あなたを想う風
登場人物
緑川勇樹:男子高生(2年生) 生徒会会長。成績優秀で、大人しくまじめな生徒。黒瀬結衣は元彼女。眼鏡をかけている。1月15日生まれ。
北川秋絵:女子高生(2年生) 生徒会副会長。成績は学年トップからほぼ落ちたことがない程の才女で、何故秋翠高校にいるのかが謎と言われる。眼鏡をかけている。
三笠美智子:女子高生(1年生) 副会長の北川は親戚。眼鏡をかけている。
「詳しく話して」
北川秋絵は、従妹である三笠美智子からの言葉に、咄嗟に口走った。まるで、誰かが勝手にスイッチを入れたかのように。
受話器の向こう側で、従妹の三笠が経緯を話し始めた。
先月、従妹の友人赤城真由がふとしたきっかけで話し始めた、当時付き合っていた彼氏の白谷駿との夏の海での出来事と、初冬に駅前で起きたトラックの歩道乗り上げ暴走事故の顛末。二つの事を白谷と一緒にいた赤城はありえない事象が目の前で起こったことに、"まるで魔法を使ったみたい"──そう表現した。
それを聞いた三笠をはじめとした友人らは、あくまでもそれは比喩表現の一つ、そう思っていた。
『だって、普通は"魔法"って言ったら絵空事の例え話になるじゃないですか。漫画とかアニメとか。現実にはありえないことと思ってしまいます』
従妹の言うことは全く正しい。北川は受話器の向こうから聞こえてくる言葉に声には出さなかったが、その考えには心の中で賛同した。
三笠は話を続けた。
『だから、目の前の人間の首から上が急に見えなくなったり、突っ込んできたトラックが急に方向変えたりなんて真由が言い出した時にはちょっと……言ってることが突飛すぎて』
「そんなこと──」
急にトラックが向きを変えるのはまだ説明できるとしても、目の前の人間の頭が見えなくなる……そんなことがあるわけがない。目の錯覚に違いない──従妹の話を、北川は無意識に拒絶していた。
『……わかります、秋絵お姉ちゃんの言いたいことは……』北川の台詞に重なるように、三笠が受話器の向こうから言葉を投げかける『ちょっと大げさに言ってるんじゃ、って最初は思ってました。でも、真由が目の前で見ていますし、こういう時にウソは言わない子なのは私たちが一番良く判ってます』
感情を帯びているのか、時折言葉に詰まるように話が止まる、受話器の向こうの三笠の声。
夏に海で一度会っただけの赤城という子が嘘を言うかどうかまでは、北川は判らない。しかし、従妹が言うのなら、間違いはないのだろう。三笠の次に続く言葉を待ち続けるかのように、北川は口を噤ぎ、聞き役に徹していた。
『なら、本当に白谷先輩は"魔法使い"なのかを実際に確かめよう、ってみんなと話し合って色んな仕掛けをしたんですけど……結局は白谷先輩にバレて説明させられる羽目に』
「何しようとしたの?」
『車を避けさせるくらいだから、って階段でいきなり物を投げてみようかと。そうすれば間違いなくびっくりした先輩が魔法を使うでしょうから、その瞬間を写真に撮るつもりだったんだけど……』
「それ、白谷くんが何もしなかったらどうするつもりだったの?」
『……そういや考えてなかった……』
そこ考えてなかったの?そうじゃないでしょ──思わず突っ込みたくなる衝動を苦笑と共に何とか押しとどめた。
気を取り直し、三笠の言葉を催促する。
「……それで、どうなったの?」
『そのあと、先輩は自分はそんなんじゃないって説明してたけど、一番説得力あったのは、話の途中で私が投げたぬいぐるみが先輩にダイレクトに命中したことだったんです。魔法のバリアを張るとか、そんなものなしに。それ見て、友人たちも魔法は無いんじゃないか、って意見になって。だからなのか、真由も自分で"あの時見間違えていたのかも"って言いだして……結局は"魔法はなかった"ってことになったんです』
──それは衆目だったからわざと魔法を出さなかったのでは?そう思った北川だったが、言葉にするよりも前に三笠が話し始めていた。
『ただ、そういう結論になったんだけど、何か……割り切れてない、って言うか、もやもやがわだかまっている、って言うか。私らが簡単に結論を出しちゃったから、それで真由が迷惑かけまいと見間違いだった、魔法はなかった、って言っちゃったんじゃないかと。もっと私らが賢かったら、真由を傷つけずに上手く出来たんじゃないかなぁ。だから、秋絵お姉ちゃんに訊いてみようって思って。秋絵お姉ちゃんなら、何らかの解決方法を知ってるんじゃないか、って……』
「……私だって、そんなことは判らない……」
北川は率直に言った。従妹の感情が先走り過ぎていたせいで何をどうしたいのかが伝わってこなかった上に、現実にはあり得ない魔法がどうのこうの言われてもそんなこと、私にもわからない──思わず三笠に向けて言いたくなる衝動に駆られる。しかしそれを喉でせき止め、一回深呼吸。落ち着きを取り戻す。
