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風よ

登場人物



黒瀬結衣(くろせ ゆい):女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 魔法使い(術者)だが現在はその魔法のリハビリ中 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ


白谷駿(しろたに しゅん):男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は存在自体がレアな男子の魔法使い(術者) 成績は下あたりから最近は普通くらいに 3月25日生まれ


黒瀬木綿子(くろせ ゆうこ):女性 結衣の母親 内職で古文書の解読作業をしている 術者 45歳


白谷靖子(しろたに やすこ):女性 駿の母親で兼業主婦 一般人 45歳

 ──溶けかかっていた雪は、ここ数日の雪模様で勢いをぶり返したかのようにその深さを広げていった。道端でゴミや埃、アスファルトが削られた粉塵等が黒く雪を染めていた個所も、新しく降り積もった雪がその痕跡を抹消しようと白く染め上げ、再び世界を黒白の世界へと引き戻そうとしている。

 いきなり雪が大量に降れば、雪に慣れている福井県民とはいえさすがに生活や交通に混乱は生じるものの、少しづつならそのような事態には陥らず、単に普段の視界に雪が加わっただけで何の支障もなく、いつものような生活を人々は継続していた。

 翌日の日曜日。

 駅前の電車通りから県庁へと続く道へとわずかに入った場所にあるいつものドーナツ屋に黒瀬結衣(くろせ ゆい)と白谷駿(しろたに しゅん)の二人はいた。

 買い出しに行くからと結衣は駿を誘い出した。まだ影響は残ってはいるものの、昨日幼馴染に言ったこともあり、彼は同行することにした。そして駅に着くなりまずは腹ごしらえから、との幼馴染の言葉に従って真っ先に寄った場所がここだった。

 店内は日曜の午前中ということもあって人はまばら。これから多くなっては行くだろうが、ウィークデイ程混みはしないだろう……二人はそう考えていた。

 二人とも小さ目の皿にはドーナツが2つづつに、コーヒーをオーダーしていた。結衣はフレンチクルーラーにヨーグルトクリーム。駿はオールドファッションにピーナツ。

 カップから立ち上る湯気の量は、店内の暖房でそこそこ暖かいとはいえ多めに見える。本当ならもう1つか2つほどドーナツを頼むところだったが、駿はお小遣いの制約のため、結衣はこれから買い出しのための資金確保のためにガッツリとは食べないようにした。

「駿、そういえば昨日渡しそびれた」

 結衣はそう言うとやや大きめの手提げカバンから手のひらサイズの小袋を手渡された。水色の布で覆われ、金色の丸紐で結わえられたその袋を手渡された駿はそれの正体を測り損ねていた。

「……これは?」

「あげる。一昨日、バレンタインだったでしょ?」

「え?珍しい……去年までは何ももらえなかった気がしたが」

「そんなことないよ。幼稚園や小学校の1、2年生の頃には渡してたはずだけど?」

「そうだっけか……?記憶が無い」

「もう忘れた?ちゃんとあげたわよ」

 少し怒ったような顔色を見せて結衣は口角を僅かに上げる。それに対する駿は記憶層を検索するも、それっぽい思い出が浮かび上がらずにずっと困惑したような表情を示し続けた。

