挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

冬が来るその前に

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

86/102

琥珀をわが手に

 数日後。

 大山羊号は未明の薄明かりの中を、再びヴィスワ川河口へ向かって進んでいた。前回より二時間ほど早い刻限、東の空は明るくなってきてはいるが、どんよりと薄雲がかかって風が冷たい。
 ヴァイキング船はもちろん、後世の大きく水面下につきだした竜骨を持つ船とは違い、座礁には強い。砂州に乗り上げたくらいなら問題なく復帰できるのは、サムセー島沖で海賊船と追いかけっこをしたときに見たとおりだ。 だが、それでも明るさの足りない空の下を進むのは危なっかしい。アルノルは先程から何度も水中に予備のオールを深く突き入れて、水深と海底の様子を手探りしていた。

 このあたりの水深はごく浅いらしい。大山羊号のオールはかなり長いものではあるが、オーラブと二人がかりで支えたその長さのほとんどは、水の上に出ている。
「1ファヴン(1.85m)ないな。だが周りの様子から察するに、このままの進路でいいようだ」
「よし、進路このまま……いや、少し南へ流されておるようだな。取り舵少々。ハーコン、小僧どもに三角帆をたたませろ」
 側面やや後方からの風を受けて、大山羊号は少しづつ南へと船首を落としていた。こういう時は船首の三角帆はむしろ邪魔だ。
 後世の突き出た竜骨には、横風によって受けた力を水の抗力に変えて進路が横へずれるのを防ぐ効果がある。座礁に強い代わりに、ヴァイキング船は横風に弱いのだ。ロルフが若いときに乗っ取ってひどい目にあったという、地中海風の丸い船よりはましなのだろうが、とにかく三角帆の使用はごく慎重に行う必要があった。それほど大きな面積のものを使っていないのもそのためだ。
 ヘイムダルにギルベルト、それにオーズ。三人の少年たちは船首甲板を走り回り、索具を引っ張って不慣れながらも帆布を取り込んでいく。新しい方式の艤装は大人たちにとって戸惑いの種だろうが、初の航海からこれを見ている彼らには、また違った意味合いになってくるに違いない。

 マストのそばの、甲板からくぼんだ大きな船倉には、突貫作業ででっち上げた『重量犂』と、ぐるぐる巻きのホース二本を側面に縛り付けられた、怪しげな物体――江戸時代の『竜吐水』によく似た木製のポンプが積み込まれている。まだテストもしていないが、うまく行くだろうか?

 河口が見えてきた。空は桃色に染まって燃えたち、その光を反射して打ち寄せる波の間から、潮が引くにつれて黒い干潟が拡がっていく。幸いというべきか当然というべきか、ヴェンド人たちの姿は見当たらない。
「引き潮になったばかりだ。掘る時間はたっぷりとれるな」
 アルノルが満足そうにうなずいた。満潮に転じるのはおそらく正午より少し前。五時間くらいは猶予があるだろう。
「流れを探して入り込め。だが程々にな」
 ホルガーが号令をかける。

 干潟は決して埋立地のように均一に平坦なわけではない。ここのように河口で形成されたものなら、必ず水の流れる経路があり、そこは削られて深くなる。上空から見下ろすことができれば、それはちょうど太い動脈からいくつにも枝分かれして伸びる血管のように、海から陸へ向かって次第に細くなりながら蛇行しているのがわかるはずだ。
 ヴァイキングたちはそれを知っている。遠浅の干潟に取り残されれば、脱出には大変な労力と時間がかかるだろう。そこで、干潮時にも残るような大きな動脈を探してクナルを侵入させようというわけだ。

「手の空いたものはオールにつけ! こう曲がりくねっていては、帆には頼れん」
 進入路に選んだ水路は十分な深さがあったが、きつく蛇行している。まるで密生した竹藪の根元をくぐる蛇そっくりだ。スノッリがマストのてっぺんから見下ろして水面下の潮路を見定め指示を送り、ホルガーがそれに合わせて舵をとる。五対十本のオールには男たちがだいたい二人一組でついて、懸命に漕いだ。
「オールこぐ、思うないかった」
 俺の隣についてオールを握ったムスタファが、怪しげな片言のノルド語で笑いながらそうこぼした。
「オールを漕ぐことになるとは思わなかった」と言いたいらしい。ヘーゼビューに滞在した間に独学でノルド語を覚えたのだろう。アルノルがそばにいれば通訳してくれただろうが、生憎とアルノルは船首、俺は後部甲板にいた。

