行きつけの細マッチョ
午前中は市場が最も活気に満ちる時間帯です。特にお昼前はしっかり前を見て歩かないとぶつかってぶつかって謝り通しになる羽目になるほどに混み合い、あちこちでお客さんと店員さんが笑顔で丁々発止の値段交渉を繰り広げます。
わたしは前をずんずん歩くアンジェリカについていくので精一杯で、今日のオススメを見回る余裕もありません。新鮮なりんごの香りがほんのり漂う八百屋さんを横目に駆け抜けるほかありませんでした。
「おーい、どこに行くのー?食料買い込むんじゃないのー?」
アンジェリカはわたしの質問に答えることなく、小柄な体で器用に人混みの隙間を通り抜けて突き進みます。まだ慣れないわたしは人にぶつかっては謝りながらアンジェリカの背中を追いかけました。
やっとアンジェリカが足を止めた場所は、小ぢんまりとした店の前でした。外から覗いてみましたが、店の中には誰も見えません。
わたしは肩で息を整えながら、息一つ切らせていないアンジェリカに尋ねました。
「な…何のお店?食料品店…には見えない」
「鍛冶屋よ。仕事に必要な装備はいつもここで買うの」
店に入るなり、アンジェリカは奥に向かって「おじさーん」と声をかけました。しばらくして、いかにも職人という貫禄の細マッチョな男性がぶ厚い革手袋を脱ぎながら姿を現しました。アラフォーに近いアラサーくらいの歳に見えます。
「嬢ちゃん、お兄さんと呼べといつも言ってるだろ。オトナ男子は永遠にお兄さんなんだぞ」
「三十路の中年男の乙女心なんか、床に落ちたパンくずほどの価値もないわ。わたしがおじさんだと思ったらおじさんよ。何か文句ある?」
「口の利き方に気をつけろ。こと繊細さにかけて中年男性の右に出るものはいねえんだ。例えそれが思春期まっさかりの女子でもな。年端も行かない小娘が大の男を泣かせるんじゃねえぞコラ」
「おーこわ」
アンジェリカはわざとらしく肩をすくめました。
「で、今日は何が入り用だ?メイド連れとは珍しいな」
細マッチョさんはわたしに目を向けました。
「あ、わたくし高橋りぼんと申します。訳あってこんななりでアンジェリカの仕事を手伝う羽目になりました」
「ほーう、ぼっちの嬢ちゃんに手伝いとはねえ。俺はルカ・シュミット。ここで代々鍛冶で飯食ってる…食ってた、だな。今は鍋から雑巾まで作る何でも屋だ。もちろん、頼まれりゃ剣も鎧も作るぜ。聞けば嬢ちゃんがオオウサギとやりあったそうじゃねえか。俺の鎧がなけりゃ今頃は街を挙げて喪に服してるだろうよ」
言葉の節々に世知辛さを感じます。どこの世界も個人事業は大変なんですねえ…。
「じゃあさっそくお願い。革のエプロン、手袋、スコップとシャベルが欲しいの。在庫ある?」
「革のエプロンにスコップ?嬢ちゃん、冒険者辞めて農家にでもなるのか?」
「違うわよ、今度の仕事で必要なの。薬の材料になる植物の採取なんだけど、土の中に埋まってるらしくて掘り起こさないといけないのよ。明日に行くから今ちょうだい」
掘り起こす…何かの根っこかな?ともかく、危険のなさそうな仕事で安心しました。




