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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
北海ヒッチハイクガイド
48/102

ウェセックス王国の巨大戦艦を制圧せよ(2)

 水牢のある場所には桟橋が見えたが、船の姿はなかった。移動の自由が阻害されているところからして、ここの牢番を勤める兵士たちはかなりの苦難を味わっているらしい。

 

 何らかの懲罰をかねているか、あるいは極めて高いモチベーションを持って任務に就き、収監されている罪人に対してよりサディスティックに振舞うことを期待されているか、そんなところだろうか。



「ご苦労だったな、船長。船が無事で済んで何よりだった」

 俺は言葉だけでもヤン船長をねぎらった。これから俺たちは極めて過酷な選択を彼らに強いなければならないのだ。冷酷に。

「何を言いやがる、畜生。俺に蛮族どもを助ける手伝いなんかさせやがって……」

 よほど口惜しいのだろう。彼の双眸から涙が流れ、頬から髭の先端までを濡らしてびかびかと月光を反射した。


「申し訳ないとは思ってる。さて、そこであんたに問いたい。俺たちにはまだこの船が必要でね。レーワルデンに戻るまで俺たちに協力するか、後でフランクやウェセックスの役人に申し開きが出来るように、船倉に閉じ込められておとなしくするか。あるいはここで死ぬか選んでくれ。出来れば俺は殺しをしたくないんだが」

「そんな! そっちの姉ちゃんは報酬をくれると言ったのに」

船員二人が少し離れた甲板の上で抗議の叫びを上げた。


「それなら、生きて報酬を受け取れる選択をしてもらうしかないな」


ちらりとイレーネのほうを見ると、彼女は苦笑いの表情で肩をすくめた。

「うん、あの時点で報酬を約束したのは浅慮だった。改めて、最後まで協力してくれるなら一人銀貨四枚まで出そう。ディルハム銀貨でね」

ちょっと頭痛がした。やはりイレーネの金銭感覚というか、惜しげもなく金をばら撒く感覚はおかしい。


「ディルハム……! サラセンの銀貨か」

「デナリウス銀貨の……約三倍の価値ッ!」

「お前ら! それでもフリースラントの船乗りかよッ! デーン人どもに機会あれば一矢報いるって、この船を手に入れたときに誓ったじゃねえか! 忘れたのかよッ!」

ざわざわとさもしい内容の会話を続ける部下たちに向かって、ヤンが吼えた。


「すみませんね、ヤン船長。でも俺たち結局あんたに雇われてる身だし、金は欲しいんですよ」

「こんな機会滅多にない。事が明るみに出る前にさっさとずらかって、ドーレスタッドで残りのニシンを売れば八方丸く収まるんじゃないですか」

船員たちが利己心をあらわにした眼差しでヤンを見た。


 ああ、畜生。俺だってこんな目で見られたら、そいつをぶん殴る。最悪殺すかもしれない。だが今は、こいつらのほうが俺にとって都合が良いのだ。


「……もういいッ……お前らは……勝手にしろ」

ヤン船長は俺に向き直って必死で訴えた。

「なあ、ここで解放してもらうわけには行かないのか? あのフェーリングで俺だけ下ろしてもらうとか」


「そいつはダメだ、船長。ここで船まで与えて解放したら、あんたは港へアッシュダウンを呼びにいくはずだ。間違いなく」

船長がさっと顔を赤くし、言葉に詰まった。

「それくらいなら、俺はあんたをここで斬る」

腰に提げたダーマッドの曲剣に手を添えると、船長は半ば目を閉じて膝から崩れ落ちた。

「船倉で……お願いする」



 船倉に三人を放り込むと、俺たちは倉口を閉じ重しをして、ロルフに見張りを頼んだ。

「気を使ってくれて、すまん」

ロルフが申し訳なさそうに俺とヨルグを見た。ロルフ自身が言い出したわけではないが、彼に迷いがあるのは傍目にも明らかだった。

 もっと違う状況なら、ロルフがおそらく望んでいたように交渉で男たちを取り戻す途もあったかもしれないが、水牢を前にしては無理だ。


「構わないさ。改宗して、出来るだけ教えに従いたいと願うあんたの気持ちは、俺も尊重したい。だが……」

彼が『今後はクナルで交易に出るときだけ船に乗りたい』と言ったことを思い出す。


「なあロルフ。直接的に戦闘に参加しなければ殺さずに済む、と思うならそれは認識不足だぜ。交易――商売だって時には戦争以上に無慈悲かつ効率的に、人を殺すんだ。織物商人がアンスヘイムの耕地を買い占めて、亜麻だけを育て始めたらどうする?」

