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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

北海ヒッチハイクガイド

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ウェセックス王国の巨大戦艦を制圧せよ(3)

 待つことしばし。

 水牢の本体部分のところへ戻って上から皆を励ますべきか、この階段の上で皆を待つべきか少しだけ迷ったが、結局俺は階段で待った。あちらへ行ったところで余りできることもない。
 フォカスは長年にわたって心身を鍛え、下水道を経路にするような特殊な状況も潜り抜けてきた、いわばプロだ。彼が行くのなら信じて任せ、待とう。

 やがて、階段下の月光を反射する水面に、ごぼり、と泡が浮き上がった。次の瞬間、毛織のシャツだけを身に着けたやや小柄な長髪の北方人が、薄い水の膜に包まれそれを内側から突き破って水面に躍り上がった。
「ぶはあッ!」
肺腑にたまった呼気を一気に吐き出すその顔は――

「スノッリ!」
「よお、トール」
 暗灰色の石材に足をかけて立ち上がった彼は、もう一度身を低くうずくまらせると、ちょうど雨に見舞われた猟犬がするように、首と肩それに全身を振って水を弾き飛ばした。
「畜生、寒い! 酷い場所だった、自分が小男なのをこれほど恨んだ事はなかったぜ!」

「もしかして、背の小さい順に出てきてるのか」
「……ああ。潮がもっと満ちてきたら、小男から残り時間が少なくなるからな……この二晩、この体のおかげで眠るのにも苦労した」

「眠れた? いったいどうやって――」
「眠らないといざと言うときに力を出し切れないからな。皆で交代で、寝る奴の体を水の上に浮べて寝かせたんだ」
 静かな水面なら「浮き身」と呼ばれる水泳の技術で、仰向けになって休むことは可能だ。だが彼らはあの泥水逆巻く牢の中で、お互いを支えあってこの二晩を耐えたというのだった。

 ごぼ、と音がして、次に黄色い髪をした頭が水面に躍り出た。
「ぶッはぁ……ははは……まさか本当にここを探し当ててくれるとはなあ。ホルガーのいう通りだった」
「アルノル! 会いたかったよ、この汚いビッケめ。本当に、よく無事で……」
「汚いとは何だ……ビッケ?」
「俺の国で親しまれてるサガの、世界一知恵のあるヴァイキングさ!」
「ふん、そう言われればまんざらでもないな。……びぇっくしょい!」
アルノルが酷いくしゃみで口ひげをべとべとにした。
「俺のマント、貸してやるよ。最初に会ったときと逆――」

言い終わる前に、両脇によく似た顔が二つ飛び出す。
「泥水から生魚をつかみとって食うのも、ようやく今夜で切り上げか」
「だから言ったろう従兄者。最後まで絶望するなと」
ハーコンとグンナルだ。こんなときも二人の掛け合いはいつもの調子だ。

 次々と生還する仲間たちに、俺は片端から声をかけ、冷えた肩や腕を叩き、服の裾を絞ってねぎらって廻った。
「まだ向こうにいるのは、ヴァジと、オーラブにフォカスと……それにシグルズとホルガーか。族長らしく最後に牢を出るってことかな」
すると、皆がいっせいに頭を巡らせて俺を見つめた。
「トール。悪い知らせがある。ホルガーはここにいない。そして――」
代表して口を開いたアルノルが、そこで言葉を切った。

「シグルズは死んだ。鎖蛇号が拿捕されたときに」

「死者が……出たのか」
世界が色を失ってゆっくりとねじれ、止まる。
「なぜだ! あんたらがついていながら!」
ヨルグが吼えた。

「座礁を狙って何度か浅瀬を突っ切った。だが、やりすぎて読まれ始めた。さらに悪いことには、最後の浅瀬には別の船の残骸が沈んでたんだ。……舵にその支索が絡んで動けなくなった」
なんて事だ。

