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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
北海ヒッチハイクガイド
47/102

ウェセックス王国の巨大戦艦を制圧せよ(1)

 案内された町外れの宿に入ると、イレーネはちょうど湯浴みを済ませてゆったりした服に着替えたところらしかった。

 湯船を持ち込んでも問題ない位置と床の造り。掃除が行き届いて日光も程よく入る、明るい二部屋続き。町の規模から考えると、最上級とは言わないまでもごく行き届いた良い部屋だ。


「姫様、お連れしましたぞ」

「ああ、ありがとうフォカス。……久しぶりだね、楽師のトール。それに……君もいたのか、ええと、蛮人くん?」

「ヨルグ・トーケッソン。『血斧のヨルグ』だ」

ヨルグが憤然として名のった。

「そりゃあ失礼」

イレーネはくすくすと笑ってすぐに真顔に戻った。ヨルグも毒気を抜かれたのか静かになる。

ロルフと視線が合って、イレーネはくい、と首をかしげた。

「はて、そちらは?」

「こいつの叔父です。トマス・ロルフ・スヴェンソン。ロルフで良い」

「洗礼名――キリスト教徒なんですね」

そう言ってなにやら曖昧に微笑むと、俺たちをぐるりと見回した。

「何にしても、会えてよかったよ……どこかで僕の伝言を受け取ってくれたのかな」

「ブレーメンで。この町へきたのは偶然だけどな。こんな風にすぐ再会できるとは正直思ってなかった」

「そうか……ブレーメンから商船に便乗してここまで来たその日、ほぼ同時にイングランドのものだというあの戦艦が入港しててね。なんだかお祭りみたいな騒ぎだったんで、稼げるかと思って埠頭の近くまで行ってみたんだ。そうしたら――」

「アンスヘイムの男たちが縛られて、引っ立てられていた、とかかな」

イレーネは俺の目をじっと見返し、そしてうなずいた。

「うん……正確にはあの、ええと……僕に物凄い体当たりをかましてくれた、あの男さ。彼が見えたんで、トールの仲間だ、と思ったんだ」

「ヴァジか」

「ああ、そんな名前だったね。むしろフォカスのほうがよく覚えてるはずだ」 

 そうだった。フォカスはヴァジに格闘の才能を認め、弟子にとりたがったが果たせなかったいきさつがある。


「君も捕まってるんじゃないかと思って、心配だった。それで、フォカスに頼んで、手分けして調べてたんだよ。無事で何よりだ」

「無事と言うべきか、なんというか……俺たちはあの戦艦のおかげで、村の連中とはぐれてブレーメンまで逆方向に旅して、それで塩漬けニシンといっしょにここまで船に揺られてきたのさ」

「そうだったのか。塩漬けニシンとご同道は、僕と同じだね」

してみるとこの辺りではやたらと沢山、塩漬けニシンを積んだ船が往来しているのだ。

「……食事時に同席するにはちょいと厳しい道連れだった」

「はは。皿に乗って出てこられたら、我慢して付き合うしかないけどね」

 うまい冗談とは決していえないが、イレーネには会話を諧謔や言葉遊びで彩るだけの機知とそれを楽しむ性向があった。結局のところ俺は、こういう頭の良い女性が好みなのだ、と思い知る。

 さて、再会は嬉しいがここはまず、皆の心配をすべきだ。できればもっとのんびりした気分のときに出会って、ワインでも楽しみながらロマンチックな語らいをしたかったが――


「調べてくれていた、と言ったよな。判っていることがあれば何でも良い、教えてくれ。皆を助けなきゃならない」

 アンスヘイムのような貧しく小さな村にとって、夏のヴァイキング行の成否は、冬の間の生死を左右しかねない。ましてや働き盛りの男連中を失うようなことになったら。


それは恐ろしい想像だった。


「うん、僕にとっても君のお仲間は恩人だよ。皆がバルディネスを追い返してくれなかったら、僕は今頃多分生きていない。協力させてくれ」

イレーネはそういうと、いとも無造作に俺の手を握った。ヘーゼビューで別れたときとは違って、手のひらを密着させるような普通の握手のやり方で。


 握り返して、俺はそのとき初めて気づいた。彼女の手は華やかないでたちや、幼さを残した顔から想像されるような、柔らかなものではなかった。

 長年水仕事に明け暮れた主婦のような、どちらかといえば乾いた手のひらで、指の骨には密度の高い筋肉が張り付き、おそらくは剣を握り続けたことによる、硬い胼胝たこがある。

