ウェセックス王国の巨大戦艦を制圧せよ(4)
世間の映像作品をはじめとして多くのフィクションの中において、誤解されていることがある。
木造帆船の甲板下に廊下が走り、ホテルのそれのように各部屋のドアが並んでいる類の光景。あれは、嘘だ。金を払って観る作品にそんな帆船が出てきたら文句を言っていいし、無料のアマチュア作品だったら、気の毒ではあるが鼻で笑ってページを閉じられても仕方が無いだろう。
ホテルの廊下まがいの船内と言うのは、蒸気機関による推進が可能になった時代以降、船を動かすための人員が大幅に削減されて後、ようやく登場するものだ。
大航海時代やそれに続く木造帆走軍艦の黄金時代でも、まともな船室で起居できるのは艦長始めごく限られた上級士官だけ。帆船の船尾にある装飾の施された窓、あの内側がそうだ。
ロビンソン・クルーソーが自分の住む島に流れ着く難破船の残骸について、船尾が残っていれば大喜び、船首だけならやや落胆するのは、そういうことだ。人間らしい生活を彩ってくれるぜいたく品はだいたい船尾にある。
アッシュダウン号の船内に、兵士たちがろくに乗っておらず、わずかな見張りも訓練の不十分な雑兵ばかりだったのは、そういった事情だったのだと思う。大きくても腰の高さ程度しかないヴァイキング船の船倉よりはましとはいえ、この巨船も甲板の下は首をすくめるか中腰で歩かねばならないほどの天井の低さのはずだ。そして、ある限りのスペースには飲料や食糧といった物資が詰め込まれている。
少しでも身分のある者、貧乏くじを引かずに済んだ者は、上陸して宿舎で休んでいたいと思うはずである。結果、このとおり俺たちは難なく装備を奪い返し捕虜を取って、この船上にいる。
だが船尾キャビンには、どうやら人がいるらしかった。屋根の代わりに張られた天幕の布越しに、弱い明かりがともっているのが分る。
「内側からかんぬきがかかってる。開かないな」
「天幕の上に登って、切り落として入るか?」
「待て待て、火でもついたら時間勝負になる。どの途このデカブツは焼き捨てないとなるまいが、ホルガーを助けてからにしよう」
中にいる人間を威圧する意図も込めているのだろう。男たちは大声ではばかることなく怒鳴りあっていた。船首のほうには甲板下への出入り口は見当たらず、甲板のほかの部分にもそれらしい開口部は無い。
「さっきの小僧が何か知ってるかもな。こっちにつれて来い!」
アルノルの支持で、顎を腫れ上がらせた少年兵士が両脇から挟まれるようにして連れてこられた。
「まともに喋れそうに無いな」
「すまん、角笛吹かれると厄介だったんで」
そりゃまあ仕方ないな、とうなずきながら、アルノルは少年の前髪を掴んで引っ張り起こした。
「さて坊ちゃん、簡単な質問なんで答えてくれ。このキャビンの中はどうなってる? 喋れなければ、『はい』なら頷くか瞬きを一回。『いいえ』なら首を横に振るか、瞬きを二回だ」
唾を吹きかけようとしたらしく、少年兵の切れた唇から泡だった血液混じりの液体が垂れ下がった。
「そういう返事は頼んでない」
凄みながら、アルノルの手は裏腹に、びしょびしょになった口の端から喉仏の辺りまでを、何かの布の切れ端で拭いてやっている。丁寧に。
「おとなしく協力してくれれば、命は助けるし、奴隷に売らずに解放してやらんでもないんだ。俺たちはあんたらが思ってるよりはちょいと文明的なんでな」
その言葉と同時に少年を射た視線は、とても文明的などというものではなかった。いうなれば鮫の眼差しだ。
焦点をあわせるなどという機能もなく、その神経のつながる後ろに温かみのある感情を備えた脳も存在しないような、ただぽっかりと穿たれた瞳孔。
「えあっ、ろあぃ」
口の中まで内出血で膨れ上がっているのだろう。「は、はい」と慌てて承諾を示したらしいその声は、酷くゆがんで重ったるく絡んだものだった。
「この中にはウェセックス軍の高位の者がいるのか?」
「あぃ」
「中に、甲板下への通路はあるか?」
「あぃ」
アルノルは考え込んだ。
「ふうむ。では、この中か甲板下に、5、6日前に拿捕された船の、船長はいるか?」
少年は押し黙った。目に困惑の色が浮かんでいる。
「質問を変えるか。この船に捕虜がいるかどうか、知っているか?」
「ひ、ひうまえん」
そう言いながら首を横にふり、どこかに響いたらしくびくりと体を震わせて悶絶した。
「分った。扉をぶち破って中の指揮官に訊こう。……ヨルグ!」
「俺の出番か! 斧使いとして、シグルズの分までやってやる!」
周囲の年長者たちを下がらせ、彼は愛用の両手斧を扉に叩きつけた。幅広い鋼の斧頭が木材に食い込み、へし折られた板と角材が金具を捻じ曲げるいやな音が響く。
ガツン。バキン。ギギュゥウ…… バン!