「……やっぱり無い」

「この薄情者が……」

 そう言いつつも結衣の表情にはいくらかの笑みの成分が残っていた。

 駿は丸紐を緩め、中のチョコを覗き見るようにしばらく見つめた後、あることに気付いたように真面目な顔を結衣に向けて来た。

「そういやさ、このバレンタインのチョコ、って結衣が作った?」

 何言ってんのよと言いたげな結衣は多少表情をゆがめて呆れるような、開き直るような口調で、

「自分が作れるわけないでしょうが。何年幼馴染やってると思うの」

「まあ、そうだな……まともに食事作ったことさえないみたいだし」

「すみませんねぇ。出来の悪い女の子で」

「けど、追々勉強して行けばいいんじゃないか?結衣、普通に勉強とかは出来るんだから」

「それと料理とはまた違う気がするんだけど……」

「同じじゃないかなぁ。それに結衣だったらその辺りは何とかしそうな気がする」

「そこまで器用じゃない気がするんだけど、自分……」

 そう言葉を交わしているうちに、結衣は自然に笑みがこぼれて来た。駿はどうした?というようにきょとんとした顔色。

「……何か俺、変な事言った?」

「……べつに」

 笑みというよりは、にやけ顔に近いものだった。結衣はじーっ、と幼馴染のきょとんとした顔を見つめながら、皿に置いたフレンチクルーラーをつまみ上げて口へと運ぶ。いつものような、リスがクルミを齧るように、小さく細やかに。

「そうだ、駿」フレンチクルーラーを1/3程齧った所で結衣は喉の奥に押し込んでから改めて切り出した「今日、駿の部屋で勉強しようか」

「……俺の部屋?何でまた……」

「今日はそっちの部屋でしたくなったから、じゃ理由として不足かな?」

「別に理由なんてなくてもいいけど……」そこまで言った駿は、幼馴染の真意を理解したかのように一瞬深刻な表情になって、継ぐべき言葉を探して、続けた「……心配、だからか?」

「それもあるけど、両方かも知れないし」

「両方?」

「気持ちと成績」

 マイナスの気分にならないように監視する、ということか……駿はそんなとこまで干渉されてもなぁ、と困惑の顔色を浮かべたが、かといってどこまでも落ち込んでいくようなあの気分は正直嫌なもの。せっかく今はまだマシになっている状態を長続きさせたい──そんな思いもあった。それらを勘案して、彼は結衣に答えを返した。

「まあ、いいけど……」

「なら、夕食食べ終わったらそっち行くね。それまで準備お願いします」

「わかった。椅子とか、暖房とか……用意しておく」

「それと、芳香剤も」

「……そんなもん要らんだろ?」

 何でそんなもん要る?と不可解な表情をした駿に、結衣は顔を曇らせて、

「だってあの部屋栗の花の──」

「わーっっっっ!!」

 結衣の言葉を消そうとして思わず大声を上げてしまった駿は、数瞬後、その場所がプライベートな部屋じゃないことを認識してしまった。閑散に近い店内は何が起ったかと駿に視線の集中砲火を浴びせ、その結果、あまりの気恥ずかしさに彼の顔の温度が急激に上昇した。まるで薬缶でも沸かせるかと思うくらいに。

 神妙な面持ちの後、軽く咳払いをして思わず立ち上がってしまったことを後悔しながらゆっくりと腰を椅子に落とし、今度はささやき声で結衣に告げる。

「わかったよ、用意しとくって……」

 結衣と言えば、さっきよりもニヤケが止まらないと言わんばかりに、口元が悪魔のそれのように歪んで幼馴染の真っ赤にした顔を眺めて楽しんでいた。その後、少し安心したかのような柔らかい笑みになる。

「駿、このあと何処か行くところ、ある?」

 その表情のまま、結衣は話題を変える。そう言われた駿は訝しげな顔をして逆に訊き返した。

「行くところある? って……買い物やるんじゃないの?」

「やるよ」

「だったらそっち先に済ました方が」

「荷物無い時に色々と回った方がいいでしょ?」

「……まあ、そうだけど」

 どんだけ買い出しするつもりだ、と駿は反射的に訊こうとした。が、多分答えないだろう……そう思い、そのまま口を閉じた。代わりに食べかけのオールドファッションを口に放り込んで、まだぬくもりが残っているコーヒーと共に喉の奥へと押しやる。そして、何かに導かれたかのように視線を店内のほぼ右上方の壁へと向け、目を凝らし、彼はそこを凝視し続けた。

