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風の通り道

登場人物



黒瀬結衣(くろせ ゆい):女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 魔法使い(術者)だが現在はその魔法のリハビリ中 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ


白谷駿(しろたに しゅん):男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は存在自体がレアな男子の魔法使い(術者) 成績は下あたりから最近は普通くらいに 3月25日生まれ


黒瀬木綿子(くろせ ゆうこ):女性 結衣の母親 内職で古文書の解読作業をしている 術者 45歳


御寺由紀(おでら ゆき):女性 非公開省庁である"魔法庁"の職員 水商売っぽい出で立ちをしている 風をメインに使う術者 28歳 喫煙者

 ──本当に、この読み下し文で合っているのだろうか。黒瀬木綿子(くろせ ゆうこ)は自身の能力を懐疑的にしか見れなくなっていた。

 既に借り受けた史料の全てを現代語訳に変換し終え、あとは魔法省へと報告するだけにはなっている。しかしある部分に関して、本当にこれで合っているのか……もう何度も見ながら目を細め、眉間のしわを増やして眺め、そのたび考え込んでいた。

 何故、考え込むのか──それは書かれている状況と、現在のそれとが凄く似ている事も原因の一つに違いない……彼女はそう思った。

 そして当該部分は、悲劇で終わっていた。状況が似ているからと、現在もそうなるとは言えないまでも……嫌な予感が彼女の頭の片隅でちらつく。そしてそれを抑え込む"拒絶"に近い感情が、頭の中を何往復もしていた。

「……」

 木綿子は物置代わりに調度品やしばし使わない家電、家具などがひしめき合う部屋から玄関へと出る扉を見つめる。その向こう側、壁を何枚も透過した先の隣家に思いを馳せた。

 反射式ストーブの、静かに灯油を燃やすかすかな燃焼音が何とか彼女の耳に届くほどに時折囁く。それ以外は、家族がのんびりとその日の疲れを癒すようにテレビなどを見ている音が、そことを隔てる襖から漏れ聞こえて来ていた。

 何処にでもある普通の家の普通の夜のカタチが時間と共に流れてゆく。

 "男性の術者がいる"というくだりが書かれている史料を木綿子はいくつか見たことはあった。その時はまだ"お隣さん"こと白谷駿(しろたに しゅん)が魔法を発現する前で、彼女自身もそんなことあるのかと、あくまで魔法に関する雑学の一つとして記憶の引き出しにしまい込む程度の物だった。それらも基本は又聞き状態で史料によって記述がばらばらで信頼性が少ない上に、内容もあまり重要な事柄までは書かれてなかった。せいぜい、何歳ごろにその能力が出現したとか、その程度だった。

 白谷が魔法の力を発現し始めた頃から木綿子は、自分たちを担当している魔法庁職員の御寺由紀(おでら ゆき)にはこの件に関してより詳細な史料が国内はもとより海外にも無いかどうか、何度か問い合わせしてみたことがある。しかし、その時点では無(・)い(・)との回答が、問い合わせと同じ回数分帰ってきていた。

「残ってないのか、はたまた何らかの理由で"抹消"されてるのか……」

 無いなら仕方がない。ならば、予習は出来なくても復習は出来る。幸い希少なサンプルがお隣さんに居るから、将来、もし男子の術者が出てきた時の為の叩き台を作ろう──木綿子がそう考えた矢先に飛び込んで来たのは、男性術者の詳細な記録が書かれているらしい史料解読の依頼だった。もちろん、二つ返事で引き受けた。

 しかし──結局は知らない方がよかったのではないか、と思い悩むことになる。

 もし、お隣さんが"術者"ではなく普通の人だったら、ただの他人事として、過去に起こった直接には関係ない誰かの記録として、いくらかは興味を持つもここまで心配になることはなかったはず……彼女はそう思った。

 そのことを踏まえて木綿子は、レポートは御寺に提出はするがその他の関係者には内密にしておいた方がいいと、決めた。

 これが万が一、娘──結衣に関することだったら……多分、何も手につかなくなるだろう可能性は十二分に考えられる。というか普通の親だったら、誰だってそうなるに違いない。それが、親というものだ。お腹を痛めてこの世に生み出した者としての、必然の義務を背負うものとして。

