私は嵐
登場人物
黒瀬結衣:女子高生(2年生) 白谷駿とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 魔法使い(術者)だが現在はその魔法のリハビリ中 成績は優秀 眼鏡を掛けている 4月8日生まれ
白谷駿:男子高生(2年生) 黒瀬結衣とは家が隣で幼馴染で腐れ縁で同じクラス 実は存在自体がレアな男子の魔法使い 成績は下あたりから最近は普通くらいに 3月25日生まれ
緑川勇樹:男子高生(2年生) 生徒会会長。成績優秀で、大人しくまじめな生徒。黒瀬結衣は元彼女 眼鏡をかけている 1月15日生まれ
北川秋絵:女子高生(2年生) 生徒会副会長 成績は学年トップからほぼ落ちたことがない程 何故秋翠高校にいるのかが謎と言われる 眼鏡をかけている 6月4日生まれ
若井貴子:女子高生(1年生) 生徒会会計 文科系の部活と生徒会との掛け持ちをきちんと両立している賢い子 加賀山に対して当たりが強め
加賀山徹:男子高生(1年生) 生徒会書記 運動部系の部活と掛け持ちしているがそっちの方は出番が少ないためおざなりになっている 若井にいじられてる
赤城真由:女子高生(1年生) 白谷の元カノ 彼に一目ぼれして彼女になったが、とあることで別れてしまった 成績はいい方 2月26日生まれ
──発端は、学校祭関連の書類の一部が見当たらないことからだった。
「あれ……無いぞ」
生徒会室で来年度行事編成の作業をしていた書記の加賀山徹が、困惑した表情を隠そうともせずに手元のバインダーを何度も手繰って確認していた。
そのバインダーに綴じてあるはずの資料が数十ページ分、ごっそりと抜けていて見当たらない。ぱたぱたとあわただしくページをめくる音が生徒会室を占め、他の3人もその音が気になるのか、時折書記の方を一瞥する。
「別のバインダーかなぁ」
加賀山はそう独り言ちると隣接する会議室兼資料室へと移動して行く。戸棚からバインダーを引っ張り出し、中身をめくるかすかな音が生徒会室にも届いてくる。すぐに終わるかと思われたが、ガサゴソと物をどけたり移動したりする足音とかは聞こえるが、一向にあったという声は聞こえてこなかった。
「……っかしいなぁ」
困惑にいくらかの怒りが混じった声が隣から伝わると、とうとう作業に集中できなくなったのか、会計の若井貴子が、どこ探してんのよ、まったく世話の焼ける奴だなと言いたそうな表情を浮かべて席を立ち、隣へと歩んでゆく。
「何探してんのよ」
「学校祭関連の資料。粗方あるんだけど肝心の部分がごっそりと無くなってる」
「あんたが持って行ったバインダーにないの?」
「一部分が無い。誰かが抜いて行ったんじゃねーだろうなぁ」
戸棚からバインダーを手当たり次第に引っ張り出しては中身を確認して行く加賀山。しかし肝心の物はその手掛かりすら見せていない。
若井はしばらくその光景を傍観していたが、手伝ってやるかと言いたげに加賀山と同じ行動を取り始める。見つけてやるという意気込みは高かったが、結果は同じだった。
「何処隠したのよ」
見つからないイライラを加賀山にぶつける若井。
「隠さねーよ。つか、俺は今年になってその書類触ってねぇ」
「どうだか……」
多少のバツの悪さを誤魔化しながら、若井も捜索を続ける。
一向に資料室から戻ってこない二人が気になったのか、とうとう生徒会長の緑川勇樹と副会長の北川秋絵も資料室へと移動して、行方不明になっているその書類捜索に加わってきた。改めて、生徒会役員4人が元々置いてあると思われてる戸棚周辺を家探しし始めたが……それこそ神隠しにでも遭ったかのように、やはり見つからなかった。
「加賀山くん、その資料、今必要ですかね?」
次どこ探そうかときょろきょろしている加賀山に、緑川が声をかけた。
「今すぐってわけじゃないですが……編成上もうそろそろ作成しないといけないので、出来れば早めの方が……」
「わかりました……」
