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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

霧の海の120

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夜更けの一撃

 
 アンスヘイムの男達は、がっしりと盾壁を維持して踏みとどまっている。当初は盾の上から槍を突き出して戦っていたが、槍の穂先を敵に切り落とされると順次、剣や斧に持ち替えて勇戦し続けた。
「ここが命の使いどころだ! 勝てば三千ポンド、死ねばヴァルハラよ!」
 負け、とは言わないのが彼ららしく心憎い。最右翼にはハーコンが立って、ヘーゼビューでの埠頭の戦いのように、機械のような冷静さで敵を捌いている。細かな傷をあちこちに負っているが、致命傷ではない。出血多量だけが不安だがアドレナリンが出ている間は大丈夫だろう。

 旗を支えて立つ俺の前に、隊列からはぐれたデーン人戦士が一人、不意に現れた。接近を許したのは、地表にまだ低く漂う霧と馬蹄が巻き上げた土煙で、視界が一時的に悪化していたせいだった。
 草地と言っても牧草地のような均質に草の生えた地面ではなく、むき出しの土が見える場所あり、水溜りありの変化にとんだ地形だ。人馬が巻き上げる泥土は時に戦士たちの装束を手ひどく汚す飛沫であり、時に空高く舞い上がる雲となっていた。

「貴様、この前現れた楽師か! どうやらウェセックスの差配で動いておったな!」
 名も知らぬその戦士は、グソルムの前へ案内されたときにでも見た覚えがあったような気もした。彼は手入れのよさそうな剣を振りかぶり俺に迫る。陽光がさえぎられ、目の前がさあっと暗くなった。
 ガツン、と重量物がぶつかる音。脳天に振り下ろされるかと見えた剣は、分厚い樫の盾に受け止められていた。
「楽師殿、お退がりくだされ。ここは我らが!」
「さようさよう。軍旗を守るに丸裸と言うわけには行きませぬぞ」

 ウィリアムとブライアンの二人が、俺を護衛に来てくれたのだった。
「すまない、恩に着る!」
 二人はデーン戦士の盾のない右側から、その剣を挟みこむような配置で盾を構え肉薄した。いい連携だ。
 敵の前面に立ったウィリアムへ、鋭い突きが見舞われた。ウィリアムはそれを盾で防いだのだが、わずかにタイミングが合わず、軸をずらしつつ受けて下から剣を跳ね上げることが出来ない。
 木材の合わせ目を剣が突き抜け、盾の裏に切っ先が生える。その先端は兵士の左わき腹へと入り込み、鎖鎧を貫通したようだった。
「ウィリアム!?」
「おのれ! 貴様!」
ブライアンが憤怒の声をあげる。
 盾にくわえ込まれた剣に引きずられ、デーン戦士の腕は目いっぱいに伸ばされていた。ウィリアムは尻餅をつくように後ろへ崩れたが、なおも盾を保持したままだったのだ。

 その腕のちょうど肘の辺りを、ブライアンは(慈悲深くも)盾の縁で下からカチ上げた。
剣での切断ではないにしても、右腕の機能を永久に失っておかしくない一撃だった。だが戦士はすんでのところで危機を察し、自ら剣を手放していた。
 打たれた腕の痺れにうめきを上げ、膝をつくその男の鼻先に、ブライアンが剣を突きつけたその時。
「デーンの者どもよ、命を粗末にするな! 余はウェセックス王、アルフレッドだ! 志あるものは武器を足元に横たえ、余に仕えよ。さればこの地での定住と耕作を認めようぞ!」
アルフレッドの高らかな声が、デーン人たちに降伏を促して響き渡った。
「グソルムにもしかと伝えるがよい!」


 側面からの騎兵突撃はその打撃力を発揮し、敵はその数をかなり失っていた。ウェセックス軍はむやみに逃走する相手を追い回すようなことなく、速やかに再集結と撤収の体勢に移りつつあるようだ。

 再集結の目印はつまり、俺の持っている軍旗だ。

「なあ、あんた。降伏して捕虜になっとけよ。逃げるにも今からじゃ集まってくるあの兵士達に袋叩きにされるぜ」
「ぐぬぅ……」

「お待ちください楽師殿、こやつはウィリアムを……この場で討ち果たさずんば」
「……待て、俺は生きてる」
俺とブライアンは同時に振り返った。
「ウィリアム?」「ウィリアム!」