北川はもう一度、従妹の話を反芻してみる。
「……何か聞いてると、魔法というより超能力のように聞こえる。ありえない事象なのは確かよ。トラックが急に向きを変えて助かったという話も、魔法の介在よりは、切ったハンドルが直前で舵が効いた状態になって、という方が自然ね」
『じゃあ、海での話はどうかなぁ……いきなり相手の顔が見えなくなった、って』
これは説明できない──北川は言葉に詰まった。逃げるように、言葉を押し出す。
「……襲われてたし、緊張もしてただろうから何か幻でも見たとしか……」
『……やっぱりそうよね……』
「ただ……」
『ただ?』
「魔法使いは……私そんなにファンタジーの事は知らないけど、杖とか水晶とかを"触媒"として持ってることが多いように思えるよね。それ考えると、白谷くんもそうだけど、黒瀬さんも似たような水晶のペンダント持ってるって何か意味があるのかもしれない。しかもそれを肌身離さず持ってる……お守りにしても、何か変な感じはする」
受話器の向こうの従妹にそう言った後、北川はしばらく何かを考え込むように口を閉じた。無言の時間が数秒流れた後、三笠へ向かって問いかける。
「何かそれ以外に変わったことがあった、ってその……赤城さん、って子は言ってた?」
『これと言って……』今度は三笠が考え込む番だったが、そういえば、と断りを入れた上で再び話し始めた『何か、強い風がそれらが起こった前後に吹いた、って言ってたような……』
「風、ね……」
何かの取っ掛かりにはなるのでは?北川はそう思い、答えを探すかのように、眼鏡越しの視線を自室の天井へと向けた。
翌日。
「緑川くん、ちょっといいですか?」
「何でしょう。北川さん」
この日の授業が終わり、業務進行のために生徒会室に顔を出した緑川勇樹は、先に来ていた北川から声をかけられた。緑川は、眼鏡のレンズ越しの視線を声の主へと向ける。
北川は、何かを言いたくてもそれを喉で押しとどめていそうなもどかしい雰囲気を漂わせていたが、意を決したのか、ゆっくりと話し始めた。
「例えばですけど……突っ込んでくるトラックの勢いを止めるほどの空気の壁を作るとなると、どのくらいの容積が必要でしょうか?」
「……どうしました?」
質問の意味を呑み込めずに緑川は目をぱちくりと眼鏡の下でしばたかせて、逆に訊き返した。
「いや、ふと思ったことで……」
「……北川さんがそんな地に足がついてないことを言うなんて、何かあったんですか?」
「……」
心配そうに再び訊いてきた緑川。北川は何か恥ずかしい事を口走って直後に後悔したかのように、朱が混じった顔色のまま黙り込んでいた。緑川は彼女の表情をしばらく眺めた後、机に鞄などを置きながら、言われた問いの概算を頭の中で弾き出そうとしていた。
何かあったことは確かだ、と緑川は思った。ただ、それを言いたくない素振りをしてるなら、そのまま何も言わない方がいいのかもしれない。
「そうですね……」二人の間の沈黙に負けたように、緑川はぽつりと言葉を零した「トラックの速度にもよりますけど、速度を40km/hとして空気だけで阻止しようとしたら──この部屋だけじゃ足りない気がします。少なくとも西校舎全体の空気を集めるくらいじゃないと」
「……そうなりますよね」
そこまでは北川も概算で答えを出しているようだった。
「問題はそんな大量の空気をどうやって集めるかですけど……そもそも空気中で空気の壁を作る、って、どう考えても不可能だと思います。それに、トラックが突っ込んでくるということは時間があってもほんの数秒。そんなごく短時間で、トラックを止める空気の壁の生成はあり得ないとしか……」
「やっぱりそうなりますよね……」
同じ結論が、自分以外の人からも出たことに北川は奇妙な安堵感を覚えた。それは、科学的にはより正しいということになる。結論は、"ありえない"以外になろうはずがなかった。
北川は力が抜けたような動きで椅子に腰を掛ける。思考するのに疲れたのか、呆然として、気力を失ったように、眼鏡の奥の瞳には光がなかった。
「どうしました?北川さんらしくない」
「実は……」そう言って、再び出た躊躇いが北川を覆った「……何て言ったらいいんだろう」
「よほど変な事じゃない限りは大丈夫ですよ」
笑顔の緑川に促された北川は、意を決したかのように表情から迷いが消えた。
「昨日、従妹から電話がありまして……あ、従妹は秋翠の1年なんですけど」
「海行ったときにいた1年生たちの一人ですよね。確か三笠さん……?」
「ええ、そうです。その彼女いわく『白谷先輩は実は魔法使いなのでは?』って言ってきたんです」
