この頃から内密に塩硝も作っていたという。
両者の仲は良好とはいいがたく、むしろ敵対意識の方が強かった。似たような規模の両者は、いつかは相手を呑み込んでやろうと考える者も多く、実際に一触即発の事態にもなりかけた時期もあった。今で言う"冷戦状態"で、そのせいか、両家の間での交流は数十年で片手で数えられるほどでしか行われていない。しかしこの時点では面倒ごとは避けましょうという考えで一致し、表面上は穏やかな時期だったという。
傍から見たら瓜二つのように見える黒瀬家と白谷家は、両家とも女系家族で代々長女が家の長を務めていた。両家とも夫は村内または隣接を除く近隣の村から婿養子として迎え入れるも、何の権限もないいわば"おまけ"扱いで、まず存在する第一義として"長女を儲けること"が最優先だった。記録には、長女を儲けられなかった婿養子は容赦なく挿げ替えられたが、生まれれば少なくともこの家で生きていける最低限の権利が得られたと書かれている。
それは子供も同じで、男子が生まれても長男は適齢期になれば婿養子として主に遠くの村の他家へ出してしまうが、次男以下はただの働き手として結婚も許されず一生家の中で過ごすしかなかった……この時代としては男女の立場が逆転した、非常に珍しい形と言えるかもしれなかった。
そんな特殊な両家はその経済規模や風習だけではなく、別の事で周辺の村々に密やかではあるが名前が知れていた。
山間の小さな村という事もあって、時折、野盗や戦場で敗走し落ち武者となった者たちが出没することがあったが、この二つの村はそれらをすべて排除してきた。
その村を襲撃した野盗や落ち武者たちは口をそろえてこう言い、怖れたと言う……あの二つの村には風を使うバケモノがいる、と。
その"バケモノ"こそが、術者だった。
女系家族なのも、術者が基本長女にしか素質を受け継がれないためで、むしろ男子は邪魔でしかなかった。二つの村を何度か野盗や落ち武者などが襲ったりしたが、村人の数がそんなにいないから"仕事"は楽に終わる、と軽んじていると、術者が使う様々な"幻覚"や"見えない壁"に阻まれてマトモに進めず、排除されたり仕留められたり、バラバラになった所を包囲されて捉えられたり……と、ことごとく失敗していたという。
今回発見されたのとはまた別の文書からは、襲撃したところ風が強く吹き、仲間はありもしない景色を見せられて混乱に陥り、恐怖を覚えて逃亡したり出し抜けに体を見えない壁に抑え込まれて動けなくなったところを捉えられたり……と書き残している。その後は、風がちょっと吹いただけでも彼らは恐れて村に踏み込めなかった、とも書かれてあった。
母親は隠居しても能力と"たまさかなる社"──現在で言う所の"悪魔"──が封入された水晶があれば魔法を使えるから、時には野盗と戦う矢面に親子三代が現れることもあったという。もちろん、そんなことは余程の事が無い限りなかったし、大抵は当主一人だけで野盗を撃退していた。
二つの術者の家系の内、黒瀬家は順調に長女が家の長と術者を継いでいったが、白谷家は時折不思議な事が起こっていた、と記述されていた。
それは、ごく稀に男の術者が生まれていたことだった。発現の仕方は女子と同じ、長男だけがその能力を持つ事が出来る。さらに不思議な事に、それに前後して長女が生まれればその子も術者の能力を持っていた。
もちろん、男性術者は年の頃15~18辺りで発現するので、その頃にならないと術者か否かは判らなかったが。
記録によると、判明分だけで3人の男性術者が生まれている。
ただし、最初と2番目の男性術者に関しては詳細は書かれていない。両人とも文書が書かれたときから結構遡るほど昔の話で、伝聞として伝わっている位でしか書かれていなかった。せいぜい、生まれた年、婿養子に出された年、能力発現日、死亡日……それぐらいしか記述が無い。それにその両人とも婿養子先で能力が発現したが、術者の証でもある"たまさかなる社"入りの水晶は持てなかったとされている。