「うおっ!」
破れ目の向こうから槍が突き出された。寸前に察知したヨルグが半身ずらしてかわし、そのままわきの下に挟み込んだ槍を、次の瞬間斧を持ち替えて根元からへし折った。
「やるな」
「俺一人を突き殺したところで、30人近く控えてるぜ」
ぶっ、と噴出す音が板の向こうから聞こえた。
「それは仕方が無いな……俺にはまだ陛下のためにすべき仕事がある。投降しよう、ただしお前らの用事が済んだら解放してくれ」
アルノルが相手の発言を引き取る。
「いいだろう。武器を捨てて出て来い。お前の声は覚えてる。艦長の……」
「ウルフェルだ。レーワルデンのウルフェル」
「よし、俺たちの船長のところへ案内してもらおう」
観念した様子でウルフェルが姿を見せた。額が高く秀でていて、頬には斜めに走る一筋の刀傷がある。赤みがかった金髪を短く刈りこみ、同じ色の顎鬚はツバメの尾の形に切りそろえられていた。左手で柄を前に向けて剣を持ち、こちらへ差し出していた。
冷静な男だ。暴れても現状ではチャンスが無いことをしっかり認識し、生き延びて王に復命する可能性に賭けようという訳か。ヴァイキングたちには余り見かけないタイプだ。
室内には銀もしくは銀メッキの燭台に、ブレーメンの店で見たのと同様の、黄色い蜜蝋のろうそくが灯されていた。一瞬、ザラを思い出す。ろうそくの置かれたテーブルの陰には、細い階段のついた船倉の入り口があった。
「船倉はさぞ暗いだろうな。こいつはこのまま持っていくか」
燭台ごとろうそくを手に取り、俺はアルノル、ウルフェルとヨルグ、それにハーコンとグンナルに続いて階段を下りる。
下りかける。やはり気になる。甲板に残るオーラブたちにそっと声をかけた。
(ここにしか入り口が無いのはどうもおかしい、どこかに別の通り道があるはずだ。念入りに調べてくれ。そして、もし乗組員が戻ってきたら、そこを死守してほしい)
(解った)
杞憂で済めばいいのだが、まず期待できない。
「しかしどうやって出てきたんだ、あの水牢から。内側からは絶対に出られん作りなのに。木造部分を破壊するしかないが斧なんか一本も残さなかったぞ、俺は」
ウルフェルがぼやいた。実際あの水牢は実に巧妙に、そして残酷に出来ていた。
「あんたたちがあの船で現れるのが、少しだけ早すぎたのさ」
俺はぼそりと声に出した。
「どういうことだ?」
「俺とこの斧使い、それにもう一人があの時、偵察のために船を離れてた」
酷く傷つけられた表情で、ウルフェルが俺を見る。
「別働隊がいたのか……それは俺の失策じゃない。運命だ」
「いや、あんたは運命に負けたわけじゃない。まあまだ勝ち負けははっきりしてない、と言いたいだろうけどな」
「では何故だと――」
俺は答えてやる気はさらさら無かった。あの時運命は、俺たちに別働隊としての役割を与えるだけでなく、フリースラントと言う未知の土地での試練も同時に与えた。
盗賊に負けていたかもしれない。
ホルガーに見捨てられたと思い込んで、はぐれたままになったかもしれない。
ピーテルに懐中を狙われて、彼の兄と同じようにムール貝の中毒で死んだかもしれない(俺は彼の兄の死はかなりの部分、ピーテルの作為ではないかと疑っている)
ヴェーザー川でフェーリングの操船を誤り、難船して溺れていたかもしれない。
俺たちを今ここに立たせているのは、ぎりぎりの所で保たれていたホルガーへの信頼と、虜囚の身からの解放のチャンスを俺達に託した、ホルガーからの信頼だ。そして、それに応えようとする俺たちの意思と技だ。
運ではないのだ。だがそれはアンスヘイムの男たちと、ホルガーと、俺との間でしか理解できない、理解し得ないものだ。そして今、全ての答えが出る。
前方の闇の中、ろうそくの細い明かりが投げかける光を受けて、ぼんやりと浮かび上がる物。それは、後ろ手に縛られしゃがみこんだ姿勢のまま、誰かに助けられて食事をする半裸のホルガーの姿だった。