緑川が考え込む様に首を傾げつつ、絞り出すように声を出した。学校祭が近い時期以外は余程のことが無い限り持ち出す資料ではないので、多分、前任者が誤って持って帰ってしまった可能性が高いのだろう、そう考えた。そしてその前任者は──出し抜けに表情が曇る。出来れば触れたくないが……緑川の顔はそう言ってるようだった。
その顔色を察したのか、北川が緑川に助け舟を出す。
「緑川くん、何なら私が言ってきましょうか……?」
「お願いできます?」
緑川が、何処かほっとした面持ちを北川に見せる。北川の方は"貸しにしておきますよ"と言いたげな、意味ありげな笑みを浮かべた。
「明日、私が当事者に事情を説明しておきます。加賀山くん、そこ以外に出来そうな場所から手を付けて。緑川くん、それでよろしいでしょうか?」
「それで構いません。じゃあその方向で」
緑川からの了承を得た北川が加賀山に指示を出す。この辺りの手早さは学年1位をほぼ堅持している才女そのもの、と若井は尊敬の視線で彼女を見つめていた。
4人はまるでそうプログラムしていたかのようにその場を後にし、それぞれの仕事に取り掛かる。しかし、3人に続いて最後に資料室を出ようとした緑川は一旦その足を止めた。そして、後ろ髪を引かれる様に振り向いた。
「……」
その口元は何かを言いたそうにわずかに動いた後、緑川は何かを考えこむかのようにその場に立ち尽くしていた。数秒の間があり、それがまとまったのか、決意を纏った強い視線で副会長の方を見、名前を呼んだ。
「北川さん」
呼ばれた相手は、さっきから緑川に視線を向けていたらしい。彼女の方も何かを考えていたように、その顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「わかってます」
北川はそう言うと席を立ち、緑川がたたずむ資料室入口へと歩を進める。並んで、二人は資料室へと姿を消した。
事情を呑み込めてない書記と会計の1年生コンビがぽかんとした表情を浮かべて、生徒会室から二人が消えた資料室入口をただ見つめているだけだった。
黒瀬結衣は家で勉強中、以前授業中にもらったプリントを引っ張り出そうとして引き出しを開けた時に、身に覚えのない封筒が目に入った。必要なプリントと共に取り出し、改めて封筒を見、中を見ると……。
「……あ、これは……」
中に入ってるものを見た瞬間、さながら封印されてたあらゆる厄災が現世に解き放たれたように、黒瀬の頭の中はその時の情景があふれるばかりに噴出し、満ちていった。
表情が苦みを帯びる。
「学校祭の資料……の一部かぁ。戻し損ねてる……」
忙しかった時期に、家へ持って帰って作業をしようとしていたのだろうか。関係書類はバインダーに全て戻していたはずだったが、全部揃っていたかの確認をし忘れていたらしい。B4藁半紙30枚ほど何かの作業で抜き出していて戻し忘れたなんて……疲れていたせいもあったんだろうな──黒瀬は数か月前の行動を思い出しながら、さてこの書類をどうやって戻そうかと考えをあぐね始める。
……普段はカギは掛かってないはずだから、休み時間などに見つからないようにそっと持って行ってバインダーに綴じてしまおうか。大体お昼休みか放課後に誰かが居るパターンだから、普通の休み時間あたりにそっと持って行ってしまおう──そう考えた黒瀬の脳裏に、ふと、"もし見つかったら"……その危惧が思考に混ざり始めた。
書記と会計の1年生2人や副会長の北川はまだいい。直接的な利害関係は無いから、間違って持ち出してしまったことを謝罪すればその3人ならそれほど咎められはしない……問題は、生徒会長の緑川がいた場合、だった。
3か月ほど前まで、黒瀬は緑川と彼氏彼女の関係になっていた。現在はそうではない……本当なら、違った未来が広がっていたはずだったのに。自分に、一瞬、腹が立つ。
「……いっそ駿に持ってってもらおうか……あー、いや、駄目だ。」
隣に住む幼馴染でクラスメイトで腐れ縁の白谷駿に代行を頼もうと黒瀬は一瞬考えたが、基本的に部外者な上、白谷も緑川とは良好とはいいがたい関係になっている。ましてや、2学期終り近くには水晶のペンダントの事を訊いてきた。幸い、黒瀬本人がそれを強制的に止めて"お守り"であることを再度強調し、事なきを得たが……。それ以降、なるだけ顔を合わさないようにしているし、会って話しかけてたとしても即座に逃げている。よほどの用事が無い限りは隣の8組の前は通らないようにしているし、それは白谷も同じだった。
