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嵐の中で輝いて

登場人物



黒瀬結衣(くろせ ゆい):女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 魔法使い(術者)だが現在はその魔法のリハビリ中 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ


白谷駿(しろたに しゅん):男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は存在自体がレアな男子の魔法使い(術者) 成績は下あたりから最近は普通くらいに 3月25日生まれ


灰屋美紀(はいや みき):女子高生(2年生) 黒瀬と同じクラスで友人 豊橋から福井へ来たために三河弁が抜けない


青野雅美(あおの まさみ):女子高生(2年生) 黒瀬と同じクラスで友人 陸上部所属で普段から元気が有り余ってるような行動や言動が多い 白谷とは少し仲が悪い


紫野絵里子(ゆかりの えりこ):女子高生(2年生) 黒瀬と同じクラスで友人 お嬢さまじゃないけどお嬢さまっぽいしゃべり方をする


「駿、起きて」

 ……夢とも現(うつつ)ともつかないあやふやな感覚の中、幼馴染の声だけがどこからともなく響いているのを駿は聞いた。いつからだろう。ただ、まだもやもやとした、形容がつかない世界の中をぐるぐると当てもなく彷徨っている。

「駿、起きてよ」

 右も左も下も上も前も後ろも……自分がどこを向いている事すらわからない形容しがたき世界を漂っているが、幼馴染の声は、明確にある方向から聞こえている。そしてその声のする方向は、ほのかに明るく光が差し込み、こっちへ来てと誘われているように駿は感じた。

 彼はその方向へ進もうとして、歩いてもいないのに、進むのを止めた。それを止めたのは、絶望という名の足かせなのかもしれない。

 ──結衣か?やめてくれ。もうどうでもいいんだ俺は。もう短い時間しか生きれないから何もしたくない……。

 そして、今度は光とは反対側に象られた、暗く底が無い虚無へと彼は向かい始めた。

 その刹那だった。

「駿!起きろ!!」

 痛みが彼の感覚を支配し、同時に意識がゆっくりと水面に向かい浮き上がってゆく感覚にとらわれる。それはやがて空の青と混じり合い、ふさぎ込んでいるにもかかわらずさわやかな風がいくらかの憂鬱さを吹き飛ばすかのように感じ始めていた。

 水面に浮かんだ──そう思った駿は、さわやかな空の青が今度は白みを帯び、そこにもう何千回も見た幼馴染の面影がゆらりと浮かび上がるのを見た。背景の明るさが潮を引くように落ち、やはりもう何千回も、飽きるほど見た模様がそれと共に形を帯び始める。それと同時に、お腹辺りに何かが乗っている様な重さも感じ始めていた。

 その幼馴染──黒瀬の面影は怒っているように、駿には見えた。

「……んあ?ゆ……い……?何でここに」

 かすかに石鹸の香りを纏わせた彼女は、いつの間にか仰向けの駿の上にまたがるようにベッドに上がり込んでいた。

「駿、起きた?ほら学校行くよ!今すぐ着替えて!」

 眼を開けた幼馴染を彼女は確かめると、さながら母親のように言葉で急かす。しかし、駿の表情は何も感じないかのように動かなかった。

 行って、どうなる。どうせ、もう──

 そして、顔を黒瀬から背ける。

「……行かない」

 その一言に黒瀬は、耐えがたい衝動が自分を操るのを自覚した──

 ほぼ反射的だった。手が伸びたのは。

「あーっもう!半ドンだけど気晴らしにでもなるでしょ!?」

 ケンカをしてるかのように彼のパジャマの胸ぐらを掴む。

 駿の上半身は無理やり起こされ、視界を前後に強く揺らされた。

 しかし、幾ら黒瀬が幼馴染をゆすっても、彼の表情は虚無に沈んだままだった。魂が無い人形を相手にしているようにまるで無反応の駿に、彼女はさらに揺すぶって意地でも従わせようとする。

「駿、いい加減にしなさいよ! 何よそんなことで──」

「結衣……」黒瀬の怒りは、駿の無感情な言葉に簡単に止められてしまった「何もする気が無い。学校も、外出るのも……もう、どうでもいい。ほっといてくれ」

 視線を合わそうとしない幼馴染に、黒瀬の怒りは簡単に、諦めと呆れに転化する。まるで駿に自分の怒気を吸い取られてゆくようで、感情の水準が急降下して行くのを黒瀬は明瞭に自覚した。

