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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

北海ヒッチハイクガイド

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船底はいつも濡れている

 
 ブレーメンの港は広い。ヴェーザー川の北東、通称「右岸」に沿って、東南東から西北西へと伸びる市街地に隣接した川岸のすべてが船着場だ。桟橋にはクナルやそれに近いタイプの櫂走可能な船が左舷をつけて接岸し、小回りの効かない大きな帆船は少し離れた水面に錨を打って停泊している。

 ザラを再びろうそく屋まで送った後、俺たちは便乗するための商船を探しに、この長さ1kmを超える冗長な港湾施設まで来ていた。

「この辺りの船は北方風のものだけかと思ってたが、そうでもないんだな」
周囲を見回しながら船を品定めして歩く。その中には時折、酷く場違いに見えるようなデザインの船もあった。
「天候さえよければ、船って奴は信じられないほど遠くまで移動できるからな。そら、あれはたぶんずっと南方から来た船だ」
「おお、なんだか明らかに毛色が違うな!」
 ロルフが指差した大型船は、幅広く丸みのある船体に二本のマストを立て、特徴的な三角帆を掲げていた。
「初めて見る型だ。速いのかな?」
 三角帆ラティーンセイルは逆風でもあまり速度を落とさずに走れる。断片的にそういう知識だけは持っていた。
「遅いだろうな」ロルフが答えた。
「見た感じ、はっきりした竜骨がない平底の船に見える。喫水も深い。積荷がたくさん載るのが取り柄なんだろう」
なるほど、いかにもな商船だ。
「ああいう船は怖いぞ。強い風を横から受けると、どんどん風下へ流されるんだ」

 ロルフは航海に出るようになってすぐの若い頃、目の前にあるような南方の平たく丸い船を洋上で襲った体験があるという。乗組員をあらかた斬り捨てて船を乗っ取り、手近な港へ持ち込もうとして、手ひどい失敗をしでかしたのだ。

「なれない船で操縦の勘所も分からなかった。ボートが積んであったから何とかそれで逃げ出せたが、せっかくの分捕り船は積荷を満載のまま、岸壁に頬擦りするように突っ込んでばらばらになったよ」
「うわあ……」

 ヴァイキングの航海はいつもいつも大成功と言うわけには行かないのだ。むしろ失敗のほうが多いくらいだろう。
「積荷はなんだったんだい、叔父貴」
「琥珀とか毛皮とか、北方の産物が多かったな、全部の積荷を改めたわけじゃないからはっきりとは分からんが」
「琥珀か――」
 そういえば、ヘーゼビューで楽器商人ムスタファと交わした約束があった。楽器に塗るニスの原料となる琥珀を、手に入れて来るという話だ。

「引き上げられないかな……どの辺りなんだ?」
思わずそんなことを口に出す。ロルフがあきれたような顔で俺を見て、一瞬あとにため息をついた。
「またそんな無茶を言い出す……フランクとイングランドの間の海峡でな、フランク側の、やたらとんがった岩があちこちに突き出た、白い岸壁だったよ。地名が分からんから説明しにくいな。ただ、水深がかなりありそうだった。マストが沈んでそのまま見えなくなったからな」
「ダメか。琥珀が手に入るかと思ったんだが」
「ここからじゃかなり遠いぞ」
「確か楽器商人と約束した、とかいう話だったか」
ヨルグがしたり顔で話に乗ってきた。
「琥珀はバルト海のだいぶ奥のほうの海岸で、嵐の翌朝なんかに見つかるとは聞くが」
「なんてこった、逆方向じゃないか」
 思わず頭を抱えた。余裕をもって2セット買って来たとはいえ、ナイロンや金属の弦に比べればガット弦の耐久力はかなり心細い。チューニングの問題もあって、できれば自力で調達できるようになりたいのだが――中々に前途多難だ。
「とにかく、まずは皆と合流しないとな。ボートのおかげでいくらか日数を稼げたが、それでももう、あれから六日ほどになる」