前述の2人に対し、3人目の男性術者に関しては記述されてる事柄がはるかに多かった。発見された史料が丁度その時期辺りだったという事もあるが、一番の理由としては、黒瀬家の次期当主である長女と既に恋仲になっていたことが挙げられる。
きっかけについては不明だが、周囲が気が付いた時には既に二人一緒に両方の村を行き来して遊んでいた姿が目撃されている。村民らはその姿に現状は仲が良くない両家だが、将来的にはともに村が栄えて広がってゆくと楽観的になっていたという。
それでも適齢期になると、他所へ婿入りさせる話が浮上してきた。当然、本人は頑なに黒瀬家以外に出されることを拒否していたし、それは黒瀬家次期当主である長女も同じ想いで、ぜひ婿養子にと使者を送ってくるほどだった。
だが白谷家はそんな声を無視するかのように婿養子の話を進めていた。仲がそんなに良くない隣村の黒瀬家と親戚関係になった場合、万が一それを橋頭保に白谷家を乗っ取られるのではないかとの恐れがあったからだ。中には、黒瀬家に対しても他の婿養子に出した家と同じような扱いをすべきだという者もいた。婿養子を出した以上、白谷家としてはもう感知しないし、干渉も受け付けない、と。
黒瀬家の方はそこまでの緊迫感はなかった。次期当主が婿にと望み、使者を送ってくるほどなのだから、表向きは歓迎一色にしか見えなかった。
ただ、『来たいのならどうぞ。ただし扱いは今までと同じですよ、それが例え白谷家であっても……』と、白谷家の人間をこき使えるという事で鬱憤晴らしが出来るのではと画策していた親族もいたことは居た。
しかしこの話は次期当主が望んでいる事。表立ってはそう言う事は言えない空気にはあった。それにこの件には現当主でもある母親も後押ししていたと記録にはある。その思惑までは書かれていなかったが……。
その長男に能力が発現した。
その出来事は、特に白谷家での風向きを変えるのに充分だった。前年に祖母が亡くなり、"たまさかなる社"入りの水晶が一つ余っていたことも、その風向きを変える手助けをした。
それでも競合相手に婿入りさせるのはどうかと白谷家でも反対する者はいたが、今までとは違い、術者をわざわざ婿入りさせるのだから、黒瀬家にはそれなりの見返りを期待してもいいのではないかとの論が優勢になっていった。
そうなると今度は黒瀬家の方が慎重な姿勢を示し始める。男性術者という、希少な存在を婿入りさせる程だから、それを口実に白谷家が黒瀬家のやり方に介入してくるのではないか、という懸念だ。しかし次期当主は母親でもある現当主と歩調を合わせ、反対派の親族を寝返らせたり、中には脅迫をして意見を翻させたりもしたというが、それは推測の域を出ない。
一説には、これ以上狭い土地でやりくりして行くよりも、黒瀬家、白谷家共に連携をして術者の力で周辺の村々を勢力下に収めて行こうと考えていた、と言われている。特に戦乱が続く世の中、単独で対処するよりも両家合同の方が術者の人数は倍になる。そしてそれは安心感につながりやすい。ましてや、塩硝生産もしているので供給先からの様々な支援も受けやすくなる。
これは、両家にとって一族拡大の好機以外の何物でもない……と──。
「少なくともウチの家系では稀にとはいえ何人かいたんですね……」
白谷靖子が今まで知らなかった先祖の一部分に触れて感嘆の言葉を零す。ちょっと歴史はありそうだと祖母から聞いたことはあったが、どこにでもいる一般家庭と思っていた家系には実は深みがあったことを、彼女は嬉しくもあり、しかし、じゃあどうしてこうなってしまったのかという残念な気持ちもまた同時に沸き起こっていた。
「そうです。どうして白谷家に複数の男性術者が現れるのか、理由は全く持って不明ですが……何か、将来的にそれを補足するような史料が出てきてくれると、あたしとしても助かるんですけどね」
困惑しているかのように黙り込む木綿子。しばしの沈黙の後、補足を続けた。
