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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

北海ヒッチハイクガイド

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旅芸人の余禄

 幸い、ヤン船長は船員たちへの指揮で忙しく、俺たちの動揺は感づかれずに済んだ。
「拿捕されたヴァイキング船って、やっぱり……」
「鎖蛇号、だろうな。船の種類まで分ればはっきりするんだろうが、どうも外国人は俺たちの船の細かい違いがあまりよく分らんようだ」
「鎖蛇号は一応、見栄張って竜頭掲げてるからなあ。フランクやサクソンの連中には竜船ドラカーだと誤解されることもあるだろう」
レーワルデンに着いたら、一度船を下りて拿捕船の詳細を調べてみるか。そんな感じに大体の方針が決まる。その間、俺たちは俺自身が船に酔ったのを二人が介抱するような風に、左舷の舷縁に集まっていた。

「大丈夫か? 酔いそうなときは海面を見ないほうが良いぞ」
ヤン船長が気遣わしげに声をかけてくる。
「大丈夫だよ、もう治まった」
どうにも最近、嘘をついてばかりだ。
「午後にはレーワルデンに着く。もうちょっとの辛抱だ」
そう聞かされて、船酔いとは違う意味で俺たちは少し楽になった。これで入港まで何日も待たされたら胃に穴が開く。

 そういえば、この時代にはまだ検疫はないらしい。ペストの流行がまだ起きていないからだろうか。大航海時代より少し前から、疫病の潜伏期が過ぎるまでの数十日間、船を港の外にとどめる上陸制限措置が採られるようになっていたはずだ。
(ペスト流行の時代に迷い込まなくて、本当に幸運だったな)
そんなことを考えながら船の行く手を眺める。実際のところは抗生物質もサルファ剤も存在しないこの時代、不潔な環境で傷でも負えば敗血症で死ぬし、栄養状態がよくないものはいとも簡単にチフスや肺炎で死んでいくのだが。

 荒々しい世界では命が軽い。ホルガーたちアンスヘイムの男衆がウェセックス海軍の手中でどんな苦難を耐えしのいでいるかと思うと、俺は背筋が寒くなった。


 レーワルデンの港は、ワッデン海から半島といってよいほどの大きな岬をぐるりと回りこんだ南側に横たわっていた。俺の記憶にある西フリースラント地方の地図とは大きく違う。この辺りは21世紀までには干拓で陸地化して、すっかり内陸部になっている場所なのだ。

 人工的に作られたと見える小高い丘、もしくは土塁の上に、肩を寄せ合うように建つ教会や民家が見える。それに要塞めいた木造の胸壁と、その壁に囲まれた港湾施設が目に入った。
 港の入り口に近い広い水面に、つい一週間ほど前に目撃したあの巨大な軍船が、オールを収納した状態で停泊していた。
(いやがった……!)胃の辺りにぐっと重いしこりが生じ、こめかみの辺りを汗が一筋伝い落ちた。
ヤン船長が得意げにその船を指差す。
「おお。見えるだろう? あの頼もしい大船が、ウェセックス王国の新型戦艦――その試作艦『アッシュダウン』号さ」
「へえ、詳しいな船長。だがなんで、そのウェセックスの戦艦がフランク王国の港を使ってるんだ?」
「ああ。要するにあの船は、俺たちフリジア人船乗りの希望と誇りを担ってるのさ」

 ヤン船長がかいつまんで説明してくれた話はこうだ。
 カール大帝の死後、ルイ敬虔王がハラルド・クラークにイェファーを与えたように、次第にデンマークからデーン人がフリースラントへ進出してくるようになり、ついに830年代には造幣所まで置かれた交易都市、ドーレスタットがデーン人の手に落ちた。

 フリースラントの男たち、ことに船乗りたちはその多くが南へ逃れた。次第に周辺の土地へ流れてあるものは海を離れ、あるものはフランク族に雇用されて落魄した惨めな日々を送っていたのだと言う。