変な事じゃない限りは大丈夫ですよ、と言った舌の根も乾かないうちに緑川の顔は鳩が豆鉄砲を食ったような、何とも言えない虚無の顔つきになっていた。見るからに、彼の頭脳が意味不明とわめきたて、眼鏡を突き破って火花が飛び散り、頭から煙が出そうなほどだった。
「……緑川くん?」
北川が機能停止状態の緑川の名前を呼んだ。その声で再起動が掛けられたのか、はたまた魂が現世に引き戻されたか、今眠りから覚めたように気を取り直し、慌てて言葉を繕った。
「……えっと……何て言うか、突拍子もないというか……ってこれは失礼な言い方だな。つまりその……」
「構いません。私自身も理解が出来てないんですから」
「魔法使い……かぁ。この科学の世の中で何か中世みたいな。おとぎ話みたいですね。で、どうして白谷が魔法使いだなんてその三笠さんという子は言われるのでしょうか?」
緑川がもっともな疑問を呈した。
北川は昨日の電話での、従妹から聞いた話──海での出来事やトラックが突っ込んできたこと、魔法使いかどうかを試そうとして失敗したこと、不思議な事が起こった前後に強めの風が吹いたこと──をほぼそのまま話した。そして、確証はないにしろ、白谷が肌身離さず付けている水晶のペンダントがお守りなどではなく、実は魔法の"触媒"とするためにいつも身に着けているのではないか……そのことも付け加える。
それを聞いた瞬間、緑川の表情に微妙なゆがみが生じた。視線を逸らし、口元を抑えるような仕草を見せる。
「まさか、結衣さんも……?」
緑川は北川に聞こえないような小声で思わずつぶやいた。しかし、それっきり口をつぐんで何も言葉にはしなかった。
それからしばらく、緑川は考え込んでいた。何回か深呼吸をするような深い息を継ぎ、乱れた心を落ち着かせようとする。北川から聞いた話を、頭の中で一旦解体し、自分なりの考えを添加したのち再構築しているようにも見えた。
再び、北川の方を向いた。
「……噂には聞いてましたが、白谷が駅前のトラック事故の巻き込まれた方の当事者だったとは……しかし、普通に考えれば、二人の直前でハンドルが効き始めた、という方がまだ判ります。目の前で見ていれば、急にトラックが方向転換したように見えるのも無理はないですし。風は……確かその日は冬型だったし、季節風も吹いていたからそれを誤認したんじゃないかと」
「私もそう考えました。じゃあトラックの事は一旦保留にしておくとして……そうなると、海での出来事は、ってなるんですよね」
「……俄かには信じがたいですが……怖くて幻を見たのでは?」
「そう思いますよね……まあ、私も含めて、普通ならそう考えてしまいます」
結局は北川と同じ思考の終点にたどり着いてしまう。徒労を嘆くにも似たため息をついた緑川が音を上げるように生徒会室の天井を見上げた。
「……冬ならいざ知らず、夏にはそう強い風は吹かないはず。その風が吹いた、というのが間違いでなければ、魔法で風を起こしてるのでしょうけど……そんなのをどうやって起こすのだろうか、という疑問にたどり着きます。何もない状況では起こしようがないですから」
緑川の言葉が不意に途切れ、再び考え込む。しかし、あまりにも断片しかない情報では、まぐれでもない限りは正解にたどり着くことすら不可能事に近かった。
「もし、赤城さんの見たことが本当なら、その連中の頭の周辺だけに、光をも屈折させるような密度差の空気のカタマリを発生させて、しかもしばらくの間保持していることになりますけど……いよいよもって現代科学では説明がつかないなぁ……」
「なおさら、"幻覚"の一言で片付けてしまうのが手っ取り早い気がします……」
諦めの成分が濃く顔に出ている北川が、ギブアップしたように呟く。それを聞いた緑川も、答えが見つからないどころか本当にあるのかすらわからない状態では、彼女に右に倣えするしかなかった。
「そうですよねぇ……」
諦めきれないが、自分の力ではどうにもならない……無力感に抗えない緑川はそのまま黙り込んだ。自然と言葉を吐く元気もなくなり、生徒会室には周囲の喧騒だけがBGMとして流れている。
──独り言にも似た呟きが、ぽつりと北川の耳に伝わったのはその時だった。
「……充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない……」
緑川の声。それに反応した北川は、思わず視線を彼に向けた。
「……SF作家の言葉、ですよね」
「そうです。アーサー・C・クラーク。"当たり前の科学技術も、時代が違えばそれは魔法にしか見えない"って言う意味になるのかな?」
「緑川くんは、今話に出てる魔法は科学技術という立場なんでしょうか?」