「……仕方がない。午前中の休み時間にさっと行って戻しておこう」
黒瀬はそう言うと、カバンの中にその資料を入れた。
「おはようございます。黒瀬さん」
「ああ、北川さん。おはよう。めずらしいね、7組の教室来るなんて」
「実は黒瀬さんにお尋ねしたいことがありまして……」
翌日。普段通りに学校に着いた黒瀬を待っていたかのように、北川が姿を現した。何人かいるクラスメイトには目もくれず、まっすぐ眼鏡越しに黒瀬を見つめた彼女は、違うクラスに物おじせずその足を教室内に踏み入れた。
「尋ね事、って?」
「実は……昨年行われた学校祭の資料の一部が所定のバインダーに綴られていないことが判りました。もしかしてその部分をお持ちなのかと思って」
「ああ、これ?丁度良かった。自分、あとで生徒会室に持ってこうとしたけど……何なら北川さん、お願いできる?」
黒瀬は鞄から封筒に入れられた資料を取り出すと、北川の前に差し出した。彼女はそれを受取ろうとして──伸びかけた腕が、電池切れの様に止まる。
黒瀬の頭上に、クエスチョンマークがかすかに浮かび上がる。
「──黒瀬さん、ごめんなさい。私、バインダーの何処に綴じ込むのか、良く判ってないので……変な所に入れてまた後で騒動になるのも嫌なので、申し訳ないですが、直接出向いて綴じ込んでいただけないでしょうか?」
「それは……」
"嫌だ"──そう言いかけて慌ててとどめた。北川から視線を外し、何かいい方策が無いか黒瀬は頭の中でシミュレートし始める。北川はそれを察していたのか、さらりと対案が黒瀬に提示された。
「……会長なら今日の放課後は用事でいないと聞いていますので大丈夫です。帰り際に生徒会室に寄って、さっと綴じて行かれた方がいいと思うのですが……」
「……何で、そこで緑川くん出してくるの……?」
"会長"という言葉にぎょっ、とした黒瀬は思わず北川の方を向いた。頭の中がことごとく見透かされてるようで、しばしの凝視のあと怯えたかのように再び目線を外す。北川の方は、そう言う事が精一杯の黒瀬の感情を走査するかのようにつぶさに瞳を走らせる。そして、口を開いた。
「経緯は聞きました。それにそういうことがあったことで行きにくく感じるのはわかります」
黒瀬の感情には配慮しているような北川の口ぶりだが、その裏で何かを企んでいるかのように口調の温度は低めだった。
早めに戻せるものなら早々に戻したい。そんなに時間かからないだろうし……ただ朝と昼休みは生徒会室に居ることが多い。ならば、と黒瀬は代案を出した。
「それじゃあ……普通の休み時間とかにでも持っていくわ」
「昨日その無い部分を探していたので資料室がバタついております。休み時間10分では間に合わない可能性が高いので、時間がある放課後の方がいいと思います。もちろん、それまでには散らかっているバインダーなどを出来る限り片付けておきますので」
しかし北川はそれすらも予想していたかのように言葉を繰り出してきた。
思わず、なによそれ! と悪態をつきたくなるような衝動をどうにか喉の奥へと押し込めた黒瀬は、ハズレが確定した最後のくじを引くような思いで呟くように答えた。
「……なら、そうするわ」
「わかりました。では放課後に」
答えを貰った北川は一礼すると、もうこのクラスに興味ないとばかりに踵を返し、出入り口から廊下へと向かっていった。
──了承はしたが、それは北川にいいように思考を誘導された挙句の、妥協の産物のように黒瀬には思えた。ただ、そうだとしても放課後が一番時間がかからず確実なのかもしれない。
「……」
黒瀬は何か思う所があったのか、視界から北川の姿が見えなくなるまで眼鏡越しの目で追っていった。見えなくなって初めて、ため息にも似た吐息を吐き出す。
それにしても、と黒瀬は改めて考える。
