5-8②
「僕がリシュカを助けるのは……君のためでもあるけどルカのためでもある」
そう言って少しだけ遠い目をしたあと、不思議そうな顔をしたエリシュカに向かって柔らかな笑みを浮かべた。
「僕はルカに感謝してるんだ。他の二人もそうだけどさ。僕らみたいなはみ出し者を好き好んで使う人間はそういない。カーヤに対する風当たりは強いし、オルダは融通の利かない筋肉バカだし。僕は薄気味悪くて得体の知れない情報屋だ。だけど、ルカは僕らのことを本当の仲間として扱ってくれた」
内容は卑屈そうに聞こえるが、それとは裏腹にマテスの表情は晴れやかだ。前回のマテスが死ぬ前の夜、ルカのことを語っていたのとはまるで違う。やはりあれはエリシュカを試すための芝居だったのだと、今なら心からそう思えた。
「僕は仲間として信頼してくれたルカのために、どの依頼だってちゃんと裏を取ってきた。バカみたいな失敗なんかさせられないからな。それに、情報屋なんて本来は表の仕事なんてやるもんじゃないのにさ」
一度言葉を切ったマテスが、何かを思い出すように目を細めた。
「ルカは僕を、ただの便利な情報屋として仲間に入れたわけじゃない。これから先もずっと、僕のことも表の世界に置いてくれるつもりなんだ」
じっと見つめる視線に気付いたマテスは、気まずそうに頭を掻いてそっぽを向いた。
カーヤが、マテスはルカのことが好きだから、と言っていたことを思い出す。あのときカーヤとオルダを裏切るならわかるけど、なんて言っていたけれど。きっとマテスは誰のことも裏切ったりしないのだろう。
「リシュカは僕のことを、気味が悪いって思わないか?」
「え?」
突然の問いかけに目を瞬いたエリシュカは、少しの間考え込んだ。旅の間に、マテスは随分勘が鋭いと思ったことはある。エリシュカのちょっと零した言葉を拾って、射抜くような視線を向けられたこともあった。そう言えばさっきだって、マテスが無茶をしないか心配が過ったことにもすぐに気付いた。オルダなら当然気付きそうもないが、ルカやカーヤですらここまですぐに気が回るかといえば、そうではないだろう。
「よく気がつくなって思うことは何度もあったけど……気味が悪いってどういうこと?」
眉を寄せたエリシュカに、マテスは決まり悪そうに苦笑いをした。「余計なこと言ったかな」と呟いてから逡巡していたが、やがて大きく息を吐いた。
「リシュカは僕のこと、どんなやつだと思ってる?」
またよく分からないことを聞かれて戸惑うが、きっと何か意味があるのだろう。顎に拳を当て、しばらくの間今までの死に戻りで共にすごした四ヶ月分のマテスを思い起こした。
「食いしん坊で、お調子者で……だけど、空気が重くなったらわざと戯けて和ませてくれる人、かしら」
「ええっ? リシュカって僕のことそんな風に思ってたの? 参ったな」
頭を抱えたマテスは、心底恥ずかしそうに下を向いた。そのまましゃがみ込むと、唸り声を上げ始める。意外な反応だと思いながら見下ろしていると、耳の先が赤くなっているのが見えた。けれど、そこまで照れるようなことなのだろうかと首を傾げる。
「はあ。リシュカにとっては四ヶ月分の僕を知ってるわけだからな。だけど、僕からしたらまだまともに話すようになってから日が浅いのに、そんな風に言われるとなんだかおかしな気分だ」
「ふふっ。それはそうよ」
くしゃくしゃと両手で頭を掻き混ぜたマテスは、振り切るように首を横に振った。一度深くため息を吐くと、気を取り直すように立ち上がった。
「僕って昔からやけに勘が鋭くてさ。特に大人たちからは気味悪がられてたんだ。だから、わざとお調子者を装って、何か余計なことを言っても誤魔化せるようにしてるってわけ」
肩をすくめたマテスに、エリシュカは目を瞬いた。その時ふと頭をよぎったのは、前回のマテスだ。
