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第三話 頭の中の同居人

「やっと起きたかよ」


 ぶっきらぼうな声が、すぐ近くで聞こえた。

 拓真はゆっくりと瞼を持ち上げる。

 見慣れた天井。カーテンの隙間から差し込む、朝の光。

 よくあるアパートの小さな部屋。

 そこは間違いなく、拓真の部屋だった。


「……え?」


 上半身を起こしてみると、服は昨日のままだった。

 マフラーさえも首に巻いたままだ。

 どうやって帰ってきたのか、拓真にはまるで覚えがない。


「おい、無視すんじゃねえ」


 再び、あの声が聞こえてきた。

 拓真は反射的に顔を上げ――そして、凍りついた。


 ベッドの脇に、見知らぬ男が立っていた。

 歳は拓真と同じくらいに見える。

 鋭い目つきに、金色の髪。腕を組んで、心底面倒くさそうに拓真を見下ろしている。


「うわああああっ!?」


 拓真は悲鳴を上げて起き上がり、壁際まで後ずさった。


「だ、誰ですか!? 強盗!? け……警察!」


「誰が強盗だ。こんなクソみたいな部屋で何を盗れってんだよ」


「ク、クソって……」


 言い返す言葉も見つからず、どもってしまう。

 そこで拓真は、ふと気づいた。

 男の声は耳から聞こえているのではなく、頭の内側に直接響いてくることに。


「これ、なに?」


 その瞬間、昨夜の記憶が一気に蘇った。

 神社。キジトラ。夜空に浮かんだ、ひときわ明るい星。

 そして、拓真の頭を真正面から貫いた、あの光――。


 拓真は慌てて自分の額に手を当てた。

 傷はない。血もついていない。痛みすらない。

 それどころか、身体が妙に軽かった。

 ここ数か月、朝起きるたびに鉛のようにのしかかっていた重さが、嘘のように消えている。


「俺……死んだはずじゃ?」


「死んでねえよ。少し気を失ってただけだ」


 男は呆れたようにため息をついた。


「ったく、ここまでてめえを運んでやったのは誰だと思ってんだ。感謝しろよ」


「運んだ……?」


「正確にはお前の身体を俺が動かしたってわけだ」


「……な、何言ってんの?」


 拓真には意味が分からなかった。何ひとつ理解できない。

 夢なら早く覚めてほしいと、本気で思った。


「は、ははは……目が覚めたら知らない男がいて、声は頭の中から聞こえてきて……?」


 信じられないこの状況に、拓真は思わず笑ってしまった。


「いいか? 俺だってな、こんなはずじゃなかったんだよ」


「え?」


「お前があの場所にいたことが、俺にとっては最悪だったんだよ。クソが」


 男はそう言うと、舌打ちした。


「説明は後だ。とにかく時間がねえ」


 表情から、ふっと軽さが消える。


「早く外に出ろ」


「そ、外って……なんで」


「いいから出ろっつってんだ!」


 有無を言わさぬ声に気圧されて、拓真は思わず身をすくめた。


「か、顔くらいは洗わせてくれって……」


「一分だけ待つ」


 そう言われて、すぐに洗面台で顔を洗う拓真。

 なぜ言われるがままに従っているのか、拓真自身にも分からなかった。

 ただ、男の声に滲んでいた焦りだけは嘘ではないように思えた。


「お、お待たせ」


「よし」 


 玄関のドアを開けると、冷たい朝の空気が頬を刺した。

 一歩、外へ踏み出した――その時。


「うっ……!?」


 突然、頭の奥を鈍器で殴られたような激痛が走った。

 目の前の景色がぐにゃりと曲がり、拓真はたまらずドアノブにしがみつく。

 ズキン、ズキン、と。

 まるで何かを知らせるように、痛みは一定の間隔で脈を打つ。


「こ……これ……なにが」


「……やっぱりな。近くにいやがる」