「あんた方の船にはオールはないんだっけな?」
「ダウか? ダウ、オールない。季節、風。アラビア、インド行く帰る」
 アラビアの船というのがダウのことなら、オールはなく、季節風に乗ってアラビアとインドを往復する。だいたいそんな意味のようだ。
「ビザンツの船、オールたくさん。ルスの船似てる」
「そうか。あんたビザンツ(東ローマ)にも行ったのか」
「行った。私名前、ニスバ、ギリシャこと」
 後に知ったところによれば、ニスバというのはアラビア人の名前の最後につく、『通称』のことだ。大雑把に言うと彼の名前は『アリーの息子ムスタファ、人呼んでギリシャ人』といったような構成になる。彼は北欧に来る以前はギリシャに長期滞在して商売し、バグダッドに戻ってからもそれにちなんで『ギリシャ人』と呼ばれたという。
 俺もこの時代に来て以来、相当の距離を行ったり来たりしているはずだが、イレーネといいムスタファといい、スケールが違いすぎて空恐ろしくなる。

「この辺りで一度、掘ってみるか」
 干潟の奥へと伸びる水路をずいぶん入り込んだところで、ホルガーが船を停めた。
「これは、期待できるかもしれんな」
 アースグリムが地表に鋭く目を凝らす。その付近の泥と砂の中には、やや大きな石の塊のようなものがところどころに見受けられた。あれがもしも全部琥珀だったら――

「犂とポンプを下ろせ! ローセブッドも水路に出すぞ」
 号令のもと、男たちが重い機材を持ち上げ、帆桁の端から垂らしたロープを利用して舷外へ吊り出す。先に船を下りて腰までの泥水の中に待機していた力自慢連中が、それを受け取って怒号とともに岸へと運んだ。ポンプは水路の間近に置かれ、取水ホースの編み籠を付けた先端部分が水中に投じられた。フリースラントで購入したボート(フェーリング)、『ローセブッド』も同様に舷外へ吊り出され、水路に浮かぶ。
「よーし、小僧ども! 『ふいご』を膨らませろ!」
 このポンプが江戸時代の『竜吐水』と違う最大のポイントは、ホースを使って本体内のタンクへ水を吸い上げることができる点だ。原理はおおよそ、鍛冶場で使うふいごのそれと同じ。羊皮の袋を樫の重い板で圧搾して、空気を吸い込み吹き出す。ただし、弁の向きが逆だ。気嚢を動かすにつれてホースの中が陰圧になるように作られている。
 重量犂にはローセブッドから延びた、長いロープがつながれた。中間部に滑車を設置して牽引力のベクトルをある程度まで変え、必要な方向へ犂を動かせる工夫がされている。
 そして、この犂には車輪のほかに、レバー操作で上下させられる橇板が取り付けられている。車輪では接地圧が高すぎて、ぬかるんだ軟泥に沈み込んでしまうような地面では、この板を下して固定し滑らせるのだ。
 俺の故郷、九州の有明海には広大な干潟がある。そこでは干潟の泥の上を跳ね回る奇妙な魚、『ムツゴロウ』をかぎ針にひっかけてとらえる漁が行われているのだが、その漁師たちが使用するハネイタ、あるいは潟スキーと呼ばれる乗り物というか、道具があった。
 それからの発想で導入したのが、この『犂スキー』である。ひどい名前だが、どうせ俺しか呼ばない。構うものか。

 ホルガーとオーラブが犂の左右について、刃板を地面へ食い込ませていく。ローセブッドが漕ぎ進むにつれてロープがきしんで滑車を滑り、地面に深い溝が刻まれていった。掘り返された泥の中に混ざる、ごろごろとした握りこぶし大、あるいはそれ以上の大きさの塊にどうしても目がいく。

「ポンプを突けぇ!」
 続いて、アルノルの号令。ハーコンとグンナルが息の合った動作で、ポンプのピストンを交互に動かし始めた。竜吐水には放水量と圧力の不足という欠点があったらしいが、今回作ったこれはかなりのストローク長を持つ大型の木製シリンダーが備わっている。
 ふいごによって作り出された陰圧で海水を吸い上げ、リザーブタンクに蓄えられたそれをヴァイキングたちの強大な筋力と身長を利して加圧し、ホースの先端から吹き出すわけだ。もちろん、後世の消防車が備えるポンプのような圧力はない。だがそれでも、これは掘り出された石にべっとりとへばりつく、灰色の泥を洗い流すのには十分だった。

