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第三章 以心伝心

 神判の朝、王城の演武場は満員となった。

 入場口で、審判が演武場を囲む十二本の結界柱を示す。

「――また、婦人(アニマ)による対戦相手への直接攻撃、結界柱に刻まれた観客保護の術式、および客席への干渉は、失格とする」

 十二本の柱と石床の下には、入場した競技者の魔力に同調し、それを分けて巡らせる補助術式が敷かれている。円の内側は一つの導路となり、競技者は柱へ触れずとも、そこへ力を預け、必要なときに引き出せた。

 エレノアの手首からは、誓約の淡い金の光が柱へ伸びていた。そのすぐ傍らには、掌の半円から始まる銀の道もある。

 二つが並んでいるかぎり、今日の自分たちは戦える。そう思い、エレノアはナイリューと円形の闘技場へ進み出た。

 相手はラグノール侯爵の孫アルセスが立てた、騎士ローデン=グレイと、その妻セシリアである。二十年以上ともに戦ってきた二人には、昨日初めて誓約を結んだ自分たちにない落ち着きがあった。

 第一神判は、長く感じられた。剣と地の魔法を交互に使うローデンに、ナイリューは何度も退かされた。セシリアの支援には迷いがなく、夫が足を踏み出す頃には、もうその脚へ強化の光が宿っている。

 エレノアにも、先回りして彼を助けたくなる瞬間はあった。それでも、祭殿での失敗を思い出し、ナイリューが力を求めるのを待った。彼女にできるのは、相手の魔法を障壁で防ぎ、彼が剣に集中できる時間を作ることであった。

 一度、大きな岩槍を防いだとき、測定用の水晶が白く光った。目盛りを振り切った魔力に客席がどよめいたが、今度はナイリューの足を乱さなかった。

 終盤、ローデンが同じ踏み込みを繰り返した。ナイリューは剣を受けずに懐へ入り、相手の背後へ回るために必要な分だけ、エレノアの魔力を引き出した。振り向くより先に切っ先を突きつけられ、老練な騎士は剣を下げた。

 エレノアの名が勝者として告げられたとき、ナイリューは肩で息をしていた。鎧には何本もの打ち傷が残っている。連携を乱さずに済んでも、それだけで楽に勝てる相手ではなかった。

「よく待ったな」

 退場口で言われ、エレノアはようやく杖を持つ手を緩めた。

「何度も、口を出しそうになりました」

「分かってた。だから、こっちも間に合わせたかった」

 二人は顔を見合わせ、短く笑った。第一神判の歓声が収まらぬまま、第二神判の名が読み上げられた。神判はまだ、始まったばかりであった。



 第一神判を終えたエレノアたちは、次の神判が行われている間、演武場に隣接する控え室へ戻った。

 ナイリューは大きな怪我こそ負っていなかったが、鎧の胸元にはローデンの剣を受けた痕が残っている。司祭で親友のユージンが治癒魔法を施し、ナイリューの従者が傷んだ留め具を交換していた。

 エレノアは少し離れた椅子から、留め具の交換を見守っていた。勝った安堵が薄れると、次の神判までにナイリューが休めるのか、そればかりが気になった。

 控え室へ、イーファが果物と水差しを持って現れた。商会の取引先の貴族に席を譲ってもらったという。彼女は挨拶を済ませるとナイリューのそばへ行き、籠の中から一つを選んで差し出した。

「これ、前に好きだと言っていたでしょう」

「覚えていたんですか」

「商売に関係ないことだって、覚えるよ」

 エレノアは、差し出そうとしていた自分の水杯を机へ戻した。ナイリューの好物を、彼女は知らなかった。

 イーファはその手元を見て、水杯をナイリューの前へ押した。

「果物だけじゃ喉が渇くでしょう。エレンがずっと持って、待ってるよ」

 ナイリューが礼を言って受け取る。エレノアは、自分のほうが彼を知っているはずだと張り合いかけたことを恥じた。

「神判が終わったら、二人で店へ来て。旅の支度なら、買い忘れまで教えてあげる」

「売りつける品物が多そうだな」

「必要な物だけ。荷馬車いっぱいになっても、必要なら仕方ないよね」

 イーファの返事に、ナイリューが笑った。エレノアも水を飲み、ようやく次の決闘会へ気持ちを戻した。

 そこへクリマルが戻ってきた。

「次の対戦相手が決まりました」

 彼が机へ広げた組み合わせ表には、準決勝へ進む四名の名が記されていた。反対側の組では、ジェラルドとリーゼを代理に立てたケーセルが順当に勝利している。エレノアの相手となるのは、南部の有力者バルディア公子であった。