──北川さんから漂うこの違和感の正体は、なんだろう……と。
「結衣、どうした?何か心配事でもあるのか?」
お手洗いに行ってたらしい白谷が、半分濡れた手を振りつつ教室に入って来た。
その声に反応した黒瀬は、反射的に作り笑いを浮かべる。
「あ……いや、何でもない」
白谷から隠すように件の封筒をカバンにしまいつつ、黒瀬は被りを振った。被りを振りつつ、念のために幼馴染を連れて行こう──そう決めた。
「駿、ちょっと帰る前に一緒に来て」
その日の放課後。友人たちと帰ろうとした白谷を黒瀬が呼び止めた。呼ばれた方はいくばくかの不満を表情にしたが、友人たちに予定変更を告げると黒瀬の所に戻ってきた。
「何だよ突然」
「ごめん、生徒会室に用事あるからついて来て」
「生徒会に用事って……何で俺まで」
「いいから。そんな手間かけさせないって。5分ほど一緒にいてくれるだけでいいの」
一人で行けるだろ、そう言いそうになった白谷はそれを喉の奥へと差し戻した。黒瀬は、言葉の上では強気で押してるように聞こえるが、その実は怖いのかもしれない──振った相手とまた顔合わせするとなったら警戒もするし、何言われるのかもと思うだけで腰が及ぶ。その気持ちは判らないでもなかった。
「何で今頃生徒会に?」
「これ、戻し忘れてたみたいで」
そう言って黒瀬は、封筒をカバンから取り出し白谷にさらりと見せた。
「何だそれ?」
「学校祭の資料の一部。自分、戻すのを完全に忘れてた」
「結衣にしちゃ珍しいな」
「疲れが酷かった時期だったし……」
「ああ、あの時か」
疲れが原因でやけどしたあの理科の実験室。黒瀬の魔法の不調はそこから始まって今現在も尾を引いている。簡単な魔法は使えるようになったが、以前のようには道半ばと言ってもいいほどだった。
「でもさ……結衣、いいのか?もし生徒会長と──」
「それは大丈夫。放課後はいないって話は聞いたし、そんなに時間かかんないから」
「ふーん……それならいいけど、って別にそれだけなら一緒に行かなくてもいいんじゃね?」
「その後家で一緒に勉強するでしょ?」
「それなら別に家帰ってからでもいいんじゃね?」
「……一緒に帰ってくれるんなら今川焼いくつかおごってあげるけど」
「買収かよ……まあ、いいけど」
結局何だかんだ大丈夫とか言ってるけど本当は心配なんだな──白谷はそんな幼馴染の姿もちょっとかわいいかもしれないと思ってしまい、不意に口元が緩む。もちろん、何かあった場合には、白谷がボディガード役に徹しなければならない。その報酬として今川焼数個だけというのもいくらか安い気はするが、まあそこは腐れ縁だし、と割り切って黒瀬の申し出を受けた。
契約成立とばかりに黒瀬は白谷を引き連れ、同じ階の反対側校舎にある生徒会室へと向かう。途中、足早に8組の前を通る時、さりげなく二人は教室の中を見たが緑川の姿は見えなかった。
安堵した気持ちもそのままに南校舎の教室群を抜けて西校舎に差し掛かる。廊下と階段が十字に交わる交差部を左に曲がると、トイレの向こう側に"生徒会室"と書かれた突き出し室名札が見えて来た。気のせいか、黒瀬の歩む速度が次第に落ちてきたように、白谷には感じられた。
「結衣、ホントに大丈夫か?」
「……大丈夫。いないって聞いたから」
「誰から?」
「今朝がた、北川さんから」
「北川さんね……」
海で会ったことを白谷は思い出していた。直接的な接点はないのでその一度きりだけだが、クールビューティーの印象が強い。あと、少しばかりの不思議な雰囲気。悪い人ではないな、と白谷は記憶していた。
黒瀬は、生徒会室の引き戸の前で立ち止まった。竣工時から一度も修繕していない古ぼけた木の引き戸は、よく出入りしていた時には何も感じなかったが、いま改めて見ると、何処か入ろうとする者を峻別してるかのような、拒絶の雰囲気を纏っているように黒瀬は感じた。
黒瀬は引き戸の取っ手に手をかけた。それは以前と変わらない力であっけなく開いた。
黒瀬にとっては見慣れた光景が、白谷にとっては初めて見る部屋の景色が目前に広がっていった。
「失礼します……」