 ロルフにたしなめられて、俺もヨルグも商船探しに身を入れなおす。クナルが理想的なのだが、話を持ちかけてみた何隻かはどれもアンスヘイムと同じような、村ぐるみで結束の強い交易団だった。よそ者の俺たちはまるで相手にしてもらえない。
「よそ者を乗せるのは、奴隷として売り物にするときだけだ」
大体そのようなことを言われた。流石にそれは遠慮したい。

「これはどうもダメだな。北方人以外で探そう」
「めんどくせえなあ、もう」
 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら歩いていると、桟橋のほうから魚のきつい匂いが漂ってきた。
「うっぷ、何だこれ」
「ニシンの塩漬けの匂いだな、これは」
 流石に発酵する所までは行っていないようだが、魚の匂いがあまり好きではない人間にとってはこの生臭さは厳しいものがある。出所を探って辺りを見回すと、ちょうど風上に当たる位置の桟橋に、おびただしい数の樽を積み込み中の船があった。
 港に数多く停泊している、高い舷側を持つ商船のうちの一隻だ。外板の張り方はヴァイキング船と大差無いが、全体の形はずいぶん違う。

 積み込み中、と見えたその船は、しばらく見ていると奇妙な状況であると分かった。桟橋に樽が並んではいるが、そのそばに立ち尽くす髭面の男以外、誰もいないのだ。男は途方に暮れたような顔で並んだ樽を見ていたが、船の様子をうかがう俺たちに気づくと億劫そうに首を横に振りながら、俯き加減にこちらへ歩いてきた。

「何か用か?」
妙に深くてよく通る良い声で呼びかけてくる。
「ああ、事情があって、ドーレスタット辺りまで行く船を捜してるんだ」
「ほう」と髭面の男は目を細めた。
「この船はちょうど、ドーレスタットへ行く予定だったんだ。塩漬けニシンを運んでな」
「だった?」
淀みなく進む会話の成り行きに不安を覚えて、ロルフの腕を引っ張る。
(なあ。まさかこの船に乗り込もうってつもりじゃないよな?)
ロルフがちらりと視線をこちらに向ける。
(ん? もちろんそのつもりだが何かまずいのか)
(魚臭い。俺は嫌だ)
(いまさらなんだ、魚臭いくらい)あきれ返った表情で返された。
髭面の男がこちらを不思議そうに見ている。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもないよ」

「……だった、というのは何かというとな。頼んであった荷役作業の奴隷が来ないんだ。どうも集団で一斉に逃亡したらしい」
「そりゃあ大変だな」ロルフが大いに同情してみせる。

「どうだろう――」
「どうだろう」
同時に同じ言葉が口をついて出た。二人はお互いを凝視しながら噴出す。
「これはどうやら、お互いの求めるところがかみ合いそうだな」
(待てよおい! 塩漬けのニシンと一緒に船旅なんて、嫌だぞ俺は。コメットが魚臭くなる)
俺の小声ながら必死の抗議は、冷酷に無視された。
「本来六人でやるはずだった作業だから少々大変だが、手伝ってくれればドーレスタットまで乗せるし、一人1デナリウス支払おう。食事代だけは支払ってくれ、みんなの割り当てを削ることになるからな」
「願ってもないね。決まりだな」

「俺はヤン。この船の船長で、船主だ」
「俺はトマス、靴職人さ。ごらんの通り剣も少しは使える」
二人は旧知の友人同士のように、握手など交わし始めた。もうだめだ。ヨルグが励ますように後ろから肩を叩いた。

 幸い交易船の深い船倉へ下ろすことを考慮して、塩漬けの樽はかなり小さめに作ってあった。やっとのことで積み終わり、デナリウス銀貨を一枚づつ受け取った。いったんその場を離れた俺たちがフェーリングを抱えて戻ってくると、ヤン船長が眼をむいた。
「もちろん、船にそいつを乗せるのは何の問題もないんだが……たまげたな」
「こいつで流石に海には出られないが、大枚はたいたんで置いていくのも惜しくてね」
「まあそうだろうな。そこの、マストの後ろに載せといてくれ。固縛はできるか?」
「大丈夫だよ」