「だがな、ウェセックスの若い王、アルフレッド様がついにデーン人の攻勢を押し返したんだ。王はデーンに対抗するには海軍が必要だと気づいて、俺たちフリースラント人を雇うようになった。その際に、フランク王国との間に港湾利用の協定が結ばれたのさ」
 ヤン船長は熱狂的にアルフレッド王とやらを讃えた。どうやら俺も名前だけは聞いたことのある、イングランドの「アルフレッド大王」であるらしい。

「なるほど。するとあの船には――」
「ああ、サクソン兵の他にフリースラントの船乗りが大勢乗り組んでるよ。俺の知り合いもいる。知ってるか? アッシュダウンってのはアルフレッド王がデーン人相手に勝利した最初の戦場の名前なんだ」
「なるほどねえ」
 そこで妙なことに気がついた。彼とはノルド語で普通に会話ができるし、俺たちに著しい悪感情を持っている風でもない。

 なぜか、と尋ねると、彼は事も無げにこう答えた。
「そりゃああんた、デーン人が憎いからって出会う一人一人にまで突っかかってたら、商売にならんだろう。実際あんたたちは見ず知らずの俺を快く手伝ってくれたしな」

 俺は心底感心した。集団と個人の峻別は21世紀の日本人でも中々できないことだ。船長は人間のできた男だと思う。だがおそらく俺たちはこの男を含め、フリースラント人たちに不利益になることをせざるを得ない立場なのだった。心が痛む。

「商売人ってのは因果なもんだよ」
甲板に開いた船倉の入り口に目をやりながら、船長は悲しげに笑った。
「このニシンの塩漬けは、半分以上、ドーレスタットのデーン軍に納める商品なんだ」
「ほう」
「北のほうじゃ塩が貴重なのは知ってるだろ。で、安くて大量に獲れるニシンは、どこでも軍隊の食糧として重宝される……俺たちはむしろ、ニシンは新鮮なうちに軽めの塩か酢で処理して食うけどな」
なるほど。不本意ながら生活のために敵に保存食糧を売るというわけだ。
「『アッシュダウン』がいるなら余分に積んできた分を買ってもらうかなあ。いつまで停泊してるのか知りたいもんだよ」

俺も知りたい。

 程なく船は港の奥へと進み、同じような形の船が並ぶ桟橋の一つへと持ち込まれた。帆が畳まれ、桟橋からロープが投げられて、船を横付けの位置まで引き寄せる。オールのない鈍重な帆船に不可能な操船を、カバーしようと言うわけだった。
 出航は早くても明日の昼前になるという。俺たちはヤン船長に丁寧に礼をいうと、港の賑わいの中に紛れ込むように歩き出した。

「しかし困ったな。俺たちはちょっと注意すれば北方人だと分ってしまう。みんなの居場所について町の連中にうかつに訊けない」
雑踏の中を漫然と押し流されながら、俺たちは頭を寄せ合って善後策を話し合っていた。
「もう一つ気になることがある。港を見回したがどこにも鎖蛇号は見当たらなかった」
「悩ましいな」
 二つの可能性がある。そもそも拿捕されたのが鎖蛇号でないという場合。そして、船がどこか別の場所へ持ち去られている場合だ。

「ロルフ、港にノースやデーンのものらしい船は他にあったかい?」
「分らん。フリースラント人の丸い船が多すぎて見通せない場所があるし、マストや帆を見ただけでは遠目にはどちらとも見分けがつかんよ。マストはいずれも一本、帆は四角だ」
こんな風に雑踏に流されて歩いてくるべきではなかったか。
「港へ戻るか。その確認だけでもしないと――」
そのとき、前方の人混みの中から歓声が上がった。


 広場と言うには少々みすぼらしい空き地に、小さな人垣ができていた。そこから時折鋭く張りのある掛け声と、わあっ、わあっという群衆のどよめきが聞こえてくる。そして、馬蹄の響きも。
「すまない、ちょっと通してくれ」
周りの住人たちにそう繰り返しながら人垣の最前列へ割り込んだ。あの掛け声には聞き覚えがある。
 迷惑そうにぶつくさと呟く声と、押されて応酬する拳や肘の軽い打撃が俺を追いかけた。もちろん極力よけて通る。不満そうなざわめきはすぐに、後ろからついてくる鎖鎧姿に盾を背負った戦士二人の無言の威圧にかき消された。