 彼女は手を放した。彼の身体は重力にひかれて、ベッドの敷き布団にぱふんと落ちる。

「駿……本当に、あそこに書いてある事信じてるの?」

「……そうじゃなかったら、結衣のお母さん、あんな反応するはずないだろ? あと、御寺さんも」

「でもさぁ……だったらそれ覆してやる、って思わないの!?」

 黒瀬の言葉に再び怒気が混じり始めたが、受け取る方は、そんな事全く気にしてないかのように視線を合わさなかった。じっとして、ただ嵐が過ぎ去るのを待っているかのように。

「どうやって覆すの……?俺、何も知らないから結衣、教えてよ」

「そんなこと自分知るはずないじゃない……」

「だったら言うなよそんな事……」

「駿!」

「そうだ。結衣、俺の身体から術者としての要素を全部取り除いてくれよ。そうしたら長生きできるようになるんだろ?」

「そんなこと出来るワケないでしょ?」

「なら……言うなよ。そんな事」

 駿は一瞬、自分の上に乗っかっている幼馴染を見つめたが、再び視線を逸らした。静かに、その関係を断ち切ろうとしているように。

「駿、何無理言ってんのよ……今現状で出来ることやるしかないでしょ?」

「やった所で長生きできなかったらダメだろ?いいよもう……」

「駿ったら!」

「結衣……もう俺の事忘れて他の誰かと一緒になった方がいいと思うぞ……」

 突然の言葉に黒瀬は言葉を失った。金魚のように口をパクパクさせてなんて言ったらいいのか、彼女自身混乱して判らなくなっているかのようだった。

「何言ってんの、駿……!」

「どうせ先が無いんだから、そんなのと付き合って悲しむよりは──」

「何言ってんだ馬鹿っ!」

 駿の頬に、黒瀬の感情が乗った平手が一閃した。乾いた音が部屋に響く。

 しかし、平手打ちされた方はまるで何事もなかったように幼馴染の方をゆっくりと見ると、何処までも感情が抜けきったように黒瀬に告げる。

「……結衣、無駄だって。俺は変わんないよ……」

 再び視線を切った駿に、黒瀬はがっくりとうなだれた。長めの髪が、はらりと下を向く。何かを堪えようと口元は歯を食いしばっていたが、やがて気が抜けるように体が沈み込んだ。

「……わかった。もういい。知らない……」

 それはどこか悲しげで、やるせなくて、そして彼女自身の中で荒れ狂う感情の嵐を懸命に耐えているかのようだった。

 黒瀬はゆっくりと馬乗りになっている駿から体を起こすと、ベッドから降りる。彼女の言葉からも、感情が抜けてしまっていた。

 そそくさと荷物を持った黒瀬は、部屋を出ようとした。その足が、何を思ったか出口手前で歩みを止めた。

 そして、迷いを振り切るように静かで、しかし通るような音量で彼女は告げた。

「……もう来ない。さよなら」

 ドアを閉める音は、言葉に乗っていた感情からすれば、いささか乱暴なものだった。その音がエコーとして響いた後、駿は膝を抱いて丸まった。

 そして、ぽつりとつぶやいた。

「結衣……それでいいんだ。それで……!」

 何処となく目の周りが熱くなっているように、駿は感じていた。


 黒瀬はいつも通りに登校し、いつも通りに授業を受けていた。しかし……半ば上の空だった。

 ──どうしたらいい。

 その言葉だけが、ぐるぐると黒瀬の脳内を駆け巡っていた。朝方、もう来ない、さよならって言った舌の根も乾いてないにもかかわらず。

 ふと、前を見る。いつもなら一つ前の席には白谷の無駄に広い背中に遮られて前が見づらかったが、今日は教室がやけに広く見えるように黒瀬は感じた。

「こんな見え方しないはずなのに……」

 彼がいないせいか、授業中の先生の声までいつもよりも大きく聞こえるように黒瀬は感じていた。

 そう、いつもなら、休み時間などに不意に後ろを振り向いて下らない話を向けてくる幼馴染がいない。うるさい黙れ、こっちは忙しいんだと体よく追い払うとへーへーと少し不貞腐れながら前を向く腐れ縁の相方がいない。昼食時にこっち向いて世間話しながら弁当食べて、なおかつ購買へ追加のパンを買いに出たら売り切れてて腹が減って死にそうな顔をして戻ってくるお隣さんがいない。