「ホルガー! 生きているか? 迎えに来たぞ!!」
「その声は?」
ホルガーではなくその手前にいた誰かが、いぶかしげな声とともに立ち上がり――頭を天井にぶつけて、「ぐ」と呻いた。
頭をさすりながらこちらを振り向く拍子に、頭からカラフルな刺繍の帽子が脱げ落ち、背中まで届く見事な金髪が流れ拡がった。たとえるならば、シフの黄金――
「お、オウッタル!?」
「何故あんたがここにいる!?」
春にセイウチ狩りで同道したきりだった、北ノルウェーの商人がそこにいた。
「楽師のトールか! まさかこんなところで再会しようとは。それにそこにいるのはアンスヘイムの男衆だな」
ウルフェルが俺たちとオウッタルを見比べて混乱した様子で叫んだ。
「お、オウッタル殿!? こやつらをご存知なのか」
「やれやれ……私は言ったはずだ。彼らはノルウェー王の使者かもしれない、と。血気にはやった部下たちに任せて処刑していたら、取り返しのつかないことになっていましたよ」
「オウッタル。あんたは一体この軍船――アッシュダウン号とどういう関係なんだ?」
オウッタルはかすかに俺たちから視線を背けて、語りだした。
「私は商人です。あなた方戦士はとかく力と技に頼りたがるが、私たち商人と、そして権力の頂点に立つ王侯はそうではない」
「つまり?」
「私はウェセックスのアルフレッド王とも取引がありましてね。まあ普段は北方人の土地の情報と産物を、彼に売っているわけだが。たまたまこのアッシュダウン号への補給と、試験航海の様子を聞いてくる事を頼まれた。交易で多数の船を動かす観点から、この船に問題点があれば指摘がほしい、とも言われたのです」
言いながら帽子を拾い上げ、金髪をくるくるとまとめてたくし込む。ろうそくの明かりの加減なのか、色鮮やかな刺繍はサーミ人の帽子を、まるで王冠のように見せた。
「商人と王侯が共通して求める物、それは情報と物資、そしてそれを運ぶ経路だ」
(妙な雲行きになってきやがった)
ヨルグがささやいた。
(しっ)どうやらオウッタルは、俺の知らぬところでホルガーたちを救うために尽力してくれていたらしい。
「これではっきりした、ウルフェル艦長。彼らはハラルド王から使わされた使者で間違いない。このままアッシュダウンでウィンチェスターまで、彼らを案内しましょう。ノルウェーへ確認をとりに向かわせた私の部下は戸惑うだろうが、なに、不測の事態に当たっては各地の商館で待つように決めてある。心配はいりません」
(拙いな。この船が健在なままでは……)
アルノルが小声で苦しげにもらした。
「さあ、色々誤解があったようだが、君たちはこれから友人になれる間柄だということだ。艦長、この男の鎖を解いてやってくれ。鍵は君が持っていたはずだな。装備も返してやりたまえ」
オウッタルがいつの間にか命令口調に切り替えて、ウルフェルに促した。アルノルが彼を解放すると、命令されることになれた軍人の習性は即座にウルフェルを迷いなく行動させた。
「ははっ、今すぐに!」
そのまますたすたとホルガーの傍らへ行き、彼を戒めから解き放つ。続いてウルフェルは少し離れたところから、ホルガーの持ち物をとってきて次々に渡した。
ホルガーは無言でそれらを身に着けていたが、ふいにオウッタルにおかしなことを言った。
「商人オウッタルよ。そろそろ俺は何事か喋っても構わんかな?」
「ええ、構いませんよ」
普通の会話のように聞こえた。だが、それには明らかに何か、隠された意味があると俺には感じられた。
その時だった。オウッタルが奇妙な光を湛えた目で、俺を見た。そして俺の手に持ったろうそくに視線を動かし、そのあと、思わせぶりに頷いた。
ろうそくを燭台ごと微妙に持ち上げ、オウッタルが戻した視線の先を見る。予備の帆布を巻いた物が積まれている――
解った!