中には誰もいなかった。しかし、隣の部屋から時折何かを片付けるような物音が聞こえてきている。その音の主が北川のはずだと思いつつ、それでも……躊躇いがちに黒瀬は数か月ぶりに──緑川から別れを切り出されたあの時以来、生徒会室へ足を踏み入れた。
「……」
黒瀬に続いて白谷も足を踏み入れる。と同時に、ぼそりと呟いた。
「……何か、秘密基地、って感じだなぁ」
「そお?」
「だってさ、学校の中なのにラジカセはあるわ漫画や雑誌類は積んであるわ……木刀まであるぞ。誰かの土産か?まあ、業務の資料とかも沢山あるからいいんだろうけど、何だか学校の中じゃないみたい」
「そっか……自分、文化委員長してた時にはそんなこと感じなかったなぁ。駿に言われてなるほど、って今思った」
白谷は物珍しそうにきょろきょろとあちこちを見回す。古くなって黒ずんでいる木の床が、幾らかギシギシと音を立てる。
「生徒会室、ってこう、機能一辺倒で無駄がない、って勝手に思ってたけど、そうじゃないんだなぁ。しかし、幾ら生徒会って言っても顧問の先生もいるんじゃなかったっけ?」
「いるけど、岩崎先生ほとんど来ないし来ても何も言わないよ。ちゃんと運営できていればいいんだから」
「そんなもんかねぇ……」
白谷がさらに部屋を視線で物色しようとする横で、黒瀬はここに来た目的を思い出して幼馴染を誘導する。
「駿、こっち。隣の資料室にこれ入れるバインダーとかが置いてあるから」
持ってきた封筒を手に、黒瀬は白谷を呼び寄せる。その表情は、強張っているように見えた。
そのまま隣接する会議室兼資料室へと入ろうとした手前で、不意に黒瀬の動きが止まる。
白谷も急に足を止め、幼馴染の逡巡しているような後ろ姿をしばし見つめた。
表情は見えなかったが、出来ればそこに入りたくない……そう叫んでいるように白谷は感じた。
すると、まるで監視していたかのようにその部屋の奥から声がかかった。
「あ、来られたのですね。今手が離せなくてお迎えに行けずにすみませんでした」
声はやはり北川だった。入り口からは死角になってるらしく、姿は見えていない。
「北川さん?例の資料持ってきましたけど……」
黒瀬はそう言い、思い切るように資料室に足を踏み入れる。ただ、その歩みは何時にも増して何か足に重りでも入っているかのようだった。
部屋の中央部には会議室よろしく四角く組まれた机とパイプ椅子が並び、その周りには片付けきれない様々なポスターや器具類、看板、予備の椅子や机、廃棄予定の古くなった蛍光灯や代替用の新しいもの、あとは生徒会関係者の私物の一時置き場など……が会議に必要な机を取り囲むように壁際に雑然と置かれていた。そして生徒会室側の壁には大きめの戸棚が壁を覆いつくしており、そこには青いパイプ綴じのバインダーが、背表紙にタイトルを貼られてずらりと置ける限り並べられていた。
北川はその前で、何冊かまだ仕舞い切れてないバインダーの中身を見ながら片付けている最中だった。
白谷は物珍しそうに室内を見回している。
その傍らで黒瀬はその戸棚近くで足を止め、視線は目的の資料を閉じるバインダーではなく、戸棚側の机の下の床を凝視するように立ち尽くしていた。
「……」
その表情は硬かった。唇を嚙み──しばらくしてその念を紛らわすかのようにゆっくりとかぶりを振る。
「どうかしました?」
黒瀬の強張った顔を見た北川が声をかける。思い出したように黒瀬は床から視線を戸棚へと変え、
「……ごめんなさい。さっさと済まして帰ろう……って何処かな」
何でもないような、取り繕ったうわべだけの笑みを見せてバインダーの列を探し始める。
棚に並べられた分のバインダーは以前の様に整理済みだったのですぐに目的の物を見つける事が出来た。該当部分を探し出し、持ってきた資料をそこに綴じる。ページや内容を確認し、間違いが無いかを確かめた上で、黒瀬は棚にそれを戻した。
黒瀬の表情に、少し笑みが戻ってきたように白谷には見えた。
「じゃ、自分はこれで」
黒瀬は北川にそう言った、その時だった。
入り口から、ぎし……と床がかすかにきしむ音が背中越しに聞こえた──黒瀬は人の気配を感じてその方向を振り向く。