 宿へ戻って支払いを済ませ再び船着場に行くと、船には五人ほどの男たちがやってきていた。顔を見合わせ大声で話しながら、繋柱に結んだロープを解いたり、帆桁ヤードをクレーン代わりに使って水の樽や補修用の円材など、重量のあるものを積み込んだりしている。時々はじけたように笑い声が上がって、ヤン船長がそのたびに怒鳴りつけて作業に戻らせていた。
「何の話をしてるんだろう」
「ああ、あの船員たち、昨夜から今まで女郎屋に入り浸ってたらしい。『一日休暇なんか与えるんじゃなかった』だそうだ」
しまった、そういう施設があったとは。

「惜しいことをしたなあ。探してみるべきだったか」
冗談めかして言いながら、俺はその瞬間に自己嫌悪に陥っていた。イレーネのことを心に定め、ザラにも『その自分の気持ちを裏切らないように』といわれたのはほんの昨晩のことではなかったか。

 ロルフが笑いながら俺を小突いた。
「そうやって自分をことさらに卑しく見せるのは止せよ。あんたもう、イレーネさんに会うことで頭一杯だろう。女郎屋を探すくらいなら、この旅の間中、何度か別の機会があったはずだ。」
「……ザラさんのことか」
ヴェーザー河畔での野営の最中、ヤーデの不思議な漁火を見つめていた時に腕に感じた、彼女の体温を思い出す。

「ああ。あんたが色々と不自由だったり寂しい思いをしたりしてるのは分ってる。そういうことになった場合は俺もヨルグも見て見ぬ振りをするつもりだったよ」
そこまで言って、にわかにロルフが真顔になる。
「だが、あんたは結局何もしなかった。つまりはそういうことなんだろう」

「そうだな」
 世間では誤解している者が多いが、結局のところそれは脳に蓄積されるストレスの問題なのだ。耐えること自体は不可能ではない。爆発などしない。

――現に俺は耐えている。

「トールのそういうところは嫌いじゃないし、尊敬すらしているよ。イレーネさんとの再会が実りある楽しいものになるように祈ってるぞ」
「そりゃどうも。できればもう少し違うことで尊敬されたいけどな」
俺は苦笑しつつ、複雑な気持ちでため息をはきだすと、舷側に立てかけられた梯子に足をかけた。やれやれ。タイムスリップして千年前に来たからと言って、俺がゴミクズなのはあまり変わりがないようだ。尊敬など筋違いだ。

 キリスト教に改宗したはずのロルフが、未だに根本の部分では蛮族然としたメンタリティなのも、気づいてしまうと辛いものがあった。
 何かと人間の肉体を罪にまみれたものと蔑むキリスト教の倫理観よりは、おおらかに女を抱いてしかる後にその美しさと官能の味わいを褒め讃える、彼らヴァイキングの文化のほうが俺の好みには合う。
 だがその倫理観の付け焼刃振りをロルフに対して指摘はできなかった。改宗の動機をより利己的で世間的なものと見られている、と感じるかも知れないからだ。

 人間は完璧ではない。そのこと自体には罪はないが、それに無自覚でいつづける事は、俺の感覚では罪だと思える。そして、他人に指摘するかどうかはまた、さらに難しい問題だ。

「ちょうどよかった、そろそろ出航するぞ!」
俺たちに気がついたヤン船長が声をあげた。

 舫綱を解いてしばらく漂うに任せると、船は流れに押されて少しづつ行き足をつけ始めた。舵手が舵柄を掴み、大きく船尾方向へと引いた。
「面かぁーじ、一杯ぁい!」

 右舷にたって川岸を見ていたヨルグが俺たちを呼んだ。
「見ろよ、トール、叔父貴! あれ、ザラさんじゃないか?」
そちらを見渡すと、たしかに桟橋――俺たちが出発したのとは別の、見当違いな場所にザラがいた。きょろきょろと川面を睨んで何かを探す様子だった。宿の主人から、俺たちが出発したことを聞いて見送りに来たのだろう。

「こっちだ、ザラさん!」
呼びかけに気づいた彼女と、視線が合った。
「トールはん! ロルフ小父やん! ヨルグ兄やん!」
俺たちの名を一人分づつ叫んで手を振る。

「見送りに来てくれたのか、ありがとう! 元気でな!」
「ありがとう! うち忘れへんよ。いつか遊びにきてぇなあ!」
船と桟橋で俺たちは手を振り合う。ザラの笑顔がまぶしかった。