「なあ」駿がその壁の向こうを透視するかのように視線を固めたまま、ぽつりと言葉を零す「デパートの屋上……っつーのはどう?」

「別にいいけど」

「ならそこ行こうか」

 結衣は判った、という代わりに頷き、残っていたフレンチクルーラーを齧るように食べる。いつもよりは急いでいるようで、独特の形が次第に小さくなってゆき、やがてすべて彼女の口の中に移動していった。

「しかし駿も好きねぇ、屋上」

「そんなわけないと思うけどな……何となく」

「そお?小っちゃかった頃はお出かけ自体楽しみだったし遊具とかで遊んだりするのが楽しみ、っつーのは判るけど高校生になって、っつーのは……あ、そーか。駿ってそんなんだ。ほら、よく言うでしょ?"何とかと煙は高いところが好き”って」

「バカで悪かったな」

 結衣のいらん言葉に睨むような眼と共に言い返す駿。結衣はそれに乗らずにただ笑みを浮かべるだけだった。

「そういや屋上からの眺めは久しく見てなかったな……」

 前に上がったのっていつ頃だっけな、と駿はどこか遠い所を見つめて記憶層を探っていた。確か2年生に上がって間もない春の頃だったっけ?と記憶を手繰らせる。

 ふと視界に、貰ったチョコの水色の包装が映った。そうそう、結衣から貰ったから忘れたら大変とばかりにやさしく包み、そのままコートのポケットへと移そうとした。

「結衣、ありがと。家に帰ってから食べるとするわ」

「こら、そんなとこに入れてたらダメでしょうが。貸して。家着いたら渡してあげる」

「……別いいよ、そこまでしなくても」

「貸して。人の好意を変なとこに放り込むんじゃないの」

 目じりにしわを寄せて、結衣は早よ寄越せと手を出して催促している。渋々と渡されたチョコをその手に戻すと、彼女はさっと引っ込めてカバンへと戻した。

「いちいちうるさいぞ。親かよ」

「お姉さんだからね」

「二言目にはいつもそれじゃねーか……」

 渋い顔をして口を尖らせた駿をからかうように結衣は厭味ったらしい笑みを浮かべる。

 駿にもその笑みがうつったのか、渋い顔がやがて崩れて彼女に倣った。


 ──駅前電車通りにあるデパートは戦前からある由緒あるもので、今の経営母体は資本提携を受けて少し長ったらしくなってはいるが、福井の人間は相変わらず昔の店名で呼んでいることが多い。

 福井は車社会のため、最近は郊外の大型店に客を取られてはいるものの、それでも戦前からの福井の顔としてデパートが持つブランド力は大きいようで……。

「あったかい……これ暖房いらないんじゃない?」

 結衣が思わず口にする。

 ガラスのドアを開けた瞬間に、二人の顔には店内の熱気が襲い掛かっていた。ジワリと厚着をしていた身体の温度がさらに上がって、脱ぎたくなる衝動が二人を侵食し始める。

「日曜の昼前とはいえ、結構いるもんだなぁ」

 入り口近くのエスカレーターに並んで乗りながら駿が零す。視点が高くなるにつれ、化粧品ブース主体の1階が見渡せるようになるが、客たちがさながら蟻が蠢いているように、駿からは見えた。しかも販売している品物のせいか、どことなくいい服を着た人が多い。

 どの階も思ってたより人出が多く見受けられ、8階のレストラン街ではお昼近い時間帯のせいか、所々行列を作り始めている程の賑わいだった。

 しかしその賑わいも8階まで。そこから階段でしか上がれない屋上へ行く人は、冬のせいもあってほぼ皆無。二人が階段を上る時も、気温のせいか、何処かうすら寒さを感じさせるような人気のなさだった。

 屋上へと出る観音開きのガラス扉は、この季節の寒さと人の少なさで動きが鈍くなっているのか多少力を加えないと開かなかった。駿が幾らか体ごと押し開くと、その場の空気が一斉に季節を逆戻りし、思わずマフラーを強く締め付けたくなる誘惑にかられる。