その姿を見た黒瀬の、眼鏡の奥の瞳が見開かれる。同時に、意識はそことは反対側にいる北川に飛んだ。
そして心の中で叫んだ。
『嘘つき!』と。
黒瀬の中でウソつき呼ばわりされた北川は、わたしは何も知らないと弁明するかのように少し驚いた顔色をしていた。しかし、企みが成功したことに本人しか判らないくらいの微妙さで口元が歪んでいたことまでは、黒瀬からは判らなかった。
「久しぶりだね。黒瀬さん」
「……緑川くん、何で……用事あるんじゃなかったの……!?」
目を見開いて入ってきた緑川を見たのは、物見遊山な感じで部屋を見ていた白谷もそうだった。え?何で?と言いたげに驚きの顔色で固定されて、呆然と見ている。
突然来られたためか、二人が動けずただ立ち尽くしている中、緑川は後ろ手に資料室と生徒会室を隔てる普段は開けっ放しの引き戸を閉めた。
「白谷君もいるのはありがたい。丁度良かった」緑川はそう言うと、手近のパイプ椅子を引いて腰を下ろし、そして宣言するかのように、静かに、しかしはっきりとした意志を持って言葉を続けた「年末の続きを始めましょうか」
──黒瀬は、そう告げた緑川の存在自体が、"悪魔"そのものなのではないかと思い始めた。
「何度も言ったはずだが。これはただの"お守り"だって」
怒りの成分が多めになっているせいか、白谷の、緑川に対する口調は自然と強めなものになっていた。その矛先になっている緑川と北川は、隣り合って椅子に腰かけ、黙って白谷の言う事を聞いているように見える。
「白谷……僕も、北川さんも、それが本当に水晶のペンダントならこんな騙すようなことはしません」
「……意味が分からん」
「白谷、それと黒瀬さんもですが……ぶっちゃけて言うと、僕と北川さんは、お二人が"魔法使い"じゃないかと思ってます。そして水晶のペンダントは魔法を発動する時の"触媒"の役割……」
そう言われた白谷の動きが一瞬止まる。動揺を隠しきれず、それは明確に顔に出ていた。
「な、何言って──」
「緑川くん、北川さん、何言っているのか判ってます?お二人とも成績上位者なのにそんな非科学的な事信じている、とでも……?」
白谷の声を上書きするかのように、一見冷静さを保っている黒瀬が落ち着いた口調で釘をさす。しかしその内側の感情は時化気味だった。緑川と北川の視線がその方向に一瞬向くが、それを無視するように二人は視線を白谷に戻す。
「頭から信じてはいません。でも、"それ"としか思えない、現代科学では解明しきれない現象を見た人がいるという話を聞きました。僕たちはそう言う事が本当にあるのか、それを知りたいために訊いています」
「現象を……見た人?」
「白谷のよく知ってる人です、と言っておきましょうか」
赤城さんか、その友人だろうな……白谷は緑川の台詞からそう断定した。確か、北川さんと親戚の子も友達にいたはず……あの時『魔法はない』って念を押したのに。白谷は口にはしなかったが、頭の中で下級生らに毒づいた。
「で、緑川、お前が知って……どうするんだ?」
「その言葉…年末の時にも使ってましたけど、そういう言葉を使うということは、"魔法"について知っていると公言していることに気付きませんか……?」
「……!」
緑川の冷静な指摘に白谷は思わず何かを言いかけて……視線を外し、口を閉じる。言い返そうとして機先を制されて、白谷のフラストレーションは次第にその水位を増していった。
「……人の揚げ足取りやがって──」
悔しまぎれに白谷はそう言い返すも、緑川はほとんど気にしていないように平然としていた。
「まあ、そういう言葉のあやは今はどうでもいいです。僕たちは、もっと"魔法"の事を知りたいだけです。本当にそう言う事があるのか、何故あるのか、何時からあるのか……」緑川は一旦言葉を区切り、そして続けた「僕たちは、"魔法"という存在が、実は科学技術のなせる業だと思っています」
「……科学技術……?」
意味が判らず、白谷は反射的に言葉を返す。
「そうです。確かに見た目は魔法という不思議な力だけど、未来時制には当たり前になってる科学の力なのではないかと思ってます」