 ──遠野に襲われたとき、魔法が使えなかった自分をいいタイミングで助けに来てくれた、頼れる術者の駿がいない。

 もういなくなってしまったわけではない。二度と会えないわけではない。今日、休んでいるだけなのに、どうしてこんなに、空っぽに感じてしまうんだろう……自分は──。

「……い、ゆい、結衣!」

「……えっ?」

 自分の名前を何回も呼ばれてようやく黒瀬が反応した。頭が勝手に絞っていた音声入力のダイヤルを上げてゆくように、教室のざわめきが戻ってきていた。

 授業は、いつの間にか終わっていた。

「結衣、大丈夫?」

 紫野が黒瀬の顔を覗き込む様にしながら問いかけて来た。

「結衣、今日白谷くん休んどるじゃんね?そのことで何かあったん?」

 後席の灰屋も心配そうに訊いてきた。

 黒瀬は青野と紫野に一応大丈夫と手を上げて知らせると、何て言おうかと困惑した面持ちを浮かべて後席の灰屋の方へと向き直る。いつものように3人が集まって、向き直ってもまだ口を開かない黒線の動向を見届けようと固唾をのんで待っている。

「……いや、ゴメン。今日、あいつ風邪ひいたらしくて……」

 その場を誤魔化すかのように、黒瀬はさらりと表向きの理由を告げた。実際はそれどころではないのだが、本当の事は言えない。

 灰屋と紫野はそのぎこちなさを読みとったのか、ホントに?と小首を傾げそうな疑問を呈している。しかし青野はそれを真に受けたのか、

「へえ、白谷でも風邪ひくことあるのか。てっきりバカだからひかねえものだと」

「雅美ちゃんそれ酷くないですか?」

「でも何か白谷らしいというか。あたしよりも下だし」

「あら雅美ちゃん、成績はもう白谷君のほうが上ですよ」

「──ウソっ!冗談でしょ……?」

 紫野に成績でツッこまれた青野の顔面がさぁーっと青くなって、ヤバイ、という表情で固まっていった。昨年口論になりかけたこともあって、青野にとって白谷は微妙に合わない相手になっている。ずっと成績は上回っていたので、まさか抜かれることはないと思っていた青野にとっては不意を突かれた格好になってしまった。

「白谷君、確か2学期末は二けた順位だったはずですわよ」

 紫野が更に言葉の槍を打ち込むと青野の表情に今度は青みが混ざり始める。止めは灰屋がにやけたような顔つきで、

「雅美ちゃん、勉強せんといかんら?もうすぐ3年生になるじゃんね、受験アカンかったらそれこそ白谷君に何言われるか判らんに?」

「判った、来週から真面目に受ける!白谷に負けてたまるか」

 いい感じに気合が入った青野は、そうだ今の内から用意しておこうと友人の輪から外れて自分の場所へと舞い戻っていく。てきぱきと机から教科書やノートを取り出して次の授業の準備を万端にしている様子を見て、3人の表情に少しリラックスさが戻ってきていた。

 ──しかし、灰屋と紫野の、黒瀬を見つめる視線はそのリラックスさがウソであるかのように、少し冷ややかなものだった。

「で、結衣さん……先ほど言っておられた白谷君の風邪、って……ホントなのですか?」

「ホントなのですか、ってどういう……」

 見破られてもそれを糊塗するかのように黒瀬はオウム返しで問いを紫野に返す。

「結衣、嘘つくの下手じゃんね。顔に"違います"って書いたるに?」

 灰屋がジト目で疑いを投げかける。

 見抜かれている。しかし、本当の事は言えない──何とか上手くはぐらかしたいと思う黒瀬は今しがた思い出したように声を潜めて二人に答える。

「……ちょっと二人とも、あんまり言いふらさないでね」

 黒瀬はそう言って二人に自分のそばまで寄るように指示を出した。好奇心と猜疑心が混じった二人の顔が、黒瀬の言葉を聞き逃さぬように必要以上に近づいてゆく──いつの間にか三人に増えていた。