「そもそも、男性術者の記述がある古文書自体がほとんどなく、あってもそんな人がいた程度の事でしか書かれてないです。発生個体数自体が極端に少ないのと、能力発現が女子と比較して遅いという事もあって、なかなか気づかれないことも一因だと思われますが……。それまでで一番詳しかったのは愛知、静岡、長野の3県にまたがる地域のもので、そこから出てきた古文書がほぼ唯一無二の男性術者に関する詳細な記述だったの。駿くんが能力を発現した時もそれに書かれてたことを基にアドバイスとかしてたわ。そして今回解読したのは東北のとある県で見つかったものだけど、以前のよりも詳細に記述されてたの」
「……すみません、いいですか?」
「はい」
「男性術者が数少ないのは仕方ないにしても、そこまで記録してある文書とかが少ないのはどうしてなんだろう、って……」
白谷駿の質問を受けた木綿子は、いい事訊くねと喜色を包み隠さなかった。そしてしばし考えたのち、言葉を選びつつ質問に答え始めた。
「まず、白谷家に関するところでは、二人目までの男性術者については文書が書かれた時点で昔の話なので、既に伝聞でしかなく、本当に最低限の情報しか残っていなかったみたい。いつ生まれ、婿養子に出されて、何時能力が発現したか……あとは亡くなった歳くらいしか書かれてなかったわ」
一回木綿子はそこで言葉を区切った。しばし記憶の保管庫を探すように静かになる。
やがてそれが見つかったか、零すように再び話し始める。
「……もしかしたら、もっと細かく書いてある文書があったかもしれない。でも、引っ越しや片付けのどさくさで紛失や誤って捨てられたとか、戦争や地震などの火災で焼失とか……思ってるよりもそう言う事はあるの。けど、結構見落とされるのは、もう要らない物と思われて襖の下張りとして使われてること。今回の史料もこのパターンなの」
「そんなところに使われてるんですか?」
言われて駿は台所と隣の居間とを仕切る襖を見た。駿だけではない。木綿子を除いた他の二人も視線は襖に注がれた。
「今は合板とか使われてそのような下張りは不要になりつつあるけど、昔の襖は障子のような骨組みに大福帳で使われるみたいな丈夫な和紙を張って下張りとして、その上から襖紙を張ってたのよ。本当はそれ用の紙を張るんだけど、金がかかるから不要になった文書を下張りとして使うことが昔から多かった。だから蔵のような先祖からの物を保存する所が無くても、古い襖がありそうな家は古文書調査が来るみたいよ」
「じゃあ住んでる人はそんなこと知らずに……」
「今みたいに印刷されてれば、読めるから取っておこうと思う人も多くなるんだろうけど……古文書のように書いてあると、あたしみたいに勉強した人や趣味の人以外は読めないからどうせ大したことないや、って思って……」
ポイ、と捨てるジェスチャーを見せる木綿子。表情も苦笑いを浮かべている。
「そんなんで、みんなが古文書の文字読めればこんな史料集めに苦労することなんてなかったとは言わないけど、少なくとももっと楽で来たんじゃないかなぁ、っては思う」
そうなっていれば、もっと長生きさせられる方法も見つかってたんじゃないか? ため息と共に木綿子の苦笑いの奥はそんなことを言ってるかのようだった。
「まあ、それが全てじゃないけど、そう言うことは多々あると思って注意していただけると、古文書研究の徒としては助かりますので……」
落ち着くためか、木綿子は既に出されていた水ようかんを一切れ、器用に箸で掴んで口の中へと入れる。程よい甘みと冷たさが、少し疲れ気味になっていた彼女の喉を潤す。それがうつったか、ここぞとばかりに他の3人も一休みと水ようかんを食し、喉に滋養と水分を補給した。
4人が喉を潤した後、まず問いを投げかけたのは駿だった。
「3人目の男性術者には水晶が与えられて、それ以前の、婿養子に出した2人に与えられなかった理由って何なんでしょうかね?」