「まあ、なんつーか……」

「人いないわね。見事に」

 遊具などは除雪はされていたが、人の少なさから動かしている気配はなく、人が乗り込むようなものにはカバーが掛けてあって冬季間は何が何でも動かさないという店側の固い意志が感じられる。テレビゲームなどは動いてはいるが、ただひたすらデモ画面を流しているだけで、傍から見ると電気の無駄遣いではないかと結衣は心配になってしまう。そもそも、こんな雪が降り季節風が吹きすさぶ屋上で、屋根しかないバス停みたいな場所でテレビゲームに夢中になれるほど、最近の子供にそんなガッツある奴が居るのかという疑問が、一瞬だが駿に浮かんだ。

 二人は除雪されて黄緑色に塗られたコンクリートの床を、マフラーから白い息をたなびかせて日が昇る方向へと、並んで歩いてゆく。背中からは地上よりも強めに季節風が駆け抜け、少しでも体温を下げてやろうと寒風がコートやマフラーの隙間から中へと入ろうとする。

「駿、何でまたデパートの屋上に?」

「いや、前行った時は夜で日が落ちて暗かったけど昼間の景色ってどんなんだっけと思って」

「福井のビルって低いから、夜はまだしも昼ってそんなにいい景色じゃないんじゃない?」

「そんでもさ」

「ふうん……?」

 話してるうちに、入り口とは反対側にある端に着いた。二人とも欄干に上半身を預けるようにもたれ、福井市東部方向の景色を眺める。

 屋上の除雪された雪をこの欄干の向こう側にある高欄との間の1m程に押し込んであるためか、昨年春に寄った時より少し下が見えづらくはなってるものの、眼下に広がる福井駅前の街並みはほぼ見る事が出来た。

 鉛色の雲が蓋をしている様な圧迫感は地上よりも屋上の方が空に近い分、増しているように二人には思える。灰色の空に対し、灰色をベースに空にはない多種多様な色が、こっちは地上だよと訴えているかのように二人の視神経を刺激する。そしてその二つの極を繋ぐかのように、鉛色の雪雲からは似つかわしくない、真っ白い雪がちらついていた。

 それは白くやや大きめで、まるで落下傘のように舞い降りて来た。時折季節風に吹かれて横殴りの残像を縞模様のように残しながらデパートの屋上を、二人のかたわらを鳥が飛ぶように駆け抜けてゆく。そんな空中を楽しそうに駆け抜ける雪を見ていると、ふと自分たちもそんな風に飛べるのでは?と思い込んでしまうほど、二人はその舞い上がり駆け抜ける姿を見入っていた。

 いつまでも見ていたい気はあるが、吹き付けてくる季節風はそう簡単には延長させなかった。やがてコートやマフラーの上からも冷気が侵略してくる感じが結衣の体に警報を走らせる。

「さぶっ!駿、もう入ろう」

「うーん、もうちょっと」

「なんで?店ん中温かいし、もう行こうよ景色見たでしょ?」

「いや、ちょっと……こんな風にあと何回、この景色みられるのかなぁ、ってさ」

 柔らかい駿の表情を見た……結衣は自分の言葉をその瞬間、恥じた。

 そうだ、自分にとってはいつでも見られる景色の一つに過ぎないのだけど、駿にとっては──そう思うと寒さなんか気にしてられない……結衣はそう思った。

「……ごめん」

 謝罪の言葉が結衣の中からあふれて来た。それを聞いてないかのように景色を見つめたまま、駿はそれを受け入れた。

「いいよ」

 柔らかい表情のまま、彼はそのまま周囲の景色を一つでも見逃すまいと飽きずに眺めている。通り過ぎる季節風も、それに乗り舞い踊る雪も、肌を刺すような冬の冷たさも、鉛色の重そうな雪雲も、こういう季節だからこそ周囲を輝かせて照らし出そうとするこじんまりとした街並みも……どれも福井の景色を彩る一つのパズルのピースのように感じていた。