 冷酷な事を言えば、自分の家族ではないこと。ただそれだけでまだ気持ちを保っていられる……そこまで考えて、酷い事を考え付くものだなぁと彼女は自嘲した。

「おじゃまします……」

 玄関の扉が開く音と共に、"お隣さん”が家を訪れた。

 今日は家で御寺からの報告の集まりがあるのを木綿子は思い出し、瞬時に感情を切り替えて玄関で待ってるであろう"お隣さん"こと白谷に、扉越しに声をかける。

「あ、駿くん?上がって~上で結衣が待ってるから」

 玄関に声が届いたか、閉めた扉の向こう側から靴を脱いで上がり、階段をゆっくりと上がってゆく音が聞こえて来た。ややあって結衣の部屋に入ったようで、扉を閉める音と共に何やら会話の音が天井を伝わって聞こえてきている。

 一時は気持ちのすれ違いでケンカしてその後絶交にまで悪化していた結衣と駿の二人。その間は互いに違う相手と時間を過ごすこともあったが、いつの間にか、二人はまた同じさやに戻っていた──それは親としては喜ばしい事だ。そう木綿子は思った。

 いつか御寺に、今は別々の相手といるけど将来は二人一緒になるような気がします、と予言めいたことを話したが、それが現状、間違っていないことに彼女は自分の想定の正しさを自負する事が出来た。まだその未来は確定ではないが、少なくともそうなる確率が高いルートを二人は歩んでいる。

 そこまで考えた彼女はふと思った。

 古文書に書かれている二人は、その時、望んでも叶えられなかった事を今、生まれ変わってもう一度やり直そうとしているのではないのか、と。神様か仏様か判らない、人間の能力を超えた何か超然的な力に操られて、過去のその時には悲劇的な結末を迎えた二人が今度は少しでもいい方向になることを望んで……。そうでなければ、二人はまたしても悲劇を演ずることになってしまう。親としても、それだけは避けてほしいと切に願う。

 しかしそれは願望でしかないことは重々判ってはいるし、現実というのは下手をすれば同じ悲劇を何度も繰り返させるような加害趣味を持っていると思わざるを得ない時がある事も、彼女は承知していた。

 深いため息をつき、現実世界という出来損ないのゲームに対して木綿子は異議申し立てしたくなる気分になった──その時、外の方から自動車のエンジン音が聞こえて来た。家の前でその音が消え、ばたりとドアを開ける音と共に、誰かが玄関へと歩いてくる。

 主賓が来た。再び、彼女は気分を強制的に切り替え、出迎えるために立ちあがった。

「……上がろう」

 ストーブを消して、さて電気を消そうとしてその前に玄関のチャイムが鳴らされた。あとで消そうと玄関へ出た木綿子の前でガチャリと玄関のドアが開き、一見場違いな水商売風の雰囲気を纏った非公開省庁職員が姿を現した。

「お邪魔します。御寺です」

「お待ちしてました。じゃあ上へどうぞ」

「失礼します」

 御寺は用意されたスリッパに履き替えて上がり込み、階段を上ってゆく。さて電気消してあたしも、と彼女がそう思った矢先、

「お母さん~お風呂どうする?」

 下の娘の由紀が台所から声をかけて来た。何もこんな時に……と軽い不平をこぼしながら一旦台所へと駆け出して指示を出す。トンボ帰りで駆け出した木綿子は慌てていたのか、今まで居た部屋を見ずに階段へと足をかけた──。


「おじゃまします……」

 白谷が黒瀬家の玄関でそう言うと、その横の部屋から閉まってる扉越しに結衣の母親の声が届いた。

「あ、駿くん?上がって~上で結衣が待ってるから」

 靴を脱いで玄関ホール右斜め前へ進んだ白谷は階段を上がってゆく。白谷家のとは違い、ここのはスケルトン階段──蹴込板が無く向こう側が見えるタイプで、ちょっとおしゃれな感じに白谷からは見えた。

 階段を上り切った正面には物置代わりの三畳間があり、右を向けば窓の向こう側に自分の家が見えるはずだが、今は閉まっていて見えない。左を見ると部屋が2つあり、そのベランダ側が結衣の部屋になっている。白谷は何気なく一部すりガラスがはめ込まれているドアのノブを回そうとして……昔だったら勝手に開けても文句言われなかったよなぁ、と思いつつ、今だったら確実にいきなり開けるなバカ、って言われそう──そう自重して結局ノックした。