「ちょっと切っ先が腹の皮を引っかきましたが、詰め物をした鎧下をしっかり着ておったので、大事はないです。いやあ危なかった」
 わずかに切れ目の入った鎖鎧を示し、ウィリアムは俺達にウィンクしながら立ち上がった。



 蛇行するフルーム川が、修道院西側の草地に最も深々と入り込んだちょうどその地点。
アルフレッドが用意した軍船三隻に分乗して、ウェセックスの軍勢は撤収を始めた。

 大き目のカーヴと言った風情だった。この時代の技術と運用思想で船を作れば、大体それは北方人の長い船か南方の丸い船に似る。この長い船は堅牢な甲板を具えていて、大量の軍馬を輸送することができるようだ。
「急げ急げ! デーンの連中に、奴らのお株を奪う速やかな引き上げ振りを見せてやろうぞ!」
 ウェセックス軍の士気は高く、迅速に人馬を軍船に収容し、岸を離れていった。アンスヘイムの男達もどうにか欠員を出さずに帰途についた。
「あんまり減らせなかったなあ」
「何言ってるんだ、ほぼ同数のデーン人を切り伏せてたじゃないか。森で罠にかけた分を足せば五十人、負傷にとどまった人数を足せば百人超す……恩賞を貰うには十分だろう」
 アルノルの血に飢えた発言に、流石に突っ込みを入れる。一人につき三人強を戦闘不能にしたことになるのだから、この小集団が上げる成果としては十分以上のはずだ。

 最後の船が岸を離れる頃、ようやくデーン人たちも騎馬隊を編成したらしく馬首を並べて川のほとりに現れた。
 だが既に、岸と船の間には数百mの距離がある。弓の類も届かない距離らしく、もはや射掛けてくる様子はなかった。

「おんどれらあああ! 戻ってきやがれッ!」
「ぬおおおおおウェセックスの騎兵は逃げ足専門ー!」

 バリエーション豊かな罵声が水面を渡って追いかけてくる。だがそれだけだ。ミルドレッドの情報から判断する限り、彼らには船がない。

 俺達はウェアハム水路チャネルを東へ向かった。水路の南側には、北へ向かって大きくコブのように突き出した場所がある。そこへ差し掛かると、浜辺に白い物が見えた。
 イレーネだ。心細かっただろうに。馬の上で槍を片手に、一度脱いだはずのマントをまた肩にかけて風をしのぎながら、彼女は一心に待っていてくれたのだ。

「トール!」
 イレーネが声を振り絞って俺を呼んだ。不意に起こった突風が彼女のマントを捲き上げ、その白い布はまるで翼のように、晴れた空をバックにはためき躍った。
 細かな砂の堆積した海岸に船が寄せられ、俺は再び彼女の白い腕を取った。数時間にわたって風に晒された腕は冷たかったが、胸元に引き寄せるとすぐにその内側の燃えるような体温が伝わってくる。
「駿馬のように熱いなあ、君の血は」
「ふふ。君と温もりを分け合うためだよ」
 そんな莫迦丸出しの会話を交わすことさえもが、この上ない充実感をもたらしてくれた。

 神話めいた扮装の乙女が同乗したことで、船上の男達は大いに士気を高揚させた。特にウェセックスの兵士達や武将の一部は、本気でイレーネを、ヴァルキューレかそれに類する半神の美女だと思い込んだようだ。
 勝利とそれに続く王国の栄光を謳う凱歌が、誰からともなく上がる。俺とウィリアムもそれぞれの楽器で彼らに和した。



 ハムワーに入港して船を下りた後、食事もそこそこに俺とイレーネは寝所にもぐりこみ、お互いを労わりそれぞれの働きを讃え合いながら、心ゆくまで抱擁を重ねていた。
「厨房係に無理を言って、オリーブ油でも少し貰ってくればよかったかな。手がガサガサで、君に触れるのに躊躇する」
「僕も爪がちょっと伸びてるねえ。今からじゃ切れないしなあ」
「もう日も落ちた。こんな薄暗い中で爪なんかいじったら怪我をするぞ。まあ、無茶はいかん。またフォカスに叱られる」
「そうだね」
 くすくすと笑いながら、イレーネは俺の左手を小指から一本づつ、口づけで湿していく。
 紅も引かぬままに桜色より幾分暗いピンクを呈した、柔らかな可愛らしい唇。同じ色をした花が二輪、彼女の胸に咲いていることを俺だけが知っている。