「まさか……そんなことが、許されるはずがない……」

流石に彼の表情が青くなる。


「そう思うよな。だが俺の故郷のほうじゃ、似たような事例は毎日のように起きていたのさ。そのたびごとに戦争がお遊びに思えるくらいの人間が死ぬ……女子供までね」

ロルフは凍りついたように無言のままだった。

「まあゆっくり考えればいい。とりあえずそいつらを出さないように頼むよ」


「分った。任せてくれ」

何とかそれだけを吐き出した彼を後に、俺たちは梯子を伝って船着場に下りた。いささか酷だったかもしれないが、早めに線引きをはっきりして貰わないとこの夏のヴァイキング行が頓挫する。


 恐ろしいことだが、俺にはこのとき迷いがなかった。かけがえのない仲間として意識し始めたヴァイキングたちの命。ヴァイキング行がもたらす富。まさに今手の届く場所にいるイレーネの存在。


 それらを諦めるくらいなら、俺は喜んで見ず知らずの人間を殺しただろう。



 桟橋に横付けにされた船を見咎めて、小札鎧を身に着けたフランクの兵士たちが駆け寄ってきた。何か叫んでいる。おそらく誰何しているのだろうが、あいにく彼らの言葉はロルフがいない今、俺には理解できなかった。

 こちらが敵性の一団であると認めたらしく、盾で半身を覆い隠し、片手槍を繰り出してくる。突き出された槍を盾で跳ね上げ、かい潜ったヨルグが剣を抜いて飛び込んだ。

 一瞬、ヘーゼビューの埠頭での戦闘が脳裏をよぎる。実際、彼らフランク兵がスキャルドボルグ(盾の壁)や類似の戦術を選択していたら、ヨルグはハザール騎兵と同様に嬲り殺されていたはずだった。だが、彼らは盾を密集させなかったのだ。


 というより、出来なかった。船着場は盾の壁で侵入を阻むにはやや広すぎ、彼らは人数が少なかったし、盾をあわせようとするその刹那、飛来した石つぶてが兵士たちの肘や、槍を持った指を残忍に砕いていた。フォカスとイレーネの指弾だ。


「ハハァー! 俺は斉天大聖ジャン・ド・クーだ!」

地面近くを転がるように移動し、時々突発的に跳びあがってヨルグが剣を振るった。ヴァジの父親ヘジンが鍛えた業物は、敵の盾の縁を切り飛ばし切っ先を相手の喉笛に埋めてそのまま走り抜ける。

(ヨルグの奴、あれ結構気に入ってたのか……)

元ネタもあること故に、ジャンがフルに名乗るときは決して負けない。むしろとどめの一撃へと向かう処刑シーケンスの一つとして、俺はあの夜「アレンジ版西遊記」のなかで歌い語った覚えがある。


 無敵の活躍をする戦士に自らを同一化させることで、精神の高揚感が続く限りはその模倣程度の力は揮える。そういうことなのだろうか。


 瞬く間に二人の兵士を絶命させ、ヨルグが地面からぬるりと立ち上がった。

「へっへっへ……まだ、やるかぁ?」

返り血を浴びて顔から胸元まで人を食ったように真っ赤だ。

 やらないと言ったところでヨルグは殺すだろう。どうせ彼のノルド語は兵士たちに通じていない。

 俺はヨルグとの間に挟む形になった兵士の一人を、後ろから静かに襲った。防具の用を成さない布のズボンをつけた内股を、剣でマントごしにえぐる。ロルフが盗賊との戦いで見せた攻撃の応用だった。激痛でよろけた兵士の首に、手首を返して振るった剣がさらにもぐりこんだ。

「こっちもぶった切ったぜ」

崩れ落ちる兵士の死体を足で踏み、残りの敵を睨む。

「あんたハキエルの役回りだろ。荷物持ちだし」

ヨルグが酷いことを言い出す。

「何だとぉ」

あんな残念な堕天使と一緒に……と思ったが、イレーネを視界の隅に認めて、俺はヨルグの軽口を受け入れる気持ちになった。自分で作ったフレーズながら、確かにイヴの子孫は見ているだけでもいいものだ。



 降伏した生き残りを含めた兵士たちの持ち物を、松明の明かりを頼りに改めると、はたして鍵束が見つかった。

「これかな」

「他にはないようだぜ」

鍵束には鍵が3個ほどぶら下がっていた。どれか一つは合うだろう。フォカスが持ち歩いていた細いロープで、兵士たちの親指を後ろ手に縛り上げる。ついでに、足首と首を短めの紐で繋ぎ、常時逆エビに反った状態に仕上げた。