「居るか?」

「入っていいよ~」

 ドアの向こう側からあっさり許可を貰った白谷はノブをひねって開ける。と、そこは女子高生の部屋というには飾り気が余り無いように彼には見えた。

 限りなく白に近い薄めのピンクの壁紙に囲われた八畳間ほどの部屋は、最低限の家具と、勉強机と、簡素なベッドがあるだけだった。それに今日は魔法庁の御寺由紀(おでら ゆき)から今回の件について説(・)明(・)があるという事なので、簡素な丸椅子2つが用意されていた。それらは床を覆う濃い目の赤に近い短毛のカーペット上に置かれている。同じくそこからやや離れた場所に置かれている反射式ストーブが、部屋の温度を上げようと音もなく灯油を燃やして孤軍奮闘していた。

 ベランダへ出られる掃き出し窓には、厚手の濃い赤のドレープカーテンが垂れ下がって部屋の温度を逃がさないように壁を作っている。

 勉強机に向かって何やら書き込んでいるこの部屋の主が羽織るものも女子高生にしては首を傾げたくなるようなものだった。灰色のスウェットの上下を纏い、手作りっぽい感じの藍色を基調としたさまざまな色のつぎはぎのドテラを重ね着している。下半身にはベージュの毛布を巻いて放熱を最小限にとどめ、足元は厚手のグレー地の靴下を履いた上で電気足温器に突っ込んで体を寒さから保護していた。その姿は、噂に聞く一人暮らしで着たきりスズメに徹している独身OLのようだった。

 白谷の方はと言えば、黒の長袖スウェットに下は学校で使う青いジャージのズボン、そして防寒用に学校へ着てゆく紺色のダッフルコートを羽織り、靴下は灰色のやや厚手の物を履いている。コートの下は普段着そのものなのであんまり他人の事は言える状態ではなかった。

 ふと、小さかった時によく互いの部屋に入って遊んでたのを白谷は思い出した。記憶の中で懐かしさのフィルターをかけて保存してあるその時と今現在の視界に広がるクリアな光景とを重ねる。

「何処座ればいい?」

「そこの椅子二つはお母さんと御寺さん用だから、駿は自分のベッドにでも腰かけてて」

 白谷は言われた通りに、カーペットの床に置かれた丸椅子を無視するように通り過ぎ、部屋の奥にある幼馴染が使うベッドに腰かける。柔らかな反発力のため白谷の身体が数回、上下に揺すられた。

 もう一度部屋中をなめるように見まわすと懐かしさもあってか、思わず言葉が白谷の口から零れた。

「何か……あんまり変わって無いなぁ」

 物珍しそうに部屋中に視線を配る白谷。その幼馴染を、結衣も物珍しそうに眺めていた。

「そお?色々と変わってはいると思うけど」

「細かい所は判らないけど、全体の雰囲気として」

「まあ、そう言われるとそうかもね……」結衣はそういうものかなぁ?と不思議に思いながら答えを返しつつ、今度は問い返した「駿、朝方よりは元気そうじゃない?」

「まあ、な……」

 昨日の夕方……本人のミスからペンダントを奪われ、その上、魔法の事を探っていた緑川と北川の目の前で不可抗力とはいえ使ったところを見せてしまった。その結果、魔法庁の職員が出張るほどの大事になった──そのことに負い目を覚えた白谷の落ち込みは見ていて気の毒になるほどに見受けられたが、1日経ってそれから比べればマシになっている……結衣にはそう見えた。

「……で、これってどういうことをするのかって言う報告会だよね?何で駅前の喫茶店でやらないんだろ?」

「あ、それ聞いた。何でもこの後お母さんと御寺さんとで打ち合わせやるからここになったって」

「もう夜だろ……大変だなぁ、公(・)務(・)員(・)も」

「いいんじゃない?公の僕なんだから」

「にしてもなぁ……こんな夜まで働かないといけないなら、もし就職するなら公務員はやめておきたい」

「給料安いもんね。私も就職するなら公務員以外の方がいいかも。たくさん貰えるし……って駿、あんたは先生との約束で大学でしょその前に。それに先生は公務員」

「あれなぁ……」苦虫を噛んだように渋い顔をした白谷だが、その後の表情には何処か柔らかさが上書きされていた「もう……赤城さんとは何もないんだし、無効にしてくれないかなぁ」

