5-6②
「リシュカっ、危ないから下がって」
焦ったように囁いたルカの声に、エリシュカはすぐに窓の前から身体を横にずらした。一呼吸置いてガサガサと葉擦れの音が響いたかと思うと、次の瞬間にはルカの足が窓枠に乗っていた。ひらりと窓から飛び降りると、パタパタと手で汚れを払う。呆気に取られたエリシュカを見下ろし、決まり悪そうに首の後ろを掻いた。
「今後の話をしてなかったと思って。驚かせてごめん」
「ううん。私も話したいことがあったからよかった」
ホッとしたように息を吐いたルカを、奥のソファに案内した。
向かい合って座ったはいいものの、スカートのちょっとした乱れが気になり何度も撫でる。二度目以降のルカはどこか遠い感じがしていたのに、なぜ今回は違うのだろうか。考えてみてもわからないが、それをルカに聞くこともできない。さっきまで何を話すつもりだったのかもすっかり頭から抜け落ちて、思い出そうと視線を彷徨わせた。
「明日は一日ゆっくり休むとして、明後日からなんだけど」
ルカの声にはっとして顔を上げると、思いの外真剣な表情を浮かべている。気を引き締めたエリシュカは、しっかり視線を合わせて頷いた。
「二度目のときに、リシュカが連れて行かれた邸を探してみようと思うんだ。どうかな?」
それはどこの誰の邸かもわからぬまま、地下で死を迎えたあの場所だ。馬車で移動したので、エリシュカには全く見当もつかない。
「ええ。でも、本当にどこだったのかわからないの」
「うん。マテスがいくつか候補をあたってるから、そこを探ってみようと思う。リシュカの馬も連れてくるから、練習がてら回ってみよう」
頷いて返したエリシュカは、緩みそうな口元を引き締めた。遊びに出かけるわけではないと分かっていても、この屋敷に籠っているのは気分が重い。自分のことなのに、何もせずにただ隠れているだけだなんてことはしたくない。
「それと、四人で交代しながらリシュカを見守ることになった」
目を瞬いたエリシュカは、すぐに眉を下げた。
「そんなの大変じゃない。まさか、夜も?」
「もちろん」
「でもっ」
「追尾の指輪をしてなくても、結局ここに居るなら同じだろう? 二度目のときにひと月何もなかったからって、今回も同じとは限らない。もう四人で決めたことだから、気にせず過ごして欲しい」
エリシュカか渋々頷いたのを確認すると、ルカは満足そうに頷いた。
「そうだ、さっきテレシエがきたの」
「義理の妹君だったかな?」
「ええ。それで、アダムも協力したいって言ってるみたい。マテスがヴァーツラフ様を探るのに、何かの助けになるんじゃないかしら?」
「ああ、それはきっと捗ると思う。明日にでも話しておくよ」
さっきまでどうやって伝えようかと思っていたことが解決して、肩の力が抜ける。しかも、これからずっと四人の誰かが見守ってくれるのだ。申し訳ないという気持ちもあるが、正直に言えば心強い。今度こそ無事乗り越えられるに違いないと思うと、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「一つ聞いてもいいかな?」
躊躇いがちに口を開いたルカに、エリシュカは短く「ええ」と答えた。
「リシュカは、どうして僕らが依頼で近づいたとわかってからも、一緒に旅をしたんだ?」
不思議そうな顔をしたルカに、エリシュカは目を瞬いた。少しの間考えてから、言葉を選ぶようにして答えた。
「最初は怖かったわ。……正直に言うと、会わずに済むなら、そのまま一人で旅をしてもいいかも知れないと思ったこともあった」
ルカは苦笑いを浮かべながら、頷いて返した。
「だけど、ひと月を何度も一緒に過ごす内に、皆のことを知っていって。そうしたらいつの間にか、私にとっては大切な人たちになってたの。誰も覚えてないけど、皆いつも私を助けてくれた。一人で旅に出てたら、マテスの言ってたとおり死に戻りすら出来なかったと思う」
髪をくしゃリと掻き上げたルカが、複雑そうな表情を浮かべた。
「だけど、一度も助けることができなかったんだな。いつも側にいたはずなのに。何度も苦しい思いをさせて、ごめん」
思いもかけなかった言葉に、エリシュカは目を見開いた。そんな風に言われるなんて、想像もしていなかった。エリシュカにとっては四ヶ月、繰り返し旅を共にした仲間たちだ。けれど、死に戻ればいつも彼らにとっては初めての出会いで。だから、今度だって同じなのに。