「……何わけわかんないこと言ってんだ」
「オカルトじみた仮説しかないですけど、かつて今よりもはるかに科学技術が進んだ文明があり、そこでこの力は当たり前に使われていた。しかし何らかの理由でそれが衰退し、文明が一旦原始に戻り、再び興って今の世の中になった──その中でその時代に生み出された、ありきたりな水晶とありきたりな力は代々受け継がれ、今白谷と黒瀬さんの胸元にあるのではないか……こんな所でしょうか」
「アホらし。どっかから出てるオカルト雑誌の戯言かよ……空想でモノ言うとはウチの学校の成績上位者っておかしいんじゃねーのかって言われるぞ」
付き合ってられっか、と言いたげに白谷は歩きだす。立ち塞がるように北川が椅子から立ち上がり、両手を広げて眼鏡越しの冷たい視線を白谷に放つ。
背は白谷よりは小さかったが、北川は一歩も引かない気の強さで睨みつける。
「まだ話は終わってません。戻ってください」
「警察の取り調べじゃないんだろ?とっとと結衣共々帰らせてくれ」
「戻ってください……お願いします」
白谷は北川のその冷たい視線に気圧されたのか、相手が女性の為か、はたまた別の何かの要因があっての事なのか……不貞腐れながら結局元の場所へと立ち戻った。
どのみち、この部屋の出口を緑川と北川とが蓋をするように座っている。物理的に排除しない限りは、白谷も黒瀬も、ここから出られない。
「……で、実際の所、どうなんでしょうか。教えていただけないでしょうか?」
腰を落ち着けた白谷に緑川の落ち着いた言葉が届く。胡散臭そうに緑川を一瞥した白谷は、視線を明後日の方向へと向けてぶっきらぼうに答える。
「"お守り"だ。どこまで行っても"お守り"だ。それ以外に答えようがない。大体、明確な証拠はあるのか!?俺や結衣がそういうものだとする明確な証拠は!?」
白谷が閉じ込められている鬱憤を晴らそうとして、荒れた大声で緑川に言葉の刃を向ける。
「……残念ながらそれはないです。しかし、昨年の海での出来事みたいなことは、普通自然では起きえないはずです」
「海みたいなこと……何だそりゃ?」
言葉の上ではシラを切りつつ、白谷の脳裏にはあの時の情景がクリアに映し出された。あの時の駐車場には、自分たち当事者以外には誰もいなかったはずだから……。
「例えば、不良たちの目の前を空気の壁で見えなくしてしまう、とか……」
「空気の壁で見えなくするって?どういう理屈だよ。そんなん出来るワケないって勉強できない俺でも判ることだ」
それにその魔法を仕掛けたのは俺じゃなく結衣だけどな……白谷は心の中でそう自分に突っ込んだ。
あの時、魔法を習いたてとはいえチンピラ相手に当時付き合ってた彼女はおろか自分自身も守れなかった白谷と、絶交中だったがそれでも見捨てたら目覚めが悪いとうそぶきつつ助けてくれた黒瀬。
ああなりたい、追い付きたい──過去から連綿と続く"血"の悪戯で思いがけず、しかしなんとなく術者になってしまった白谷は、その時が明確に目的を意識した瞬間だった。
……そんな思いにふける白谷を横目に、緑川は尚も聞き出そうと言葉を繰り出す。
「あと、赤城さんが呼びに来て僕らが現場へ向かっていった時に、駐車場の端の方に盛大に土煙上がってましたけど、後日、その時の気象状況を調べたら、強い風は吹いてなかったとのことでした。車も移動した跡はなさそうでしたから、それだけの土煙をどうやって巻き上げられたんでしょうか……?」
「土煙?さあ、見てなかったが……?」
これについても知らんぷりを決め込む白谷。
「黒瀬さんは?何か見ました?」
白谷は一旦置いておこうと思ったのか、話題を変えるように、今度はやや柔らかい表情を緑川は元彼女に向けた。
「いいえ、その時は買い出しに行ってましたから見てないです」
「近くだったんですが、何か聞こえてこなかったですか?」
「何も。みんながやってきて初めて気が付いたくらいですから」
