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デーン人の反撃まで書けなかった!w


ですが今回はそこそこたっぷりと分量あり。お楽しみください!

 近くの岩場から拾ってきた白亜チョークの塊。要するに炭酸カルシウムだ。俺は水に溶いたその白い鉱物を、目の前の物体に丹念に刷毛で塗りこんでいた。


 急ぎのこととて荒っぽい仕上げの木彫り製品が、遠目にはそれらしく、水鳥の翼を写した外見を整えていく。鳩が滑空するときのような半ば窄めた形だ。

 青銅の細いたがに内側から釘で固定し、イレーネがフランドル伯から下賜された兜の、鉢の部分半ばほどに合わせて巻きつけ、鋲でかしめて留める。


「何だ、その……ねえ、これを僕がかぶるのかい?」

「うむ」

「……心配になるよ。君はいつか、真面目に事に当たろうとしている人間を愚弄した罪で、なにか罰があたるんじゃないかって」

「何を言う。俺は真面目だ」

 少し塗りムラこそあるが、優美な形に整えられた、白い翼の飾り物つきの兜が出来上がった。しぶしぶ、といった態でイレーネがそれを頭に載せる。金髪でないのがやや残念だが、波打った豊かな髪が神話的な美しさをかもし出した。


「あとはこれに長槍と角笛を持ち、マントとスカートをつけて白馬にまたがれば完璧だな」

「やりたいことは概ね理解したけど、そんなに上手くいくのかなあ」

「まあ、皆にも意見を聞いてみようか」

 イレーネにはいつものゆったりした乗馬ズボンを、半円形に裁断された亜麻布のスカートに穿き替えてもらった。すらりとした脚の白さを目に焼きつける暇もそこそこに、武装した花嫁とでも言ったような姿が目の前に現れる。


 テントを出て、ちょうど通りがかったグンナルにイレーネを引き合わせる。

「グンナル、ちょっと見てくれ。この扮装どう見える?」

 グンナルは眉根に皺を寄せ、腹痛でも起こしているような顔になった。

「トールの妻女は見目麗しい美人だが、今のその姿は戦場で目にしたくはないな。不吉な連想がもりもり沸いてくる」

「……ありがとう。合格って事だな」

 石碑や木製品などの彫刻を見る限り、この時代にイメージされているヴァルキューレは、ぞろりとした衣装を身に着けて集団で戦士の亡骸を運ぶ、ある種の葬送儀礼の登場人物だ。


 だがその一方で、戦場に現れて死者を選定する、鳥のイメージを帯びた乙女という図像も広まりつつあるようだ。何割かはキリスト教が伝える天使のイメージも影響しているのではないだろうかと思う。

 敵地深く侵入して要塞に立て籠もり、糧食の不足に悩みながら定住を夢見て耐え忍んでいるときに、ヴァルキューレを連想させる影を目にしたら、デーン人達の心にはどんな影響が生じるか?


(霧が出るといいな)

 作戦実行当日、朝の天気をリクエスト可能なら是非そう願いたい。



        * * * * * * *



『脱兎の』スキョルドはその朝も、憤懣を心に抱えたまま見張りに立っていた。


(あ、あーっ、もう。このあいだは酷い目にあったなあ)

 もう何度目になるか分らない。先の偵察行における失敗と災難を反芻して心の中は身もだえせんばかりである。

 無人のはずの集落で食事の用意された民家を見つけ、仲間の後から家に入りなおそうとしたとき、不意に後頭部に一撃を受けた。

 目を覚ましたときは夜が白々と明け、服にも顔にも露がびっしりと降りていた。仲間は影も形もなく、仕方なくウェアハムに戻れば腰抜けよ阿呆よといいたい放題の罵倒を受けたものだ。

 今にして思えば、あれは間違いなく罠だったのだ。あのあと何度も、偵察に出た男達が同様の手口で命を奪われ、あるいは手ひどい傷を負った。

 その事を考えれば自分はむしろ、幸運だったと思うべきかも知れない。スキョルドはそんな考えで自分を慰めた。真夜中から日の出までの立哨はしんどい仕事だったが、少なくとも遠方からの弓以外で殺されることはない場所だ。


 ウェアハムで最も高い場所――そこはすなわち、修道院の鐘楼であった。


 鐘から階下へロープが伸びたその先、東の窓から差し込む明かりが四角く浮かび上がる中に、黄色い頭巾をつけた修道女が現れる。

「おはようー。鐘、鳴らしますよ。朝だから」

 少し間延びした陽気な声で呼びかけてくる。聞き覚えのある声だ。確か首領グソルムの食事時に整列させられて歌を歌っている女達の一人だったな、とスキョルドは得心した。

「うぉいさー。ちょっと待ってくれ、すぐ退くからよ」

 一度、迂闊にも鐘が鳴らされるその間近に立っていて、屋根から転げ落ちかけたことがあるのだ。彼はすばやく鐘楼の横の、漆喰で固められた狭い床の上を移動して、可能な限りの距離をとった。



 ディン ドン


 ディン ドン……


 六時の鐘だ。まともな寺院であればこれから聖堂で朝の「一時課」が始まり、聖歌が流れるのだ。が、今やここの聖堂はデーン人たちの宴会場だった。


 次第に朝もやを透かして昇り来る太陽。東の地平線、海のある方角から陸地と木々の影を切り裂いて曙光が差し込む。遠くで馬のいななく声がした。


(ん、馬ぁ?)