「なになに~何の話してんの?」

 青野が授業の準備を終えて元の場所に戻って来たためだった。さっきの黒瀬の言葉通りにするため、灰屋が口に指をあてて静かにするように青野に伝える。意図を汲み取った彼女は浮かべていた笑みを沈めて真面目顔に戻っていった。

「……今日、休んでるわけを駿のお母さんから聞いたんだけど、ひょっとしたら難病の疑いで入院しなくちゃならないかも、って言われて……」

 三人の表情が、まるで強い冷気でも浴びたかのように固まった。自分には関係ないだろう……そう思われる出来事が突然目の前に現れたように感じた彼女らは、言葉をしばし失っていた。

「本当ですか!? そんなになってるなんて今までからは見えなかったんですけど……」

 紫野がまさか、を表情で現したように驚く。横に居る灰屋も、にわかには信じられない、と思わず零しそうな顔つきに変わっていった。青野は固まったまま動けず、何て言っていいのかわからずに混乱しているようだった。

「今はまだいいんだって。ただ、将来的には体力が落ちてって衰弱するんじゃないか、って……」

「結衣、ウソじゃないだら?」

「今日検査受けて判るのは来週っぽいんだけど、結果次第では……だから」

 ──検査とかは出鱈目だが、"病気"に関しては強ちウソは言ってない。黒瀬はそう自分に言い聞かせていた。

「まさかそんなことに……」

「うーん……人の一生、どんな落とし穴が待ち受けてるか判らんら……」

 紫野と灰屋が、もしそれが自分だったら、と考えていそうに真剣な表情で悩み始めた。

「……何か、すぐには信じられん」

 青野がぽつりと零す。

「雅美ちゃん、白谷君と口喧嘩するくらい仲いいですものね」

「そんなんじゃねーけどよ……」紫野の茶化しに少し癪に障ったような顔をする青野「年取ってんならいざ知らず、まだ高校生なのにそんなことになるってピンと来ない……」

 三人は自分が当事者になったように落ち込み、黙ってしまった。黒瀬は少し言い過ぎたとばかりに明るい表情を作り、

「ま、まあ、検査結果が良ければ当分そういう症状は出ないみたいだから、自分としてもそうなってほしいとは思ってるけど」

 自分も、そのことは杞憂に終わって欲しい──そう黒瀬は強く思った。

「確かにそう言う事があってしかも本人が休んでいるのでは、結衣が気に病むのも仕方ないですわね

 ……」

「こればっかりは結衣が身代わりに、っては出来ないから、しばらくは様子見とるしかないら」

 そう言う事なら仕方ない、とばかりに紫野と灰屋も賛同を示す。

 二人の言葉に黒瀬は静かに胸をなでおろした。とりあえずは、大丈夫──表向きは、だが。

「あ、あと少しで4時間目ですね。準備しないといけません」

 時計とちらりと見た紫野は青野と共にそう言って灰屋の机から離れてゆく。それをきっかけにして黒瀬は向き直り、次の授業の準備をあわただしくし始めた。

 しかし……その手がふと止まる。

 ……本当、それどころじゃない──黒瀬は、白谷がふさぎ込んでいる今朝方のイメージが一瞬浮かんだ。そして、授業中はずっと幼馴染が向けて来た言葉と、それにどうしようかと頭を抱えたいほどの自分の迷いが延々と流れていた。

 駿をどうしたいの?自分はどうしたいの?

 どうやれば駿は昔のように戻ってくれるの?