「多分、もう他家に出されて家とは無関係扱いされてたって事は考えられるわね。能力発現の日もその日に起こったのではなく、おそらくその頃に起こったらしい……と伝え聞いたような記述がされてた。3人目に関しては、黒瀬家以外に出されるのを拒否して時間を稼いだことと、その黒瀬家からも口添えがあったこと、その時期に上手い具合に能力が発現したこと、あとさっき話したように、祖母の分の水晶が余っていたという幸運が重なったことが、貰えた要因なのかもしれないね……」
木綿子は推論を披露する。直前に水ようかんを食べたせいか、その言葉は滑らかに、そして踊るかのようだった。
「で、お母さん。その3人目の男性術者とウチの先祖との関わりはどうなったの?」
水ようかんでも普段と変わらず、げっ歯類が少しづつ食物を齧るようにちまちまと食べる黒瀬結衣は、ひとかけを喉に押し込んだ後、話の続きを要求した。
「そのことが、今回見つかった古文書の根幹を成しているものになるの。ある特殊な魔法に関しての記述が書いてあったから……」
──術者としての能力が発現し、しかも黒瀬家の次期当主と目される長女と小さなころから親密な仲になっていた白谷家の長男は、あまり関係が良くなかった両家を繋ぐかすがいとして村人たちの期待はにわかに高まっていった。そして協議の結果、翌年春に二人の祝宴を上げることが決まる。
冬にしては珍しく晴れ間が空を覆っていた11月のある日、彼は用事と彼女に会うために黒瀬家へと赴いていた。打ち合わせを行い、彼女と久しぶりに会って話などをしていたその時……。
突然、地面と家がありえない程に経験が無いほどに揺れ、上下し、強く揺すぶられる。人々は突然の事で逃げまどい、しかし激しい揺れのせいでマトモに立てずに腰砕けになってただ地面がうねって暴れているのを黙って見ているしか出来なかった。村のあちこちでは土煙と共に家々が壊れ、積雪のためにただでさえ倒れやすくなっていたため、おもちゃのように簡単に倒れ、崩れてゆく。その度に悲鳴が上がっていった。
それは、現代でも震源地が解析出来てない程の、謎に包まれた巨大地震が発生した瞬間だった。
幸い黒瀬家本屋はそれに耐えきったが、次に少しでも強い揺れが来たらもう持たないのではと思われた。とはいえ、揺れが収まったことに一安心する黒瀬家の人たち。
しかしそれで終わりではなかった。
何処からともなく地鳴りの鈍い低い音が村中に轟いた。
山が崩れる……! そんな声があちこちから響く。彼らが指さした先の景色は、一見信じられないものだった。
川向こうにある山の頂上付近から中腹部分にかけての広大な範囲で、それこそ形が一変するほどの山崩れ……山体崩壊が発生した。それは切り立った山の裾を人が走る何十倍もの速度で谷を駆け下り、その勢いは目の前にある川はもとより、村をも簡単に超えて裏の山まで達しようとするものだった。土石だけではない。積もった雪もそれに加わり、破壊力をさらに増してるようにさえ見えた。
黒瀬家の人々は動ける村人を誘導し、裏の山に向けて避難をしようとしたが、それは遅きに失していた。さっき山の中腹の谷を駆け下りていた土砂と雪の膨大なカタマリはあっという間に川を吹き飛ばすように突き抜け、勢いをさほど減らさずにまっすぐに村へと向かっていった。空が掻き曇るほどの土煙を立てて襲い来る土砂の速度は猪より速く、とても人の足では間に合いそうにもない。
誰もが生き埋めにされると覚悟したその時、二人がその土砂崩れに立ちはだかった。首に掛けてある水晶を高く掲げ、まるで神仏にその願いを届けよと言わんばかりに。
地面と空の間に、かつて山だった膨大な土砂が覆い、人々を押しつぶし流し去ろうとした……二人が掲げた水晶がその瞬間、太陽のように輝き始め、出し抜けに疾風がまとめてやってきたかのように強い風が周囲に吹き荒れた。それは雪を含んだ土石流のカタマリと村の間に見えない壁を瞬時に築き、人々を、村を守っていた。
膨大な土砂がその見えない壁を叩き、突き上げ、削り、押しつぶそうとするも、壁は壊れるどころか次第にその厚みを増し、山が起こした津波を弾き飛ばす。とうとう土石流の方が壁を壊せず、勢いが減じて音を上げた格好になった。