 人垣の向こう、直径30mほどの輪の中で、一頭の馬が速足で軽やかに走っていた。その上に荷馬用のものを模したらしい、前後に高い輪を持つ鞍が置かれている。
 俺が人垣を掻き分けて内側に出たその瞬間、鞍の上に小柄な人影が逆立ちになったところだった。ちょうどあん馬のような曲芸を演じているらしい。

 驚くべきことには走る馬のその上で、演者はときに鞍から手を離して飛び上がり、中空で体を翻して元の位置に戻っては大きく足を振り上げ、左右を入れ替えた。そのたびに栗色の長い髪が波打って光を反射し、肩や胸の上にはらりとなだれ落ちる。
 最後にとんぼを切って前輪まえわの上に体を伸ばして降り立つと、そのまま人垣の中を一周しはじめた。

 イレーネだった。

 最初に会ったときより幾分身奇麗になっていた。胸元に何本ものモールを飾ったマジャール騎兵風の練絹の胴着を着込み、東方風のゆったりしたズボンを短く仕立て直して腰廻りを覆っている。男物の長い靴下ショースを膝上高く履いて脚線を強調しているのがあざとく艶かしい。片手につば広の帽子を持って、観客から投げられる小銭を受けながら彼女がゆっくりとこちらへやってくるのが見えた。

 すぐ前に来たイレーネと目が合ったその瞬間、時の流れが減速したように感じられた。ゆっくりと視線が絡み合う。細い顎の縁を伝い落ちる汗の滴が、日差しを反射して宝石のように見えた。
 イレーネの顔が一瞬、泣き顔に似た形に崩れ、すぐに決然とした表情に変わる。その上に穏やかな笑みがふわりと広がり、俺にだけ聞こえるように小さな声が響いた。
(ここにいて。フォカスを遣る、また後で!)

「ご観覧ありがとう、今日はこれまでです。皆さんごきげんよう!」
広場を一周したイレーネの声が響く。見物人たちは満足げな、あるいは期待はずれの不満をあらわにした呟きをそれぞれに残して、編み物がほどける様に街角へと散っていく。
(いい女だったなあ)
(夜の客は取らないのか、つまらねえな)
 聞き取れたノルド語の分だけでも、女の旅芸人がどういう目で見られているものなのかが窺い知れた。彼女の旅路も中々に難儀なものであるに違いない。工夫を凝らした男装も本来の目的には役に立たず、却って倒錯的な怪しい色気をかもし出してしまっていたようだ。

 しばらくして再び辺りを見回したときにはイレーネと馬の姿はすでになかった。俺はまだわずかに当たりに佇んでいる人々を目当てに、ウードを取り出して爪弾いた。
「お急ぎでない方はちょっと足を止め、耳を傾けて行かれませい。時の彼方に忘れられた遠い異国の歌でござい――」



 ポクッ、と良い音がして後頭部を叩かれた。

「痛ってえ!」
「今目立っちゃダメだろ」
ヨルグだった。こいつなんだかどんどん芸風が豊かになってないか。
「フォカスが呼びに来るまでここで待つ時間をつぶせるかと思ったんだが、うん、ダメかなやっぱ」
 すでに数人の観衆が目の前にいるのに気がついて、二人で並んで会釈をすると、まばらな拍手と共に数枚の銅貨が足元に転がってきた。
「ありがとうございましたー」「ましたー」

 ボグッ、と少し重い音がして後頭部を殴打された。
 俺とヨルグはいつの間にか来ていたフォカスとロルフに引きずられるように、イレーネの待つ宿へと引っ立てられていった。 
 イレーネ再登場。前回の登場のあとちょっと調べた結果、中世の旅芸人と言うのは思った以上に社会の下層に位置づけられていたことがわかって苦笑。
 もうちょっとキリスト教が浸透した社会だと完全に悪者扱いと言うか、共同体の不都合を押し付けられる存在です。少なくとも普通に考えてお姫様のやる事ではないですね……

どつき漫才はローマ時代から比較的簡単に笑いがとれる芸。
+注意+
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