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捕捉

「積荷……何か他のものって可能性もあるんでしょ?」

 そういいつつも、フリーダの顔色は白さを増していた。

「無論だ。だがいずれにしても、この北ヨーロッパで何か、交易品の輸送を隠蔽する必要があるとすればろくなことじゃない。そんな気がする」


 ホルガーはあの船を追いかけてどうするつもりなのか。国家としての意識は未だ低いとはいえ、ここはまだデンマークの小王国群が微妙な均衡の上で並び立つ真っ只中にある。

 ノルウェーに属するアンスヘイムの船には、もとよりこの地で商船を停船させて臨検するような権限はないのだ。

 だが、ホルガーは皆に鎧を着込むよう指示した。手の空いたものから鎧を付け、お互いに剣を吊った帯や各所の皮ひもなどの具合を確かめあう。俺もコートの下に短めの鎖鎧を忍ばせた。船上での作業がいささか厄介になるが、最悪の状況に備えようというわけだ。


 順風を受け帆をいっぱいに膨らませて、大山羊号が水路を進む。オールが出され、力自慢の男たちが交代でそれを漕いだ。水深の浅い場所にたまった泥がまきあげられ、船の航跡が茶色く濁っていく。

 舳先に立って進行方向をにらんでいたスノッリが声を上げた。

「いたぞ!」

 何人かが船べりから身を乗り出し、進行方向を仰ぎ見た。

「まだこんな処で、うろうろしてるなんて――」

 誰かがそう言う声が聞こえた。少年たちの一人、ギルベルトが索具を掴んで伸びあがり、前方の船のほうを指さす。

「あれを見て! スネッケが近づいてる!」


 俺もそれを見た。水路の狭い部分はこのあたりで終わり、湖のような広さになっているのだが、その南西部の岸辺から恐ろしい速度で、小ぶりな軍船らしきものが接近しつつあった。狙いは向こうの奴隷船らしい。そちらを先に発見したということだろうか。

 短めのオールを翼のようにひらめかせ、舷側の低い細身の船体が北東へ向かって飛ぶように進む。舷側に並べられた色とりどりの盾が眩しいほどに鮮やかだ。

「海賊か……!」

 ヨルグが引きつった顔で吐息とともに声をあげる。皆がばらばらにホルガーの方を窺うのがわかった。

 奴隷商人の船は既にスネッケに捕捉されていた。小回りが利き速度の出るあの手の船から、鈍重なクナルが逃げおおせる見込みはない。俺たちが見つめる間に二隻の船はその距離を縮め、海賊船の戦士が長い柄の戦闘用斧でクナルの舷縁を引っかけるのが見えた。

 ホルガーは目を細め、ほとんど目を閉じているようにさえ見えた。だが、彼の顔はしっかりと前方の状況に向けられていた。

(迷っているんだな、ホルガー。海賊が接舷斬りこみを始めたこのタイミングなら、俺たちは奴らの横をすり抜けて、フィヨルドの出口へ向かえる……!)

 フリーダや少年たちを同道したこの状況では、それが賢明なやり方であるはずだ。意見を求められたならば俺はそう主張するつもりだった。


 心のどこかでそれに異を唱えるものはある。あの船を見捨ててこの場を去れば、俺たちは、あの商船が何を目論んでいて、なぜこちらの船をああも意識していたのかを知ることはなくなるのだ。

 その情報の欠落が何か恐ろしい事態を招くのではないかという懸念があった。だが杞憂かもしれないことのために、フリーダたちまで危険にさらすことはできない――


 その時だった。

「む、風が回ったぞ!」

 アルノルが鋭く叫んだ。これまで後方から吹き付けていた順風が不意に止み、進行方向である北東からの風が吹き始めた。横帆のクナルにとっては利用しにくい逆風だ。

 ほぼ同時に、奴隷船の船上から女の悲鳴が上がった。スネッケからなだれ込んだ戦士の一人が、クナルの甲板に手をつき、板を剥がそうとしているのが見える。


 ホルガーが巨剣スルズモルズを抜き放ち、叫んだ。

「――船首三角帆を張れ! 帆を右舷開きに、ベイタスを突っ張れ! 手の空いているものはもう一人づつオールにつけ、二人漕ぎだ!」

 ヨルグが無言で俺の隣に座り、オールを握った。

「――あのスネッケに斬り込むぞ!」

 おおっ、と高揚したどよめきが上がる。


(本気か、ホルガー)