土石流が止まると同時に見えない壁は白く光った。すぐにそれは雪のように細かく砕け、晴れた日に雪が舞い散るがごとくきらきらと輝きながら地面に着くこともなく空中に消えていった。
……村全体を守ることは叶わなかったが、大体の場所はそれらの被害を受けずに済んだ。人々は余りの出来事にしばし言葉を失ったように黙り込んでいたが、それらが歓喜の声になるには時間がかからなかった。
二人はその場に昏倒したが、大事には至らなかった。かなりの空腹状態に陥った二人は手厚く看病され、数日後には意識が戻る。二人は互いがきちんと生きていることを確かめると、人目もはばからずに抱き合って喜んだという──。
「……ちょっとまって。お母さん、魔法の出力には限界があるんじゃなかったの?」
もっともな意見を結衣が母親に問いかけた。多分そう言うだろうな、と予測していたような意味のある笑みを木綿子は浮かべる。
「そう、出力限界はある。でもこの場合、二人の協力があればそれをはるかに上回る出力を発揮できることが判ったの」
「二人の協力……?」
意味がイマイチ掴めず、疑問符を纏わりつかせたような表情を浮かべた駿が問う。
木綿子はそんな彼を見つつ、それがこの魔法のキモですよ、と言いたげに答える。
「互いを思いやる心。互いを信頼し、好きでいられる心。そして、二人の同じ願い……その文書には今風に言えばこう書いてあったの『それが僕が君を、そして村のみんなを守りたいと思ったから、そんな"小さな願い"が魔法となったから』……これは意識が戻った後、村人の一人に白谷家の長男が語った言葉だわ。その文書には、その魔法を『小さな魔法』と呼ぶ、と書いてあったの」
「村を丸ごと覆って土石流から守れるほど大規模な魔法が『小さな魔法』って……」
何でそんな矛盾するような名前を付けたのかワケが判らない、と言いたそうな顔色をして結衣はクレームをつけるみたいに呟く。
「それに関しては、あまり話が大きくなりすぎると何かしらの不都合があったからじゃないか、とあたしは思ってる。ただでさえ風を使うバケモノがいると言われてる地域だから、今以上に耳目を集められると困る、というのも判る。それに、極秘で塩硝作ってたからねこの地域は」
「当時の戦略物資ですものね……鉄砲や大砲の火薬は」
靖子が付け加える。木綿子は黙ってうなづいた。
「あのー、その『小さな魔法』って昔からの言い伝えとかあったんですか?」
駿のその問いに、木綿子は渋い表情を浮かべた。言いにくそうに、言葉を選びながら答えを返す。
「それがね……どうやら無いみたいなの。と言うより、誰も知らなかった可能性すらあるの」
知らないのに使えるって……狐につつまれたように思考力を奪われてただぽかんとした顔をするしか三人は出来なかった。言った本人もイマイチ理由が掴めていないことをその表情は物語っている。
「じゃあどうして土石流に立ち向かうなんて……?」
「多分、二人は出来る限り村を守りたかっただけでしょうね……他の人らは何も出来ないけど、二人には魔法がある。それがある限りは、たとえ抗えないと判ってても──そう考えたんでしょう」
「じゃあ初めから二人は効かないことを承知の上で……?」
「そう。通常なら1秒も持たずに二人はおろか村全体が呑み込まれてたでしょうね……ところが、思いもしないことが起き、結果的に村は救われた」
駿は駅前で遭ったトラックの事故の事を思い出していた。自分目がけて突っ込んでくるトラックを空気の壁で逸らして難を逃れたのだが、古文書の出来事は、そんなのが些細な事としか思えないようなものだった。それに立ち向かおうとするなんて、どれほどの覚悟や勇気が必要だったのだろうか──それは彼には想像の範囲外なレベルとしか言えない程だった。
「その時二人には何が起こったのか、って書いてあったの?」
結衣の問いに、木綿子はうなずく。