「空気で壁を作るとか、局所的に光を無理やり屈折させるとか……確かに今じゃ出来ませんが、将来的には出来るようにはなるのではないか、と。そう考えると、魔法には見えるけど実は科学技術に近いのでは?って思うんです」
「でも、今それが有る、ということは、過去から在るということですよね。科学技術は今の方が進んでいるのに、それでも?」
「……それは判らないです。情報が無さすぎますから」
「そうですよね……。あるかどうかすらもあやふやなのに」
「……どうしてそんな技術が過去からあるのか、誰が開発したのか、どうやって継承してきたのか、どうやって誰にも知られずにいれたのか……謎ばっかりですね」
緑川の表情は、苦笑いに支配されているようだった。学校の勉強とはまるで違う次元の難しさに、どう対処していいのか、皆目見当がつかない上にその取っ掛かりすらないように思えた。
「……でも、過去からそれがあるなら、全く使われなかった……ってことはないでしょうから、ひょっとしたら何処かに書かれてる可能性はあるのかもしれないですね……」
緑川のその一言は、全く無かったように見えた取っ掛かりが発見されたかのように、北川には感じられた。ひょっとしたら、思っていたよりも上手く行きそうな……期待感が北川の感情を高ぶらせる。
考え込んだ緑川の考えを邪魔しないように、北川は固唾をのんで見守っていた。
「あがける、か……?」
年末にあった、白谷へのペンダントの事を訊こうとした情景が頭に浮かぶ。訊こうとして、彼女だった人から遮られたあの問いの答えの尻尾を掴めるかもしれない──緑川の心の奥から、高揚感とそれに伴う知識欲を満たしたいという衝動が沸き上がる。
「あがく、ですか……」
北川が彼の言葉を繰り返した。
その言葉を待ってたかのように、緑川はしばし考えこむ仕草を見せた。CM1本分ほどの無言の後、きっかけを掴む様に言葉を発する。
「……北川さん、11日、空いてます?」
「……多分、家とかの用事は聞いてませんけど、その日が何か?」
「図書館行って調べてこようかと思うんですけど……お手伝いしていただけます?」
「ええ、構いません。大丈夫です」
言葉の上では冷静に、北川は言った。
ただ、緑川の、そのまっすぐな視線を受けた北川は、何故か顔の温度が少しばかり上昇するような、そして、少しばかり脈拍数が上がって行くような、そんな感じがしていた。
2月11日の建国記念日は祝日で、当然ながら学校はお休みだった。中間テストがない三学期は受験で忙しい三年生を除くと、クラスメイト達は休みということで遊びの約束をしたり、のんびりと過ごす計画をしているようだった。
しかし、緑川と北川の二人は、その日は"あがく"ことを決めていた。
こういう不思議な出来事は、伝記や言い伝えとして残っているかもしれない、と考えた緑川は、それらが揃っていると思われる図書館で調べようとしていた。手っ取り早いのは学校の図書館だが、その日は休日のために開いてないし、蔵書数も限られてくる……となると市立図書館か県立図書館になるのだが、
「蔵書数なら県立の方かと」
「私もそれに賛成です」
──当日、二人の姿は福井県立図書館にあった。
福井県立図書館は、秋翠近くの三叉路からまっすぐ道すがら北へと上がる通称"板垣橋通り"にある。途中、学校群の一つである古志高の横を通り、荒川という小さな川に架かる橋の手前にそれは建てられていた。スリムな白いコンクリート造りの建物は、横幅もあるが思ったよりも奥行きがあり、大量の書物を保管しているにふさわしい威容を誇っていた。
開館と同時に中に足を踏み入れた二人は、過日話していた本をまとめて借り出して、とにかく手当たり次第に調べていった。10冊ほど出しては調べて戻して、また借りて調べてまた戻して……。
該当する分野の本を調べつくした後は司書の人にも訊いて関連する本を教えてもらったり、開架されてない本を見せてもらったり……二人は、考えうる分の本を半ば総当たりでチェックしていった。
──しかし、手掛かりは、なかった。
「……無いですね。県立図書館になら何かしらの手がかりがあると思ったのですが……」
目論見が外れていくらか困惑の色を顔に浮かべた北川が、静かに語りかける。疲れも見えているのか、眼鏡を外して眉間を指で揉み、コリをほぐそうとする。
「案外、他の分野に載ってる可能性もありますね……絞り過ぎたのかもしれません」
深くため息をついた緑川が、背もたれに上半身を預ける。正解にたどり着く道の長さが無限大にも感じ、どう考えても届きようがない現実を認めることは、やがて諦めへと容易に変わってゆく。
「かといって蔵書全部調べるには、1日では短すぎます」
同じようにため息をついた北川は、まだ残っている本の山を尻目にやる気が喪失して行くような、一種の無力感に囚われていた。
