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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
北海ヒッチハイクガイド

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44/102

プリンセスとろうそく

我ながら酷いタイトル。

「しかし、考えてみると妙だよな」

桶で足湯を使いながらヨルグがそう言い出した。

「何がおかしいって?」

何の話か分からぬまま聞き返す。


「いやさ、イレーネとか言うあの姉ちゃんのことなんだけど」

「何だよ、まだ何か俺を冷やかすネタがあるのか」少し気色ばむ俺に、ヨルグは盾で剣を防ぐようなジェスチャーで忍耐を要求した。

「まあ聞けよ、トール。俺たちがフリースラントへの遠征を決めたのはついこの間、ヘーゼビューであんたがあの姉ちゃんと涙ながらに別れたよりずっと後だろ」

「泣いてないぞ、こら……ん?」

言われてみれば確かに違和感を覚える。


「どうしてあの姉ちゃん、この宿屋に伝言を言付けたんだ? トールが来るのが分かってたはずはないのにな?」言いながら彼は首をかしげた。


「……うん、変だな」

俺がこの宿に来るという可能性は普通に考えればえらく低い。イレーネの立場からすれば、ほぼゼロと言ってもいい。

「だが、現にイレーネの伝言が残ってた。なぜだ?」


 ちょうどそのとき、冷えた陶器の壷に移したワインと、白目ピューター製の杯を人数分盆に載せて主人が入ってきた。

「失礼します……っと、ちょうどお話が聞こえてしまったんですがね」

俺とヨルグの凝視を受けて少したじろぎながら主が続けた。

「あの軽業師の別嬪さん、どうもこの北フランクで立ち寄った宿と言う宿で、あんたへの伝言を残してきてるらしいですよ。あの格闘士があきれてましたな」


「……ちょっと待ておい」

顔から音を立てて血の気が引いた気がした。


「怖ええ! 何考えてんだあのお姫様は!」

流石に日本語で叫ぶ。

 

 テーブルに突っ伏して頭を抱える俺に、主人が気遣わしげに声をかけた。

「あのう……私、何かまずいこと申し上げちまいましたかね」

「いや……あんたは悪くない。ワインを飲ってるから適当に料理を運んできてくれ。ただし……」

俺は頭を上げ、顔の半分を覆った左手の指の間から主人を睨んだ。

「扉に五歩の距離まで近づいたらその時点で声をかけろ。さもないと」

皆まで言わせずに主人が顔を引きつらせて応えた。

「え、ええ! 立ち聞きは悪趣味ですとも! 申し訳ありませんでした、誓って次からは仰せの通りに!」

 よほど恐ろしい形相で睨んでしまっていたのだろう。主人は逃げるように部屋を出て行った。



「全く、なんてこった。俺は楽器を奏でてのんびり暮らしたいのに」

愚痴をこぼしながら壷のワインを杯に注いで、そっと口をつける。オウッタルの船で出たものによく似た美酒だ。

「自分がその楽器と一緒になにをやってきたか、思い出せよトール。あんたもう自分で語るサガの内容を、自分で先に実演して撒き散らしてるじゃねえか」

ヨルグが俺の鼻先に指を突き出して振って見せた。


「撒き散らすとか、ひどい言われようじゃないですかねえ」

「のんびりとか無理だってことだよ」

 言われて俺はがっくりと肩を落とした。確かにウードを手にして以来、俺の周りに起こる出来事は妙に派手だ。何か変な呪いでもかかってるのか、こいつには。


 自分用に確保したベッドの上の、皮袋に収まったウード「コメット」を引っ張り出してしげしげと眺める。

「そんな訳はないか」

 コメットの美しいニス塗りの木肌は、部屋に点されたろうそくの明かりを映して、穏やかに温かく輝いている。


(私はただの楽器。あなたの手と指に応えて歌うだけの――)

 一瞬、妙に痩せて睫毛の長い女が、まぶたを半ば閉じた顔をこちらに向けてそんなことを言う幻が見えた気がした。もちろん気のせいだ。さもなければ旅の疲れと回り始めたワインが見せる妄想だ。巻いた羊皮紙が顔の横の宙に浮いてる時点でおかしい。


