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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

冬が来るその前に

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グロリアンド

「あ、あのう……目下スウェーデンでは東方植民の機運が高まっております。鋼はその為のものでして」
 茶色のシャツを身に着けた少し若い男がはいつくばった状態から首を回し、こちらを見上げてそう言いつくろった。

俺はその男の鼻先に刀の切っ先を突き付け、彼の抗弁をはねつけた。
「うまい言い訳を思いつくには少し遅かったな。本当にそのためだというなら、さっきすぐに答えられたはずだ」
「うっ……」
 指摘された商人の顔色が悪くなる。

「スヴェーア人たちが東方植民に熱心なのは本当らしいが」
 アルノルが冷たい目で彼らを見ながらそういった。

「ああ、知ってる」
 イレーネたちがバルト海への旅で出会った『ルス族』というのは、複数の民族の集合体だったと21世紀には考えられていた。そのうちかなりの部分は、スウェーデン起源の北方人たちだと言っても恐らく差し支えない。この時代に東方植民は確かに行われている。

 だが、それなら別に鋼を隠して船で運ぶ必要はない。ガルザリーキと呼ばれる広大な土地――のちのロシアへの進出は、有力者や野心家が人を集め、あるいは係累を引き連れて臨む一大遠征だが、そこに人目をはばかるような要素はないのだ。

「まずはこいつらを縛り上げろ、われらの航海の邪魔ができんようにな。こんなところで船を停めたままでのんびり喋っていては日が暮れてしまう。新手の海賊が現れんとも限らん――」
 ホルガーが現実的かつ非情な判断を下した。
「さっさと出航しよう」

「おお、そうだな」
 皆が急にてきぱきと作業を始める。甲板に飛び散った血や汚物は、板を外して舷外に出し、例のポンプで洗い流した。そのまま洗ったのでは甲板下の貯蔵品を汚すというわけだ。

 手足を縛ろうとすると、商人たちはなおも憐れな声を上げた。
「お許しください! 我々はエイリーク王のお布令に従って新たな商売に手を染めただけで――」
 必死に抵抗する老人を、ヨルグが拳で軽く殴りつける。
「この野郎、なぜそれを早く言わないんだ。王の指図で鋼を買い集めてるとなりゃ、やっぱり危なっかしい大事じゃねえか」

――だから言いたくなかったんだろうぜ。
 誰かの、そんな合いの手が入った。

「それでも、縛られるとなれば王とその権威に責任を擦り付けて逃げを打つか。度し難いな」
 アルノルの声がまた数段冷たいものになる。

「こ奴らのクナルは……そうだな、アースグリムが指揮してくれんか?」
 ホルガーは新参者のデーン人に声をかけた。大任を委ねられたと気が付いて、アースグリムが頬を紅潮させた。
「いいのか、俺で。皆ついてくるかな」
 族長はぐるりと部下たちを見まわし、大きく一つうなずいた。
「俺の部下たちはそれぞれの決まった仕事には慣れていても、大勢を統率することにはまだまだ経験が浅い。お主ならその点見聞も広いし気骨もある。できるさ」

「アルノルのほうが適任じゃないのか?」
「奴にはケントマントの仕事に専念してもらう方がいい」
 なるほど、とアースグリムが頷く。

 奴隷商人のクナルには十五人ほどが分乗することになった。ホルガーがその男たちに大きな声で命じた。
「よいか! われらはこれからヴェストフォルへ向かい、トンスベルクでハラルド王に会う。この商人たちの処遇はそこで決めてもらおう。お主たちはアースグリムの命令に従い、大山羊号に追従して船を動かすのだ」

「心得た!」
 アースグリムが指揮をとることについては誰一人異存ないらしい。みな、彼の実力は認めているのだ。

 二隻のクナルはヘーゼビューを出たときよりやや短めの間隔をあけて、再び水路を進み始めた。新参の船はとりあえず『黒羊号』と名付けられた。商人たちは抗議したが、ホルガーには船を返してやるつもりがないことが俺にははっきりわかった。
 ヴァジも黒羊号に移った。満載された鋼の上にいたいのだという。大山羊号にはごま塩頭の商人と、生き残りの戦士二人、それに奴隷たちが移された。

 男三人に女二人。奴隷たちはいずれも急激な運命の変転に混乱し、恐れをなして縮こまっていた。それとは別に、人質にされかけたあの娘がいる。甲板下に押し込まれてはいたが、どうしたわけか縛られてはいなかったようだ。ノルド語が分かるのはその娘だけだった。
 娘が白いドレス姿のまま後部甲板に佇んでいると、ホルガーが舵をオーラブに預け、彼女に歩み寄って話しかけた。
「お主、名は?」
 その問いかけに向けられたのは、緊張と不信の入り混じった、冷たい視線だった。
「私のことは、あなた方には関係ないのでしょう?」
 娘の返答にホルガーは一瞬鼻白んだ。しかし、次の瞬間さらに一歩進み出て彼女の手首を掴み、顔を近づけた。