「駿、それはアレでしょ。そうしないとすぐ遊んじゃうからじゃない?いいじゃないの。このところちゃんと成績上がってるんだし、いいに越したことはないでしょ?」

「まあそりゃあ悪い気はしないけど……それに物事が判る時の面白さというか快感というか、そんな感じが判って来たから続けてるけどね」

「学校の成績よくないと、お給料たくさん貰える会社には入れないからね」

 ──二人の言葉が途切れ、BGMとしてかすかに掛かっている民放FM局の番組が、寡黙になった結衣と白谷の間をつないでいる。

 彼女は机に向かって何やら思い出したように書き込みに集中し始め、白谷はもう一度確認するかのように部屋の中を見回し……そういえば、と思いついたように幼馴染に訊いた。

「そういや御寺さん、いつ来るの?」

「もうそろそろ来るはず、って聞いたけど──」

 壁に掛かった時計をちらりと見た結衣が言い終わらないうちに、家の前から車のエンジン音が聞こえてきて、止まった。どうやら来たようだ──二人の顔に緊張感が走る。特に結衣の方は、それにいくばくかの不機嫌さが混じっていた。

 玄関から母親が御寺を出迎える会話が聞こえた後、今度は足音が階段を上ってくるのが二人にも届いていた。同時に下の廊下では、母親が何か言われたみたいで駆け足のバタバタ音が聞こえて来た。

 やがてドアがノックされ部屋の主が許可を出すと、御寺が姿を現す。

「御寺です。お集まりいただきありがとうございます」

 御寺は部屋に入るなり、以前のような慇懃無礼さを忘れたように丁寧な挨拶を行った。遅れて階段を駆け上がってくるあわただしい音が響き、やがて息せき切って上がって来た母親も部屋に入って来た。

「ごめんなさいね。遅くなって」

 母親はそう言ってまだ所在なく立っている御寺に椅子を進めた後、残った椅子に腰を掛けた。

「お待たせしました。それでは関係者が揃ってるようなので今回の処(・)置(・)に関して、その報告と付随するいくつかの事を話しておきます」

 水商売風の格好からは軽いギャップを感じる"処置"という固い言葉と口調、そして彼女の体に染み込んだ煙草の臭いが、緊張感の漂う部屋を支配した。話を聞く側の3人の口が、表情が、更に一つ締まる。

「先ほど……1、2時間ほど前ですけど、秘匿情報の取得及び拡散の恐れが高かった二人の"目標"に対して、『記憶不明瞭化処置』を行いました。これは記憶制御魔法の第1段階であり、一番軽目の処置になります」

「"記憶不明瞭化処置"って要は記憶をあいまいにして自然に忘れさせるようにする、ってことですか?」

 一旦言葉を区切った御寺に、白谷は反射的に問いを口にした。

「簡単に言えばそう言う事になります。ある周波数の超音波を発生させ、脳の特定部分の記憶層を揺動し、不安定化させることが、被処置者に対して最も身体への負担が少なく、記憶障害をほぼ起こさない処置になりますので」

「ホントに大丈夫なの?後遺症とか出るんじゃないんですか?」

「過去の記録から見ても病院に罹るほどの重篤な事態に陥ったケースは存在しません。それに何か異常があれば、行動基準を改定するような法整備は行っております」

 結衣が怪訝そうな表情を隠そうともせずに問いかけるも、その辺りは既に想定済みらしく、御寺は淀むことなく問いに答えた。

「じゃあ、あの二人……緑川と北川さんは今後どうなるんですか?」

「処置した瞬間から該当事項に関しての記憶にもやというか、思い出しそうで思い出せない状態が続きます。そうなると、思い出そうとするだけでもエネルギーと時間が必要になり、やがて億劫になってきます。そして、本当に微塵も思い出せないようになる──これが今回の処置の概略です」

 白谷の問いに、御寺が学会での発表のように事実を事務的にスラスラと並べて説明をする。

「記憶の消去、とは違うんですね?」

「似て異なる……とでも言いましょうか。突然消すか、ゆっくりと消えてゆくか……。記憶の"消去"の方は即効性はありますが身体的及び日常生活への影響が出やすいので、めったに使われません。余程のことが無い限り、は」

「余程のこと、って……」

「主に不明瞭処置でも改善が見られない場合、などです。今回はそこまでは行ってないので」

 白谷は説明を受けたが、表情を変えずに淡々と効果を述べる御寺に対して、次第に何処かうすら寒い感覚に囚われ始める。それは動物実験を直に見せられている様にも思えた。拒絶感と嫌悪感が、じわじわと心の中でその水位を増し始めている。かといってそれに代わる方法があるかと言うと……まだ高校生で、世間の何たるかを知らない白谷には思いつくはずがなかった。

