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高みからの眺め

 普段海底の土中にある琥珀は、海が嵐で撹拌されることで浮き上がり、波に乗って海岸に打ち上げられる。恐らくそれらはもともと内陸の地層の中にあったものが、川を通じて長い年月に運ばれて海底にたまったものだ。皆にそこまでを整理してもう一度説明した。

「……ならば、河口に近い浅い場所の泥を犂で掘り返し、水流で泥を除去してやれば、嵐を待たずとも琥珀が手に入る理屈だ」

 荒っぽい推論だが、これなら天候に依存することはなく、ヴェンド人たちと海岸で出くわす可能性も少ない。


「重量犂か……」グンナルが苦笑いを浮かべた。

「このあいだ、買っとけばよかったな」


「まあ、それは仕方ないだろう」

 俺も彼に向かって苦笑いで返した。イングランドからの帰り、北海の交易都市ドーレスタットに寄った時のことを思い出していたのだ。



 ドーレスタットがさびれている、という噂は本当だった。ヴァイキング行に出発する前、話されていた通りだ。フリースラントには数十年にわたってデーン人たちが侵攻を繰り返し、ロリックが王国を築いたころにはそもそも町の規模が縮小していたという。加えて先年起こったライン川の氾濫のため、町の一部は押し流されて川底に沈んだ。

 俺たちが訪れたときにも、水没を免れた区画にはまだ仮ごしらえの小屋が立ち並んでいた。罹災した住人たちの多くは、そこから近郊で発展しつつあるユトレヒトの町へと順次移住していき、最盛期に比べて人口はずいぶん減ったということだ。


 だがそれでも、ドーレスタットは北海にとどろく交易の中心地だった! ヘーゼビューに倍する規模の敷地に、丸太で組まれた桟橋や街路が張り巡らされ、ありとあらゆる商品が並べられていたものだった。

 いろいろと含むところがないではなかったが、俺たちは結局商人オウッタル――つまり美髪王ハラルド――が営む商館を訪ねた。


 一国を相手に商売をするだけあって、彼の商館の規模と倉庫に積まれた商品の質と量は、大変なものだ。金銀細工などの贅沢品は言うに及ばず、アラビアから持ち込まれたキタイ(中国)の絹、ペルシャのタフタといった織物に、ワインやオリーブ油といった日用品まで網羅していた。俺が村に持ち帰ったリネン類や鍋なども、大方はオウッタルのところで購入したものだ。

 そんな商品の数々の中に、巨大なすきがあった。樫の巨木から切り出された、どっしりとした木材で構成され、一対の車輪を備え牛か馬の二頭立てで牽引される大がかりなそれは、農業史において重量犂(ヘビー・プラウ)と呼ばれる代物である。

 ヴァイキングたちの間での風聞によれば、起源はよくわからないものの概ねアジアのほうらしい。スカンジナビアにはこの百年ほどの間にスラブ語圏を通って持ち込まれたようだった。

 そのいかにも頼もしそうな姿に、俺は当初、かなり熱心に購入を考えた。中古品ということらしく、価格は銀30マルク。アルフレッドからせしめた銀でどうにかまかなえる。錆びてしまっている刃板は、鍛冶師に頼んで作り直せばいい。そう思っていた。


 だが、グンナルをはじめ年長の男たちがこぞって反対した。オウッタルが不機嫌そうな顔になったが、理由を聞くと思案顔になって黙り込んだ。

 重量犂は畑の土壌を深く掘り返し、雑草などを地中深くに埋めて閉じ込めることで、確かに効率の良い農業生産を可能にする。ところが、アンスヘイムにはこの道具に関して苦い記憶があった。

 彼らの親たちの世代が元の居住地を離れて現在の村の場所へ移住したのには、重量犂の弊害がかかわっていたというのだ。


「ノルウェー西部の沿岸はもともと土地がそんなに肥えてない。重量犂で耕しても、作物の収量が上がるのは当初の何年かだった。おまけに、雨が多く傾斜地の多い土地柄だ……耕された土は雨のたびに泥水となって流れ出し、畑だったはずの場所には、ろくに作物の育たん、びかびかした粘土が顔を出すようになったそうだ」

 グンナルが、祖父から聞いたという当時の様子をかいつまんで物語る。


「それ……似たような話を聞いたことがあったぞ」

 土壌流失。機械化された大規模な農業が行われる21世紀では、世界各地で深刻な問題になっている現象だ。作物の生育に適した肥沃な表土は地表のほんの数㎝から数インチの厚さしかない。腐植など有機物を豊富に含んだそれは、形成されるのに数百年オーダーの時間を要するという。