「あの馬鹿でかい軍船には斬り込み戦法が使えない。舷側が高すぎる、まるで要塞だ。手をこまねいてる俺たちの上に、弓兵を並べて射掛けてきて――舵柄についてて盾を使えなかったホルガーを、シグルズがかばって喉を射抜かれた」
アルノルの口元からギリ、と歯噛みの音がした。
「済まない……俺がもっと慎重になるべきだったんだ」

「弓か」
 俺はそれだけ言うのがやっとだった。ホルガーはきっと、舵板に絡んだロープ、それも水を吸って硬く重くなったものを、何とか外そうとして苦闘していたに違いない。あの巨大な剣「スルスモルズ」を抜き放って――

「弓兵は、何人くらいいた?」
そう尋ねるヨルグの顔は、怒りで真っ赤だ。
「三十人ほどいた。俺たちは最後まで戦うつもりだったが、ホルガーはそこで観念した……いや、お前たち三人に望みを託した、というべきだな。結局、彼の剣が帆桁ヤードを切り落として俺たちは捕虜になった」

 階段の上が静まり返る中、水中から最後の二人、オーラブとフォカスが現れた。

「これで全員か……じゃあ、ホルガーはどこに?」
「ホルガーは、俺たちとは別々に監禁された。多分今も、あの巨船のどこかにいるはずだ……拷問を受けているかも知れん」

 拷問。そのシンプルな単語から喚起されるさまざまなイメージが、どっと俺の脳裏を埋め尽くす。酸鼻を極める肉体への執拗な加虐。やっとこが皮膚を挟み、針が爪と指の肉の間を進む。関節は可動範囲を超えて捻じ曲げられ――
 あの豪傑、荒波の中にそびえる岩のようなあの男が、じめじめした船底の暗がりで陰湿なサディストの手にかかって少しづつ破壊されていく。そんなことは想像すらも許せない。
「よし……皆! ホルガーを助けに行こう!」
「俺たちが乗ってきた船がある! オールのない丸い商船だが、舷側はあの巨船と遜色ないくらい高いぞ!」ヨルグも叫んだ。

「船があるなら何も怖くねえ! 行こう!」
 男たちは濡れた服もそのままに、船着場へ向かって殺到した。途中縛られて転がっている兵士たちを見つけると、歓声をあげて彼らの身包みをはぎ、あたりに散乱した槍や剣を拾い上げて、何人かが武装を整える。兵士たちの生死はもはや俺には確かめようがなかった。
 船着場へ向かう俺の横に、イレーネが駆けて来て並んで走った。
「頼もしい人たちだね、皆。君には素敵な仲間がいるんだな」
「彼らが仲間と認めてくれることが、俺には何より嬉しいよ」

 状況はまだ荒々しい緊迫感と戦いの予感を孕んでいるが、俺はこの瞬間に限っては彼女と顔を見合わせて笑うことが出来た。
「フォカスはすごい男だな……彼にはどれだけ礼を言っても足りない」
「母上の輿入れについてきた警護の軍人だったんだ、もとは」
「なるほどね」
 だからハザールの宮廷にギリシャ人の侍従がいたわけか。自分の印象が正しいかどうか自信はないが、俺にはイレーネがカスピ海沿岸の遊牧民族ではなく、ギリシャ人に見える。フォカスは彼女にとって、ちょうど父親のような存在であるのに違いない。


 船に戻るとちょっとした騒ぎが持ち上がった。いきり立った男たちがフリースラント人の船員二人に掴みかからんばかりになったのだ。
「やめろ、やめろ! その二人は一応協力者だ! 敵じゃない、殴っちゃいかん!」
ロルフが必死で仲間と船員の間に立って押しとどめたが、そうでなかったら大変なことになっただろう。すっかり怯えた船員たちは、自発的に船倉へ降りていってしまった。