 弁に使用した円錐形に成形した木材、その中心を通る軸など、こまごました部品の製造には、ムスタファが持っていた楽器修理用の工具をいくつか借りたし、技術的な面でのアドヴァイスももらった。ヴァイキングたちの腕だけでは、多分これほどのものは作れなかっただろう。
 泥水に押し流されて溝の中を行き来する塊を、仲間たちに混ざって俺も拾い集めた。これはと思った大きな塊が手に取ってみると結局ずっしりと重たい石で、どうやって運ばれてきたのか首をかしげたりもしたが、水の力は案外莫迦にならない。川が増水した時などは流れに乗った破砕物などに押されて、相当に大きな岩でも川の中での位置が変わったりするものだ。
 それらしい石が片端から集められ溝のそばに並べられた桶に投じられていく。桶にはあとで濃度を上げた海水を注ぐのだが、そのための大鍋とかまどの準備はフリーダとヴァジが担当していた。
 大山羊号に積んできた薪が燃やされて煙を上げ、やがてポンプから海水が鍋に注がれる。入浜式塩田についての知識を応用して、その鍋には潟の乾燥した泥も投じられた。泥に付着した塩分を海水に溶かし出し、それをさらに煮詰めて濃縮するわけだ。
「これ、後で洗わないとね」
 フリーダが遠くヘーゼビューの方角を見て、申し訳なさそうな顔をした。宿の女将さんに無理を言って借りてきたものなのだ。
 琥珀は熱に弱い。樹脂だから当然ではある。鍋の海水はある程度煮詰められたあと十分に冷ましたうえで、ひしゃくを使って桶に注がれた。桶の底に積みあがった大小さまざまな塊が濁った塩水に隠れ――一瞬ののち、ぷかり、といくつかが浮き上がった。
「浮いた……!」
 理論上はそうと解っていても、実際にそれを目にすればやはりえも言われぬ感動があった。どの桶にもぷかり、ぷかりと浮き上がる原石が、それなりの数ずつ含まれていた。


「くはぁ、我慢できねえ。ちょっと削ってみるぜ」
 アースグリムが桶に手を突っ込み、手ごろな大きさのものを一個、手に取って腰の斧を抜いた。
「サクスや小さなナイフじゃ、刃こぼれするかもしれん」
 そういいつつ、斧の刃を塊にあてた。ゴキリ、とやや粘りを帯びたものが削れる独特の音。焼け焦げた木材の破片のようにも見える、その泥に汚れ黒ずんだ物体の一角に、透明感のある切削面が現れる。
「間違いない! こいつは琥珀だ……しかもかなりの上物だぞ……」
 憑かれたようにその塊を両手でつかみ、その切削面を太陽にかざす。灰色の雲の間に浮かんで輝く円盤からの強い光が、太古の樹脂を射た。かつて地にこぼれた同胞を、眠りから覚ますかのように。
「おお……」 
 通常のものよりもやや赤みを帯びた濃い色の光が、滴るようにその石から輝いて見えた。アースグリムは感極まって膝から崩れるように座りこみ、叫んだ。
「オーディンよ! 感謝する。俺は間違っていなかった!」

 アースグリムは『いい目を見る』ことを望んで、仲間のデーン人たちと袂を分かってまでアンスヘイムヴァイキングに加わった。その選択がよい方に転び、報われたことを喜んでいるのだ。
 ムスタファもその石を見た。ふうっとため息をつき、俺のほうを振り返る。
「アッラーは偉大なり……この琥珀を一袋も持ち帰れれば、私はバグダッドでごく裕福に暮らせるだろうな。これはニスにするにはいっそ上質すぎるほどだ」
 彼は俺の手を取り、固く握りしめた。
「楽師のトールよ。友よ。私が知るガットの製法を、すべて貴方に伝えよう」


 そのあとは、いささか狂騒的な有様になった。男たちはもどかしいとばかりに寄ってたかって犂を押しては曳き、どんどん新たに干潟を掘り返してはポンプを突いた。慎重に選別された先程の石以外にも、ろくに選別しない塊が次々と船に運びこまれる。

 そんな中、安全のために見張りに立っていたスノッリとヨルグが少し離れた岩の上から駆け下り、こちらへ走ってきた。
「みんな、作業を急げ! 多分、予定より早く切り上げなきゃならないぞ、これは」
「どうしたんだ?」