 アンスヘイムの父祖たちは新しく導入された農具の価値を認め、いさんで導入した。その結果、耕作地に回復不能なダメージを与えてしまったわけだ。


「知識と実際の出来事が頭の中ではっきりと結びついたよ。知ってみれば恐ろしいな。なるほど、こいつはアンスヘイムの土地で使うには少々威力がありすぎるらしい」

 目の前の巨大な犂が何やら次第に忌まわしいものに思えてくる。

「なるほど。すると、これを豪族たちに売りつけて使わせ、彼らの土地が程よく荒れたところで食料を売るようにすれば、直接的に戦争を仕掛けずとも……」

「おいやめろ」

 黒いことを言いだしたオウッタルに、俺は相手が王であることも忘れて詰め寄った。20世紀のアグリビジネス企業かこいつは。

「冗談ですよ、冗談……ノルウェーはそもそも国中どこへ行っても、デンマークあたりほど土地が肥えてるわけではありません。おかしなことをして食料を輸入に頼るようなことになったら、それこそ『小麦大麦、主要穀物大暴騰』です」

「わかってるなら余計たちが悪い。冗談でもよしてください」

 アレンジ版『西遊記』エンディングテーマの歌詞を引用されても、不穏な発言は看過できない。

 まあそんなこんなで、その時の俺は重量犂の購入と使用を断念したのだった。もっと小型かつシンプルで、馬一頭と人力くらいで取りまわせるものを、村に帰ったら作ってもらうことにした事は既に話した通りだ。




 しかし現在の状況を考えれば、あの頼もしくもまがまがしい大型農具も、新たな意味合いを帯びてくる。地面を掘り返すという機能にのみ着目すれば、重量犂は土木作業用器械として、我々の目的に実によく合致するではないか。


「……ヘーゼビューでも手に入るよな?」

「多分。だがあのヴェンド人たちの様子から考えるに、採掘作業に何日もかけるわけにはいくまい。すると出来合いのものを高い金を払って購うのは、いかにも馬鹿馬鹿しい。俺にはそう思えるな」

 アルノルがそう言って顎ひげをピンと引っ張った。

「町にはあちこちに、廃材や壊れた荷車があるはずだ。その場でだけ使えればいい……重量犂を一台、でっち上げようじゃないか」

 彼は自分の考えに至極満足感を覚えている様子で、くすくすと笑った。

 

「楽師殿はもう一つ、ポンプと言ったな。どういうものか説明してくれるか」

 ホルガーが鼻息を荒げて俺のほうを見た。新しい物や技術、概念も積極的に取り入れようとするのは北方人の長所だが、この若い族長はとりわけてそのあたりが貪欲だ。

「ふむ……簡単に言えば、水を吸い込んで吐き出す『ふいご』だな」


 俺はホルガーの肩越しに、鍛冶師の息子に声をかけた。

「ヴァジ! ふいごの修繕や手入れをすることはあったかな?」

「ないわけはなかろう。あれの調子が悪いとろくな物ができん」

 どうやら彼に頼れそうだ。俺たちはその夜、遅くまで油脂ランプを灯して必要な材料や加工法など、事細かな技術的問題について検討を重ねた。ポンプの吸水、吐出の各部に取り付ける弁の構造や全体の構成、軟弱な潟や泥浜の上をスムーズに移動させられる犂の構造などについて意見が戦わされた。

「じゃあ、僕らが脂を塗って手入れした、あのホースが役に立つね」

 ヘイムダルたちが嬉しそうに目を輝かせた。

「そうだな。少しもったいないが、あれを適当な長さで二つに切って使えば便利なはずだ」

 ホースが船に残っていたのは全くの偶然だった。天の配剤とはこのことだろう。ロルフがいれば新しく作ることもできただろうが、彼は夏のヴァイキング行での経験が原因で少しふさぎ込んでしまって、今回は同行していない。それでも、彼の手がけた仕事は形となって残り、俺たちに貴重な時間を与えてくれるのだ。

「よし、小僧どもはもう寝てしまえ。明日も早いぞ」

「えー、まだ眠れないよ」

「うん、なんだか目がさえちゃって。ドキドキする」

 気持ちはわからなくもないが、修学旅行じゃあるまいし。結局彼らには温めたワインを少しづつ与えて寝かしつけた。台所仕事をさせられたフリーダこそいい迷惑だ。



 翌日、俺はアルノルとフリーダを伴って、へーゼビューの街中を歩いていた。数か月前に会った楽器商人のムスタファを訪ねるためだ。あの時に頼んでおいた、ギターの一般的な調弦「E-A-D-G-B-E」に合わせた弦はとっくに出来上がっていることだろう。