 またバカ話で楽しみたい。また魔法の事で話を聞きたい。

 駿とたとえ残りわずかな時間となっても一緒に、楽しく、幼馴染らしく過ごしたい。

 翻って、なんであの時、"姉"という立場に驕って無理強いさせようとしたんだろう。

 どうして、自分も休んで、彼の話を聞いてあげられなかったのだろう。

 マトモに聞いてもいないのに、どうして自分は今授業に出てるんだろう。

 ナンデ、ジブンハ、ココニ、イルンダロウ──。

 ……帰らなきゃ。帰って、駿と話がしたい。

 だって、自分は"姉"なんだから。"弟"が助けを求めてるのにそうしない"姉"なんていない──黒瀬は、今から自分がしなければならない行動が何なのか、具体的な形になってゆくように感じていた。

 もうすぐ授業が始まろうとする中、まるで夢遊病者の如く、何処にも焦点が合ってない瞳で黒瀬はゆるりと、さながら幽霊が出てくるかのように立ち上がった。

「結衣……どうした?」

 突発的な黒瀬の行動に、灰屋は目を白黒させながら思わず訊いた。

 しかし、灰屋が訊きたかった答えは返ってこなかった。

「……ごめん。自分、帰る」

「帰るって……って結衣、もうすぐ4時間目始まっちゃうじゃん……!?」

「美紀、先生には風邪ひいてつらくなったから帰るって伝えといて!」

「結衣、ちょっと待ちりんよーっ!」

 黒瀬は周囲が見えていないかのように友人の声を無視して手早く帰り支度を整えると、追っ手に追われてるかのように駆け出してゆく。クラスメイトが黒瀬に視線を集中している中、そんな事、気にかけてられないと言わんばかりに教室を出た黒瀬の後姿は廊下に消えていった。


 この日は、この時期の北陸の天気らしく、どんよりとした暗灰色の雲が立ち込めて蓋をするかのように上空を覆っていた。日中でも薄暗く、時折積りはしないまでも雪がちらほらと舞い降り、それが余計に寒さを演出しているかの様だった。

 部屋は無音に近かった。天気のせいもあるが、外の明かりは遮光カーテンのせいで部屋の中まではほとんど届いていなかった。

 ベッドの上には、駿が膝を抱えて、まるで胎児の頃に戻ったかのようにそのままの姿勢で横たわっていた。

 両親は仕事で出かけ、弟も学校へ行っている。白谷家には、今は駿だけしかいなかった。

 彼の頭は、今要約すれば"無意味"に集約される言葉で埋め尽くされていた。

 ただじっと時が過ぎ、その瞬間がやってくるのを待っているだけだった──好むと好まざるとにかかわらず。

 それ自体にも意味はない。しかし今は、何故、意味が無いことなのかを吟味することにも諦観していた。

 どうせ、無意味になる。

 だったら、もう初めから何もしない。動きたくもない。

 規則正しい呼吸だけが、駿にとっては仕方なくしている行動だった。

「……」

 このまま、何もしないで自分の人生の終わりの日を迎えるんだろうか。あと数年しかない、他の人から比べたら圧倒的に何も出来ないうちに、勝手に終わってしまうのだろうか。

 拒否したい。でも、抗う術はない。魔法は対抗手段になりえないどころか、逆に命を削っているのと変わらない有様だった。

 魔法……ふとそう思った駿は、3階から窓枠ごと落ちたあの時の光景が頭をよぎった。と同時に、4か月ほど前に起きた駅前でのトラック事故。どちらも、魔法があったから助かったし、助ける事が出来た。

 しかしその結果がこれ……駿は理不尽さに再び膝を抱える両手に力を加えた──。


 ……何処からかチャイムの音が聞こえる。駿はしばし眠りに落ちていたことを自覚した上でその音を認識したが、身体を動かそうとは思わなかった。そんな気分ではない上に、大体はこの時間の来訪者と言えば何かの勧誘に決まっていた。駿は、居留守を決め込んだ。

 しかしそんな心情を無視するかのように、玄関の呼び出しチャイムはさながらハードロックのドラムのようにハイレートのビートを刻み始め、連続鳴動試験でもしているかのように電子音が彼の耳を乱打した。

「……うるさい。どこのバカだ……」

 その乱打はそのままに、今度は自分の名前を呼ぶ女性の声がビートに紛れて駿の耳へと聞こえて来た。

 それは、聞きなれた声だった。

「……結衣?」

 何でこんな時間に、と思いつつ駿は久しぶりに体を伸ばすと、スローモーションながら、しかし仕方なく体を起こして立ち上がる。布団の上に置いてあったガウンを羽織り、フラフラと、まだ夢見心地のおぼつかない足取りで部屋を出て階段を下りてゆく。その間にも、ハイレートのビートで鳴らされるチャイムと聞きなれた声は続いていたが、そろそろ近所迷惑になりそうなほどの時間に、駿は怒りの感情が沸き上がってくるのを感じ取った。