エリシュカは、滲みそうになる涙をごまかすように俯いて、何度も首を横に振った。
「いいえ。前回の死に戻りのとき、ルカは最後まで反対してた。それなのに私……。だから、謝るのは私の方。私こそ、ごめんなさい」
ルカは何度もエリシュカの最期の夢を見たと言っていた。それを知っていて死に戻りを選んだのは自分自身だ。最期に聞いたルカの悲痛な叫び声が耳を掠め、膝の上で拳をぎゅっと握り込んだ。
「だけど、そのおかげでマテスは生きてる。同じことが起きても、きっと僕はまた反対するだろうけど。だけどそれも、もう過ぎてしまったことだ。今度こそ絶対に守るよ」
ドキドキと心臓の音が激しくなり、顔に熱が一気に集まる。さっきまでのソワソワとした気分とは比べ物にならないほど落ち着かなくなって、ソファから立ち上がりそうになるのをぐっと堪えた。ルカの顔を見ることが出来ずに俯いて、何度も両手を組み替える。口をむずむずとさせていると、ルカが「だけど」と暗い声を出した。
「そう言われても、今まで五回とも守れなかったんだ。頼りないと思うかも知れないけど」
「そんなことないっ」
半分立ち上がりそうになったエリシュカは、身を乗り出して両手の拳を握った。
「私だって、一人で何もできない頃とはもう違うわ。それでも、みんなを……ルカを信じてるし、心強いと思ってる。そうじゃなかったら、今日だって会いに行かなかった」
目を見開いたルカが、一瞬後に破顔した。その柔らかな笑みは、やはり一度目のルカと同じもので、イェリーネク家で見た夫人のものとも少しだけ似ている。
じっと見つめていると、しばらくしてからルカが頭を掻いて視線を逸らした。耳の先が少し赤いような気がするのは、見間違いだろうか。
「それじゃあ、そろそろ僕は退散するよ。って言っても、ちゃんと外にいるから、何かあったらすぐに呼んで」
「わかったわ、ありがとう」
答えてからすぐに、エリシュカは「あっ」と声を上げた。目を瞬いたルカが首を傾げ、続きを促す。
「もう一つ忘れてたことがあったわ。前の死に戻りのとき、最後に窓から落ちる前。叔父様のところの使用人から聞いたのよ」
「なにを?」
「私を殺すようにって脅してきたのは、叔父様と同じくらいの歳の、手の甲に火傷の痕がある男だって」
難しい顔をしたルカが、考え込むようにして頷いた。「分かった、マテスにも伝えておくよ」と返事をしながら、ソファから立ち上がる。エリシュカも続くように立ち上がり、ルカを見送るために窓の方へ歩いていった。
「朝になったらオルダがくる。その後、夜はカーヤに交代するよ」
「カーヤも夜の見張りをするの?」
「ははっ。そんな風に言ったらカーヤが怒るよ」
はっとしたエリシュカは、慌てて口を両手で塞いだ。旅の間に夜番のことでオルダと言い争っていたことを思い出す。けれど、今のカーヤは前のカーヤとは違う。あれほど頑なに夜番をすると言い張るとも思えなかった。
「最初はオルダが反対したけどね。でも、カーヤも少しは譲歩したよ。まあ、そのときになればわかるよ」
肩をすくめたルカに、曖昧に頷いて返した。明日の夜になればわかるなら、それまで待てばいいことだと思い直す。きっとルカのように窓からやってくるのだろうから、そうしたら直接聞けばいい。
「それじゃあ、おやすみ……リシュカ」
「おやすみなさい、ルカ」
来たときと同じように窓枠に足を掛けたルカが、元いた樹に飛び移った。カサカサと音を立てながら移動して、そのまま幹を降りていったようだ。窓から身を乗り出して下の様子を覗き込むが、暗くて何があるのか全く見えない。本当に下まで辿り着いたのか不安が込み上げ、ごくりと喉を鳴らした。すると下から聞き覚えのある、けれどかなり控え目な大きさでチチッという音が響いてきた。カーヤと同じその合図に、小さく息を吐く。見えているかはわからないが、木の根元に向かって小さく手を振った。
寝支度を整えて寝台に潜り込むと、落ち着かないようなホッとするような複雑な気持ちが込み上げる。目を瞑ってもぞもぞと寝返りを打っていると、ルカの笑った顔が頭に浮かぶ。自然と笑みをこぼしたエリシュカは、いつの間にか心地いい眠りに落ちていった。