 ところどころに膝丈ほどまでの雑草が生えた、市場のテントの間をうろつきまわる。フリーダは前に来た時と同じズボンとベスト姿に狼の毛皮をあしらった帽子、アルノルは中東風のゆったりした幅広ズボンにチュニック、といった出で立ちだ。二人ともそれなりに重ね着している。潟湖に面した湿地の街は日が陰ると既にうすら寒く、北欧の短い秋が深まっていることを感じさせた。

「アラビアって暑いとこなんでしょ? 寒いデンマークにこんな季節まで滞在してるのかしらね」

「そりゃそうだが、ここから毎年往復できるような距離でもないからなあ」

 フリーダの素朴な疑問に、俺はやや否定的に答えた。イレーネがカスピ海に面したイティルの都から、黒海方面へ移動してドニエプル川伝いにバルト海へ抜け、ヘーゼビューまで来るのにほぼ一年かかったという。バグダッドからなら距離的にはさらにその倍近い。

「そっか……トールには分かってるのね。遠くの国までの正確な距離が」

「ん、ああ。細かく船で何日、みたいな言い方はできないが、陸地と海の形、その間の距離を大雑把に思い浮かべることはできる……そういう教育を受けた」

「ふう。あなたの『国』ってやっぱりとんでもないわ。なに? 空でも飛べるっていうわけ?」

 フリーダは、俺が遠い未来から来たことをおぼろげに理解している。それは恐怖を覚えさせる概念だったが、彼女は受け入れてくれたのだ。

「空を飛ぶとか地形がわかるとか、何やら聞き捨てならんな」

 アルノルが激しく興味を示す。

「ちょっと、そいつを俺に解るように詳しく説明しろ」

「構わんが、難しいぞ?」

「俺の二つ名は『鷹の目』だ。遠方の海のことまで小僧の頃から事細かに見て習って、覚えてきた。だが、マストの高さより上から物を見たことはない……」

 少し不機嫌そうだ。プライドが傷ついたと言いたげな表情。想像するに、彼の頭の中で再構成される海と陸地の位置関係や航路のイメージというものは、目で見たものの克明な記憶に基づいているが、それゆえに俯瞰的な視点がないのだ。地図の見かたを理解してない人間が、道順を覚える時にはどうするか?

 太陽を基準にした方角と、印象的なランドマーク。それに移動した距離。そういったものを基準に、シーケンス的な把握をするはずだ。言い換えれば二次元の視点。

 彼には気の毒だったが、俺は林立するテントの中に、あの様々な楽器の吊るされた軒先を見つけてしまっていた。

 「悪い、後でちゃんと教えるよ……どうやらあのテントだぜ――おおい、ムスタファ! ムスタファ・イブン・アリー・アッ=グレキ! いるかい?」

 小走りにテントへ駆け寄り、俺にとって大恩人ともいえる楽器商人の名前を呼ばわる。


 彼はちょうど、午後の礼拝を済ませたところだった。陳列台の影から身を起こし、俺の顔を数秒見つめてから、満面に笑みを受かべて抱きついてきた。

「おお、友よ! なかなか顔を見せぬので、どこかで野たれ死んでしまったのではないかと心配していたよ! 行い正しきものに等しくお恵みを垂れ給うお方、偉大なるアッラーを讃えよ!」

 アルノルの通訳を介して伝えられる彼の言葉は、実にアラビア人らしかった。

「縁起でもない、ちゃんと生きているさ」

「それで、どうなのだ。琥珀は手に入れてきてくれたのか」

 俺は頭を掻いて彼に不首尾を詫びざるを得なかった。

「すまない。琥珀はまだだ……だが村中を巻き込んで掘りに行くことになった。今その準備をしてるんだ」

 それを聞いたムスタファが、打って変ってしたたかで抜け目ない商人の顔になった。アルノルやオウッタルもしばしば見せたあの表情だ。目が笑っていない。

「ほう……それは奇貨というべきだな。もしや、当分ニスを作るのに困らないほどの琥珀が手に入るというわけか?」


 やれやれ。この調子だと、ムスタファもつれていくことになるのではないか。そんな奇妙な見通しに慄く俺の後ろを、市場の隅あたりから見つけ出して貰い受けてきたのか、古い荷車の車輪や廃屋の垂木や梁をてんでに担いで通る一団があった。

 アンスヘイムのヴァイキングたち――ヨルグやヴァジ、オーラブといった戦士たちが、膂力にものをいわせて大荷物を運んでいくところだった。


うーむ、内政系の話にケンカを売らないと気が済まないんだろうか、私はw


表土流失について知った最初は、大学時代に読んだ犬養道子女史の「人間の大地」でした。土地の人間の命を支える、食。それを生み出す大地をどう守るのか。大規模な農業ビジネスがもたらす農業革命の光と影。そんなテーマに触れる名著です。


ご興味のある方は是非ご一読を。

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