筆記用具とかが置いてある机の側には、去年の新聞──福井駅前大通りで起きた、コントロールを失ったトラックが歩道に乗り上げた三面記事が載った日付の物……が、その面を上にして置かれていた。当然ながら、記事には"魔法"の"ま"の字も書かれてはいない。
二人は、ほぼ同時に目をつぶり、しばらく考え込む。
他に該当するような分野があるかどうか。まだ確認できてない部分があるのかもしれない──頭の中では、次々と分類名が現れては消えて行き、再び顔を出し、また意識の水面下に隠れる──そんなイメージが複雑に絡み合い、混線している。
混線しているならば、解きほぐす必要がある。
目が覚めたように瞼を開けた北川は、軽く一息ついた。
「緑川くん」
北川が、ほぼ無表情な顔を緑川に向けた。周囲の光が、彼女の眼鏡のレンズを一瞬だけ、鏡にする。
「はい。何でしょう?」
言葉に反応して目を開けた緑川は、真正面から彼女の顔を見つめる。眼鏡のツルの光沢が、きらりと鋭い反射を起こす。
「気分転換、しましょうか」
「──賛成」
反対する理由はなかった。
曇り空が福井市上空を覆っているが、何処かしら薄い所からお日様の光が何とか届いているせいで、少し明るく周りの景色が二人の目に届いていた。道路上の雪は、最近は降ってないせいか小さく硬くなり、その上、砂や埃で黒く染められ、一部は溶けてアスファルトに黒い墨汁のような小さな流れを象っている。
図書館を出た二人は、目の前の道路──板垣橋通りから横に逸れた所の小さなよろずやでパンを買うと、荒川に架かる橋へと歩を進めた。
二人とも服装は示し合わせたかのように動きやすい恰好で、似たようなものだった。
緑川は濃紺で、北川は黒のダッフルコートを羽織り、下はどちらも似たような色合いのベージュのセーター。ズボンも二人ともデニム地の紺のジーンズを履いていた。そして足元は、緑川が似たような色のバスケットシューズを履き、北川もズボンとほぼ同色のワンポイントが入ったスニーカー。マフラーはさすがに違いが出て、緑川は白のスフレ地、北川はチェック柄の毛糸で首辺りを寒さから守っていた。
「改めて見ると……緑川くん、私と似たような服装ですね」
「そうですね。見た時に『あ、同じだ』って思いました」
「私もです。こういうこともあるんですね……」
北川はそう言ってはにかんだ。それを見た緑川も自然に顔がほころぶ。
勾配が急な橋の真ん中に二人は欄干にもたれるようにくつろぐ。風はそれなりにはあるが、いられないほどの強さではない。寒さも、2月の福井にしては気温が高めで、防寒をしっかりしていれば感じることはないほどだった。
やがて雲の切れ間からお日様が顔をのぞかせた。景色のコントラストが急上昇し、何気ない、何処にでもありそうな街並みは、さながら天然のライトアップをされたように、華やかに見えた。
二人は、その光景に魂を吸い寄せられるように見つめている。
目の前の車道を走る車が、一時的に途切れる。静けさが戻ってきた橋の上で、緑川は北川の問いかけを耳にした。
「緑川くん、変な事訊きますけど……」
「はい」
「福井の街、って、どう思います?」
緑川は、質問の真意を彼女の表情から読み取ろうとする。北川の瞳は、何処か悲しそうに、力無いように彼方にある街を見据えていた。
「街……ですか」緑川はそう言うと、何か答えを探すかのように、こぼれた日の光に照らされた街並みを見た「そうですね……小さかった時って、"福井へ行く"って何かすごく楽しいことが起きる、って思ってました。デパート行って何か買ってもらえるとか、レストランで食事するとか……とにかく"楽しい"に尽きます」
「あ、同じです。非日常、って言うのか、普段の退屈な日じゃない、って思えてとても楽しかったのを覚えてます」
「でも、高校生になって毎日街中を通っていると、あれ?って違和感を感じるんですね。"こんなに小さかったっけ?"って」
「私もです……福井の街、って小さかった時にはとても大きいと思ってたんですけど、こうして見ると、こじんまりとして小さい街ですね。まるで、時間とともに小さくしぼんでゆく風船みたい……」
北川が、少しつまらなそうに、そして悲しげに言った。
華やかに見えた街が、実は張りぼての紛い物の様に北川には見えてきて、小さな時にはもっと凄いと思ってたのに……裏切られたような気分になった。街を華やかに見せる日差しとは正反対に、その表情は曇りがちになる。
休日ながら、そこそこの交通量がある板垣橋通りを行き交う車の向こう側には、差し込む日差しにきらめく背の高いビルがぽつぽつと散見出来た。他にもビルはあるのだが、川沿いに立ち並ぶ家並みの向こう側に隠れて見えていない。そこまで高いビル自体、福井市の中心部とはいえ、数は少なかった。