「うわっとっと!」
何かにけつまずいたような身振りで体のバランスを崩し、俺はろうそくを帆布へと投げた。わかった上でか、偶然なのか、ヨルグが絶妙なタイミングでわめいた。
「おいトール、なにやってんだ間抜けめ!」
タールを塗られた索具と一緒にまとめられていた帆布は、融けた蜜蝋の助けも借りて、盛大に燃え始めた。たちまちそれは乾燥した船材に燃え広がる。
「うわああああ! アッシュダウン号が!?」
ウルフェルが度を失って叫ぶ。火の粉が甲板下の狭い空間を舞い始めた。
「これはいかん、火の回りが速い。逃げましょうウルフェル艦長。あなたが生きていれば、試験航海の詳細と今後の改良点は、アルフレッド王にちゃんと届けられる、さあ、急いで!」
オウッタルは明らかに、何か自分の都合のためにアッシュダウンへの放火を俺に示唆したのだ! それはもちろん、俺たちアンスヘイムヴァイキングの利益とどこかで結びついているはずだが、一体?
俺たちは慌てふためいてキャビンの階段へと走った。途中、積み上げられた飲料の樽にぶつかり、中身が盛大にこぼれてホルガーとそれにウルフェル艦長がずぶ濡れになった。
「ぺっ、ぺっ! こりゃ酷い! ワインの樽だと思っていたが、酢になっちまってる!」
艦長が顔を袖でぬぐいながら悪態をつく。
「補給品の仕入れを変えるべきですなぁ! どうです、ワインも私の商会で――」
オウッタルが走りながらいけしゃあしゃあと商談を持ちかける。自分で火をつけたも同然の状況で、なんという男だろう。こいつはやはり、アルノルの同類なのだ。
甲板に出てみると、男たちは足元から吹き上がった猛火に肝をつぶし、ばらばらとヤン船長の船に駆け戻りつつあった。
「ホルガーは無事だ! 皆、離脱するぞ。この船はもうだめだ!」
アルノルが叫んだ。
アッシュダウン号に食い込んだ錨の錨索を斧で切り落とし、俺たちを乗せた船はどうにか火の粉を避けて桟橋を離れた。全員無事だが、何人か余計な人間が乗り込んでいるのがどうにもおかしくて仕方がない。オウッタルに、ウルフェル艦長、顎を腫らしたままの少年兵。
ここからさらに、二人加わる。なんという混沌だ。
「ロルフ! 埠頭に寄せて走ってくれ。馬が飛び乗る!」
「なんだって!?」
ロルフの問い返しには答えを保留したまま、俺は埠頭に目を凝らした。
いた。フォカスと二人、馬を並べ、鞍にはわずかな手荷物をつけて埠頭を駆けて来る。こちらの船が動き出すのを物陰で見計らっていたに違いない。
「イレーネーッ!」
思わず長く引っ張って叫ぶ。もう恥ずかしさなどどこかへ消えうせていた。
「はッ、そういうことか!」
ロルフが納得顔で頷き、舵を切って船を北北西へ向けた。埠頭の切れ目を大体5mほどの距離でぎりぎり掠めるきわどいコース。だが今も風はやや廻って北微東から吹いている。
ちょうど上手いタイミングで、船の速度は舵が効くぎりぎり最低のラインまで落ちるだろう。
「難しい操船になるぞ! 帆桁回せ、右舷開き一杯だ!」
ロルフが叫ぶ。皆がどよめき、あきれながらも慣れぬ船をすばらしい手際で操った。
彼女を乗せて、馬が駆ける。会合点まであとわずか。あと10m。あと5m。
今だ!
「イレーネ! 跳べッ!」
船が風上に船首を向け、風が帆布を抜けて船尾へ走る。いやいやをするように船体を震わせて速度を落とした船へ向けて、白馬と栗毛が跳ぶ。
わずかに届かないかと見えたそのとき、北から強い風が吹き、イレーネとフォカス、二人のマントと服を即席の帆として押し出した。風を孕んだ布がはためき、たたらを踏んで人馬一体の主従二人は船上に降り立った。
信じられない物を見た、と言いたげな呆けた表情でハーコンが呟いた。
「ヴァルキューレが飛んできたかと思ったぜ」
「それが見えるのは死ぬときだろうが、従兄者」
どこか笑いを誘うハーコンとグンナルの掛け合いを遠く聞きながら、俺はこの胸を焦がしてやまない女、未知への怯えにも似た恋情を掻き立てる誘惑者――ミクラガルドの騎士イレーネを、腕の中に抱きとめていた。
長かったー!
北海ヒッチハイクガイド、これにて幕。結局ドーレスタットにはいかないというあまりといえば余りな結末にw
次回からおそらくイングランドで、鎖蛇号の奪還もしくは回収を目指してのあれやこれやが始まります。トールにとってはミュージシャン憧れの地、まさかこんな形で訪れるとは思いますまい。