1-4②
レンガ造りの見張り台に守られた邸は、想像以上に立派な造りだ。エリシュカは家名を聞いてもどんな家なのかわからないが、力のある貴族なのかも知れない。そう思うと足を踏み入れることに気後れする。
「ようこそ、イェリーネク家へ」
ルカが芝居がかった礼をして、エリシュカを招き入れた。
「ルカ、帰ったのか」
「おかえりなさい、ルカ。いつもの顔ぶれだけじゃないのね」
壮年の男女がゆっくりホールにやってきた。母親と思しき女がルカの頬に手を添えると、彼は腰を落として額を差し出す。軽く口付けを受けると、次は父親であろう男と向かい合った。一つ頷いた父親が、ルカの肩に手を乗せる。ルカはその手を軽く二度叩いて同じように頷いた。エリシュカはその光景に釘付けになり、固まったまま一歩も動けない。
「お邪魔します。おじさま、おばさま」
「お二方とも、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
カーヤとオルダ、マテスが順に挨拶を交わす。
「彼女は、リシュカ」
ルカが伸ばした手に、エリシュカは躊躇いがちに指先を添えて、重い足を一歩前に出した。頷いた婦人が柔らかな笑みを浮かべた。
「ようこそ、イェリーネク家へ」
「初めまして。エリシュカ・ヴラノヴァーと申します。突然お邪魔いたしまして、ご無礼いたします」
しっかり腰を落としたエリシュカに、ホールの面々がほうと息を吐く。どう見ても粗末な庶民の服を纏っているが、幼い頃母から教えられ身体に染み付いたものは役に立ったようだ。
「そんな風にかしこまらずともよろしくてよ。さあ、旅の汚れを落として、食事に致しましょう」
夫人の声と同時に使用人に促されたエリシュカは、カーヤと共に豪華な部屋へ案内された。中では湯浴みの準備が整っており、それが終われば一度も着たことのないような豪華なドレスが準備されている。
エリシュカは戸惑いながらも流されるままに着替えてしまい、鏡の前でぱちぱちと目を瞬いた。年相応な可愛らしさと上品さを兼ね備えたドレスは、夫人の見立てだろうか。くるりと回って振り向くと、ドレスの裾が優雅に揺れる。
「リシュカ、とっても綺麗だね。よく似合ってるよ」
突然響いた声に肩が跳ねる。視線を向けると、そこには男装のカーヤが立っていた。
「カーヤ、ありがとう」
目を細めたカーヤが、エリシュカを見つめて呟いた。
「……私がそんなドレスを着ることは、もう二度とないんだろうな」
一瞬影が差したように見えた瞳は、次の瞬間にはもう普段通りだ。エリシュカはカーヤに掛ける言葉が見つからず、一人浮かれていた自分に居心地の悪さを覚えた。
「さあ、リシュカ。ルカたちがまってるよ。君のそんな姿を見たら、きっと驚いて何も言えなくなるに違いないね」
差し出された手に指先を重ねたエリシュカは、気の利かない自分をもどかしく思う。使用人に先導されカーヤに手を引かれ、結局何の言葉も思い浮かばぬまま、食堂へと辿り着いてしまった。
ゆっくり開かれた扉の奥にいた三人は、エリシュカに視線を合わせた。カーヤの言うとおり、誰も口を開かず一瞬の静寂が部屋に広がった。かと思えば突然、ぴゅーっと軽快な口笛の音が鳴り響く。戯けたように笑みを浮かべたマテスが、一番に口を開いた。
「予想はしてたけど、思った以上だね」
「靴墨よりもよほど似合うな」
腕を組んで頷くオルダの褒め言葉なのかわからない感想に、エリシュカは苦笑を浮かべた。
「ねえ、君たちはそんなことしか言えないの? まったく女性の扱いがなってないね」
腰に手を当てたカーヤが、呆れたように天を仰いだ。
「おいルカ、何か言ったらどうだ?」
マテスに肩を叩かれたルカは、虚を突かれたような表情を浮かべ、すぐに視線を彷徨わせた。
「ああ、すごく……似合ってると思う」
首を傾げて「ありがとう」と答えたエリシュカに、カーヤが耳元で「ルカは照れてるだけだから、気にしないで」と囁いた。
「さあ、リシュカはこっちに座って。おじさんとおばさんは来ないから、僕らだけで気楽に楽しもうぜ」
マテスがエリシュカのための椅子を引き、座るように促す。カーヤに手を引かれたエリシュカは、勧められるがままに腰掛けた。
使用人が運んできた飲み物や料理を堪能しながら、大分打ち解けた四人と話が弾む。
「ところでリシュカ、叔父さんの家にいって何をするつもりなの?」
カーヤの何気ない質問に、エリシュカは一瞬口を閉ざした。どこから何を説明すればいいのか少しの間逡巡する。ヴラノヴァー家が魔女の家であることは、今では一部の貴族しか気に掛けていないと聞いている。それならわざわざ説明する必要もないだろう。魔女の家だなんて言えば、せっかく打ち解けてきた彼らと距離ができてしまいそうだ。