「海岸の奥に、馬に乗った戦士が三人ばかり現れた。で、すぐに森の中へ戻っていった」
 多分、と言ってスノッリは塩水の大鍋を指差した。
「あの煙を見咎めて、確認に来たんだろう」
「それは、やばいじゃないか」
 高価な塩を製品の状態で持ち込むことはできなかったので、鍋で海水を煮るのは苦肉の策だった。だが、どうやらそれが災いしたらしい。

 太陽の高さから考えて、時刻は朝11時過ぎくらいだっただろうか。俺たちはあわただしく撤収の準備を始めた。もっとも、これでよかったのかもしれない。潟の中を走る水路は、干潮のピークに近づいてさらに水位を下げていたからだ。
 ようやく機材を運び上げ、全員が船に乗り込んだ時、大山羊号の水面下にはもう数十センチしか余裕がなくなっていた。

「間一髪ってところだな」
 そう言ってヨルグが海岸に迫った森の切れ目を指差した。先日見たのとほぼ同じくらいの規模で、武装したヴェンド人たちが現れ、こちらへ向かってくる。川を下ってやってくる船の白い帆も見えた。ヴェンド人のスネッケだ。
 動揺する船の中で、一人アルノルだけは落ち着いていた。
「大丈夫だ、あの船の連中は、潟を走ってる戦士たちを助けるので手いっぱいになるよ。すぐにな」
「どういうことだ?」
「今朝の空の色、覚えてるか?」
にやにやと笑いながら知恵者は顎髭をひねり、先端部分に絡んだ糸くずを口をすぼめて吹き飛ばした。
「何だ唐突に。たしかにきれいな朝焼けだったが――」

 ――ぽつり。

 首筋に水滴が落ちた。雨だ。
「あ……」

「天候予測の初歩だぜ、トール。朝焼けで始まった日は、雨が降る」
 そういえば撤収作業中からそれほど陽射しの暑さを感じなかった。見上げれば雲はどんどん厚さをまし、大粒の雨がばらばらとクナルの甲板をたたき始めた。

「こりゃひどい、こっちはこっちで、大山羊号が沈む心配をしなければならんのじゃないか?」
「なに、いいものがあるじゃないか。ポンプを使えよ」
 アルノルがこともなげに言い放つ。畜生、発案者は俺なのに! まるで自分の使い慣れた道具のように応用を思いつくとは!

 船倉の底に取水ホースを投げ込み、たまり始めた水をのんびりと吸い上げて船外へ放水する。岸ではにわか雨で泥沼と化した潟に足をとられ、戦士たちが立ち往生していた。もうすぐ海は満潮に切り替わる。スネッケの乗員たちは同胞を助けるために忙殺されるに違いない。

 事実、潟が見えなくなるまで一隻の船も追いかけてはこなかった。 

 冷たい雨が顔に降りかかるが、俺たちは始終上機嫌でげらげら笑いながら、ヴィスワ川河口を後にした。仲間たちが交代でつくポンプの音が、ガコン、ガコンとまばらに響く。

 夏のヴァイキング行に参加した乗組員たちが聞き覚えのある歌を歌いだした。あの、スオニジ湾での嵐の中、俺が夜通し歌った歌だ。
 だがそれは次第に構成を変え、ムスタファがリードをとっては皆がそれに和す、ガレー船の船歌めいたものに変わっていった。


 雷よ! 閃光よ!
 照らせよ、我らの汗に濡れた額を
(おお、照らせよ、われらの額を)

 雨よ! 疾風よ!
 洗えよ、われらの憂い含む心を
(おお、洗えよ、われらの心を)

 愛するものの懐かしい顔は
 われらを癒し、力づける
(おお、愛するものは、われらを力づける)

 旅はボルガ川を抜けゴドランドを廻り
 地の果ての富が集まる町へ向かった
(おお、向かおう、われらもその地へ)

 幾つもの運命が交差しまた別れていくが
 真実と呼ぶに足る巡り会いが我らを明日に繋ぐ
(おお、信じよう、真実の巡り会いを)

 約束の地の宝は夢路に輝き
 現実の旅路は波濤に揺れ動く
(おお、揺れ動く心を、導けよ夢路の宝)

 指の間を滑り落ちる 時の砂粒を前にためらうな
 しがみつき抱き止めた物だけが 最後に手に残る
(おお、抱きとめろ、愛するものと、運命を――)


 三角帆が風を切り裂き、オールが水をかき分ける。五日の航海を経て、曲がりくねったフィヨルドのその奥へ。旅の終わりに、俺たちは再び交易都市ヘーゼビューの殷々と響く鐘の音を聞いていた。 

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