「……なんだってんだもう……」

「駿!大丈夫か!?」

 立て格子に型板ガラスがはめ込まれた玄関引き違い戸の向こう側に、人影がちらついている。そこからの声は紛れもなく幼馴染だ。

「今開けるから……ちょっと待って」

 駿の声と同時に、チャイムのビートは止まった。再び家の中を静寂が舞い戻って来た。

 鍵を開け、引き戸を開ける。そしてこんなことで自分を叩き起こした黒瀬に、駿は文句の一つでも言おうとした。

 しかし、そんな暇を黒瀬は与えなかった。

「駿っ!」

 彼女が突然玄関ホールに乱入した──次の刹那には、駿は幼馴染に抱きしめられていた。しかもそこそこの力で、下手すると締め上げられるような程で。状況が分からず目をぱちくりさせつつ、彼はまだかすかに石鹸の香りが彼女に残っているのを感じた。

「結衣……学校は?」

「駿が心配になったから早退してきた!」

「……何で……」

「あんたが幼馴染で腐れ縁でお隣さんで……そして同じ術者だからだよ!」

「意味わかんねぇよ……」

「とにかく!駿(あんた)の事でマトモに授業受けられやしないから戻って来たの!」

 そんな駄々っ子のような言い訳をしている彼女の顔は、言葉の勢いとは裏腹に、どことなく壊れてしまいそうなほど繊細で、そしてある感情を溢れさせずに堰き止めているかのようだった。眼鏡の奥の瞳はもう潤んで、マトモに見えないんじゃなかと駿が思うほどだった。

「……結衣、朝言っただろ。俺の事は──」

「うるさい! 部屋入るぞ」

「……はぁ!?」

「勝手に上がるから」

 睨みつけるような、黒瀬のレンズ越しの瞳。嘘を射抜くような彼女の視線に、駿は一瞬たじろいだ。その隙を狙ったかのように、黒瀬は長靴を脱いで上がり込んだ。目の前の階段を一歩一歩、力強く踏みしめるように上ってゆく。

「ちょっと結衣っ……!」

「駿、ちょっと話しよ。そっちが嫌でもこっちはしたいのよ」

 なんなんだよ……とこぼす駿を置いてゆくような勢いで黒瀬は階段を上がり切り、右側の駿の部屋を乱雑に開ける。薄暗い部屋に、彼女の足は一瞬、止められた。

「……明かり、点けてなかったの?」

「……そんな気分じゃない」

 黒瀬は、ベッドの方を見た。起こされて畳む暇がなく、まるで複雑な褶曲運動を受けた地層のように、布団や毛布類が乱雑に、うねりながらその場にあった。カバンや学生服は昨日帰宅してからは触ってないようで、それぞれ机と壁のハンガーの所定の位置に置かれていた。

 軽いため息一つついて、黒瀬は当たり前のようにベッドに腰かける。少し遅れて、駿も腰を下ろした。こぶし二つ分の隙間を、自然に空けながら。

 しかし、すぐには二人は何の行動も起こさなかった。互いに視線を交わすことなく、ただ目の前に広がる床をしばらく眺めているだけだった。

 言葉も交わさず、ただ何処からともなく聞こえてくる街の音がかすかに二人の耳に届いているだけだった。

 暫らくの静寂の後、黒瀬の方から口火を切った。

「駿」

「……なに?」

「駿、ってさ、魔法使い、ってどういうイメージだった?」

「……何だよそれ。言わなきゃいけないか?」

「言って。自分、聞きたいの」

「……女の子。そして、ステッキ振り回して呪文唱えて……何でも叶えちゃうすごい子……かな」

「自分は違った。もう術者としていくらかの魔法は使えていたけど、風ばっかりだし、使える所限られてるし、人前ではよほどのことが無い限り使っちゃダメ、ってお母さんから口酸っぱく言われてたし……便利なんだか不便なんだか判んないただの道具、って感じだったなぁ」