 代理の騎士(アルマ)はザハール=ベイル。王立魔法兵団で対魔術戦の教官を務める男である。婦人(アニマ)は妹のエミリア。兄の魔法を補助することに特化した、優秀な詠唱魔法の使い手だという。

「次は、供給そのものを狙われるでしょう」

 クリマルはザハールの経歴が記された紙を指で叩いた。

「対魔術戦の教官なら、エレノア姫の魔力を封じに来る?」

 ナイリューの問いに、クリマルは頷いた。

「相手は〈断流陣〉を使えます。姫が送っても、力は地面へ逃げる」

「俺には届かない?」

「ええ。姫、力任せに注ぎ続けないでください。相手を疲れさせるつもりで、ご自分が先に倒れます」

 婦人(アニマ)が直接相手へ魔法を使うことは禁止されている。しかし、エミリアが兄へ魔力を供給し、その魔力でザハール自身が術を展開するなら規則には触れない。

「つまり、私からナイリューへの供給が断たれるのですね」

「はい。先ほどの神判で、お二人の強みはすでに知られました。次はそれがないものとして戦うべきでしょう」

 ナイリューは腰の剣を確かめた。供給を断たれるなら、自分の剣技で隙を作らねばならない。

「決勝までは、行く」

 勝てば公国再興へ近づく。その話かと思ったエレノアは、次の言葉で彼を見直した。

「ジェラルドと戦いたい。あの人にも、俺の名を覚えてもらう」

「公国のため、ではなく?」

 言ってから、エレノアは後悔した。ナイリューの頬から笑みが消えた。

「両方だ。それじゃ駄目か」

「……駄目とは、言っていません」

 彼は留め具を直し終えた従者へ礼を言い、剣を取った。エレノアは自分の杖を持ち上げたが、今の答えを直す言葉は、入場の時刻になっても見つからなかった。

 やがて準決勝を告げる鐘が鳴った。



 再び闘技場へ立ったとき、観客席の空気は第一神判とは明らかに違っていた。

 もはやエレノアを、同情だけで候補に加えられた姫と見る者は少ない。測定水晶を振り切った魔力と、歴戦の騎士を破ったナイリュー。その力を確かめようと、無数の視線が二人へ注がれていた。

 対面では、ザハールが細身の片刃剣を抜いていた。濃紺の外套の内側には、小さな金属板が何枚も縫いつけられている。魔力を受け、地面へ流すための術具であった。

 妹のエミリアは婦人(アニマ)の円に立ち、両手を胸の前で重ねている。兄妹の間には、青い光でできた一本の道がまっすぐ伸びていた。

 神判の開始が告げられる。

 ナイリューは待たずに駆けた。供給を断たれる前に距離を詰める考えだったが、ザハールは剣を合わせようとしない。後方へ下がりながら、左手で地面へ印を刻んだ。

「流れは地へ。力は土へ。巡るものを静止せよ」

 石床に黒い円が広がった。

 エレノアとナイリューを結ぶ誓約の道が、一瞬で重くなる。送ろうとした魔力は彼へ届かず、足元から地中へ吸い込まれていった。

 ナイリューも異変を感じたらしい。それでも速度を落とさず、ザハールへ斬り込む。二人の剣が続けてぶつかり、乾いた音を響かせた。

 剣技だけならナイリューが上回っていた。ザハールは正面から打ち合わず、円陣の内側を移動しながら守りに徹する。エミリアから注がれる魔力は、断流陣の維持と防御だけへ無駄なく使われていた。