「昨日"どっかの物騒な許可証を持ったエージェントじゃありません。ただの公務員ですから"って言ってたような気がするんですがどうなんですか? あんまり変わんないように聞こえるんですけど」

 結衣の言葉に友好的な成分は含まれてなかった。白谷以上の嫌悪感を隠さずに、眉をひそめて眼鏡のレンズ越しに睨みつける。

「英国秘密情報部ですか?そこまでの権限は私達にはありません。あくまで"記憶の操作"だけです」

「それってその人の過去まで変えちゃうわけでしょ?酷いとは思わないんですか?」

「酷いです」御寺はきっぱりと言い切った「しかしそれも給料の内。仕事の範囲内です」

 余りにもはっきりと言われて一瞬面食らった結衣は、それでも言われっぱなしじゃ終われないと気を取り直してさらに口調を強めた。

「人としてどうなんですかそれは──」

「わたし、以前も言いましたが、この省庁の職務は術者の保護及び監督です。それが最優先されます。わたしやあなたたち術者が魔法の事で不当な謂れや人権侵害につながるような言動や行動を流布される前に何とか手を打つのが、わたしの仕事です」

 あなたの言い分はもういいです、とでも言いたげに結衣の話の腰を折って御寺が声を被せる。口調は落ち着いているものの、感情が言葉の端々に乗りはじめていた。

「……過去を壊すんですよ……!」

 それでも……そこまですることなの?抗うように、詮索するように、結衣は言葉を絞り出す。

 暫らくの無言が、部屋を占領した。

 白谷は言葉を繰り出すタイミングを失っているのか、二人の会話を眺めている。

 母親は、しょうがない子ねと半ばあきれつつも、行く末を見守っているように見える。

 そんな中、御寺が口を開いた。これは言いたくなかったけど、とでも言いたげな、苦悶を伴った表情で。

「……以前、似たような案件で同じ処置をしたことがあります。今回と同じように、男女二人でした。処置をした後の調査で、本来なら一緒になるはずの二人が、記憶が不明瞭化されたためにすれ違いが起き、その後別れた、という報告を聞きました。私の行動が、二人の未来を壊してしまったのです。怖かったですよ、わたしのやってることが……。でも、わたしが術者であり、この仕事を選んだからには責任はわたしにあります。ましてや、この処置は監理監督官であるわたしの権限ですからなおさら……」

 さっきまでの口調とはまるで違う、人としての感情が籠った言葉が他の3人の耳に届いた。

 この時初めて御寺の表情に陰りが浮かんだ──少なくとも、白谷と結衣には、そう見えた。今までが今までなだけに、二人とも、言い返す感情の栓を抜かれ、言葉を返せなかった。

 御寺は言葉を続けた。

「……あの二人に不明瞭化の魔法かけるときに心の中で"ごめん"、と思わずつぶやきました。それは二人の過去の記憶を不安定にしたことだけじゃないからです。本当はそれを基礎にして作るはずだった、未来という建物自体を壊してしまうのではないか……その事に対してです」

 わたしだって、血も涙もない機械のような人間じゃないんです──御寺の、結衣を見つめる瞳はそう語っているようだった。

「……ご理解いただけましたでしょうか?」

「……わかりました」

 御寺から注がれる、責任と決意の意思を含んだまなざしを受けたせいか、気勢を削がれた結衣は、納得してないような顔をしたが少なくとも言葉としては矛を収めた。そもそも、魔法庁案件にしてしまった時点で二人には事態を処理できる能力を超えてしまっている。結衣の、御寺に対する好悪に関わらず選択肢は初めから手元に存在しない。それが判らない程彼女は愚かではない──結局は黙り込むしかなかった。

「あと、覚えておいて欲しいのは、この処置は確かに監督官の判断で出来ますが、乱発するとペナルティがあります。なので、どの監督官もそうですけど、この処置を出すことは結構、重大な決断なんです。そのことだけは、記憶にとどめておいて欲しいです」

 判ってくれ、とは言わないが世の中にはそう言う事をしなければならない事情がある……という事を記憶しておいてほしい。御寺はそれ以上は言わなかったが、責任感を持った社会人の意志の強さに、高校生の二人は見えない何かで口を噤まれてるように感じた。