 ウェアハムにも馬はいる。だがそれらの馬は貴重な機動力として大切に飼われ、不慮の火災や疾病などで全滅することが無いようにあちこちに分散させられている。いずれにしてもわけもなく外に出るなどと言うことは無いのだった。

(妙だな)

 眩しさをこらえて東へと目を凝らす。何か白いものが見える。しばらく見つめているとそれは白いマントを後方にたなびかせ、スカート穿きで白馬にまたがった女の姿だと分った。

 森のすそから草地へと駆け出て、こちらに姿を見せるのが目的であるかのように、北へ南へと行き戻りしつつ距離を少し詰めてくる白い影。兜の両側に備わった白い鳥の翼を見とめた時、スキョルドは恐怖の叫びを上げた。

「ヴァ、ヴァルキューレだあああ!」


 角笛の音がこだました。聞いたことのないような、甲高い響きと入り組んだリズムだった。



「またスキョルドのバカタレか」

「そう言うてやるな」

「防壁の櫓からは、確かにそれらしい女の姿が見えたぞ」

 ウェアハムに野火のように流言が広がった。


「朝もやの中、ヴァルキューレが現れて角笛を鳴らした」

 デーンの男達にとって、これは『枕元に死神がいるのを見た』というのに等しい話だった。

 無論、建前上はヴァルキューレに看取られて戦場で息絶え、ヴァルハラに招かれるのは名誉であり理想の死だが、本音を言えば死ぬのはやはり少しばかりは恐ろしい。

 ブリテン東岸のアングリアやマーシア、ノーサンブリアで何度も越冬したような戦士であればあるほど、キリスト教の影響を受けて死生観が変質をきたしているのだ。


 櫓に男達が鈴なりになったのを確認すると、ヴァルキューレはふっと馬首を返して森に駆け込み、それっきり現れなかった。

 何人かの若者は「ヴァルキューレがこちらへ微笑みかけ片目を瞑るのを見た」と震えながら語ったが、流石にそれは思い込み、錯覚だろうと一笑に付された。



 しかしこの日の異変は、それだけにはとどまらなかったのだ。



        * * * * * * *



「ふーっ、冷や汗が出たよ、もう」

 上陸地点へ戻ってくると、イレーネは兜の重さに耐えかねたようにそれを脱いで、放り出した。

「いやいや、なかなかよい感じでしたよ。奴らかなり動揺しているようだった」

 ホルンを担いでオウッタルも現れた。ウェアハムに鳴り響いた角笛の音は、実のところこの男がアテたものだった。

 ワーグナーの楽劇「ニーベルンゲンの指輪」の中でジークフリートのテーマとして繰り返し現れるモチーフを、ちょっといじった代物を吹いてもらったのである。ホルンでやるにはいささか無理のあるフレーズだったが、オウッタルは良くやってくれた。


「ご苦労様、イレーネ。後は俺達に任せて、いったん対岸まで退いてくれ」

 マントを脱いで身軽になった彼女を、俺はずうずうしく抱き寄せて唇を吸った。

「ちょっと! こら、皆見てるから」

 アンスヘイムの男達もいい加減、長いこと孤閨をかこっているはずなのだが、彼らは能天気にも盾の金物を剣の平で叩いて、俺達二人をはやし立てた。

「いよう、色男! 毎度見せ付けてくれるぜ!」

「息をするように自然に、やりおったぞ!」


「おい、よせよせ。そんな音を立てたら、耳のいいやつには聞かれてしまうかもしれないじゃないか」

「確かにな。ではそろそろ出発するか」

 ホルガーが号令をかけ、一同は扮装を凝らした姿で森の外へ向けて歩き出した。


「行ってくるよ……また、夜に!」

 俺はもう一度振り向いて、イレーネにしばしの別れを告げる。



 今回の作戦は、アルノルの発案だ。ウェアハムの南北を西から東へ流れる水路、そのうち南側のフルーム川をさかのぼってひそかに西へ進むアルフレッドの軍船といったん別れ、アンスヘイムのバイキングたちはいかにも長旅を経てきたといった風情で、ふらふらと進んだ。俺はその少し後ろから、潅木の藪に隠れてついていく。


 修道院東側の、開けた草地に彼らが出ると、ウェアハムの物見櫓から誰何の声がかかった。

「おーい。どこの者かぁー?」


 偶然にもこのとき、湿った地面から立ち上る水蒸気のために、草地にはうっすらと霧がかかり始めていた。そして、アルフレッド王と出会う前に、俺達が戦った相手――デーンのオスムンドとその一党が使っていた武具の一部を、男達の何人かは身につけていた。