 まあそんなことはどうでも良いのだ。なぜ北フランク一帯に俺の名前を張り出して廻るような無茶を。


 スープと魚料理が立て続けに運ばれてきた。主人が再び扉の向こうへ姿を消すと、それまで俺たちの会話をよそ事のように眺めていたザラが、鯉の白子のオムレツをつつきながら話に加わってきた。

「なんや入り組んだ話みたいやったけど、どないしたんトールはん」

「ああ……話すと長くなるけど」


 できる限り要約してヘーゼビューでの一件を話すと、ザラはいたく娘心をくすぐられたようで、目を輝かせながら話のあちこちでより詳しい描写を求めた。


「ええなあ、ええなあトールはん。それなんてエロ――」

「ちょ」

なぜそんな21世紀日本のネットスラングを、と思ったが彼女はドイツ語の「英雄詩エロイックゲディヒツ」に近いことを言いかけていたらしかった。

「うちもお姫様やったらそんな風に……あ、いや、でも一年も川沿いを旅して追っ手から逃げ回ったり、奴隷の味見を目撃したりするのはしんどいなあ。いややわ」


「そうだとも。普通の暮らしができるのが一番尊いことさ」

 帰順した山賊たちに栄達と褒章を請合った王でさえ、一人の修道士の「日々の糧に困らないだけの恵みを得て、神に感謝して心安らかに暮らしたい」と云う願いには両手を挙げて降参するしかなかったのである。その望みは神のみぞ叶えたまう、だ。


 もっとも現時点でまだその王様と修道士、モデルも存在してないのだが。シャーウッドの森の義賊伝説、成立年代はいつごろだったかのう。



「多分、やけど……そのお姫さん、友達とか話相手とかいなくて、ずっと寂しかったのと違うかなあ」

ザラが自信なさげな様子で語りだした

「ん」

「お姫さんはただもうトールはんに会いたい、そういうことやと思う。今まで周りにはずっと……油断のならないルスの奴隷商人とか、王さん挿げ替える企みしてるおっちゃんとか、その配下の騎兵とか、そんな人しかいなかったんやろ?」

「ああ――」

そうか。なんとなくイレーネの気持ちが少しだけ分かった気がした。

「トールはんは、イレーネはんにずけずけと遠慮なくものを言って、でも困ってたらきちんと助けて、それでヨルグはんが言うまでは見返りも考えずに――」

「ああ、そういわれるとなんだか、すごくまずいことをした気がしてきたな」

世間知らずの孤独な少女の前に現れた、高潔にして安っぽいヒーローか。


「そんなん、うちでも目ぇ見えやんようになるわ。トールはんタチ悪いな」

ザラはなにやら自分が傷つけられたような入れ込みようで、俺をことさらに悪者呼ばわりして責めるのだった。

 ああ、うん最悪だな。たとえ俺にそういうつもりがまるでなかったとしても。無自覚なままに女の心に焼印を押したようなものだ。

「……俺は、どうすればいいんだろうな」

「そんなもん女に訊く事やないで……まあでもええわ、うちもトールはんらには助けてもらったしなあ。助け舟だしたる」

そう云うと、ザラは真剣そのものの顔で俺を見据えた。

「トールはん、お姫さんのことどう思うてる?」


 俺は一瞬答えに詰まって、そうしてイレーネと別れて以来折々の自分の気持ちを振り返った。そして理解した。イレーネの心に印を焼きつけた熱い鉄は、俺の手のひらも酷く焦がしていたのだ。