「話がズレました。もし何もなければ次の話に移ります。よろしいでしょうか」御寺は二人を見回して念を押す「今度は確認の話になります」

 黙り込んだ二人はまだ何か言いたそうにはしていたが、御寺の女性にしては低めの口調と、肉食獣のような鋭い視線に前にはそれを表明しようとする意志を根元から挫けさせるのに充分だった。

 御寺は言葉を続ける。

「不明瞭化の過程において確実に効力を発揮しているかの確認作業が必要になります。基本的には被処置者は我々魔法庁の一時的監視下に入ることになります……と言っても随時人員が監視するわけではなく、黒瀬さんや白谷君のような術者の定期的な観察報告と職員の時折行われる数時間程度の監視行動がセットになりますので、お二人にはその辺りのご(・)協(・)力(・)を(・)お(・)願(・)い(・)したいです」

 それまでの御寺の行動や言動が効いているのか、すぐさま二人からの反応はなかった。ややあってから、白谷が恐れながらといった風体で軽く手を上げた。

「……で、どうすればいいんですか?協力って言ってもピンと来なくて」

「具体的には被対象者の周囲からさりげなく今回の事例に関わるような話が聞いたか、それに類似した行動とかを見かけたか、などの有無を遅くとも2日に1回は報告してほしいのです。それらの報告を基に、こちらも対処しますので」

「そう言うのを聞いたり見かけなかったら、そのまま"無い"って言えばいいんですか?」

「そうです。それと同時に、1年生に子らに関する情報も同様にお願いしたいです」

「同時に……!?」

「無理に接触する必要はないです。あくまでそういう話を聞いた、とかのレベルでいいんです。こちらから仕掛けることはないですから」

「まあ、それくらいなら出来るかも……」

 ホントにそれだけでいいんかなぁ、と疑問符が周囲に飛び交ってるように顔をしかめる白谷。御寺は同じように顔をしかめている結衣の方にも向いて言葉をかける。

「黒瀬さんの方もご協力をお願いします」

「……」

 結衣は渋い顔をしたが、その口からは反対の意思は表明されなかった。御寺はそれを了解と受け取る。

「では、そう言う事で。よろしくお願いします」


 御寺からの報告及び要請が終わった。白谷は帰宅するために部屋を出、結衣は見送るために一緒に行動する。御寺はそのまま部屋に残り、何らかの打ち合わせを母親としているらしく、落ち着いた口調で何やら話し込んでいた。

 白谷は帰宅するので階段を下りている。結衣も見送りのため一緒に下りていたがその途中、何かを思い出したかのように幼馴染が背中から白谷に声をかけて来た。

「あ、駿、ちょっと待って。渡すものあるから」

「渡すもの……?」

 はて、何かあったっけ……?と白谷の顔の周りに跳ねのついたクエスチョンマークが複数、周回している幻覚が他の人から見えるほど不思議がっている中を彼女は階段を上り、いそいそと自分の部屋へと向かっていった。

 帰る準備だけはしておくかと階段を下り、玄関で靴を履こうとした時にふと白谷は誘われるかのように横の部屋を見ると、扉がわずかに開いている。その隙間からは、点きっぱなしになっていた灯りと色々と家具などが放り込まれた和室の光景が垣間見えた。

 そういやここで初めて魔法の存在を知ったんだよなぁ……半年以上ほど前の事がずいぶん昔の事のように、白谷は懐かしさを伴って思い出された。そして、ふらふらと誰かに引っ張られるように部屋の方へと足が向いて行った。

 少し開いていたせいで、部屋の中は微妙に冷えている。蛍光灯の青白い光と相まって、見える景色の温度がずいぶん低いように、白谷は感じた。

 壁が見えないほどたくさん家具類や不要になりかけている調度品、電化製品、使いきれない贈答品などが詰め込まれたこの部屋の真ん中には、小さなちゃぶ台が置かれており、その上には古文書とそれを解読している最中なのか、殴り書きのように書かれたメモ帳ときれいな文字で埋め尽くされたレポートの束、そして筆記用具が見えた。

「字は綺麗だな……でも結衣の文字じゃないから、多分おばさんの文字だな」

 ふうん、と小さく呟く。多分魔法庁の方から委託されている、魔法関係の古文書類を解読し書き記したものであるのは見て取れた。そういやこういうものを見るのは初めてだし、どんなことが書いてあるんだろう、そう思った白谷は体をかがめてレポートを読み始めた。