「トールは残酷だなあ」

「仕方ないじゃないか。フォカスの手持ちのロープが少なかったんだ」

「だからってこんな面白い形にしなくても」

ヨルグが足先で縛られた兵士たちをつついて言った。


「それを面白いと思えるお前さんは十分残酷だよ」

「違ぇねえ」

とにかく急ぐとしよう。ちらちらと海面をうかがう限り、そろそろ満潮に差し掛かってきている。


 100メートルほど小走りに急いで、岬の突端へ向かう。石を組んで固めた基礎部分、天辺を切り落としたピラミッドのようになった構造に、青銅でさびにくく作った持ち上げ式の格子蓋が取り付けられ、そこから先に短い下り階段があった。


 格子蓋の錠前を鍵で解除して、俺たちは下を覗き込んだ。月明かりに輝く水面が見える。


 どうやらこの階段から牢へと続く通路はいったん大きく下へと回りこみ、干潮のピーク時以外は水中をくぐらないことには行き来できない、そういう作りらしい。

 男たちがこの階段の途中まで水を避けて上がってきていないという事は、おそらく途中にもう一枚、施錠された扉があるはずだが、それらしいものはここから見えなかった。

「酷い仕掛けだな。胸糞が悪いぜ」

内側から脱出を試みても、この水路でもくろみを中断するか、さもなくば溺死というわけだ。

 


 焦燥感と共に顔を上げ、牢の西の端、木製の柱が並んだ牢の本体部分へと目を走らせる。

皆が脱出できないということは、腰のものは斧一本残さずに没収されているということだろう。だがとにかく彼らは生きてはいる。

「ちょっと、ここを頼むぜ。向こうへ行って皆に途中の通路の様子を聞いてくる」

「分った」



 満ちてくる海水が牢の中へ出入りして、不気味にごぼごぼと音を立てていた。この辺りの海底はあまりきれいではないと見えて、渦巻く潮は月明かりの下で見ても白茶けて濁った泥交じりの汚水めいたものだ。こんな中で潮が満ちてくるのを見守り耐えるのは、地獄そのものだ。

「ホルガー! ……誰でもいい、返事をしてくれ! 俺だ、楽師のトールだ! ヨルグとロルフも来ているぞ」

ざわ、と牢内の空気が動いた。足下に見える並んだ丸太の間から、見覚えのある腕が突き出される。

「トールか! ありがたい。もし持っていたら斧をくれ」

オーラブの声だ。

「そうだ、斧をくれ」

「斧さえあればこんな牢など」


 斧をくれ、斧をくれと牢の中からくぐもった大勢の声が絡み合い反響して、ぞっとするような響きを作り出した。

「斧はヨルグの戦斧しかないんだ。鍵を手に入れたんだが、途中の通路はどうなっている?」

「この牢のすぐ入り口近くに格子戸があって、施錠されてる」

アルノルらしき声が答えた。

「階段からの距離は?」

「満潮時に完全に水没する地下道が5ファヴンほどある。格子戸のところはまだ腰の深さくらいだ」

「分った、何とかやって見る、待っててくれ」

5ファヴン。1ファヴンは日本で言う1ひろに相当し、大体1.8m。明かりのない水中を10m近くもぐって進まなければならない。内部の状態や水温などを考えるとかなり危険だ。


 ヨルグたちのところまで戻り、状況を説明する。斧を求める仲間の嘆きについて聞き及び、ヨルグは歯噛みをして口惜しがった。

「こんなことなら、あの伐採斧もどきを売るんじゃなかったぜ」

「中は相当狭そうだ。重量のある斧を振り回せるような状態でもないと思う」

フォカスが手を上げた。

「私が潜っていこう。若いときにはもっと酷い、ありていに言えば下水を潜って敵中から脱出したこともある。この潮の様子で下手に牢を斧で破れば、波にさらわれて行方不明になるものが出かねん」

「なるほど。わかった、頼む」


「フォカス! 気をつけておくれ」

イレーネが老いた侍従を案じて絞るような声を上げた。

「大丈夫です、姫様」

 彼は重量のある装備品をはずし、動きを妨げるものを脱ぐと、懐から取り出した何かの膏薬を手指や足、耳や鼻にすり込んだ。下着とシャツ、ゆったりしたズボンは脱がない。

体温の保持を考えると実際合理的だ。俺だったら何も考えずパンツ一枚になって飛び込んだに違いない。

 フォカスは階段を下り、慎重に水に足を踏み入れた。

 水温を確かめると初めて肩の辺りまで水に沈め、次の瞬間大きく息を吸い込んで暗い水の中に突入していった。


斧くれ、斧くれ、って、いやな船幽霊だな……


姦るために舞い降りた堕天使ハキエルはやるときは殺るお方。



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