「……そりゃあ……そうだろ」

「だから、魔法少女もの、って自分ほとんど見てないんだ。だって……あんなに便利じゃないんだから。そして人前で平気で使ってるのっておかしいと思ってたし」

「……そんなの、テレビまんがだから仕方ないって……」

「もうちょっとその魔法少女ものみたいに使い勝手がいいとよかったのにね……そうしたら、色々と変える事が出来たかもしれなかったのに……」

 黒瀬の言葉の最後は、何処か潤んでいるように、駿には聞こえた。しかし、表向き、彼女はそれをおくびにも出さず、平常心でいられるように努力していた。

「……いいよ、もう」

 駿は横目で幼馴染を見た。そして、間隔をこぶし一つ分に狭めるように、腰を浮かして黒瀬の方へとズレた。ベッドの動きに気付いた黒瀬は、さりげなく近づいてきた駿に視線を合わせる。

「……あのさぁ。別に魔法でどうこうしてくれとか、そんなんじゃないって気がする。ただ……」

 駿はそこまで言って詰まった。続く言葉を虚空から探しだすように焦点のつかない視線を泳がせている。

 続く言葉を知りたい、と視線で黒瀬は駿を見ている。

 駿は言葉を見つけられなかった。その代わりに……こぶし一つ分の、二人の隙間を彼はゼロにした。

「駿……」

「結衣、ごめん。朝あんなこと言ったけど……自分が耐えられるか判んない。だから……」

「いいよ。だって腐れ縁でしょ?」

 黒瀬の言葉への答えはなかったが、彼はさりげなく、しなだれるように彼女の肩に頭を預けた。彼女も、彼に体を預けるように密着度を上げる。

 互いの体温が、厚着を通してでも届いてるように二人は感じていた。

 ──どのくらい時間が経ったのだろう、バランスを崩した駿が、寄り添った形からそのまま仰向けに布団に柔らかくダイブした。黒瀬もその方が楽だったのか、視界の片隅で彼を見て少しの笑みを浮かべて、並んで仰向けになる。

 二人は言葉を交わさず、ただ、天井を見上げていた。

 駿は、見飽きるほどの、自分の部屋の天井を。

 黒瀬は、久しぶりに見る懐かしさを伴った天井を。

「……ねえ、駿」

「……なに?」

「……怒ってる?」

「……なにを?」

「……6月の、土曜の放課後」

「……もう、時効だろ。それに、俺も結衣ももうその時の相手とは別れてるんだし」

「……ありがと」

「結衣……もしさ、あの時、俺が先に言ってたら……?」

「……結果は変わんないと思う。"姉と弟"に囚われてたのは自分の方だし」

「今でもその考えはあるの?」

「ある」

 ──まるで黒瀬にスイッチが入ったかのように、その言葉は明瞭だった。駿の表情に陰りができ、そっか、と呟いて背を向けようとした刹那──彼女が動いた。出し抜けに駿の視界に幼馴染の顔のアップが映りこむ。長めの髪がゆらりと駿の顔を撫でるように揺れ、こそばゆさに彼は思わず目を細める。駿に覆いかぶさるように四つん這いになった黒瀬の眼鏡のレンズが瞳の意志の強さを隠すかのように、わずかに差し込む光を反射して見えにくくしていた。

「……結衣……!?」

「今でもあるよ、駿。自分は"姉"で、駿は"弟"。だから──」

 わずかな光で見える彼女の表情。そこには、薄暗い部屋の中でもはっきりとわかるほどに……頬が染まっているのを駿は見た。

「どうせ死ぬ運命にあるんなら、最期に自分と付き合え! 姉として、幼馴染として……これはお願いじゃない、”姉”としての"命令"、だ!」

 ──その瞬間の駿の顔は、"鳩が豆鉄砲を食らったような"という表現の代表として教科書に載せていいほどの、言葉そのものの顔だった。

 余りの突然の事で、言葉が空っぽで、そのせいで駿は何を言っていいのか判らなかった。たっぷりCM1本分の時間が流れた後、ようやく取っ掛かりの言葉が浮かんできたが、それはあまりにも陳腐だった。