「人口は下から数えて3番目辺りが定位置ですからね。こんな街でも、江戸時代初期には日本の都市人口トップ10に入っていたそうです」
「それは初めて聞きました。そうなんですか……こんな雪国の街に」
「石高で言えば6位辺りじゃなかったかな?約68万石。結城秀康公が藩主ですから、まあ、それくらいは当然じゃないですかね」
「……そんな街も、今じゃ下から3番目。なんだか、物寂しいですね……何もないから、ですかね」
北川の曇りがちな表情に笑みは浮かんでた。しかし、それは表面だけのように、横から見ている緑川には思えた。
「北川さん……福井、好きじゃないんですか?」
緑川が、ネガティブな言葉を紡ぐ北川に訊いた。
「そう……ですね」
迷いを含んだ彼女の言葉。
「理由、あります?」
緑川が訊く。
北川の頭の中に散乱する"好きじゃない"理由をかき集め、組み上げてゆくには時間がかかった。
言葉を選んで組み立てていた。選ぶのは、単純に理由の欠片が多かったから。
「たくさんあります。自分の事、家の事、周りの事──福井に居たら、それらで押しつぶされそうに感じてしまいます」
この街を、嫌いたい。でも、福井は生まれ育った故郷。完全に否定するほどには、北川は割り切る事が出来なかった。
思いは途切れ、迷いは沈黙となって彼女の口をつぐませる。
「じゃあ、大学行くとしたら……」
緑川の問いに、北川は反応していた。しかし、すぐには言葉が出てこなかった。
視線は合わさない。
しばらくは、北川はまっすぐ福井市街地中心部を見据えていた。その景色から言葉を探しだし、組み立てる──やがて、小さくだが力強く、宣言するかのように思いを押し出した。
「……大学、県外と決めています。福井に居ても、ただ今までと同じことを繰り返してるだけの様な気がして……」
「何がしたいってもう決めてるんですか?」
「それはまだ……漠然としていて。掴めるようで、掴めてない。あるようで、幻で」
「そう、なんですか……」
俯き加減の緑川を横から覗き見るように一瞥した北川が、問いかけた。
「緑川くんは福井に残るんですか?」
「……まだ判りません。親の事ですから僕が県外の大学行きたいと言えば、喜んで貯金はたいてくれるでしょうけど……そこまで甘えていいものか、ちょっと今は判りません」北川の問いかけに、苦みを含んだ笑みで返す緑川「それに、もし県外に出たら、多分福井には戻ってこないでしょう。兄貴たちがいますし、僕の方は何処かに流れ着いてそこで暮らしていければ……」
「東京?」
「多分」
「東京……凄いですよね。何でもあって、何でも出来てしまうように思えて。ああいうのを"街"って言うんですよね」
「確かに。福井じゃ出来ないことを、東京へ行けば出来てしまう、と思わせられる力がある。だから人が寄ってくるんでしょう」
「……初めから東京の人として生まれていれば、こんなことで悩まずに済んだのかもしれないですね……」
「そうなったらそうなったらで、多分、今度は違うことで悩むと思います」
「……そうでしょうか?」
「……正直、判りません。でも、"隣の芝生は青い"って諺があるように、向こうは向うの悩みが出てくると僕はそう思います」
「……」
街並みを見る北川は、そのままで聞いていた。
緑川も街並みを見ていた。彼女からの反応を気にしてなさそうに。
そんな二人を気に留めることもなく、車は通り、風は橋を駆け抜け、空に浮かぶ雲はその位置と形を刻々と変えてゆく。そしてそれは二度と同じ形や位置には戻らない。
「そういや、北川さん、って兄妹とかおられます?」
目の前の道を、車が10台ほど通過したあと、思い出したように緑川が訊いてきた。
「いえ、私、一人っ子ですから……それが何か?」
「一人っ子で県外行くとなると、親って反対しそうな気がするんですがそこの所は……?」
「あんまりいい顔はしてないです。でも、ずっと福井にいても──」
尻切れトンボになった北川の言葉を、通り過ぎたトラックがかき消す。再び静けさが戻ってきたが、初めから言葉を綴ってなかったかのように、彼女は口を閉ざしていた。
──地元に居れば、少なくとも金銭的な心配はせずに済む。衣食住の費用がほぼ不要で、就職すればその稼ぎで何かで入用になっても、対応出来る程の蓄えは持てるに違いない。少ないながらも彼女の友人たちとのつながりは維持され、孤独になることはない。そして新しい家族を作り、育てていく過程で親といることの安心感は絶大だろう。ささやかだが、確実に生きて行ける未来は、描ける。
でも……北川はそう思いながらも、雲の隙間から見える青い空に向けて視線を投げかけた。
外を、知りたい。とにかく、外へ──。
本で読み、想像し、あこがれた"外"の世界。