ルカや皆を裏切れと言われたときは、いつもと違う冷たさを感じた。確かにあれはマテスの一面なのかもしれない。けれど、冷めた目だと思ったものは、本当にそうだったのだろうか。思い起こしてみると、いつもがお調子者の明るいマテスだからそう感じただけだとも思える。しかもエリシュカを試そうとしていたのなら、なおさらだ。
目の前に立つマテスをじっと見つめると、眉を顰めて途端に嫌そうな顔をした。
「どうしてそんな顔をするの?」
「リシュカってばいちいち真っ直ぐ過ぎるんだよ。普通こんな事を言ったら、やっぱり気持ち悪いって顔をするか、可哀想って同情するもんだろ」
「そうかしら」
真剣な顔で悩み始めたエリシュカに、マテスは目を瞬いてからぷっと噴き出した。
「あはははっ。リシュカはやっぱり普通じゃない」
「何よそれっ。仕方ないじゃない、私は貴族の常識なんてあまり知らないんだから」
「いや、そういう意味じゃないよ。ははっ」
ひとしきり笑い終えたマテスが、目尻の涙を拭った。
確かにマテスは、死に戻りを隠していたエリシュカに、旅の間何度も鋭い視線を投げかけてきた。なんとなく探られているように思えたこともあった。けれどあれも全部、勘のよさから来るものだったのかも知れない。
エリシュカは疑心暗鬼になっていたから怖いと思っていたが、気味が悪いとまでは思わなかった。でもそれは、エリシュカがもう何度もマテスと時間を共にしていたからだ。初対面で同じように探られていたら、違ったのではないだろうか。
「なんかあんまり腑に落ちないって顔してるよな?」
「そうかしら? ……そうかも」
「なるほどね。初対面で色々言い当てられたら、自分だって気味が悪いと思うかも知れない、とかそんなとこだろ?」
肩をすくめたマテスに、エリシュカは唸り声を上げた。
「まあ、僕にとってはどっちでもいいよ」
「どうして?」
「だって、今のリシュカが違うから。もし前のリシュカがそうだったとして、僕はそのリシュカを知らない。今目の前にいるリシュカがそうじゃないなら、僕にとってはそれが全てだ」
その言葉に、嬉しさが込み上げるとともに、どこか小骨の刺さったような引っかかりも覚えた。何がどうと問われても、すぐに答えられるものでもないのだが。なんとなくスッキリしない気分が顔に出ていたのか、マテスが唇を尖らせた。
「なんだよ、僕今すっごくいいこと言ったのに。こういうときって、『ありがとう、マテス! 素敵っ』とか言って、頬でも染めちゃうもんじゃないの?」
「あははっ、なによそれっ!」
思い切り笑い飛ばしたエリシュカに、マテスは肩をすくめて「チェッ」とか、「別にいいけど」などと言っている。
「マテスってときどきおかしなことを言ったりしたりするわよね」
「なにそれ?」
眉を寄せたマテスに、エリシュカは声を立てて笑った。
「洗礼式の話よ。覚えてるでしょう?」
「えっ」と一言答えたマテスが、今まで見たことの無いような顔で動きを止めた。エリシュカは首を傾げて、少しの間考えてから口を開いた。
「なにかおかしなことを言ったかしら?」
慌てたように視線を彷徨わせたマテスが「いや、まさかね」と呟いた。探るような目で見上げると、作り笑いで返される。
「ねえ、どうしたの? ちゃんと教えて」
「あー、いや……本当にたいしたことじゃないから」
「聖水を飲んだことが大したことじゃないの?」
息を呑んだマテスが、いつになく真剣な表情でエリシュカをじっと見つめた。ごくりと喉を鳴らしてから、「覚えてるのか?」と言った声は少しだけ掠れている。
「ええ、一度目から何度も聞いたもの」
はっとしたように目を見開いたマテスは、すぐに「あはは」と乾いた笑い声を上げた。
「ああ、そうか。そういこうことだったのか。あははっ、やられたな」