「よし野郎ども! ホルガーを助けてシグルズの仇をとるぞ!」
 再び舫を解かれたヤン船長の船は、夜半の微風を受けてよたよたとすべり出す。


「いやはや、これは酷い船だな」
「無いよりはましさ」
 進路の安定しない商船を、ヴァジが酷評する。俺にも異論は無いが、とにもかくにもこれは船なのだ。
「牢にフォカス殿が現れたときは肝をつぶしたぞ。あの追いはぎ女を奴隷に売らなくてよかったな、オーディンのお導きと言うものだ」
「指のこと、まだ根に持ってるのか」
 いささか鼻白む思いで聞き返すと、ヴァジは太い眉の下から皮肉屋らしい視線を俺に向けた。
「指も痛かったが、親父の鍛えた剣を容赦なく足で踏まれたのが忘れられん。だがこの際、遺恨は忘れよう。どうやら――」
と、彼は一瞬言葉を切って俺とイレーネを交互に見た。
「この先長い付き合いになりそうだからな。トールたちを連れてきてくれて、助かった。礼を言うぜ」
 そういい残して、ヴァジは甲板の中ほどのあたりへ転桁索を操作しに向かう。風が弱い上に逆風なので、ジグザグに航行しなければどうにもならないのだ。

イレーネがきょとんとして俺を見た。
「どうしたんだい、顔が赤いよ」
「あ、いやその……ブレーメンの宿で俺への伝言を聞いたとき、ちょっと恥ずかしかったのがぶり返してきて」微妙にごまかす。
「ふうん?」
意地悪い風に笑い顔を形作ってイレーネが俺を見つめた。これは分が悪い。

「ああ、そうだ」
 不意に彼女が背中を向けた。舷側へ歩いていき、レーワルデンのほうを見つめている。――別に町に目立つほどの明かりも点いていないのだが。
「宿に馬を置いたままだ。港に着いたらいったん別れて引き取りに行きたい。昼間見ただろう、すごく良い馬なんだよ。置いていきたくない」
「あの馬か」
 群衆を前に取り乱す様子も無く一定した速度で走り、背に乗せたイレーネを振り落とさずに、曲芸を最後まで演じさせた馬。遊牧民ならではの馬術のなせる業だと思っていたが、やはり馬それ自体の資質や訓練の度合いもあるわけか。

「あの子がもし軍馬だったら、ちょっとした城一つとでも交換できるだろうね。秋にブリュッヘの収穫祭に花を添えてくれと、ブレーメンを訪れてた領主に招かれてる。あの子がいないと出し物が大幅に減るんだ」
「ふむ……どうすれば良い?」
「お仲間を助けた後は、なんにしてもいったん船で逃げるんだろう? 埠頭の端から馬で跳ぶから、届く距離へ寄せて帆走するように伝えてくれ」
「そんな無茶な。それに宿の支払いは?」
「宿は前金で払ってある。多めにね。大丈夫、助走をつければあの子も、フォカスの馬も、5パッススは軽く飛び越えられるよ」
そう請合った後、イレーネは少しの間をおいて言った。
「君も、ブリュッヘに来ないか? 多分今年の冬は――」
「埠頭を掠めるぞ。宿へ戻るなら今しかない」
言いさした彼女の言葉を、俺はついさえぎってしまった。もう船は港の内側だ。アッシュダウン号の巨体が前方に見える。

「む……フォカス! 宿へ行こう、馬を取ってこなきゃ」
無言でフォカスが駆け寄り、二人は3mほどの高さをものともせずに舷側から埠頭へ飛び降りた。
 駆け出しながらイレーネが叫ぶ。
「また後で! 必ず……」
「ああ、遅れるなよ!」
 主従は街角の闇の中へ消えていく。一瞬振り向いた彼女の白い頬に、朱を刷いたような赤みが差しているのが見えた。

 アッシュダウン号の甲板には見張りの兵が数人見えるだけだった。まさかこちらが接舷するつもりとは思っていないらしい。来るな、というような手振りでこちらへしきりに合図している。