「うん……今自覚したよ。俺はイレーネが好きだ、惹かれてる。もう一度会いたい。彼女を欲しい」

「わあ。よう言うたわ。そこまで分かってるなら、それを裏切りやんようにすることや。」

あきれ返って息を呑んだその形から、次第に表情を和らげて彼女は助言してくれた。


「……ありがとう」

俺はザラに深々と頭を下げた。


 ヨルグとロルフが、無言のまま拍手を響かせる。

(そんな恋、うちもしてみたい)ザラが小声でため息混じりにそういうのが聞こえた。


 ふと気づくと扉の陰からも拍手の音がする。ドアを開けると主人が実にいい笑顔で手を叩いていた。肉料理の大皿をわざわざいったん床に置いてだ。

「てめえ! どこから聞いてやがった」

「すみません! すみません! 『それなんてエロイックゲディヒツ』から全部――」

「っうわあああああああ!!!!!」

 恥辱に半狂乱になりかけた俺を、ロルフとヨルグが有無を言わせぬヴァイキング的腕力で押しとどめた。

「おとなしくしろ、トール。あの曲剣をここで振り回したら大惨事だ」

ヨルグよ、お前がそれを言うか。

「ご主人、残りの料理も、もうまとめて持ってきてくれ」

「は、はい。あとはもう一皿軽めの肉料理が残ってございます」

主人は再び脱兎のごとく部屋を出て行った。


「死にてぇ……」

「何でだよ。旅先で出会った異国のお姫様が一途に想ってくれてるんだろ。何で恥ずかしいんだ。サガみたいで良いじゃないか、最高だろ」

「まあ俺が女房を口説いたときも恥ずかしかったよ。からかわないと約束するぞ、トール」

「クッソ、あんたらもこの宿の主人も皆、タイミングが悪すぎるんだよ」


 立ち直りにはかなりの時間を要したが、何とか俺は皆の生温かい視線を浴びながら食事を終えた。

 部屋にはあかあかとろうそくが灯され、白塗りの壁に反射してえもいわれぬ暖かな雰囲気をかもし出していた。油脂ランプに比べるとなんと贅沢なことか――


 そういえば。


「話は全然変わるが――こういう脂くささのないろうそくって、普通なのか?」

 唐突だったので流石に皆きょとんとした顔をしていたが、ザラが真っ先に俺の質問の意味を理解したようだ。

「まさかぁ。普通は油脂ランプ、それも獣脂か、お金のある家でもせいぜい獣脂ろうそくや。……たぶん、司教座の聖堂があるから蜜蝋のんが出回ってて、それでこの宿屋にも廻ってくるんやと思う」

「なるほど。考えてみたらここの息子も聖堂の聖歌隊にいるんだっけな。……なあ、ザラさん。ろうそく屋に奉公ってどうかな。教会とも縁が深いし、その――きっと、パンにつけるものにも困らないんじゃないかと思うんだが」


 蜜蝋製のろうそくはおそらく高級品だろう。それを扱う職人はそれなりに潤っているに違いない。それに、蜜蝋を扱うなら蜂蜜を、獣脂を扱うならラードやヘット、もしかするとバターも手に入れるルートがごく近いはずだ。


