第七話 日常
『ニュース見た? 拓真の家の近くの神社だよね。大丈夫?』
画面には、そう表示されていた。
続けて、もう一通。
『あの猫も心配だから。見かけたら教えてね』
拓真の指が止まった。あの猫は、もういない。
自分が、この手で――。
何度も文字を打っては消し、拓真は結局、短い一言だけを送った。
『わかった。きっとあの猫は、大丈夫だと思う』
嘘だった。
修吾に嘘をついたのは、いつ以来だろうか。
そしてすぐに既読がつき、返信が届く。
『明日、拓真バイトでしょ? 終わったら会えないかな? 色々な話も、ちゃんと聞きたいし』
少し迷ってから、拓真は「わかった」とだけ返した。
「なんだよ、友達か?」
床に座ったままのガウルが、つまらなそうに言った。
「ああ。小学校からの親友」
「そうか。なるほどな」
あまり興味がなさそうに返事をするガウル。
拓真はスマホを置き、天井を見つめた。
「……あのさ、ガウル。俺、実家に帰るつもりだったんだ」
「あ? 勝手にしろ」
即答だった。
「お前がどこに行こうが、俺はついていくしかねえ」
ガウルはテレビを見て、目を細める。
「星衛軍はどこにだっている。片っ端からぶっ潰すだけだ」
拓真は息を呑んだ。
山間部や、人里離れた田舎。半年前から続く事件の多くは、そういう場所で起きていた。
拓真の地元も、まさにそういう町だった。
「帰ったところで、何かが変わるとでも思ってんのか?」
ガウルに吐き捨てる様に言われて、拓真は帰る場所が急に遠くなった気がした。
――翌日。
拓真は、軋む身体を引きずるようにしてバイト先へ向かった。
筋肉痛はまだ抜けていない。
レジに立っているだけで、ふくらはぎが悲鳴を上げている。
「おい日向。またボーッとしてんのか」
背後から、聞き慣れた声が飛んできた。
低く、粘つくような店長の声だ。
「す、すみません」
「すみませんじゃねえよ。おとといは連絡もなしに休みやがって、出てきたと思ったらそれか? やる気ないなら来なくていい」
客にも聞こえるほどの声だった。
拓真は俯いたまま、唇を噛む。
そんな拓真を見ていたガウルが、口を開く。
「おい拓真! 言い返せ!」
隣で、ガウルが苛立たしげに言った。
「あんな奴、一発ぶん殴りゃ黙るだろうが!」
拓真は、小さく首を横に振った。
それができるなら、とっくにしている。
「……ちっ。ビビりやがって」
舌打ちしたガウルが、そっぽを向く。
店長が去っていくと、入れ替わるように誰かが拓真の隣に立った。
「ちょっと日向くん、大丈夫? 顔色悪いよ?」
柔らかい声だった。
黒髪を後ろでひとつに結んだ、穏やかな顔立ちの女性。
寺内空。拓真よりひとつ年上の、バイトの先輩だ。
「あ、寺内さん……大丈夫です」
「この前も休んでたし、体調悪いなら無理しないでね。品出し、私が代わろうか?」
「い、いえ。本当に平気なんで」
寺内は、拓真が働き始めた頃から何かと気にかけてくれていた。
仕事の手順を何度でも教えてくれて、ミスをしても責めずにフォローしてくれる。
この店で、拓真がまともに話せる唯一の相手だった。
それを見ていたガウルが拓真に問いかける。
「誰だ、この女」
「……バイトの先輩。いい人だよ」
寺内が離れたのを確かめてから小声で答えると、ガウルは「ふん」とだけ言って、その背中を眺めていた。
――閉店作業の時間になり、拓真はバックヤードで段ボールを片付けていた。
少し離れた場所では、寺内が棚の上の飲料ケースに手を伸ばしている。
その頭上で、高く積まれた段ボールがぐらりと傾いた。
「寺内さん!」
声より先に、身体が動いていた。
気づいた時には、拓真は空と段ボールの間に滑り込み、崩れ落ちてきた箱を両腕で受け止めていた。
ずしりとした重みが、腕にのしかかる。
数メートルは離れていたはずだ。
それなのに、間に合った。
「ひ、日向くん……?」
寺内が、目を丸くして拓真を見上げていた。
「……だ、大丈夫ですか?」
「う、うん。私は平気。それより日向くんこそ、腕……」
「平気です。これくらい」
箱を床に下ろすと、寺内はほっとしたように胸に手を当てた。
そして、柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがとう。日向くん、すごいね。」
すごい。
その言葉に、拓真は何も返せなかった。
誰かにそう言われたのは、いつ以来だろう。
ふと、修吾から電話越しに言われた言葉が頭をよぎる。
――拓真はさ、自分で思ってるよりずっとすごいよ。
「い、いえ……」
ようやくそれだけ絞り出して、拓真は俯いた。
他の閉店作業へと向かう寺内を見送ってから、拓真は隣に目を向ける。
「ガウル。今の、ありがとな」
しかしガウルは、腕を組んだまま眉をひそめていた。
「あ? ……今のは俺じゃねえぞ」
「え?」
「俺は何もしてねえ。お前の身体が、勝手に動いたんだ」
拓真は、自分の手のひらを見下ろした。
腕にはまだ、あの箱の重みが残っていた。