 物見櫓に立っていた戦士の一人がそれに気づいた。

「おい、その盾の模様と兜の飾り――」


「さよう、ようやくたどり着いたのだ。遅参の段、心より詫びんと欲す」

「オスムンドか? やれやれ、幾らなんでも遅すぎるぞ、何があったというのだ」

 その言葉を合図にしたかのように、男達はぴたりと行進を止めた。


「ああ、オスムンドとその一党は進軍の途中、路に迷い、ノース人の一団に出会ったのだ」

 誰ともなく、そう語る声がする(俺だ)。

「オスムンドは勇躍、剣を振るって戦った。だがノース人たちは手ごわく、おぞましい魔法で守られていた――」


「お、おい! なんだかおかしいぞ。お前らは一体――」

 物言いの怪しさに気づいたデーンの戦士たちが色めき立った。


「……だからな、我々が奴らを喰らったのだ!」

 ホルガーがあの角笛のような良く通る声で叫んだ。霧の中、終始その顔をやや下へ向けていた男達が、いっせいにその顔を上げる。

 そこには白と黒の顔料でたくみに描かれた、世にも恐ろしい髑髏のペイントを施された顔があった。


 イングランドに上陸してこの方、久しく禁じられていた鬨の声が上がる。

「アアアアアアアアアアアンンッスヘエイイイインッムッ!!!」


 櫓の上に恐慌と怒りで塗りつぶされた叫びが上がり、長々とこだまを引いた。しばしの間をおいて、東側の門が開かれ、捨て鉢な闘志にはやった戦士たちが姿を現す。


 罠を警戒して外へ出なくなったデーン人たちを戦場へ引きずり出す、これがその策だった。ざっと見積もって四百人を軽く超える数のデーン戦士が進み出る。


(さあて、此処からが正念場だ……間に合ってくれよ、アルフレッド)


 門からアンスヘイム勢のところまでおおよそ300m。彼らは盾壁を組む寸前の状態でゆっくりと後方へ下がっていく。

 それを追うように、あるいは吸い寄せられるように、デーン人たちは次第に歩調を速め、少し勾配のついた斜面の上へ向けて殺到していった。

 だが、彼らの顔にはどこか怯えが見て取れる。朝に出現したと言うヴァルキューレの目撃譚が心に影を落としているに違いない。


 アンスヘイム勢はここぞとばかりに恐ろしげな笑い声を響かせつつ、ウェセックス軍から供与された、新品の特に強固な盾を並べて盾壁スキャルドボルグを築き、デーン人との激突に備えた。デーン人の前衛は同様に盾壁を組み、その後続はじわじわと慎重に散開して、ノース人を押し包む動きと見えた。


(ヨルグ、死ぬなよ……)

 俺は右腰の、いつもならインゴルフの青い斧が下がっているあたりをそっと手で押さえた。今、そこに斧はない。ヨルグに請われて貸し出したのだ。


 鉄の鱗と棘を具えた二頭の竜が激突し、がっぷりと互いの尾に喰らいついた。敵前衛の衝力が壁に受け止められ、一瞬の停滞が生まれる。


(今だ!)

 俺は此処まで倒したまま運んでいた旗を、渾身の力で持ち上げ、ふるった。ウェセックスの紋章――赤地に黄色く染め抜かれたワイヴァーンの意匠が、低く漂う霧の上で陽光を受けて翻る。

 実のところ、アルフレッドたちの船が南から進入しているのは、この旗を逆光にならずに視認できるようにするためだった。

 南から蹄の轟きと、サクソン人の鬨の声があがり、すぐにそれはもうもうと立ち上る土煙と人馬のシルエットとなって現れた。


 盾壁スキャルドボルグとならぶ、ゲルマン人たちの古来から受け継がれた陣形。くさびや矢にたとえられる先端のとがった隊列でサクソン騎兵が突進してくる。北方人の間では、それは奇妙なことに『豚の隊列(スヴィンフィルキング)』と呼ばれているのだが。

 

「進め! 彼らを殺させるな!」

 先頭にはアルフレッド自らが剣を掲げて馬上にあり、その両サイドには船のオールに両手斧の巨大な斧頭を前方へ向けて取り付けた、巨人サイズの奇怪な武器が、二頭の馬の間に吊り下げられて二本ずつ配置されていた。

 いつぞや、水門の戦いで『蛇の』クラウス指揮するスネッケ『長亀号』が用いた、『船舶破壊剣(シッフ・ツェアシュトゥールング・シュヴェアート)』の応用だ。


 異変に気づいたデーン人たちがあわてて騎兵の進路から逃れようと、隊列を乱す。その後ろから騎兵達はこれも緩やかに散開し、追いすがって槍の穂先にかけていった。勇敢にも踏みとどまって戦おうとした者達は、自然の手ひどい裏切りをこうむることになった。


 ウェセックス軍は南から侵入した。つまり、立ち向かったものたちは夏の陽光を受け目を眩まされながら戦う羽目になったのだった。

 10倍の敵を受け止める、アンスヘイムヴァイキングの勇姿。翻る飛竜の旗はイングランドの新たな時代を開く先触れか? 士気瓦解しゆくデーンの要塞から海へと、あの男が走る。


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