 俺たちの叫び声に、何事かと振り返った船員たちが、事情をどう誤解したのか酷く野卑な叫びを上げて俺たちをからかう様子だった。
(そんなんじゃねーよ、バーカ)

 これでよかったのだ。行きずりに路傍の花を踏みにじるような振る舞いをしなくて、本当によかった。それに、もし何かあった後だったら、俺はイレーネのことに関して今のような率直な気持ちになれなかっただろう。

 思えばさまざまな危機を含んだ、なんともきわどい旅路だった。


「ほんとにそこで寝るのか。風邪引くぞ」
「ここでいい」
 ヤン船長の商船は、ヴァイキング船とはずいぶん違っていた。舷側が高く、喫水が深い。だから野営のために浜に乗り上げるようなことは到底できない。夜間の航行を避ける場合はある程度静かな場所を探して錨を下ろし、そのまま朝まで停泊だった。船員たちはみなニシンの樽と一緒に船倉で寝る。
「旅暮らしが染み付いててね。空気の淀んだところに篭って寝るのは苦手なんだ」 
まさか、魚臭いのが嫌だ、とは面と向かって言えない。ロルフとヨルグも付き合って、船首の櫓の下で固まって寝てくれるようだった。実際、防寒さえしっかりしていれば、吹きさらしの甲板でさわやかな空気を呼吸しながら眠るのは悪いものじゃない。

 陸側から軟風が吹きつけ、船は錨索の周りをゆったりと振れ回る。俺は船長が貸してくれた毛布を肩まで引き上げて、そのまま星を見上げながら眠りに落ちた。


 翌朝も快晴だった。前日はヴェーザー川を下りきるまで北からの強い風に悩まされたが、洋上へ出ていったん進路を西へとってしまえば後は楽なものだ。砂州の多いワッデン海を避けて、数珠のように連なったフリースラント諸島の北側を快走する。
「結構速いな!」
 鈍重そうに見えた商船は、いまや北東からの理想的な風を受けて、素晴らしい速度で走っていた。
 手元が暇なのも良い。このタイプの船は操作が簡略化されているようで、船長以下六人の男手があれば、ほとんど何の問題もなく動かせるようなのだ。時々頼まれて転桁索ブレースを引く以外は俺たちの手を煩わせる仕事はなかった。

「しかしこれは、襲われたときが怖いな」
「ああ。舷側が高いから斬り込みは受けにくいだろうが、いったん乗り込まれたらひとたまりもないだろうな」

「おいおい、物騒な話をしてるなあ。だが安心してくれ。次の寄港地レーワルデンはフランク王国の軍がしっかり守ってるし、この風なら午後には到着だ」
船長が苦笑いしながら俺たちに航路の安全を請合ってくれる。

「それにな」とヤン船長は秘密めかして小声で俺達に明かした。
「ウェセックスの戦艦、アッシュダウン号が海上警備に出てくれてる。つい先日もノースの海賊船を拿捕してくれたって言うんで、この辺りの商船は胸をなでおろしてるところさ」

ロルフとヨルグの顔が、さっと青ざめた。
  作中登場したヤン船長の船は、ハンザ同盟の船として有名なコグ船の前身です。……こうした船の存在については裏付ける考古学的資料がないのですが、コグがその名前で資料に現れるのが948年のネーデルラント地方、一方スウェーデンの交易都市、ビルカの付近には、明らかにコグを語源とする港の名前「クグハム(コグが着く場所、というくらいの意味か)」が残っています。ビルカが衰退して姿を消すのが980年頃です。
 まさかコグほどの特徴的なデザインの船が突然出現したとも考えにくいし、わずか40年ほどの間に地名になるかというのもちょっと怪しい。というわけで、まだ船尾舵を持たず、完成されていない過渡期の「前コグ(プロトコグ)」とでも言うべきものが存在したはず、という考察の元に強引に出しています。

 大体あってるんじゃないかな。例によって歴史家には怒られそうだけどさ。
 さて、どうやら戦艦アッシュダウンを再登場させられそうな気配。アンスヘイムの男たちは大変なことになっているようです。

次回もお楽しみに。
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