 ホルガーは、俺ができれば回避したいと思っていた方向に事態の舵を切ったのだ。だが俺の煮え切らない思いは、続く彼の言葉で吹き飛ばされた。

「この風なら、我らの船が有利だ。それに、従姪の目の前で女の悲鳴を見過ごすような真似ができるものか!」

「ホルガー兄さん……!」

 フリーダが眼を大きく見開いた。

「海賊に出くわした上は、すり抜けたところでどうせしつこく追ってくるだろう。奴らを討ち払い、怪しい振る舞いの船を検分して、今朝からのもやもやを拭い去ってくれる! 行くぞ皆の者!」

 男たちの荒々しい歓声が上がり、その中に少年の声が三つ混ざった。


 時代を遥かに先取りした、大山羊号の船首三角帆(ジブセイル)が風に膨らんだ。前方の二隻の船がみるみる内に大きくなり、マストの先端が上空へと伸びていく。

「オーラブ! 槍だ!」

「おう!」

 オーラブの長身から立て続けに二本、重い投槍が放たれて宙を疾る。スネッケの船首にいた戦士の首の後ろに槍が突き刺さり、前へ突き抜けてその体を船首材に深々と縫いとめた。海賊たちの間に動揺が拡がった。

 投げ斧と矢が飛び交い、子供たちは中央の船倉へ飛び降りた。十秒ほどで距離がつまり、大山羊号の船首が海賊船の舷側にめり込む。重量物のぶつかる衝撃が足元から腹へと響いてきた。

「アアアアアアアアアアアンンッスヘエイイイインッムッ!!!」

 おなじみの閧の声が上がり、ハーコンとグンナル、それにオーラブがひとかたまりに敵船に飛び込んだ。そのあとにスルズモルズを構えて続くホルガーを、両手斧を抱えたヨルグが追い越して前に出た。その右隣にはアースグリムの白と青の盾が見える。

 目の前に立ちふさがった男の盾を、ヨルグが斧の刃で引っかけてずらし、がら空きになった顎へ斧をそのまま突き込んだ。骨が砕け、薄い刃が肉に食い込む。

 槍がハーコンの左耳をかすめて血しぶきが上がるが、次の瞬間その槍使いの手首はグンナルの剣で半ば断ち切られ、ぶら下がった。保持する手を失った槍が甲板に落ち、ガラガラと音を立てる。槍の持ち主はハーコンの剣にかかって倒れた。

「ふんぬ!」

 短く息を吐いてホルガーがスルズモルズを三度薙ぎ払い、頭に皮帽子をかぶっただけの若い戦士たちが立て続けに首を失った。マストに隠れてちくちくと剣を突き出す男に業を煮やしたヴァジが、腰のカバンから何かを掴みだして投げつける。

「ぎゃあっ!」

 絶叫が上がった。目をつぶされた男の顔に突き立った無数の黒い棘を俺は見た。夏に撒き菱を作るときに使った、古釘の余りらしい。ヴァジは悶えるその男を抱え上げ、彼へ向けて剣を構えた戦士二人のほうへ投げた。

 その体は逃げ遅れた一人の剣に突き刺さり、一瞬動きを封じた。そこへこちらの後続の戦士たちが駆け込み、首筋に斧を叩き付けて始末をつけた。

「ふん……こやつら、弱いぞ。ブリテンで戦ったデーン人どもの足元にも及ばん」

 ハーコンがあざ笑いながらまた一人を屠る。


 俺も船縁を越え、『ダーマッドの左腕』を手にスネッケに乗り移っていた。直前までの逡巡のせいで遅れを取ったものの、彼らの思い切りの良さと瞬発力に圧倒されて、あれこれと倫理的なことを考える余裕は失っていた。