 海賊ものの映画でよく使われるような、四爪錨のようなものはこの船には無い。どうするのかと思っていたら、オーラブがごく普通のストックアンカー型をした大錨を抱えて、アッシュダウン号の舷側へ投げ込んだ。舷縁に並んでいた漕ぎ手のベンチが数個破壊され、木片が飛び散る。
「巻き上げろ!」
 回転軸が水平に置かれたタイプの巻揚げ機(ウィンドラス)に数人がとりつき、梃子棒を引いて回しては次の穴に挿してさらに引き寄せる。錨索が巻き取られて二隻の船は不恰好な抱擁を交わす形になった。
 船長の商船から男たちが次々に乗り込んで来るのを見て、はじめて兵士たちは事態を理解したらしい。武装した数名が何事か叫びながら剣を抜き殺到する。
 彼らの対処にはすでに水牢の外で武装していたハーコンとグンナル、あと3名ほどが当たった。ヨルグもその中に加わり、双方とも同じような装備で斬り結ぶ。

 盾の使い方が明暗を分けた。ヴァイキングたちが盾の陰に身を隠すのは、隣の仲間がカバーしてくれる盾の壁形成時だけ。それ以外は、盾はむしろフリーの状態において相手の武器の動きにあわせている。ぎりぎりでカウンターを取る呼吸だ。
 その一方、盾に隠れる姿勢を取りがちなサクソン兵は一人また一人と脱落していった。隊伍の端にいた兵士の、盾でさえぎられた視界の間隙をついて、まだ武装の整っていなかったヴァジが左半身に組み付き、指で目をえぐる。
「ギェアアア!」
 脅かされたカラスのような悲鳴を上げ、顔を押さえた兵士の手の間から鮮血が滴る。グンナルがその腕もろとも首をはねた。
「あまり血まみれにしないでくれ、足元が滑る」
そうぼやきながらヴァジが手早く盾と剣を奪って最低限の装備を整えた。

「俺たちの装備は船首に集められたはずだ。船首へ向かえ!」
 アルノルが皆に号令を飛ばす。ふと、甲板上のある一点に目が引っかかって俺はそこを見る。まだ年若い、少年といっていいような鎧もつけていない兵士が、角笛を口に当てようとしていた。
 とっさに足元に放棄されていた槍を拾い、投げつける。投擲用ではない重い作りの槍はさすがに少年を貫くことは無かったが、不規則に回転してその石突の部分が彼の顎を打った。
「あぐぅあ」
甲板に転がった角笛に気がついて、数名が足を止め少年を押さえつける。


 船首楼の下にある物置に、アンスヘイムの男たちの剣や斧、鎧などがまとめて置いてあった。血気にはやった男たちはこの場所にもいた見張りの兵士を惨殺すると、なじみの道具を取り戻して大いに意気を上げた。
「俺の兜は無事だ!」
「俺様の剣だ! 俺様の盾だ!」
口々に愛用の武具との再会を祝い、身に着けていく。濡れそぼって震えていた男たちはいまや鋼鉄の牙を並べた巨大な獣、復讐に昂ぶる鉄鱗の竜だった。
「斧だ! ハハッ! 俺の両手斧!」
ヨルグが戦闘用の両手斧を高く掲げて哄笑する。
 そんな中で俺は少しがっかりしていた。鎖蛇号の私物入れはここには無かったのだ。フリーダが持たせてくれた保存食も、それにインゴルフからまた借りてきていた、あの青い斧もあの中だ。鎖蛇号はたぶんどこかの港に回航されて行ってしまっているのだろう。

「ホルガーはどこだ!」
「そうだ、ホルガーを探せ!」

 物置から飛び出した男たちは、再び甲板に降り立つと、今度は船尾のキャビンへ向かって走り出した。
 水牢で苦しんだ恨みが炸裂。アンスヘイムヴァイキング衆の吹き荒れるサツバツの前にトールももはやなすすべ無し。

 アッシュダウン号での戦いは多分次回まで。まもなく新章へ突入です。
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