 簡単に言えば、武人の手だ。手首に目をやると、そこには俺よりもよほどがっちりした太い腱が皮膚の下に盛り上がっていた。

「どうしたんだい?」

「この手――見た目はきれいだが、触ってみたら良くわかった。君は俺なんかよりずっと強い、練磨された戦士なんだな」

「急に言われると恥ずかしいよ……そろそろ放してくれ」

しぶしぶ手を放す。イレーネの顔が若干赤い。


「さてと、お仲間の消息だけど」

エールを運んできた女中が部屋の外に姿を消すと、俺たちは簡素なテーブルを囲んで、削りなおした安物の羊皮紙を(といっても庶民の間にそう出回るものでもないのだが)広げ、そこにガチョウの羽のペンでイレーネが簡単な地図を描いた。


 大雑把に言い表すと、レーワルデンの周辺の地形は、カエルに似た生き物がぱっくりと口を開けたところを真横から見たような、そんな具合だった。カエルの上あごのちょうど真ん中あたり、海に面してレーワルデンがある。

 その対岸、下あごから突き出した岬というか砂州と言うか、とにかく細長く平坦な陸地をイレーネが指差した。

「最初数日は、お仲間はアッシュダウン号から下ろされて、港の倉庫に押し込められていた。夜にこっそり近づいて、中を覗いてみたんだけど」

ロルフとヨルグが色めきたった。

「皆無事だったか? 誰か欠けたりは?」

「ごめんよ、兵士が牢のすぐ近くに立ってて、話ができなかった。何も訊いてないんだ。でもなんだか沈み込んでいた様子だったから、無事じゃない人もいるかも知れない――ヴァジさんは無事だったよ。それは確実だ」

とりあえず一人は健在が確認されたわけだ。二人が重苦しく息を吐くのが聞こえた。

「で、その地図の場所は一体?」

「うん。彼らは今、どうやらこの辺りの隔離された牢に入れられているらしい。一昨日移されるところを見た」

「結構距離がありそうだ。船が要るかな」

地図のその部分までの距離は、洋上で見た風景と照らし合わせると、少なくとも10km以上離れているように思えた。


「30人前後の男たちを収容できる船か……僕には心当たりがないな。君は?」

「ないこともない」

俺は酷く虚無的な気分になりながら答えた。




 宿の主人から確認があったので、その後は軽く食事を取ることになった。これまでついぞ見かけなかった、白い小麦のパンが運ばれてくる。ふかふかした高級品だ。

「これは美味そうだ。おばあさんに持って帰ってやりたいね」

「ご存命なのかい?」

「ああ、いや、すまない。昔読んだ物語に出てくる挿話に引っ掛けた冗談なんだ。こっちじゃ通じないのを忘れてたよ」

 そんなことを話しながら、さっくりと焼かれたパンと、鶏の胸肉を使ったあっさりしたシチューを口に運ぶ。

「船には心当たりがあるといったが、どうするつもりかな」

訊かれて、俺は食事の手をはたと止める。そこへヨルグが無遠慮に切り込んできた。

「ヤン船長の船を徴発する気だろ、トール」

「……良くわかったな」

「俺も同じ事を考えたからさ。それが一番早いし、うまく行けば余計な騒ぎも起きない」


「本気なのか」

ロルフが渋い顔になる。

「世話になった相手だ。穏便に済ませたいのはやまやまだが、俺たちにとって一番大事なのは仲間の命だ。それを優先せざるを得ないよ」

「ああ、判ってる。だが、憂鬱だ」

「俺もさ」


 日没を待って、俺たちは目立たない服装を整え――といっても俺たちはこれまでの旅装そのままなのだが――港へ向かった。

 東の空に昇った月が俺たちの影を長く長く引き伸ばし、埠頭の石畳にのたくらせる。それは滑稽にもまがまがしい物にも見えた。影に角がないのが不都合な感じがして、俺は無言のまま頬をゆがめて笑った。


 小走りで移動しながら、イレーネが俺に情報を補足した。

「牢の周りにはそれほどの人数はいない。実はフォカスが一度、釣り船を装って近くまで行ってるんだ。見たところでは五、六人だ」」

「何から何までだな、ありがたいよ。そのくらいなら手にかける羽目になってもなんとかなるかな」

「フォカスなら、素手で三十人までは余裕だ。大船に乗った気で居たまえよ」

「何それ怖い」

イレーネの言葉が事実なら、ヘーゼビューではフォカスはずいぶんと自分の実力を隠していたことになる。

 思い当たる節はあった。あの時は俺とヨルグに加え、フリーダも途中まで一緒だったのだ。実力の分らない、そして明らかに貧弱な俺を含む三人をダーマッドたちの攻撃にさらさせずに、なおかつイレーネと確実に合流するには、フォカスという刃はぎりぎりまで鞘に納まっていなければならなかった。そういう事なのだろう。