 それは自分と同じように、男性術者の記録のようなものだった。いつ頃生まれて、その後どういう風に魔法が発現したか、どういう境遇で育ってきたかなどが詳細に書かれていたが、家の名字が自分と同じことに目が行った。しかも複数人、いる。

「ウチの家系って男の術者が出やすい血統なのか……」

 もちろん、普通に女性の術者がいることも書かれており、元々が術者の家系だったことに彼は軽い驚きを隠せないでいた。だから誰も使わないのに家に水晶が置いてあったのか……宝物のように箱に入れられて保管してあった理由が判ったような気がした。

「こんな家系だから、自分が術者になるのもある意味定められた運命みたいなものか……」

 こうなると続きが気になりだした白谷はレポートを追いかけて読んで行って──とある部分で、それが止まった。

「……え?」

 思わず、目を見開いた。

 心臓が、急くようにばたつく。

 混乱する思考から、混沌とした言葉が生まれるがそれは音声として喉元を通れなかった。口から生まれなかった。

 何とか言葉になったそれは、信じたくないと叫びたいがそうならなかった。

「これ、って……!」

「駿、持ってきたよ……って何見てるの?」

 廊下から結衣が飾りをつけた小袋を手に部屋に入って来た。さっきまでの不機嫌さは何処へやら、楽しいことを顔で表現しているように彼女の感情は喜色であふれている──幼馴染の、何かに囚われてこわばり、動けなくなっている横顔を見るまでは。

 白谷からの反応はなかった。魅入られるようにレポートの一部分に視点を固定されてそこから動かせなくなっている。見てはいけないものを見てしまったかのように、呼吸は荒くなり、口元が何を表現していいのか震えていた。

「ん?お母さんが解読している古文書?」

 彼女が白谷のそばまで寄ってきて同じようにその部分を見て──まるで、その文章から叩きつけられた衝動をまともに食らったかのように、彼と同じ状態に陥っていた。

「……何これ。何で……!?」

 彼女が思わず零した言葉の隣で、白谷が力なく腰を落とした。頭を垂れて、その瞳は生気を失いかけている。

「お母さん……お母さん!これ何よ!これどういうこと!?」

 二階の自分の部屋で打ち合わせをしてるだろう母親に天井越しに大声で彼女は叫んだ。聞こえたのか、天井からゴトゴトと足音が聞こえ、それが階段方向へと移動し、すぐさま階段から慌てて下りてくる足音が部屋にも入って来た。

「何よ結衣どうしたの……あっ!」

 薄く開いたドア越しから母親の声が聞こえたと思った次の瞬間には、慌てて扉を開け、部屋に入ってちゃぶ台の上の古文書とメモ帳、レポートの束をかっさらうように二人の目前から取り去った。

 しまった! 母親の顔には明確にそんな文字が書かれていたように慌て、そして繕うように苦笑いを浮かべたが、それは何の意味も持たなかった。

「ご……ごめん駿くん。何も見てない……よね?」

 見られたくないものを見られてしまった──肩で息をしているせいで呼吸は荒く、念を押すように母親は白谷に尋ねた。白谷は、レポートなどが奪われても、体中の関節が固定化されたようにそのままの姿勢で動いていない。

「お母さん、どういうこと……?」

「ほ、ほら、まだ最初の解読の段階だし、それにまだ間違っている可能性も残っているし……とにかく、これで確定なんかじゃないから……!」

 ウソとはわかりながらも、今だけでも誤魔化せれば……そう思ったのか母親は、ちゃぶ台からかっさらった古文書やレポートを殊更に力を込めて、まるで奪い去られないようにしっかりと抱きしめて立ち尽くしていた。

 下で何事か起こっているのが気になった御寺が上から降りて来た。そして結衣の母親が力を込めて抱きしめている古文書やメモ類、次いで、白谷が精神的なショックなのか動けなく固まっているのを見て状況が判った。御寺は、何か言おうとしたが今ここを上手く収めるような適切な言葉が浮かばずに、ただその場を見つめているだけだった。

「お母さん……!」

 結衣の瞳が、無情な現実に抗うように鋭く母親を睨んだ。その視線に耐え切れずに、母親は娘から顔をそむける。

「教えてよ……駿って、もうそんなに長く生きられないの……!?」

 ──娘の問いかけに、母親は、それに対する明確な答えを持ち合わせてはいなかった。

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