いつも何でも軽く流してしまうマテスにしては珍しく――いや、こんな風に動揺するのは初めてだ。今夜のマテスは、死に戻りを繰り返す中ですら、一度も見せたことのない表情を見せる。そのことに気付いて、エリシュカの気分もなんだか落ち着かなくなってきた。
「ねえ、私……なにか変なことを聞いた?」
マテスは諦めたような笑みを浮かべて、しかし言い出しづらそうにしながら口を開いた。
「僕が洗礼式に行ったのは、十四のときだ。あの日洗礼を受けたのは、十数人くらいかな。僕の前に洗礼を受けてたのは、ある姉妹だった。妹のほうが先で、特に珍しくもない……薄桃色の魔力だった」
頷きながら、エリシュカは自分の洗礼式を思い出す。似たような話もあるのだなと思いながら聞いていると、マテスはさらに続けた。
「次に姉のほうが指を浸すと……淡い灰色の弱い光だった」
「えっ?」と呟いたエリシュカは、マテスの顔をまじまじと眺めた。そう言えばマテスは今いくつだっただろうか。何度目かの出会いで確か聞いたはずだ。
『あれは十四のときだ』
そう、この会話は二度目の旅でのことだ。聖水を飲んだときの話をしようとしたマテスに、エリシュカがなんとなく年齢を尋ねた。あのときマテスは確か、こう答えた。
『え? ああ、僕は今年十七さ。ついでに、カーヤとルカは二人とも十八で、オルダは一番年寄りの十九だよ』
マテスはエリシュカより一つ上の十七歳。そして、エリシュカが洗礼を受けたのは十三のときで――。
「僕が聖水を飲んだのは……その後だ」
つまり、マテスが聖水を飲んだのは、エリシュカの洗礼の後だったということだ。
「ちなみに、その姉妹は僕の騒動の前に教会の扉から出ていって、見てなかったみたいだけどね」
マテスは戯けたように、肩をすくめて口をへの字にした。
「それってもしかして」
言葉を止めたエリシュカは、喉まで出掛かったものを飲み込んだ。
あの日マテスは、ヴラノヴァー家の様子を見ていた。そして、エリシュカがどんな風だったのかも。教会のあの気まずい空気も知っていたということだ。
エリシュカは死に戻ると、旅の目的と共に決まって亡くなった母のことやあの洗礼式の話を繰り返した。そして空気が重苦しくなると、必ずマテスが聖水を飲んだ話をした。それはきっと、あの日聖水を飲んだのと同じ理由なのだろう。勘が鋭くてお調子者のマテスは、そうやって何度もエリシュカを助けてくれたということだろうか。
けれど、その真意を聞いていいのかどうかわからない。なんとなく気まずくなりそうな気がして、喉の奥に詰まったものを持て余して眉を下げた。するとマテスが笑みを浮かべて、小さく首を横に振る。
「さて。昔話はこの辺にして、僕はそろそろ退散するよ。なんだか色々と口が滑ったな」
軽い調子でそう言ったマテスは、エリシュカから受け取った封筒に書類をしまった。そのままズボンの後ろに差し込むと、あっという間に窓枠に足をかけて飛び出した。
エリシュカが叫び声を上げる間もなく、カサリと小さな葉擦れの音を立ててすぐにその姿が見えなくなった。
慌てて窓に駆け寄り下を覗き込むと、おでこにコツンと何かが当たる。「ひゃっ」と声を上げて窓から離れると、床には小さな石が落ちていた。きっとマテスが投げたのだろう。怒ればいいのか無事に降りたと安心すればいいのか分からずに、渋い顔でもう一度下を覗き込んだ。しかしまた小石が飛んできそうな気がして、慌てて窓を閉めた。
分厚いカーテンを引きながら、ほっと息を吐いた。マテスとこんなに話したのは初めてだ。あんな一面があったとは思わなかったが、今度こそ心から信じられるとも思えた。けれど、全てが手放しでよかったかと言えば、簡単に頷けるわけでもない。
そんな気分を振り払うように首を横に振り、部屋に落ちた小石を拾ってそっと握り締めた。