 結衣は、その幼馴染の横顔をしばらく見つめていた。

 駿の、さほど長くない髪が季節風に逆らうようにその伸びる方向を維持し、小刻みに揺れている。マフラーは風になびき、先端部のフリンジは風に乗りたがって飛びたいと願うひなのようにバタバタしている。紺色のダッフルコートの背中にはこびりついた雪がうっすらと白く着雪して、その先から溶けて水へと変わってゆく。

 何年後かは判らないが、自分より短い時間でこの世からいなくなってしまう様には、結衣にはとても見えなかった。

 ──間違いであってほしい。

 結衣は、風雪に逆らって景色を見つめている幼馴染の横顔を見つめながら、そう強く願った。

 駿は一旦目を閉じる。そして、横に居る結衣に待たせてゴメンと言いそうな笑みを浮かべて

「じゃあ、中に入ろうか」

 ……何故だか結衣は、それにはしばらく反応できなかった。

 理由はないのかもしれない。それとも、もう駿とこんな光景が見れないのではないかと彼女が危惧し、それ故にもっと見ていたかったと、時間を無駄にしてもいいよと言いたかったのかも知れなかった。

 しばらく、水滴がついた眼鏡のレンズ越しに駿を見つめていた彼女は、思い出したように表情が、身体が動き出した。

「あ……あ、うん。入ろうか」

「……どうした?」

「え? ……なにが?」

「いや、さっきじっと俺見てたから何事かと」

「いや……その、別に」

「ん?なんか顔赤い様な気が」

「んなわけないでしょ……!寒いからだって!」

「そっかそっか。ともかく中入るか」

「うん……」

 二人は来たルートを逆方向に向かって歩いてゆく。並んで歩き、ふと、手が触れる。

 二人は足を止め、隣に居る互いを見た。

「……ほら。温めてやる」

 不貞腐れてるように見えて、実は少し恥ずかし気に結衣は左手を彼に近づける。手袋をしていない、寒さで冷え切った彼女の手に、少し暖かい駿の手が絡んだ。

 駿の温かさが、掌を伝って結衣の心を刺激する。

「……あったかい」

「結衣、手が冷たいぞ。大丈夫か?」

 駿はそう言うと、指を絡めた。結衣の指と指の間に、するりと駿の指と指が入り込む。

「……そういや、こういう手のつなぎ方してなかったよね」

「幼馴染だけど、恋人じゃなかったからな……」そんなこと言わせるのか、と明後日の方向を見て駿が呟く「そう言う結衣は、緑川とこんな手のつなぎ方してたのか?」

「……忘れた」

 含みを持たせた間をおいて、結衣が零すように答える。

 振り向いた駿が見たものは、秘密という名の謎かけを楽しんでいる彼女のいたずらな一面だった。

 本当か?──そう問い質そうとしたタイミングで、彼女からのさらなる問いかけがそれらを吹き飛ばした。

「駿は?赤城さんとそ(・)ん(・)な(・)関(・)係(・)になるほど深かったから当然していたんでしょ?」

「まあ、そりゃあ……」

 駿の頬が過去の行動で恥ずかし気に染まっているように、結衣からは見えた。

 駿は、ちらりと恋人つなぎをした手を見つめる。

「……」

 たどたどしさと、安心感と。

 同じ手を繋いでいても、感覚の違いは明確だった。

 どっちも、良い悪いを比べることは出来ない。ただ、今はもし自分が倒れても支えてくれる相手がいる……そう確かめられるだけで何とかしてみようと思えることに、駿は何処となく安心感を得る事が出来た。