親という足かせから自分を解き放ち、福井という田舎の、見えない閉塞感から逃げたい。
たとえ、目的の空の景色は、今の彼女自身にも、未来という名のキャンバスには何も描かれてはいなかったとしても。
それに、まだ選ぶ時間は残っている。夢というキャンバスの絵を完成させないまでも、その時までにデッサンだけでも描く事が出来れば、あとは"東京"という街が、未来を指し示してくれるかもしれない。
福井では、それはないとは言えない。しかし、難易度は上がる。効率から言えば、東京へ出た方が、遥かに実現しやすい。
"街"とは、そうであるべきだ──北川はそう思っている。
「──そろそろ、戻ります?」
かろうじて聞き取れた緑川の言葉に、北川が反応した。視線を彼の横顔に向ける。
「そうですね。ちょっと冷えてきたような気がします」
そう答えた北川の笑みの感情は、表裏が無い自然なものだった。緑川の顔も、彼女と同調するように自然にほころぶ。
二人はもたれていた欄干からから離れ、橋を下りていった。
その後、二人はもう一度、あがいてみた。
午前中チェックした本をもう一度見直し、見落としがないかどうかを確かめ、また借りて……を繰り返したが、結果は……。
「……ダメでしたね」
苦笑いだが、苦み成分が半分ほど抜けた表情を浮かべた北川が言葉をかけた。
「まあ、あがいてみた結果がこれだから……仕方ないです」
かけられた緑川も、何処となく北川と似たような顔色になっていた。
二人同時にため息をつく。しばしの無言の時間が訪れていた。
閲覧室のスピーカーから、閉館時間を知らせるアナウンスが流れていた。片付けを始める人、もう少し粘る人、玄関へと向かう人……人影はまばらで、もう片手で数えるほどの人しか残っていない。
大きめの窓からは、日陰とはいえ夕焼けを感じさせるような、やや赤みを帯びただいだい色がほんのりと部屋を照らしていた。その向こう側は、鎮座する山の頂上付近が茜色に染められると共にそれを縁取るような空は微妙に蒼みを帯び、夜の存在が忍び寄ろうとしているのが見える。
「……福井県では起きてないのかも……?」
北川が思い出したように、ポツリと呟く。
それを聞いた緑川は北川を一瞥した後、付け加えるように言葉を加えた。
「どちらかというと、記録されてない……かもしれないですね」
「……それだと困りますね……」
「下手すると、そっちの方が確率が高そうです」
「……県外の図書館にはあるんでしょうか?」
「判らないですね……多分、あっても禁帯出になってそうで、そこへ行かないと見せてもらえないかもしれないですね」
「……国会図書館とかならありそうですけど」
「もうそこになかったら、記録としては残ってない、ってことになりますよね……それに、国会図書館は未成年は利用できないはずです。残念だけど、ここまでかなぁ……」
再び、沈黙が二人を包む。
手はあるが、細く、つたない。それに今は手を尽くしても成果は得られなかった上に、図書館の閉館時間になろうとしている。今日は引き上げるしかない──おのずと、二人の結論は同じ終着点を見出した。
互いの顔を見合わせる。
「……帰りましょう。今日はありがとうございました」
「そうしましょう。こちらこそ、ありがとうございます」
緑川と北川は改めて向き合い、丁寧にお辞儀をした。もし友人がその光景を見ていたなら、さながらお見合いの席みたいだと評しただろう。
二人はすぐさま帰りの準備を始めた。何冊かは精査のために借りるがそれ以外は棚に戻し、筆記用具を片付け、コートを羽織る。最後に忘れ物が無いかの確認を二人はほぼ同時に行い、その場を後にした。閉館時間を知らせるアナウンスがスピーカーから語り掛けている中、二人は図書館を出ると歩道橋を渡り、福井駅前へ向かうバス停にたどり着く。
何気なしに見上げた西の空は茜色に染め上げられ、周囲に浮かぶ雲たちがそれを照り返し、人の手では作りえないような幻めいた光景を描き出していた。夕日から届く光を図書館が遮り、建物が造りだした小さな夜の闇が地面を黒く塗りつぶす。塗りつぶした影を切り裂くように目の前の道路を、黄色味を帯びたヘッドランプをつけた車が、途切れることなく通り過ぎて行った。
「貴重な休みを無駄にしてしまって申し訳ない……」
「……いえ、構いません。元々私が持ちかけたような話ですし、無理筋みたいなものでしたから仕方ないです。でも……」
「でも?」
緑川が訊き返す。北川は、何か言おうとしたが、言葉の選択を迷ってるように黙り込んだ。
車が数台、そんな二人の事など気にしないように通過して行く。ヘッドライトに照らし出されるその光景は、さながら舞台の上でピンスポットを浴びているかのようだった。
どうしてなんだろう。今日の、この1回だけで終わりたくない──自分の心の声を自分自身で代読しているように、北川の耳には自分の声がはっきりと聞こえているように、感じた。