 やがてナイリューの動きが鈍り始めた。第一神判の疲労が残る一方で、相手には婦人(アニマ)の支援が絶えず届いている。時間が延びるほど不利になる戦いだった。

 エレノアはわずかな魔力を送り、行き先を確かめた。力はナイリューへ届かず、ザハールの外套に縫われた金属板を伝い、石床へ消えていく。

 エレノアは供給を止めた。外套の金属板を外せばいい。だが、打ち合いの間にそれを伝える声は、ザハールにも聞こえてしまう。

 ザハールの剣がナイリューの肩を捉えた。鎧が衝撃を受け止めたものの、ナイリューは大きく体勢を崩す。続く魔法によって石床が盛り上がり、退路を塞いだ。

「強大な魔力ほど、行き先を失えば術者を縛る」

 ザハールは距離を保ったまま言った。

「誓約の道は封じた。もはや、おまえから騎士へ送れる力はない」

 誓約の道。

 右手の半円が温かかった。誓約とは別に、幼い日から残る道。そこへ力を押し込めば、また断流陣に拾われるかもしれない。

 エレノアは半円へ、呼びかけるほどの小さな力を通した。

 ナイリューがこちらを見た。彼女は相手の外套へ視線を移す。ナイリューも金属板を見た。短く頷き、剣を握り直す。

 強化の魔力は届かない。ナイリューは剣を両手で構え直し、迫るザハールへ踏み込んだ。

 ザハールは一瞬、掌の光へ目を奪われた。その間に、ナイリューは盛り上がった石床を蹴って跳び、断流陣の線を越える。

 ザハールが片刃剣を振り上げる。エミリアから防御の魔力が集中した。正面から破るには、婦人(アニマ)の支援を失ったナイリューの力では足りない。

 だが、ナイリューは剣を合わせなかった。空中で身体をひねり、相手の肩を越えるように着地する。振り返りざま、長剣の腹でザハールの外套を打った。

 縫いつけられていた金属板が外れ、石床へ散らばる。

 断流陣の線が乱れた。吸い込まれていた魔力が一斉に解放され、黒い円が青白い光へ変わる。ザハールは術を立て直そうとしたが、崩れた陣に足を取られ、片膝をついた。ナイリューの剣先はすでに喉元の手前で止まっている。ザハールは片刃剣を下げ、降参を告げた。

 審判が片手を上げた。

「勝者、エレノア=クレセント元公女!」

 歓声が湧き起こる。第一神判よりも大きく、演武場全体を揺らすほどであった。

 ナイリューは剣を収め、ザハールへ手を差し出した。ザハールはしばらくその手と、二人の掌に残る半円を見比べていたが、やがて手を取って立ち上がった。

「断流陣を破るとはお見事」

「俺たちも、一か八かの賭けでしたよ」

「ならば、次に同じ手は通じまい。決勝では、さらに厄介な相手が待っている」

 ザハールの視線が、反対側の入場口へ向けられた。

 そこでは、ケーセルに見送られ、ジェラルドとリーゼが次の準決勝へ向かうところだった。



 ジェラルドとリーゼの準決勝は、長くはかからなかった。

 開始の合図と同時に、リーゼの魔力がジェラルドへ流れ込んだ。測定水晶の目盛りが一気に上がるほどの量でありながら、光は鎧と剣へ薄く均等に行き渡り、少しも外へ漏れない。対戦相手は王国東部で名を知られた槍使いである。自らの婦人(アニマ)による風の強化を受けた突きが、ジェラルドの胸へ迫った。

 ジェラルドは半歩だけ身体をずらした。槍が外れる。その柄へ剣の峰を添え、相手の力に逆らわず円を描くように導いた。次の瞬間には槍が持ち主の手を離れ、場外の砂へ突き立っていた。

 リーゼが供給した膨大な魔力は、ジェラルドのわずかな動きへ残らず使われていた。派手な光はなく、余分な力もない。それゆえに、相手は何をされたのか理解することさえ遅れた。

 勝負が決したと理解するまで、観客たちにも数呼吸の時間が必要だった。遅れて大歓声が上がる。

 ナイリューは控えの通路から、その一合を黙って見つめていた。

「勝てそうですか」

 隣に立ったエレノアが尋ねた。

「分からない」

 ナイリューは正直に答えた。

「今まで見た誰より強い。たぶん、剣だけなら俺より上だ」

 不安を隠すための虚勢も、相手を軽く見る言葉もなかった。その代わり、横顔には恐れとは違う熱が宿っている。

「でも、戦ってみたい」

「それでも、戦いたい気持ちは変わらない」

「……勝つための手は、あるのですか」

 ナイリューは彼女を見た。

「まだない。だから、一緒に考えてほしい」

 ジェラルドがこちらを向いた。その隣では、リーゼもエレノアの掌に残る半円を見つめている。離れた場所にいながら、二人はナイリューの言葉が聞こえたかのようであった。

 二人の視線が、演武場を挟んで交わる。

 大司教がジェラルドの勝利を宣告し、続けて翌朝行われる決勝の組み合わせを読み上げた。

 候補者は、ケーセル第二王子と元公女エレノア=クレセント。

 代理の騎士(アルマ)は、ジェラルド=モーリスとナイリュー。婦人(アニマ)は、リーゼ=アーデンとエレノア自身。

 演武場を離れてから、エレノアはナイリューを呼び止めた。

「控えの通路では、失礼なことを言いました」

「どれだ?」

 わざとらしく聞き返され、彼女は眉を寄せた。

「あなたが、ジェラルドと戦いたいと言ったときです」

「うん。あれは、少し腹が立った」

 ナイリューはあっさり答えた。エレノアが俯くと、そのまま明日の話を続けた。

「だから勝つ。俺の名を覚えてもらって、公国解放の軍も借りる。二つともだ」

「はい」

 今度は、迷わず答えられた。

2026/09/24 加筆・修正しました

2026/09/27 大幅な加筆・修正


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