「母の遺言で、十六になったら産まれた土地で洗礼を受けるように言われてるの。一度目は、灰色のみすぼらしい魔力でがっかりされたけれど。もう一度洗礼を受ける意味は、私にもわからなくて。父は頼りにならないし、母が亡くなってすぐきた義理の母には相談できないから」
食堂がシンと静まり返る。エリシュカが部屋に一歩足を踏み入れたときとはまるで反対に、気まずい空気が流れた。
「ごめん、変なこと聞いて」
眉を下げたカーヤが、エリシュカに労るような視線を送る。
「いいのよ、もう六年も前の話だもの。なんてことないわ」
ふわりと笑うエリシュカに、ふっと全員が肩の力を抜いた。けれど、エリシュカの胸の奥は何だかじくじくと疼く。ホールで見た親子の眩しい光景が頭を過ぎり、ルカの顔を見ることができない。
「二度も洗礼を受けるなんてリシュカは大変だね。僕は二度と受けたくないや」
「どうして?」
軽い調子で口を開いたマテスに、エリシュカが首を傾げた。
「僕は十四で洗礼を受けたんだけどさ、やり方を聞いてなかったから聖水を飲んじゃってさ」
エリシュカは口に手を当て、目を見開いた。他の三人は既に知っていたようで、呆れたようにマテスを眺めている。
「思わず、『何だよこのクッソまずい水!』って叫んだら、親父から思い切り頭にゲンコツを食らって酷い目にあった」
「聖水を飲むなんて前代未聞だろうな」
「そもそも聖水を飲むって発想がわからない」
「マテスらしいけどね」
オルダは神妙に頷き、ルカは肩を竦めた。カーヤは小さく笑みを浮かべ、エリシュカは思わず声を立てて笑った。
和やかに夕食を終えると、ルカがエリシュカに手を差し出した。
「リシュカに見せたいものがあるんだけど、一緒にきてくれる?」
「見せたいもの? なにかしら」
「それはまだ秘密」
唇の前に人差し指を立てたルカは、いたずらを思いついたような笑みを浮かべている。その愉しげな様子に、エリシュカの心臓がとくとくと鳴り響く。
「行こう」
手を引かれて廊下を進むと、日の暮れた空の下へ踏み出した。小さく身震いすると、肩にそっと掛けられたのはぶかぶかの上着だ。
「あの、ありがとう」
熱の集まる頬は、この暗さではルカには見えないだろう。片手で上着の前身頃をぎゅっと握り締め、足元に視線を落とした。
「ちょっと待ってて」
そう言ったルカが走り去り、触れていた指先がすっと冷たさを帯びる。しばらくして戻ってきたルカは、馬を引きながら片手に台を持っていた。
「この台に登って」
首を傾げたエリシュカは、手を借りてゆっくり台に登った。それを確認したルカは、「よし」と頷き馬に跨った。
「引き上げるから、じっとしてて」
「え?」
驚くエリシュカを他所に、ルカがあっという間にエリシュカを引き上げた。
「相乗りはもう慣れただろう?」
返事をする間もなく、ルカが馬を歩かせる。驚いたエリシュカはルカの腕をぎゅっと握るが、その硬さに思わず肩を揺らした。腰に回された手も、何もかもがカーヤの柔らかさとはまるで違う。なぜ始めからカーヤが女だと気付かなかったのか、今となっては信じられないような気分だ。
共に無言のまましばらく馬を進め、辿り着いたのは何もない丘だ。
「リシュカ、空を見て」
エリシュカが顔を上げると、そこには満天の星が輝いている。
「綺麗」
思わず呟いた声に、ルカが小さく頷いた。
「僕の家は、王家から星読の命を授かってるんだ」
エリシュカはふとこの邸に到着したときに見た、レンガ造りの棟を思い出す。見張りのための棟にしては屋根もなく、てっぺんが開けていた。もしかしたらあれは、星を観るためのものなのかもしれない。
「来月の終わり頃、流星群が見られるんだ」
「そんなこと、私に話していいの?」
「本当はだめだけど」
ルカは視線を逸らして言い淀む。
「そのとき、またここに一緒にこよう」
「え?」
「沢山星が流れて、圧倒される。いろんなことがどうでもよくなるくらいに、本当にきれいなんだ。だから……」
ああ、そうか。なんでもない風を装っていたけれど、エリシュカの胸に刺さったトゲはチクチクと痛んでいた。ルカはきっとそれに気付いていたに違いない。
「ありがとう。きっと連れてきてね」
「うん」
ふふっと声を立てて星を見つめるエリシュカを、ルカは黙って見下ろした。エリシュカの顔を覗き込んだルカが一瞬息を呑んだような気がして、視線を戻すと思いの外近くに顔がある。
「ル、ルカっ! 星を見ないの?」
目を見開いたルカは、すぐにふっと小さく息を吐いた。
「ああ、星なら見てる」
口元を引き上げたルカは、答えたあとに空の星へ視線を移した。その瞳に映る星の光を見上げながら、エリシュカはふと母の言葉を思い出す。
『リシュカの瞳には星が輝いているわ』
あの夜も満天の星空だったような気がする。
再び夜空を見上げたエリシュカの心から、小さなトゲは抜けていた。けれど、疼くような痛みは奥底にくすぶっていた。