 狭く足場が悪い船の上では盾壁を組むことが難しい。そうした状況の中で、スネッケの海賊たちにとって最大の敗因となったのは、戦闘要員の半分近くが奴隷商人の船へ乗り込んで分断されていたことだった。もともとこちらの人数は、小さなスネッケの乗組員よりは多いのだ。

 アースグリムがスネッケの船尾へと走り、舵柄のそばにいた体格のいい男を襲った。あるいは彼らの頭目だったのかもしれない。相等しく盾と剣を構え熾烈な攻防を繰り広げる二者を見て、アルノルが大山羊号の甲板で叫んだ。

「スノッリ、やつを狙え!」

「任せろ!」

 狩人はスネッケの帆で風が遮られた瞬間をついて、矢を放った。


 アースグリムが何かに足をとられて体勢を崩し、敵が彼を仕留めようと剣を振りかぶった瞬間、スノッリの矢が操舵主の喉を射抜いていた。

「ガッ……」

 喉から生えた矢柄を掴み、操舵手が断末魔に身をよじる。盾を取り落したその男の首を、身を起こしたアースグリムが一刀のもとに断ち切った。


 クナルの船上では、海賊たちはほぼ勝利をおさめかけていた。乗員のうち武装した戦士十人はその大半が倒され、商人たちは生き残った数人が船首に集められていた。

 アンスヘイムの閧の声に驚き、スネッケの惨状を目の当たりにして、海賊たちは鉤付きロープで繋がれた舷縁へ駆け戻りつつあった。


 だがホルガーの厳めしい声が彼らの足をすくませた。

「そこまでだ、武器を下せ。それともこの俺、『膝砕き』ホルガーに挑戦してみるか?」

 血気盛んな数人が、怒号を上げてホルガーに殺到した。だが彼らの突撃はオーラブによって粉砕された。先程スネッケの甲板に転がった重い槍を、彼はこともなげに投擲したのだ。

 ブン、と鈍い音。その穂先は縦に連なっていた三人の顔面を貫通し、彼らはメザシのように重なって甲板に崩れ落ちた。槍を免れた一人は巨剣スルズモルズに頭を縦に割られて倒れた。

「ひ、ひぃッ!?」

 動かなかったうちの数人が戦意を喪失して膝をつく。


 船尾にいた男、先程甲板の板を剥がしていた戦士が叫んだ。

「おい、これを見ろ!」

 彼の左腕は、やつれた面もちの若い女を拘束していた。赤みがかった金髪と、緑がかった色の瞳。身に着けた白いドレスはフランドル伯の宴席でイレーネが借りていたものに似ている。ただし、こちらは襟元や袖口に金糸をあしらったさらに豪華なものだ。

「貴様らこそ武器を捨てろ。この娘を殺されたくなければな」

 そういって、彼はその女の喉元に鋭利なサクスを擬して見せた。

「何の真似だ?」

 ホルガーが怪訝な顔をする。

「あー、たぶん何か誤解があるんじゃないか? 見れば身分のありそうな娘だし、奴隷商人にさらわれたのを俺たちが取戻しに来た、とか」

 アルノルが興味深そうにその女と、船首に集められた商人たちを見較べて、そういった。

「なるほど……」

 ホルガーが苦笑する。

「すまんな、その、我らとその娘は実のところ全く無関係だ。だから……」

 そういいながらのしのしと大股で歩くホルガーに、人質をとった男が鋭く叫んだ。

「止まれ! こっちへ来るな」


 ホルガーの足が、前部甲板の終端、船倉の縁で止まった。

 そこには、後部甲板への通路として架け渡された分厚く長い板があった。次の瞬間、俺はとんでもない光景を見ることになった。

 マストを支える横静索の一本に手をかけ体重を預けたホルガーは、足先でその板のこちら側を外して船倉の空間へ傾がせると――恐るべき力でその板を、相手の顔面めがけて押し蹴り出したのだ!