「な……何言ってんだ結衣。何やってんのか判ってんのか……!?」

「判っててやってんだよ!」

「……こんな時に"姉"を持ち出して来るなよ……」

「じゃなきゃ駿、今のあんた動かないでしょう?」

「そりゃあそうだけど……どうせもう時間もない。何したところで全部無駄に──」

「勝手に決めつけるな!無駄かそうでないかなんてそん時に決めりゃいいだろ!何もしないことが無駄だ!」

「時間無いの判ってんだろ!?俺はあと数年しか生きられないんだから何やったって中途半端で終わっちまうだろ!?」

「だったらその数年でも全力で何かやれ!中途半端でも何でもやらないよりはマシだろうが!最後の最後まで抗え!」

「うるさい……幼馴染だろうが!? だったら何で俺の気持ち判ってくれないんだ!」

「わからないわよ!だから幼馴染やってんでしょうが!!」

 黒瀬の叫びが、部屋の中でほんの僅かだが余韻が残る反響をして、やがて消えていった。

 意味が分からず目を白黒させた駿は、黒瀬の迫力もあって言葉を忘れたようにただ半端に口を開けていた。

 黒瀬の、続く言葉は怒鳴るような口調から今度は諭すような、柔らかいものへと変化した。

「……もし、さ……そんな気分をわかってしまったら、誰がいつものような駿に引き戻せるっていうの?そんな役が出来るのは幼馴染で腐れ縁の自分しかいないでしょうが……!」

 彼から見た黒瀬の顔にはやはり怒りの成分が多数を占めていたが、しかしそれが全てではなかった。眼鏡越しに見える彼女の瞳には、別の感情が潤みとなって今にも零れそうだった。

 駿の中には彼女になびく気持ちが沸き起こってきたが、しかしまだ心は虚無へと振り向いていた。子供が拗ねるように、顔を背けて彼は言葉での抵抗を試みる。

「……でも、そんな上手く行くワケ──」

「そんなもんやってみないと判んないでしょうが……」何度言わせるの、とあきれ顔の黒瀬「駿、残り何年、十何年になるか判んないけどさ……自分と一緒に居よう」

 彼女の顔が、凛と張り詰める。

「最期の時まで……後悔は、させない」

 その言葉を聞いた駿は、まるで操られているかのようにゆっくりと顔を彼女に向けた。呆然と、そして少しの驚きの成分を交えて。

「なあ、結衣……」

「何?」

「……それ、って告白じゃなくて……プロポーズ、なのか?」

 彼がそう言った瞬間、理解不能といった顔を結衣がした。やがて自分の台詞を吟味し始め、しばらくして意味をようやく掴み始める。彼女の、理解不能の表情から次第に頬に赤みを伴い、そして口が金魚のようにぱくぱくと何か言いたそうに動き始めた。

「ちょ……ちょっとそういう意味ではない……じゃなくて、ああ……そんなんじゃない。違うんだけど……」

「なんか言い方もそうだけどどう考えてもプロポーズ以外の台詞には聞こえなかったぞ……」

 さっきとは攻守逆転したようで、駿は下から幼馴染の慌てぶりをジト目で見つつそのしどろもどろ具合を楽しんでいるかのようだった。

 結衣は上半身を起こした。彼の横で正座になり、拗ねたように彼を見る。

「でも、まあ……駿がそう思うなら……それでも、いい」

 結衣は恥ずかし気な面持ちで駿に告げる。"姉"としてのプライドを残してるのか、いくらかの偉ぶった感情を乗せつつ。

 上半身を起こした駿は、改めて結衣と向き合う形に姿勢を整える。そして真正面から彼女を見た。何が起こるんだろう、という疑問を表情にしたような結衣の顔を駿は見つつ、少し改まった姿勢をする。

「……俺、完全には切り替えられないから時折またこんなことになるかもしれないけど……」

「……わかってる」

「……結衣がそこまで言うなら……」

「駿……」

「何とか、あがいてみる」

「……ありがと」

 結衣の顔には、さっきの言葉から続く頬の朱がずっと続いていた。それは薄暗い部屋の中でも、駿の目には柔らかな、慈しむような"姉"らしい笑みと共に、しっかりと見えていた。

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