 

 ヤン船長は船に残っていた。他に見えるところでは、甲板でなにやら作業をしているらしい船員が二人ほど。船長は俺達に気づいて声をかけてきた。

「やあ、町で宿を取ったと思ってたが、今夜は船で寝るのかね? 物好きだな」

「寝るわけじゃないが、船を借りたくてね」

「――ああ、なるほど。まあ手早く済ませてくれると助かるよ」

どうやら俺の横にいるのが女性だと、目ざとく見て取ったらしかった。苦笑しつつ舷側の梯子を登る。

「そういう話じゃあないんだ、船長」

自分の大根役者振りにはほとほと嫌気が差したが、あえて思い入れたっぷりに船長ににじり寄って、耳元でささやいた。

「船を出して欲しい。対岸の牢獄まで」

ぐえ、と非人間的なうめきが船長の喉から漏れる。

「本気なのか……そうか、あんたたちは北方人だ。あの海賊たちの仲間なんだな?」

「海賊って言われるのは少々心外だぜ。皆、故郷の村に残してきてる女房や子供、老いぼれた親に、この冬の間空き腹を抱えさせたくないだけなんだ」

そう言いながらヨルグは船長の親指を掴んでじわりとひねった。


「いてててて!」

「船長!」

異変に気がついた船員たちが殺到する。

「動くな!」

俺は船長をヨルグにまかせ、一歩跳び退って曲剣を抜き放った。

「こいつはサラセン人も震え上がる、ハザール騎兵の魔法の剣だ。触れた瞬間に首といわず腕といわず、胴体からおさらばだぜ。……見ろ」

軽いハッタリ。言いつつも俺はその瞬間、何を斬り付けて剣の斬れ味を誇示したものか途方に暮れた――が、その刹那、イレーネが目深にかぶった帽子を跳ね上げ、俺のほうへ投げてよこした。


 高そうな布でできた仕立てのよい帽子だったが、俺はためらわずそれを剣で引っ掛け、そのまま引き斬った。真っ二つに分かれて落ちたその帽子の上へ、持ち主は月光に髪を躍らせながら歩み出る。

 まるで斬られた帽子の中から現れたように錯覚させる動きだ。虚を突かれた船員たちが動きを止めた。

「申し訳ないがこの船は僕らが徴発する。対岸へ寄せてくれれば相応の謝礼は出そう」

 背後にいつのまにか廻っていたフォカスが船員たちの口元を手で塞いだ。

「おっと、叫ばれては困る。夜は静かにな」


 すっかり観念した船員たちは、しばしの葛藤の後どうやら心中に折り合いをつけたようだった。

「報酬をもらえるなら……」

のろのろと消極的に動いて舫を解き、帆を広げる。夜風に膨らんで、亜麻布の軽い帆がぱん、と鳴った。

「悪いな、船長。この辺りの水路には詳しいはずだ。安全な進路の指示を頼むよ」

「こんな月明かりだけじゃ保証できないぜ」

 抵抗を示しているわけではなかった。自分の船が砂州や礁脈に乗り上げて無残に砕け破れる予感に苛まれているらしい。

「ああ……聖エルモさま、ご加護を」

船乗りの守護聖人に必死で祈りを捧げ、船長は舳先の櫓に立った。



 月が出ていても、夜の海はいやなものだ。内海でうねりはないが、波に揺れる船の上で立っていると、何か大きな生き物の背中に乗せられて運ばれるような心許なさを感じる。

 月光に照らされて一層暗く沈む陸地の影が、うずくまった獣のように見えて、分ってていても時折びくりと心臓が跳びはねる。


 やがて、ほとんど海面と同じ高さの、岬とも言いがたいような細長く突き出した海岸が姿を現し、その突端に木でできた檻のような建物が見えた。檻の隙間からは絶え間なく海水が出入りし、その奥にかなりの数の人影が見て取れた。


「なんてこった、水牢か! あんなところに三日も?」

「酷いことをしやがる!」

ロルフが悲嘆に叫び、ヨルグが怒りに吼えた。


 距離があるせいで建物の正確な高さは分らないが、干潮時の現在であの冠水具合なら、満潮時にはかなり酷い状態になるだろう。俺の中で、慈悲心がどこか隅っこのほうへ姿を隠した。

クライヴ・カッスラー風タイトル。

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