 ぐしゃ。


 いやな音がした。板そのものの重さのため、ホルガーの目論見はわずかに外れた。顔面を狙ったはずの渡り板は下方へずれながら90度回転し、その8㎝ほどの厚みが海賊の股間にめり込んでいた。

「だから、その娘は人質の役には立たん」

 そう言い放った後で、ホルガーはすこし顔色が悪くなった。皆も静まり返り、しばらくの間言葉を失っていた。



 数分後、クナルも俺たちの手に落ちた。


 スネッケの海賊たちは、まったくのところただの海賊だった。シュライフィヨルドを出入りする船を狙って、時に湾口で待ち受け、時にこういった気の緩む場所の岸に潜んで、目星をつけた船に襲い掛かかっていたのだ。

 彼らのうち生きているものは縛り上げられ、死んだ者はフィヨルドに沈められた。問題は、クナルの商人たちのほうだ。

「おかげさまで助かりました! 何とお礼を申してよいか……」

 はいつくばって礼を述べる、ごま塩頭をした長老格の男の目の前に、ヨルグが無言で斧の刃を落とした。

「ひッ?!」

 商人の唇から甲高い悲鳴が漏れる。

「なあ、教えてくれよ父っつあん。なんであんたらは、あんなにそわそわとこっちを気にしていたのかね」

 アルノルが彼の前にしゃがみ込み、気さくな調子で話しかける。だが、目は全く笑っていない。レーワルデンで見た、あのどろんとしたサメの眼だ。

「あ、あんたらの船には人が多すぎる。商人じゃない、きっと海賊だと思っ」

「まあ商人じゃないのは確かだな。俺たちは」

 アルノルはごま塩頭の男の唇をつまみ、キュッとひねり上げた。

「あんたらこそ、見かけどおりに奴隷商人ってわけじゃなさそうだな? 目的は何だ、本当のことを言えよ」

「ひてててて!! は、離ひてくえ!」

 涙目になって哀願する男に、ケントマントは顎でしゃくって船尾甲板に立つヴァジたちを示した。

「ちょいと改めさせてもらうぞ、積荷を。俺たちが住んでる土地は貧しいうえに、このところ物騒になってきてな。ちょっと気を抜くとすぐ周りから滅ぼされるんだ。だから、俺たちは陰謀や隠し事が大嫌いなのさ」

「そ、そえわ――」

 ヴァジたちは甲板を剥ぎ取る作業をしていた。甲板下に収められていたものが目に入ると、彼は興奮した叫び声を上げた。

「鉄だ! それも最新式の炉で精錬した、フランクの鋼だぞ」

 オリーブ油に浸した亜麻布にくるまれた、青みがかった鈍い輝きを放つ鋼。それが船の喫水を危うくするほど積み込まれていたのだ。

「想像はついていたが……」

 動かしようのない事実として目の当たりにすれば、やはり衝撃は大きかった。胃のあたりに重苦しい冷たさを感じる。

 俺は商人のところに近づき、襟髪を掴んで立たせた。

「あんたら、どこから来た? あれをどこに運ぶんだ?」

「う、ウプサラから……鋼はビルカで売るんです」

「ウプサラぁ!?」

 アルノルが語気荒く男に詰め寄った。

「スウェーデンの都じゃないか。ビルカもスウェーデンの交易都市だ……鉄を豊富に産するスウェーデンで、なぜわざわざフランクの鋼を輸入する?」

 商人は言葉に詰まって黙り込んだ。


 俺とアルノルは互いに目を見合わせた。

「アルノル……俺たちは大当たりを引いたらしい」

「そうだな。海賊どもに感謝すべきか。だがこれはどうやら俺たちの手に余る事態だぞ」


――鉄は国家なり。


 ドイツの鉄血宰相、ビスマルクはかつてそう述べた。この9世紀の世界においても彼の言葉はそのまま通用する。いや、むしろその意味はさらに重い。

 鉄、ことに鋼は武器に欠かせない。スヴェーア(スウェーデン)人たちが秘密裏にそれを輸入するということは、恐らく戦争の準備が進められているのだ。

改めを古い表記で検めって書きたい。

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