「幸い記述があるわ。やはり意識が戻った後で話してる所があるんだけど、二人同時に頭の中で"呪文"が勝手に浮かんだあとすぐさまその力が動き出した、って話しているの。そう言う危機に直面した上で、なおかつ二人のさっき言った絆や思いやり、愛情がキーとなって"悪魔"が"呪文"……今風に言うと言葉を生成したんじゃないか、とあたしはそう分析するの」
「自動で?勝手に……ってこと?」
「そう」
「普段は何をしたいか、どうしたいのかという思いを言葉にして発生させるんだけど……この魔法は自動で発動する、って事なのか……」
そんな魔法あるんだ、と半ば感心するように結衣が呟く。と同時に、根拠はないが何となく背筋が冷えるような感じが彼女を覆う。制御出来ていると思われてた水晶の"悪魔"に、自分の力では制御できないとてつもない力を秘めてることに。
「後日、同じように発動出来るかやった所、全然出来なかった、ってことも書いてある。その時にならないと発動出来ない、って事みたいだね。普通は術者が言葉を生成してそれを"悪魔"が現実化させるんだけど、これに関しては……当時の言い方だと"たまさかなる杜"が発動の主導権を握っているんじゃないかなぁ、って思うの」
駿と結衣は、二人同時に自分の胸にその存在を放っている水晶を見つめた。どう見ても普通の水晶にしか見えないその中に、人の手にも負えないような"モノ"が封入され、普段は言う事を聞いているがいざとなれば……そう思うと、いつ爆発しても不思議じゃない不発弾を身に着けている様な一種異様な、そして恐れが二人の脳裏をかすめる。
「この『小さな魔法』ってそういう事態になって、条件が揃えば自動で発動する、ってことですよね……これって水晶の中の"悪魔"が"生き延びたい"と思ってるんじゃ……?」
恐れを隠せずに何処か言葉が震えながら駿は木綿子に訊いた。訊かれた彼女はしばし押し黙って何かを考え、そして言葉を選ぶように返答し始める。
「そうかもしれないし、そうじゃないのかもしれない……判断するには全然情報が不足しているの。そもそも、何のために魔法や"悪魔"が入った水晶、そして術者が存在するのかすら判ってないのだから……」
「じゃあ何で俺や結衣が使えるんです?」
「それは『使えるから』としか言えないのよ……。正体は判ってないけど、経験則で昔から使ってたからそう思うしかないのよ。もちろん、魔法庁の方でも解明とかはやっているけど……」
木綿子からそう言われて駿と結衣が互いに顔を見合わせた。とんでもないものを胸元にしてるんだな俺たち、自分たち、と言いたげに不安と恐れがにじみ出る表情を浮かべる。
そしてこれ以上は有効な答えが出てこないと思ったのか、結衣が話題を変えるように母親に別の質問を飛ばした。
「……じゃあさ、二人はその後、どうなったの……?」
少なくとも結末はすでに用意されている。現在の黒瀬家と白谷家が福井にいるということ自体が、ハッピーエンドで終わらなかったことを明確に示していた。そしてそれが、駿の未来を暗示するということも。
質問を変えてくれた娘に目くばせで感謝を示した木綿子は、咳ばらいを一つした後、真面目な顔つきになって話を元に戻した。
「おとぎ話じゃここで終わってめでたしめでたし、なんだけど……現実は──」
──地震で倒壊した建物などを建て直し、村がある程度復興していく中、二人はめでたく夫婦になり、これから黒瀬家と白谷家は共に手を携えて発展していくものと誰もが思っていた。
しかし、そうはならなかった。
子供が生まれなかったのだ。当時は子供を産まない女子は役立たずと言われたが、黒瀬家は女系家族。子供が産めない原因は婿養子ではないかと言われ始める。もちろん、二人とも子を成すような努力はしていたが、それでも一向にその兆候が表れない。そんな中、婿養子の体調がおかしくなり始める。
身体が坂道を転げ落ちるように急速に衰弱して行き、普段の生活にすら影響が出始めるようになってしまった。そしてとうとう寝たきりになってしまう。
次期当主はそれでも看病を続けたが、彼は回復することもなくそのまま亡くなってしまった。数え歳で22歳。次期当主たる長女の落ち込みは、それこそ同じように弱ってしまうのではないかと周りが心配したほどだった。