「黙っているつもりならそれでも構わん――ただしその場合は、お主の扱いは単なる戦利品、あそこに肩を寄せ合っておる奴隷たちと同じになるぞ」

「……無礼な!」

 娘は身をよじって逃れようとしたが、ホルガーの万力のような手は全く緩まずに彼女を捉えたままだった。ホルガーはゆっくりと、噛んで含めるような口調で言った。
「お主がそれなりの身分だったことは、見ればわかる。なればこそ、お主にはこの哀れな者たちに対して負う責務があるはずだ。ノルド語を解さぬこの者たちが今よりましな境遇に身を置けるよう、我らとのなかだちを務めるがいい」

 娘は眉をひそめ不思議そうにホルガーを見た。その表情にはまだ疑いの色が見えたが、それは次第に溶け和らいで、戸惑いとでもいったようなものに変わりつつあった。
「私達を連れ帰り、奴隷として売り払うか使役するのではないのですか?」

「……そうされたいのか?」
「いいえ」
 娘の喉がかすかに動いた。固唾をのむ音が聞こえたような錯覚があった。
「ならば答えるがいい。お主の名は?」
「……私の名は、グロリアンド。フーゼムブロのグロリアンドです」

「フーゼムブロだと? 聞き慣れん響きだな」
 ホルガーがきょとんとした面持ちでそう言った。

「あなた方の言葉では、珍しいかもしれませんね」

「土地の名のようだが、どこなのだ?」

 訊かれたグロリアンドは、西のほうを振り返り、ユトランド半島のなだらかな丘陵を指差した。
「あの丘の連なる向こう、この半島の西にある海のほとりです」

「そうか――帰りたいか?」
 答えはわかっていそうなものだが、ホルガーは無造作にそう訊いた。

「ちょっと、兄さんったら!」
 聞きとがめたフリーダが眉をしかめて従叔父をたしなめる。だがグロリアンドはまっすぐにホルガーの目を見つめ返して答えた。

「私にはもう、帰るところはありません。フーゼムブロはデーン人の襲撃を受け、跡形もなく焼かれましたから」

 ホルガーは数秒の間無言でグロリアンドの視線を受け止めた後、不意に彼女に背を向け、船尾へ向かって歩き出した。
「小僧どもと一緒に船倉に降りておれ。奴隷たちが何か訴えるようなら我らに知らせろ」
 そう言ったあと、彼は妙に不機嫌そうな顔をしたまま舵柄についた。


 夕刻近くにはもう、船はマアスホルム島のある湾口に差し掛かっていた。
「もう少し北へ行けば、上陸して休める入り江がある。少しでも視界が利くうちにそこまで行くぞ」
 アルノルはそういって、舳先に立ち続けている。凪に近い状態から、風は次第に海から陸へと向かって吹き始めていた。このままその風に乗って、岸へ向かおうというのだ。

 舷縁に寄りかかって休憩する俺のところへ、フリーダがエールとパンを持って近づいてきた。
「今のうちに食べておいて。兄さんがそういってる」
「ああ、ありがとう」
 角杯を次の誰かに回すため急いで口を付ける。だが、フリーダは何を思ったか、俺の隣に座りこんで耳元に口を寄せてきた。
(ねえトール。何だかホルガー兄さん、おかしくない?)
「ん、何が?」
 その時の俺は、正直言って少しぼんやりしていた。朝から緊張のし通し、フリーダや少年たちを気遣いながら戦闘をもっぱら見守り、商人たちを訊問。早い話が、疲れていたのだ。
 だが俺の気の抜けた返事は、フリーダの癪に障ったらしい。彼女は俺の耳をつまんで軽くひねり上げた。
「てっ、痛ててて!!」
(何がじゃないわよ! あなたホントにあの追剥お姫様と仲良くなったんでしょうね?)
「ホントも何も、あと二週間もしたら婚礼だって。だいたいそれとホルガーと何の関係があるんだよ!」
(だから!)
「何だよ」

 いつの間にか周囲の数人がこちらをちらちら見ていることに気が付き、俺たちはフリーダが俺の襟元をわしづかみにして締め上げた形のまま、一瞬固まった。

「ん、えへん」
咳払いしながらフリーダが手を放す。
(――兄さんがね、あの女の人を、すごく気にしてるように見えるのよ。その……女の人として。トールなら私と同じように感じ取ってるんじゃないかと思ったんだけど))

(ははあ)
 俺は奇妙な思いで族長を遠目に眺めた。日没の最後の光を左頬に受け、彼の姿はなにやら神話的な光輝さえ帯びて見える。

 その唇はいかついひげの下で固く結ばれていたが、言われてみれば確かに彼の瞳はどこか程遠くない距離の場所をさまよって、揺れ動いているようだ。その視線の先には――ドレスの娘グロリアンドがいた。
 とはいえ、それが恋慕とは限らない。到底これだけではホルガーの胸中は推し量りがたい。
「俺には、はっきりしたことは言えないな」
 狭い船の上のことだ。奴隷船に乗せられていたほかの者たちとのいざこざが起きないか、とか部下たちが無礼を働きはしないか、とか、気になることはいくらでもあるだろう。

「兄さんがだれか娶ってくれれば、私も、ほら……」
「言いたいことはわかるけど、飛躍しすぎだよ」

 まだ何か言いたげな様子だったが、俺が空にした角杯を受け取って、彼女はエールの樽のほうへ歩いていった。

 そのあとはこれと言った変事もなく、七日ほどの航海を経て、二隻のクナルは南ノルウェーのヴェストフォルにたどり着いた。 
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