北川の眼鏡越しの瞳が、真正面から緑川の眼鏡越しの瞳を射据えた。
「……緑川くん、この件に関しての調査、またしましょうか」
北川が、隣に問いかけた。いくばくかの、心の跳ね具合を感じながら。
その音が、彼に聞かれるのでは、と思いながら。
緑川は、しばらく無表情に近い顔で真顔の北川を見つめた。かけるべき言葉が浮かんでこない状態の様で、黙ったまま時が過ぎてゆく。
「……そうですね。受験勉強の合間に、ゆっくりと」
無表情から、微笑に緑川の表情が変化した。それに続いて、北川の表情も変わっていった。
福井駅前行きの最終バスが、柔らかく車内灯の光を周囲に撒きながらやってきた。
市街地を北へと向かうバスの中で、緑川は何気なしに窓の外を眺めていた。街の中の様々な光が後ろへと流れてゆく光景を見ながら、しかし彼の目はそれらをまる無視するかのように、虚ろだった。
「……結衣さんが魔法使い、かぁ……」
過日、北川が話した中にあったことを思い出していた。
魔法の"触媒"としての水晶の存在──白谷と同じようなペンダントをいつもしている黒瀬のイメージが、緑川の脳裏に蘇る。何があってもそれを外すことがなかった彼女にとって、自分が贈ったものは、そこまで大事なものではなかったのかもしれない。
無駄だったとは言わない。しかし、叶うことはなかった。逆に、その存在のせいで、自分から彼女との縁を切ってしまった。
負けは認めたくなかった。ただ、これはどう見ても──。
「……結局、僕は幼馴染と魔法使い同士の絆に負けたんだな……」
呟いた独り言は、バスのエンジンに簡単にかき消されていった。
福井駅から西へと向かうバスに乗車した北川は、家までの少しの間、持ってきた文庫本を読もうとページを開いた。しかし……気分が乗らなかったのか本を伏せ、窓の外を後ろへと流れる街の景色をただ、眺めていた。街灯や車のヘッドライト、窓からの明かり、ネオンサイン……およそ街中にあるあらゆる光源や反射光が流星のようにまっすぐ後ろへと通り過ぎてゆく。
車内は彼女を含めて片手で数えられる乗客しかいなかった。本来なら学校や職場からの帰宅時刻に重なっているために立っている人の方が多いくらいなのだが、休日のせいでそんな人はいなかった。だから、今日持ってきたカバンを二人掛けの席の通路側に置く事が出来た。しかし、行きにはなかったものが、そのかばんの横にさりげなく置かれている。
それは、ちょっと豪華目の紙袋が2つだった。どの紙袋にも箔押しでブランド名が書かれてあり、ちょっと見た限り、ソコソコ値段が張るものにしか見えない。
北川は何かを感じたか、ちらりとその袋を一瞥した。ほの暗い蛍光灯に照らされたその袋は、バスの振動でゆらゆらと小刻みに震えるように動いていた。
「……」
窓の外の街灯たちが描き出す流星群を漠然と眺めつつ、どうして"魔法"という現実にはありもしないことにこだわっているのだろう──北川は自分自身に問い直ししていた。
従妹からの電話が無かったら、多分今日は違うことをしていたはず。でも、休日を丸々1日潰して図書館でずっと調べ物をしていた。結果として成果はゼロ。今までの自分なら、時間の無駄と切り捨て、二度目はないはずだった。
しかし、図書館からの帰り際で北川は緑川に二回目の調査を申し込んでいた。以前の自分なら、そんな提案はしなかった。何が変わったんだろうか──。
今までなら、判りそうで判らない、もどかしさという不快感は勉強していくことで解決してきた。問いには、必ず答えがある……そう信じて勉強してきたし、これからもそうして行くに違いない。
ところが、魔法に関しては取っ掛かりが見えそうで、手が届きそうで、見当たらない。届いたと思った瞬間、それはその言葉通り、魔法のように消えて、見えなくなる。
調べて何かを得るということが無い。判らないという不快感は、少しも消えてなくならない。
じゃあ何でそんなことやっているのか……北川は、トラウマという覆いの下に隠した答えを持っていた。そして、再確認した。
──私自身、"別の魔法"に掛かっている。
もちろん、原因は判っていた。
だから、一緒にいることに意味がある。一緒にこの難問を解きたい。
一緒に……。
『私、惚れっぽいのかもしれません』
過日、緑川に言った言葉が頭をよぎる。
北川は、"別の魔法"にかかった結果がもたらした、かたわらに置いた豪華目な紙袋に視線を置いた。
「──やっぱり私、惚れっぽいのかも……」
その呟きはバスの音に紛れ、彼女以外の誰にも聞こえることはなかった。
そして、ほの暗い蛍光灯に照らされた彼女の顔に若干の朱が乗ったことに気付く人もまた、いなかった。