 そうだ、今なら……駿はふと何かを感じ、動きが止まった。それに気づいた結衣が、不思議そうな顔を幼馴染に向ける。

「……どうしたの?」

 結衣が見る駿の横顔は、何かを決心したかのような、緊張感を伴った厳しいもののように見えた。

「結衣、買い出し終わったら結衣のお母さんに、男の術者の話を聞かせてほしいって言ってくれないかな?」

「……何で?そんなことしたらまた駿の──」

「俺は大丈夫。そりゃあこの前は初めて見てしまったからショックが大きかったけど、今はある程度は落ち着いてるし……それに、結衣もいるし……」

 ぎゅっ、とつながれた指と指が少し強く握られるのを結衣は感じた。駿は言葉の全てを語らなかったが、結衣には、それだけで全てが判ったような気がした。

 伝わって来たのは、駿の体温だけではなかった。彼の、覚悟のようなそんな決心も一緒だった。

「……わかった」

「……ありがと」

 そう言葉を交わす。

 二人は同時にドアを開け、春のような温かさが満ちている店内へと入っていった。


 買い物から戻ってきた二人は、デパートの屋上で話していたことを結衣の母親である木綿子に伝えた。彼女は一瞬驚き、言葉はすぐには出なかったがその目線は拒否寄りの逡巡に、二人の目には見えた。数十秒の沈思黙考の後、普段の笑顔中心の表情とは打って変わって、何かの覚悟を持った、真面目な顔つきで木綿子は駿に訊いた。

「……いいの?教えても……」

 その覚悟があるのか駿に問い質す。問い質される方は、そう言われてもまっすぐに見つめ、逸らす気配はなかった。

 その視線に負けたように、木綿子はしばし目を彼から逸らす。そして、自身のミスで引き起こされた後悔の念を引きずるように、ぽつりと零した。

「……本当は駿くんには知ってほしくなかった。知らない方が……まだ」

「でも、もう俺は知ってしまったし、逆に言われない方が思い悩むことが増えるんじゃないかと。だから言ってくれた方が、自分としては……覚悟を決められると思って」

 視線を逸らす気配は一切なかった。真正面から見つめ、俺はこの運命からは逃げようとしない、と言いたげに。

「わかったわ……」

 木綿子が音を上げたかのようにため息に言葉を乗せる。冷蔵庫などの家電製品が発する作動音だけが満ちている台所に一時の沈黙が訪れていた。

「結衣」木綿子は娘に声をかける「駿のお母さん……靖子さん呼んできて」

「えっ……!?」「それってどういう……?」

 その人物名に二人は一瞬理解不能と言いたげな表情を浮かべ、ややあってそれが驚きに変わっていった。

「ウチの母親、俺の魔法の事知ってたんですか!?」「駿のお母さん、術者だったの!?」

「こら、二人同時にしゃべるな」

 苦笑いを浮かべて木綿子が二人の口を制す。

「でもそんな……ウチの母親も当事者、って……。そんな素振りしてなかった気がするけど……」

 駿が頭の中の母親の行動を再生しているみたいだが、それっぽいシーンはなかったようでなおさら困惑の顔つきになっていった。

「結衣、早く。すぐに説明するから迎えに行って。あたしはお菓子とかの準備しておくから」

「わ、わかった」

 家に着いた時に外したコートを再び羽織りつつ、結衣は廊下をバタバタとあわただしく駆けてゆく。玄関からバタン、と扉の開け閉めの音が届く中、木綿子はさてと、と行動を起こす言葉を零しながら冷蔵庫や戸棚から水ようかんなどのお菓子類を取り出し、お茶の準備を進めた。