彼氏彼女の間柄だったとは思えないくらいの黒瀬のドライな言葉に、白谷は少し背筋を寒いものが這いずるような感覚に襲われた。その表情も、"無表情"という言葉の手本にしたいほどの完璧さだったし、その口調も"事務的"としか言いようがない、感情というものが初めから存在しない程の、無味乾燥な音声でしかなかった。
黒瀬にしても、早い所終わらせて帰りたかった。その願望がそういう表情をさせているのかもしれない。ましてや、自分を振った相手ならなおさら──。
緑川は、視線を合わそうとしない黒瀬の横顔を見つめている。
簡単にはいかない……緑川は判ってはいる。しかし、何時までも資料室にいるわけにもいかない。外はもう、日が落ちて夜の帳が高校の周囲を覆いつくそうとしている。
資料室の中を、沈黙の時間が過ぎてゆく。
「白谷くん」
いつの間にか間合いを詰められていることに白谷は一瞬、ぎょっとして声も出せずに後ずさる。跳ね上がった心臓の鼓動が平静を取り戻すのに、白谷は少しの時間を要した。
「その水晶のペンダント、って触らせてもらえます?」
北川は白谷の黒い詰襟学生服に下にあるはずの水晶以外は気になってなさそうに、胸元下あたりを凝視する。何考えてるのか理解できない──数秒間、睨みつける視線を送った白谷は自分から目線を切ると、ゆっくりとペンダントを首から外す。こげ茶色の、革製の平紐を持って、ごろっとしたカタマリ感のある水晶を目前で掲げるように北川の顔の前にかざした。
「触るだけだぞ」
「ありがとう」
北川の両手がそれを包み込む。水晶の、ひやりとした冷たさとずしりとした重さが手を通して忍び込んで来た。
「普通の水晶にしか見えないですね……」
「普通の水晶だけど。"お守り"だし……」
「本当に魔法のアイテムじゃないんですよね?」
「だからそんなんじゃないって……」
「じゃあ、これをあなたから離すと……どうなるんですか、ね?」
北川が何かを企んでいるかのように、眼鏡の奥の瞳が怪しく輝きを増したように、白谷から見えた──。
「どうなる、って……!」
その瞬間、ペンダント自体が引き抜かれた。
北川が両手で水晶を抱えるように見ていたせいか、革紐を持つ手がいつの間にか緩んでいたらしい。
"成績のいい奴は物事の分別をつけているから大丈夫"と根拠もなく気を許していたせいかもしれない。咄嗟のことで、白谷の手は逃げてゆく革紐を掴み損ね、指は空を切った。
「ちょっ、まっ……!」白谷は手を伸ばしたが、既にリーチの範囲外だった「かっ、返せ!!」
白谷は追いかけようとした。が、足がパイプ椅子とぶつかり思わぬブレーキとなった。
北川は座ってた椅子を乱雑にその場へと置いて、白谷がすぐ追いかけられないように障害物としたからだった。そのまま生徒会室との間の引き戸に飛びつくや否や思いっきり引き開ける。ばしん!と部屋自体を揺るがすような振動と音が資料室を揺るがし、それが消えないうちに生徒会室を通って廊下へと身を躍らせる。それはさながら体育系の部活に入っている子のような俊敏さだった。
「駿、追うよ!」
黒瀬は何が起こったか状況を理解するのに数秒かかったが、身体が動くのは白谷より早かった。こちらも陸上部の部員さながらに緑川の横を無理やりな感じですり抜け、ダッシュで北川の後を追い始める。白谷も黒瀬に続いて部屋を駆け出して行った。
──再び静かになった資料室に一人残された緑川は、口元を僅かに歪める。
「計画通り、かな?」
そしてゆっくりと立ち上がると、初めから判っていたかのように余裕をもって部屋を出る。出る前に、彼は部屋の明かりを消した。一瞬で、暗闇に落ちる資料室。
「普通のお守りだったら、あんな形相してまで追いかけないと思う。やはり、あれは何か大事なものなんだろうな」
緑川は生徒会室のストーブと電気を消す。そして、あるものを手に取ると廊下へと出た。何処からか、駆け足で逃げる音と、複数の追いかける足音が、幾重にも反射して減衰した音量で聞こえてくる。それは木霊みたいに、現実感を伴わない不思議な感覚のように、緑川には思えた。
「落ち合う場所は、確か……」
直接には見えない、事前に打ち合わせた場所を壁越しに見つめると、緑川は歩き始めた。