 男の声が、低く唸るように響いた。

 辺りを見渡した後、男の視線はある一点で止まった。


「神社だ。急げ」


 神社。

 その言葉に、拓真の胸がざわついた。

 あの猫の身が、案じられたのだ。


「神社に、何が……?」


「喋ると痛むぞ。とにかく急げ」


 痛む頭を押さえながら、拓真はふらつく足で歩き出した。

 神社に近づくにつれて痛みはどんどん強くなっていく。

 まるで、行ってはいけないと身体が叫んでいるようだった。


 少し歩いたところで、神社の鳥居が見えてくる。

 早朝の神社は、しんと静まり返っていた。

 鳥の声ひとつ聞こえず、それがかえって、境内の不気味さを際立たせていた。

 石段を上りきったところで、拓真は見慣れた姿を見つけた。


「あ……」


 拝殿の前に、あのキジトラが座っていた。

 無事だったのだとほっと息をつきかけた拓真。

 だが、何かがおかしかった。


 猫の足元にスーツ姿の男性が倒れている。

 その背中は、獣の爪で引き裂かれたように、ずたずたに裂けていた。


「う、うわああああ!」


 石畳に広がった赤黒い染みが、朝日を受けて鈍く光っている。

 誰が見ても、その男が死んでいるのは一目瞭然だった。

 拓真の頭痛は更に激しさを増していく。


「ど、どうなってんだよ……」


 キジトラが、ゆっくりと拓真の方へと歩み寄ってくる。

 昨夜まで彼の足元で喉を鳴らしていた、あの丸い瞳。

 その瞳が獲物を見つけた獣のように、鋭く光った。

 そして――。


 ゴキリ、と。

 嫌な音が猫の方から聞こえてきた。

 猫の小さな身体が、内側から膨れ上がるように歪んでいく。

 骨の軋む音。肉の裂ける音。

 手足がみるみる伸び、背骨は反り返り、地を這っていたはずの身体が二本の脚で立ち上がる。


「あ、あああ……」


 数秒後。

 そこに立っていたのは、人間の身体に猫の頭を乗せたような、異形の化け物だった。


「これ……やっぱり……夢だって」


「この野郎、猫に化けてやがったか……星衛軍が」


 男の声が拓真の頭の中で響く。

 せいえいぐん――拓真が聞いたこともない言葉だった。

 しかし今の拓真には、その意味を問い返す余裕などなかった。


 化け物の口角が、裂けるように吊り上がった。

 笑っているのだと拓真が理解した瞬間、化け物の姿が掻き消えた。

 

 だが実際には、消えたのではなかった。

 化け物は地面を蹴って、一瞬で拓真との距離を詰めてきたのだ。


「う、うわっ!」


 振りかぶられた右腕の先で、刃物のように鋭い爪が光る。


「何してんだ! 右に飛べ!」


 頭の中で、男の声が弾けた。

 考えるより先に、身体が動いていた。

 拓真は右方向へ跳ぶように身を投げ出す。

 直後、さっきまで拓真の身体があった場所を、鋭い爪が切り裂いていた。

 

 拓真は反動でゴロゴロと転がり、荒い息のまま顔を上げた。

 心臓が破裂しそうなほど暴れている。


「え……避けた?」


 拓真自身、信じられなかった。

 何かを判断する暇などなかった。ただ、身体が勝手に反応していたのだ。

 昨夜、車道に飛び出した男の子を引き戻した時と、同じように。


「おい……今の、なんだよ」


 なにより驚いていたのは、拓真に指示を出した男だった。


「なんだよって言われても!」


「ちげぇって……その速さは」


 そこまで言うと、男は我に返ったように声を荒げた。


「いや、この話は後だ。立て!」


 化け物はゆっくりと拓真の方へ向き直り、ジリジリと距離を詰めている。


「悪い夢なら早く覚めてくれ……」


 拓真は震える足で立ち上がり――化け物と対峙した。

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