 歓楽の後のけだるい眠りから、俺達が目覚めたのはそろそろ夜も更けた頃だった。甘い夢の中に忍び込んだ、不吉な気配と兆し。
 灯油ランプに火を点せば、イレーネも目を覚まして不安をたたえた眼差しで俺を見ていた。
「君もか?」
「うん、何か聞こえた」
 手早く衣服を身につけ、靴を履いて土間に下りる。外の闇の中へ向かって澄ました耳に、かすかに届いたその音は――馬蹄の響きと、男の悲鳴。そして怒号。

「何か、不穏な事態が起きてるようだね」
「ああ」
 皆と合流したほうがよさそうだ。慎重に辺りを見回しながら、宿舎に当てられた小さな建物を出ると、ヨルグが押っ取り刀、もとい斧で駆けつけていた。
「トール……! よかった、無事か。姉ちゃんも一緒だな」
「心配してくれたのか。ありがとう、だがしかし一体何が起きた?」
 火の手が上がるといった物騒な状況ではなかったが、ハムワーの町の中には明らかに混乱した気配が漂っていた。喧騒の中心はどうやら港のほうだ。

「何がどうなったかさっぱりだが、今起きてることははっきりしてるぜ……港に近い広場にデーン人の集団がいきなり、現れたんだ」
「はあ!?」
 突拍子もない話に、思考が一瞬停止した。ファンタジー物の創作物でよくお目にかかる、『転移魔法』などというばかげた概念が頭に浮かぶ。
 俺は意識の水面に首をもたげたそいつを、眉をしかめつつオールで水中に押し込んだ――そういうイメージを脳内で弄んだ。
 転移魔法だと? そんなものがあってたまるか。どうやら、何らかのトリックが使われたのだ。

「ヨルグ、もし今まで寝ずにいたのなら、何か覚えていないか。妙に心に引っかかる、といった声とか音とか」
「さっぱり分らねえ……ああ、待てよ?」
 ヨルグが何かに気づいた風に首をかしげた。

「兵士達とすれ違うときは、念のために『アンスヘイム!』『ウェセックス!』って問答をすることになってたんだが……見回りの兵士が『ノースの衆、えらく外れまで出歩いてるな』って言うのを聞いたが、関係ありそうか?」
 ぴんと来た。
「それだ! 俺達は昼間、あの草原で思いっきり『アンスヘイム』って叫んだ。あれを逆手に取られたのかも」

 映像が思い浮かぶ。町外れを巡回する兵士とすれ違った、北方人の風体をした人影。誰何の声をかけられて「アンスヘイム!」と叫ぶその男に、兵士達は「ウェセックス!」と返し、二者はそのまま平穏に離れていく。北方人は薄闇の中で顔を伏せたままで――

「頭の廻るやつが、向こうにもいるらしい……その合言葉、俺達がウェセックス、サクソンの連中がアンスヘイム、と入れ替わりにするべきだったな」
「確かにな! とりあえず港だ、行ってみようぜ」

 広場で何が起こったかも、おおよそ想像できた。町のはずれからばらばらに進入し、見回りをやり過ごしたデーン人たちは、あらかじめ決めておいた合図か何かで一気に再集合して、体勢を整えたのにちがいない。

(見事な奇襲だ……やられたな)
 この町の防備について自分に責任があったわけでは無いが、何かひどく悔しかった。どうしても、こちらがウェアハムに対して行った潜入の手ぬるさを思い起こしてしまうのだ。
 これくらいの思い切った作戦を立てていれば、今頃ミルドレッドはじめ修道女たちを救出できていたかも知れないのだ。知恵はいつも後になって遅れて閃く。苦々しい思いを胸に、俺は走った。

 港は武装した男達でごった返していた。ウェセックスの農民兵フュルドにウィリアムのような数の少ない常雇いの兵士(あるいは従士)。敵味方それぞれの、北方人戦士たち。
「ラァアアンダベルク!」
 聞き覚えのない鬨の声が響いた。
「ラァアアアアアアンダベェエエルク!」

 ようやく見分けがつくようになってみると、潜入したデーン人たちはそれほど多いわけではなかった。アンスヘイムの男達よりいくらか少ないくらいに見える。
 だが彼らは甚大な被害をウェセックス軍に強要し、そして彼らの目的をほぼ果たしかけていた。
 ちょうどその人数に見合う程度の船――小型のクナルが繋留された桟橋を占拠し、その入り口を盾の壁でふさぎながらじりじりと後退している。このままでは船を奪われるのは時間の問題だった。
デーン人の一撃、と予告しましたが実のところ正確ではありません。
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