「……俺の母親、何時頃から知ってたんですか?」

 手伝わなきゃ、と椅子から腰を上げた駿を制するように木綿子がいいよ座ってな、と目くばせする。

「駿くんが術者になった頃かな?念のため伝えておこうかと思ってね。怖かったけど……色々と」

「それはそうですよね……普通なら何言ってんだって言われかねないですから」

「でもね、もしかして……とは思ったのよ」

「もしかして、って……?」

「"白谷"という苗字。何処にでもある普通の名字だけど、ウチとの関わり合いのある方だったら……って思って切り出した」

「関わり合いのある……?」

「そのことは揃ったら話すわね」

 それはあとで、とでも言いそうな意味ありげな笑みを浮かべる木綿子。

 駿はしばらく黙って準備の光景を見ていた。ふと、家の中が台所以外は静かになってるのを駿は感じ取る。

「そういや由紀ちゃんやおじさんいないですね」

「うん。由紀は友達と遊んでるし、旦那は町内会の集まりで二人とも夕方まで帰ってこないよ。だから、色々と話するには今のうち……」

 準備をしながらちらりと木綿子は台所の時計を確認した。2時間ほどは帰ってこないことを確かめる。

 駿の目から見た木綿子の表情はいつもの顔にはなっていた。しかしその目は、そうではなかった。

 それを見て改めて、駿は、この先の道を聞く覚悟を肚に決めた。

 玄関の方からガチャリと扉が開く音が聞こえてきた。続いて複数の足音と衣擦れなどの様々な音が襖数枚隔てて木綿子と駿の耳に届く。こちらに向かってくる音がしたと思いきや、すぐさま二人が姿を現した。

 駿の母親……靖子は家事をしていたのだろう。生地が厚めのくすんだ派手目な赤のジャージの上下に白の割烹着に近い形のエプロンをかけた格好で、結衣と一緒に襖から姿を現した。

「お母さん、駿のお母さん連れて来たよ」

「お忙しい所すみません。少し、駿くんの事でお話を……」

 準備を済ませた木綿子が真面目な顔つきと口調でお辞儀をし、あいさつ代わりの言葉を告げる。

「いいですよ、こちらは丁度片付けとか終わってテレビ見ようと思ってた所ですから」

 気にしないでいいですよと言いたげに駿の母親、靖子が屈託のない笑みを見せた。

 木綿子は椅子に座るよう、靖子に勧める。靖子はそれじゃ、と言って椅子に腰を掛けた。

 しかし駿の方はいまだに信じられないと言いたげな、疑問と困惑とがないまぜになった顔を浮かべている。

「お母さん、何で知ってたのに黙ってたの……?」

「木綿子さんにしばらくは様子見ましょうって言われたから。でも、知らないフリするのって大変だったんだから」

「なんか違うような気がするんだけど……」

「まあ、話聞いて初めはびっくりしたけどね……でも聞いてるうちにこれ、昔おばあちゃんが話してくれたことじゃないのかなぁ、って思いだしたの」

「俺から見ると、ひいおばあちゃん、か……」

「小さかった時にその話を聞いた時はウチはすごいんだなぁ、って単純に思ってたけど、いま改めて木綿子さんから聞くと先祖も色々と大変だったんだなぁ、って……」

「あれ?名字が違うんじゃ……?」

「でもね、遡ってゆくとと白谷家にたどり着くの。どうやら途中で分岐したみたい。で、再び本家筋……って言ってもこっちが水晶持ってたんだから実はこっちが本家筋になるのかな。まあ、色々とあったみたい。ウチって案外複雑なのよ」

 そんな話聞いてねーぞと言わんばかりに駿は知らなかった事実に驚き以外の感情を表現できなかった。

 既にテーブルには冷蔵庫から出された水ようかんと人数分の小皿とケーキ用のフォーク、そしてお茶が並べられた。それは傍から見れば奥様同士の優雅なティータイムのようだった。いつの間にか持ってきてたらしい、木綿子のそばに置いてある、レポート用紙の束以外は。

「……じゃあ皆さん揃ったところでお話ししましょうか」

 木綿子の表情から笑みが消える。学生時代にさんざん古文書と格闘していたと思わせるような、普段は見せない裏の顔が彼女の表情を厳ついものにしていた。

「現状、とある所から出てきた古文書に記述し、判明してある範囲で……という縛りはありますが、そこに書かれていた、黒瀬家と白谷家の事とその繋がり、そして、男性術者について……」

 両の手を組み、そこへ顎を乗せ、さながら学生に知を授ける教授のように、木綿子は語り始めた。

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