「トールはん、うちのことも忘れんと考えててくれたんやね」

「まあ、余裕のあるときはできるだけ、な」

つい顔をあさっての方角へ向けそうになる。感謝の念にあふれたようなザラの笑顔が酷くまぶしかった。


「うん……ろうそく屋さん、ええと思う」

「そうか。おい、ご主人! 『ガルス』を――息子さんをちょっと呼んでくれないか!」

 扉を開けて廊下の奥へ呼びかける。何事かと息子と共に駆けつけた主人に、俺はザラの事情を告げブレーメンでのろうそく屋の評判について尋ねた。

「そういうご事情なら……ゼーマン通り、この宿屋からは聖堂をはさんで反対側に御用達の大きな店がありますよ。教会への寄付を欠かさない、評判の良い店です」

「あの店の旦那、おいらたち聖歌隊の子供にも毎週、焼き菓子を呉れるんだよ」


 はは、絵に描いたような篤志家ってやつだな。おあつらえ向きだ。

「明日そこへ行って見よう。口利きを頼めるかな」

「お客様方でしたら、むしろ参事会から推薦していただけると思いますよ」

請合う主人からザラのほうへ振り返って、おれは親指を立てた。



「ゼーマン通り」のその店は、翌日すぐに見つかった。

 司教座から案内役の侍祭をつけてもらって、住民でごった返した街路を歩くうちに大きな倉庫二棟ほどを併った大きな構えの店が見えてきた。

 耳をピンと立てた犬の姿をかたどりその頭上にろうそくを立てた、奇怪なセンスの横溢する看板が軒先に飾られている。何か書いてあるが読めないので、侍祭に尋ねた。

「あれはなんて書いてあるんですか」

「ああ、えっと……『頭上に信仰の光を戴こう』その下の大きな字は『アロイスの猟犬印ろうそく店』です。……カロリング小文字にはなじんでおられないようですな」

侍祭がわずかな優越感を漂わせて自身の学識を披露する。


「いやはや、お恥ずかしい。ルーン文字の読み書きにもまだ不慣れでしてね」

適当に流す。傲慢は7つの大罪の最たるもののはずだが、指摘して心証を害しても仕方がない。

(しかし……猟犬印か。あとは猫に関して何かあれば完璧だな)


 埒もないことを考えながら待っていると、大きな革の前掛けをつけた小柄な男が、速足に店の中から出てきた。

「やあ、こりゃあオムデン侍祭どの。ミサ用ろうそくは先週お納めしましたが、何か不都合でも?」

愛想よく話しかけるこの男がアロイスだろう。

「いやいや、ろうそくはどれも立派な品、一つとして傷や混ざり物もございませんよ。今日は参事会の推薦で口入れにうかがったのです」

「ほう!」

アロイスははたと手を打つと、営業スマイルを引っ込めて真剣な顔になった。

「いやありがたい、先日ちらりともらした愚痴を覚えていてくださいましたか。最近は裕福な市民の間で蜜蝋のろうそくがはやる様になりましてね。手伝いをなんとしても増やしたかったところで……するともしや、そちらの若いのが」

言いかけて店主の顔がかすかに引きつった。ヨルグやロルフが腰に吊った特徴的な様式の剣に目を留めたらしい。


「ああ、そちらのお嬢さんが仕事を探しておられましてね。事情があって参事会でお世話することになりまして」

オムデンの眼がきらり、と輝いて見えた。流石に都市の文化的センターを担う聖堂の一員だけあって、こういう些細なやり取りに刃を仕込むようなやり方はお手の物らしい。中々やるじゃあないか。参事会の関与をちらつかせることで、ザラを粗略に扱うことを回避させたわけである。

(俺だったら『聖堂のほうから来ました』程度が関の山だな)


「それはそれは。娘さん、うちの店で今欲しいのは洗濯係と店番の売り子だが、できるかね」

「うち、ザラいいます。家では洗濯は毎日うちがやってましてん。あと、ノルド語も少しできますよって」

「ああ、そりゃありがたい! デンマークのほうから来る客が増えて、私の片言ではもう間に合わんのです」

ザラの行く末はとりあえず安泰のようだ。その日のうちに奉公が決まり、彼女は当面、手狭になって使わなくなった小さな倉庫の二階に住むことになった。


「なあ、小父やんら。あの真鍮の燭台、うちにもらえやんかな」

「構わないけど、別にあんな安物でなくても」

みすぼらしくところどころに緑青の浮き出た燭台は、市場でも結局買い手がつかずにまだ俺たちの手にあった。

「ええんよ、安物とか関係あれへん。小父やんたちと一緒に旅した思い出に欲しいんよ。……それに、あの倉庫の二階ちょっと暗いでなあ」

おかしそうにそう付け足すと、ザラは手回りのわずかな荷物をとりに宿へ向かう足を速めた。


SNEG!SNEG!


それにしても毎回よくもまあもっともらしい展開を考え付くものだと自分にあきれる。ろうそく屋なんか前話UP時点では脳内に影も形もなかった。


9月27日 ろうそく店でのシーンを加筆しました。気づく人少なそうだなあw

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