当然、原因は判らなかったが『小さな魔法』を使ったことにより体が弱ったのではないか、とまことしやかに言われた、という。村人にとっては自分たちを救ってくれた婿養子は命の恩人なのだが、黒瀬家は……というと、見解がまるで違っていた。後継ぎたる長女が出来なかった──その事だけで、白谷家に対して公然と怒りを向けてきた親族もいたという。
黒瀬家からの批判の矢面に立たされた白谷家の不幸は続いた。今度は次期当主の長女が流行り病であっという間に亡くなってしまう。母親が当主を続けるも、長女の後を追うように母親も亡くなってしまい、とうとう白谷家から術者がいなくなってしまった。
一族からは、以前、婿養子として他家に出した2人の男性術者に子孫が居れば、入り婿か養子として受け入れようとする動きもあったが、どちらにも子が出来ておらず、やはり若くして──どちらも20代半ばで、原因不明の似たような体の衰弱で──亡くなっている。
その後、白谷家は紆余曲折を経てその土地を離れ、家系は分裂し、あちこちさまよった挙句に福井にたどり着く。黒瀬家も、幕末の荒波から土地を捨て、こちらもあちこち移転した挙句に、何かに導かれるように福井に腰を落ち着けた──木綿子の話はそこで終わった。
駿は言葉を発さなかった。口を結び、うつむいているせいで視線はテーブルの何でもない一点をただじっと見つめているようだった。
「駿……」
「判ってる。けど……やっぱりちょっと……」
結衣の問いかけにとりあえずは大丈夫と苦笑いを浮かべる駿だったが、震える声は彼の心情を素直に反映していた。
「無理しなくていいよ。部屋で休んでる?」
「いいえ、俺が言い出したことだから……」
木綿子の申し出をやはり苦笑いで遠慮の意思を示すも、それを見ていた母親の靖子が、強めの口調で息子に休息を言い渡した。
「駿、部屋に戻って横になってなさい。今はムリよ」
「お母さん大丈夫だって」
「大丈夫じゃないでしょ。そんな顔して……いいから休みなさい」
駿は一旦母親の方をちらりと見た。大丈夫だって、と言いたげなその視線だったが、いつもよりは何処か弱々しいものだった。やはりある程度の辛さは判っていたのだろう、彼はゆっくりと立ち上がると、スローモーションの画像を見るように台所を出ようとする。
「結衣、駿くんについてって」
「わかった」
無言で出ようとするすぐ後を、結衣が彼のつらさが伝染したような表情でついて行く。襖が閉じられ、台所は母親二人が残った。
暫くは二人とも言葉を探しているように口を閉じていたが、やがて木綿子がぽつりとつぶやくように静けさをこじ開け始めた。
「……普通なら取り乱したりするんでしょうけど……駿くん、耐えてますね」
「親の前だからだと思います。多分、ですけど……」
靖子は、息子が退去した後の襖をじっと見つめている。木綿子の方も、何かに引っ張られるようにその方向を見ていた。
「でも助かります。結衣さんがいてくれて……一人だったらやはりすごく心配しちゃいますし」
「ウチの娘がそこまでできるかは判らないですけど……ちゃんとやってくれればいいんですが」
少しその場の雰囲気がほぐれたように、二人には感じた。そして一息つくように、水ようかんを口にし、お茶をすすって気持ちを切り替える。
「……それにしても」
靖子がふと、思ったことを口にした。
「何でしょう?」
木綿子が合の手を入れる様なタイミングで応える。
「あの二人見ていると……その古文書に出ていた二人の生まれ変わりなんじゃないかな、って一瞬、そんなこと思ってしまって……」
「それはあたしも思いました。こんな偶然ってあるんだなぁ、って読み下しながら思ってました」
残っちゃった水ようかん、食べます?とばかりに木綿子が紙の容器を1/3ほど占める、限りなく黒に近い焦げ茶の冷たそうでおいしそうな"板"を勧めて来た。靖子は一瞬、取ろうとして……木のへらを持った手が止まった。
「……やめときます。最近ちょっと体重が……」




